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宗教画を鑑賞するということ

 神とは、本来私たちが見ることができず、霊的なものであり、人間の感覚で捉えることはできない。ユダヤ教やイスラム教、プロテスタントなど、一部の宗教宗派においては偶像崇拝は禁じられている。また一方で仏教では仏像に手を合わせたり、カトリックでは十字架の前にひざまずく人々を見ることになる。さらには、仏像を美術館に展示したり、部屋にマリア像を飾ったりと、神の似姿である崇拝の対象を芸術として扱うこともある。神や聖人を描く意味とは、宗教性にあるのであろうか、それとも芸術性にあるのであろうか。
 
 岡部由紀子(京都外国語大学教授)は、芸術学の初学者向けのマニュアル本『絵画の探求術』(島本浣、岸文和編、昭和堂、1995年)において、中世からルネサンスにおける「聖母子像」における制作者の扱われ方の違いについて説明している(40-42頁)。以下に岡部の論の概略を紹介するとともに、その後の展開も加味することで宗教画を鑑賞することの意味について考えたい。

図1 ロヒール・ファン・デル・ウェイデン《聖母を描く聖ルカ》1435-40年、テンペラ・オーク板、37.5 × 110.8 cm、ボストン美術館
図2 ヤン・ファン・エイク《宰相ロランの聖母》1435年頃、油彩・板、66 x 62 cm、パリ、ルーヴル美術館

 中世ヨーロッパにおいて、霊的な存在である神や聖人は、写実的ではなく、抽象的に表現されることにより、敬虔な信者たちの神へと思いを馳せる思索の対象であった。ロマネスク教会の彫刻、またゴシック教会のステンドグラスなどはまさにそのように表現された神や聖人たちであろう。
 一方で、15世紀頃、いわゆるルネサンスの時代から段々と写実的な表現が増えてくる。岡部は、ロヒール・ファン・デル・ウェイデンの《聖母を描く聖ルカ》(図1)を例に挙げながらも、初期ルネサンス時期にはそれでもなお、崇拝の対象として「聖母子」が描かれていたと述べる。左手の聖母子の前にうやうやしくも今にもひざまずこうとしている右手の人物は聖ルカ。この人物は、画家の守護聖人であり、ここでは画家自身を表すものであろう。画家はあくまで聖母子に敬意を表し、その姿を写させて「いただいている」のである。
 ところで、本作は油彩の発明者ともいわれるヤン・ファン・エイクの《宰相ロランの聖母》(図2)を下敷きにしたものだと考えられる。線遠近法で表現された室内、背景に広がる空気遠近法で描かれた風景などを、ロヒール・ファン・デル・ウェイデンはそのまま借用している。ヤン・ファン・エイクの作品においては、ブルゴーニュ公国宰相だったニコラ・ロラン(注文者)がノートルダム・ドゥ・シャステル教会に寄進する姿が描かれるわけだが、ロヒール・ファン・デル・ウェイデンの作品ではそれが画家自身の比喩である聖ルカが描かれることより、作者自身の自意識といったものが芽生えている様子が垣間見える。

図3 ジョルジョ・ヴァザーリ《聖母を描く聖ルカ》1570年頃、 フレスコ、フィレンツェ、サンティッシマ・アヌンツィアータ聖堂内聖ルカ礼拝堂

 16世紀において、よりそれが顕著になっている例として岡部はヴァザーリの同主題の作品(図3)を挙げている。本作では、聖ルカはあからさまな画家の姿として描かれ、画家が聖母子を描くことにより、その姿が現実の世界に現前しているかのように表現されているのだ。左手の女性は画家が描いたカンヴァスを見つめているが、隣の男性は画家の技術(アルテ)によって現れたカンヴァスの後ろの聖母子を見つめている。

図4 ジョット・ディ・ボンドーネ《草原の聖母》1310年頃、テンペラ、金・板、325 x 204 cm、フィレンツェ、ウフィツィ美術館
図5 ラファエロ・サンティ《小椅子の聖母》1513-14年頃、油彩・板、 71 cm × 71 cm、フィレンツェ、 ピッティ宮殿パラティーナ美術館

 このことは、神や聖人を描いた絵画が鑑賞の対象になったと同時に、芸術家の地位の変化を明らかにしている。あくまでも描かれたもの(描き、指し示すもの)が信仰の対象であったものが、画家が描いた巧みさや美しさ(絵画そのもの)を鑑賞者は賛美するのである。初期ルネサンスのジョットと盛期ルネサンスのラファエロの聖母子を比較してもそのことは顕著である。ジョットの作品ではあくまで聖母子を指し示すことが重要であったが、ラファエロの作品では、画家が描いたものから鑑賞者は聖母の優しさや貴さを感じ取るのである。時には、宗教的なものを超え、その絵画自身が鑑賞の対象になっていたことは同時代においてもあったのであろう。

図6 バルトロメ・エステバン・ムリーリョ《聖母子》1670-72年頃、油彩・カンヴァス、ニューヨーク、メトロポリタン美術館

 芸術が訴える力を巧みに利用して、信仰心を奮い立たせたのがバロックの時代の美術であると思われる。スペインのバロック期の巨匠ムリーリョの作品(図6)では、聖母子にスポットを当てたかのような明暗表現、マリアの指の先までを意識した美しさも相まって、聖母の慈愛を鑑賞者は感じることができる。同時代においては、敬虔なキリスト教徒、あるいは敬虔でないキリスト教徒までもこの作品を見れば、聖母子の「愛」を再確認することができたのではないだろうか。

 さて現代の我々が宗教画を鑑賞する際にはどの立場に立つべきなのであろうか。残念ながら、21世紀に生きる私たちは信仰心が必ずしも「美しい」ものではないことを知ってしまっている。一方で、「超国宝展」のように、その時代の人々の「想い」までも鑑賞しようという展覧会も催されている。宗教画を鑑賞する意味とはどこにあるのであろうか。

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