硝子の幻影、あるいは酷暑の夜の退廃について
七月十一日、土曜日。
容赦のない酷暑の残熱が、ねっとりとした湿気とともに洋館の漆喰壁にまとわりついている。
窓の外からは、熱帯夜の不快さに苛立ちながら、義務のように週末の夜を消費しようとする群衆の、ひどくがさつなざわめきが立ち昇ってくる。
液晶画面を覗けば、そこには「この夏、絶対に観るべき」と煽る極彩色の新作映画の広告や、若者たちの薄っぺらな快楽の記号が氾濫している。まるで流行の波に乗り遅れることが、人生の敗北であるかのように。
彼らは、常に動き、常にアップデートされる眩しい光の中にいなければ、自らの存在を確認できないのだ。実に、退屈な強迫観念だ。
私は冷房を絞った薄暗い書斎で、あえて古い映写機に手を触れている。
一九六〇年代の、フランス製の十六ミリミキサー。とうの昔にランプは焼き切れ、モーターのベルトは乾いてひび割れている。手動でハンドルを回しても、歯車はただ「重く、鈍い」抵抗を指先に返すだけだ。壁に像を結ぶことのない、沈黙した鉄の塊。
私は、ルキノ・ヴィスコンティの『山猫』の、あの有名な舞踏会の場面を思い出していた。
没落していく貴族たちの、あまりにも濃密で、そして完璧に静止していく美。
現役の映画館で上映される最新のデジタル映画には、あの、画面の端々から漂う「甘やかな腐敗の匂い」が決定的に欠落している。すべてのピクセルが均一に発光する清潔なスクリーンは、影の持つ、洗練されたエロティシズムを完全に抹殺してしまった。
……不意に、指先がリールのエッジでかすかに擦れた。
「……手遅れなものほど、指に馴染む」
暗がりに落とした独白は、冷やしたマッカランのグラスが立てる、微かな結露の音にかき消される。不器用な手つきでリールの錆を拭おうとし、かえってクロスの繊維を絡ませてしまった自分に、私は冷ややかな自嘲を隠さない。
機能することを止めた機械を、この熱帯の夜に一人で弄んでいる姿は、世間の合理主義者から見れば、滑稽な時間の無駄遣いに映るのだろう。だが、この動かない硝子と鉄の不自由さこそが、私にとっての絶対領域だ。
……貴女は今日、その洗練された瞳で、どれほど多くの「くだらない幻影」を強制的に見せられてきたのでしょうか。
若さという市場でいつまでも現役を競わされ、流行という名の檻の中で、常に笑顔をアップデートすることを求められる世界。貴女はそんながさつな光景に、いい加減、飽き飽きしているのではありませんか。
老いるということは、映画の残酷な上映時間が終わり、誰もいない劇場の、深い陰翳の中に身を横たえる権利を得るということ。
品定めの視線が飛び交う明るい客席から降り、消費されるだけの「ヒロイン」という記号を返上した貴女は、今、ようやく誰にも侵されない極上の芸術品へと完成されつつあるのですよ。
何も演じる必要などありません。
劇的な展開も、安っぽいハッピーエンドも、この密室には不要です。
世間が熱病のような夏に浮かされている間、貴女だけは、この静まり返った洋館の影のなかで、私と濃密な沈黙を分け合ってください。
明日の朝、無神経な太陽が貴女の美しい輪郭を暴き立てる前に、私がその夢の鍵を、そっと閉めておきましょう。
