三十三間堂完成 (1165年1月30日 [長寛2年12月17日])

妙法院蓮華王院本堂 (三十三間堂) 完成 (1165年1月30日 [長寛2年12月17日])。
後白河上皇の離宮・法住寺殿の一角を成す蓮華王院の本堂として、後白河上皇が平清盛に資材協力を命じて建立。 1249年 (建長元年) 焼失後、1266年 (文永3年) 再建。国宝。

外観は (大棟と並行する、ここでは南北の) 桁行が35間 (柱間の数。実長は118m)、梁間5間 (16m)。
身舎 (もや。ここでは内陣、須弥壇に相当) の桁行が33間、梁間3間 (つまり身舎の周囲に庇 [ひさし。寺院建築などでは身舎に隣接した広縁のこと] が各面1間分ずつ隣接)、
通称の三十三間堂はこの内陣の33間に由来し、
この数は「法華経」の普門品での観音菩薩が33の姿に変身するという所伝 (普門示現) に相応。 
「観音菩薩」「33」「変身」と言うと、聖観音 (正観音) が三十三種の観音に変化する「三十三観音」が有名ですが
「法華経」の場合、岩波文庫版などで読んでも、特に変化後の姿は「観音菩薩」でなく [※1]
(これらの変化身が、三十三間堂にある二十八部衆 [後述] と多く重なります。)
「三十三観音」と言われる変化身は「法華経」などから展開した後世の所説と考えられます。Wikipediaにもそう書いてましたね。

左右500体ずつ1000体 (中尊背後の1体を合わせ1001体) の等身大の千手観音立像  (国宝) の中央に位置する中尊・千手観音坐像 (像高3m強 [一丈六尺]. 寄木造漆箔。国宝) は運慶の長男、湛慶 (1173-1256年。高山寺仔犬像、雪蹊寺毘沙門天・両脇侍像が著名) の晩年82歳完成の作 (1251-1254年)。
1000体の千手観音の124体は創建当初の作で「長寛仏」と呼ばれます。
他の大部分 (1体のみ室町) の鎌倉復興期の千手観音は慶派、円派、院派の仏師たちが分担して制作。

千手観音の眷属 (前述の通り、観音菩薩の33の変化身にも多く重なる)、二十八部衆像 (全28体。国宝) は鎌倉復興期の作とする説が有力。風神・雷神像 (国宝) も鎌倉時代の作品。

蓮華王院は桃山時代は豊臣秀吉が北隣りに造営した方広寺の境内に含まれ、
豊臣氏滅亡後の江戸初期に妙法院の一院になったとのこと。

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🔍 三十三間堂公式ページ

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北隣りの京都国立博物館へは数年前「源頼朝画像」「俵屋宗達風神雷神図」(いずれも国宝) などの展覧会の時に行きましたが、三十三間堂へは近頃行けてません。
写真はアナログカメラの時に外観を撮ったのを探してます。
京都国立博物館は国宝の数などが奈良国立博物館より多く、ゆっくり見ていると閉館時間に間に合わないほどでした。
浄瑠璃寺の国宝四天王像の一体多聞天が印象に強く残ってます。

🔍 京都国立博物館公式ページ「浄瑠璃寺国宝四天王像」


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※1.
🔍 Wikipedia「観音菩薩」 https://ja.wikipedia.org/wiki/観音菩薩#普門示現   

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(30日更新)

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