悲しみが独りに偏らない社会への願い
人はひとりで生きていけるほど強くもなく、でも常に誰かに依存して生きられるほど単純でもありません。その狭間で、私たちは多くの人と折り合いながら、どうにか生きています。
誰かと人生を共にすることを説いた言葉は、この世に沢山あります。
喜びを分かち合えば倍になり、悲しみを分かち合えば半分になる。
こうした言葉を昔は鵜呑みにしていました。自分も社会人として色々と経験して、今は少し捉え方が変わりました。
これは、自分が感じている人間社会の問題の本質とひとつ、それに対して自分が向けている目線に関するお話です。
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喜びと悲しみの共有について
誰かと喜びを共有できることは、確かに幸せなことです。同じ瞬間を面白いと思えたり、安心できたりする。それだけで、人は少し救われます。
ただ、喜びは必ずしも誰かと分かち合う必要もないと思います。自分自身の心の中で静かに完結することもあるためです。
誰かと一緒に居るからといって、常に大きくしなければならないものではない。並んで存在できるだけで、十分なこともあるのです。

一方で、悲しみや苦しみについては、捉え方が違うと感じています。
理不尽や喪失感、そういうどうにもならない現実は、人の心身を確実に削ります。それらは、考え方を変えれば前向きになれる、という類のものばかりではありません。
そうしたものを個人で抱え続けるのは、あまりにも酷です。誰かが隣に居てくれたら、少しだけ引き受けてくれる。
現実として解決できなくても、正しい言葉をかけられなくてもいい……
そんな些細なことだけでも、気持ちが楽になる瞬間が確かにあります。
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人間社会の中で孤独に生きること
大人になれば、人は最終的に自分で決断し、自分で責任を負います。
そういう意味で人は孤独な存在です。一方で、人は社会の人間関係の中で生きる存在でもある。
だからこそ、自分は悲しみや苦しみを個人の問題とする社会ではなく、できる時に誰かと重荷を分け合う社会の方が良いと思うのです。
それは特別な善意ではなく、自然な文化として存在すること。そこに、社会の健全性のひとつが表れるのではないかと思います。
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人間社会と施策で助け合うこと
社会人として、自分はそれなりに精神面で苦労してきました。そうした経験から、多くの人が心身を崩さず、この社会を生きてほしい。
自分勝手と思いながら、そう願っています。
そうした想いもあり、最近はメンタルヘルスマネジメント検定をはじめ、企業労務や環境を踏まえた仕組みを別の角度から学び始めました。
個人の努力や気合いだけでは、どうにもならない側面がある。それを見て見ぬふりをしないためには、感情論だけでなく、社会制度やリテラシーも必要だと感じるようになりました。

昨今は立場や正しさが過剰に強調されているように感じます。その結果、他人の苦しみに手を伸ばすのが困難な実態があります。
だからこそ「喜び」を増やす前に「悲しみ」を分散する社会を望みたい。順序から考え直してみても良い気がします。
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おわりに
ふたりでいることの意味は、喜びを無理に大きくすることではなく、悲しみを個人に背負わせないことにあるのかもしれません。
全てを分かち合うことはできなくてもいい。せめて、誰かの悲しみや苦しみが、独りの重さに偏らないように。
求められるリテラシーも変化する時代に、社会をより安定させるために。アナログな考え方ですが、外してはいけないと思います。
そのために自分にできることを、これからも学び続けたいです。
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最後まで読んで頂き、ありがとうございます。この記事が、何か皆さんの未来を変えるキッカケになれたら幸いです。
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