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人間関係がうまくいかない人は、”やさしく”ないのか。


はじめに


人にやさしい。
そう言われる人がいます。

でも、やさしさは、
たいてい見えにくい。

声の大きさではない。
笑顔の数でもない。
うまい励ましでもない。
気の利いた正解でもない。

もっと地味なところで、
それは起きている気がします。


相手を、
役に立つかどうかで見ないこと。

感じがいいかどうかで、
決め切らないこと。

その人を、
ひとつの印象に畳まないこと。


人を「評価対象」ではなく、
「存在」として扱う。

そのことについて、
少しだけ、言葉を置いてみます。







【筆者活動】
デスクに置くアートテラリウム作家|けん
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1. 人は、なぜすぐに誰かを決めたくなるのか

人を見るとき、
私たちは思うより早く、
判定しています。

この人は安心。
この人は苦手。
この人は信用できる。
この人は面倒だ。

そう名づけた瞬間、
少し楽になります。
相手の輪郭が、
急にはっきりするからです。


どう接するかが決まる。
どこまで近づくかも決まる。

傷つくかもしれない場所も、
先回りして避けられる気がする。


けれどそこで見ているのは、
相手そのものというより、
こちらの不安かもしれません。

わからない人は、怖い。
読めない反応は、落ち着かない。
思っていた通りでいてくれないと、
足元が少し揺れる。

だから人は、
相手を理解したいのではなく、
早く処理したくなることがある。


「あの人はこういう人だ」
そう言えれば、
世界が少し整うからです。

でも、その整い方は、
ときどき乱暴です。

相手を見たようで、
自分の安心を見ている。

そこに気づくと、
人との関わりは少し変わります。


評価することが悪いのではない。

評価だけで済ませてしまうことが、
どこかで、
相手を小さくしてしまうのです。



2. 相手の不確かさに耐えられないとき、何が揺れているのか

相手が不確かだと、
こちらも不安定になります。

やさしいと思っていた人が、
急に冷たく見える。
わかってくれているはずの人が、
まるで違う言葉を返してくる。

そのとき揺れるのは、
相手の印象だけではありません。

自分の立っていた場所も、
いっしょに揺れます。


人を見る目がある。
そう思っていた自分。

この関係は大丈夫だ。
そう信じていた感覚。

ここでは傷つかない。
そう預けていた安心。


相手が読めなくなると、
それらまで、少しほどける。

だから私たちは、
相手の不確かさそのものより、
その不確かさによって
自分が定まらなくなることを怖れるのだと思います。

この人は敵か味方か。
この人は信じていいのか。
この人は結局どういう人なのか。


その答えを急ぐのは、
相手を閉じ込めたいからではない。
自分の足場を、
一刻も早く固めたいからです。

では、どうすればいいのか。
たぶん答えは、
相手を完璧に読むことではありません。

相手が読めなくても、
自分まで消えないと知ることです。


関係が揺れても、
自分の価値まで崩れないこと。
見立てが外れても、
自分の輪郭まで失われないこと。

その感覚が少し育つと、
人の不確かさは脅威だけではなくなります。


わからない。
でも、すぐ決めなくていい。

見えない。
でも、乱暴に名づけなくていい。

そう思えるとき、
他者は管理の対象ではなく、
ほんとうに「他者」になります。

わかりきらないまま、
そこにいる存在として。




3. 人を存在として扱うことは、やさしさの深い場所にある

人を存在として扱う。
それは、何も判断しないことではありません。

合わないことはある。
距離を取るべきこともある。
傷つけられたなら、
その事実は曖昧にしないほうがいい。

でも、それでもなお、
ひとつの出来事で
その人の全部を言い切らないことはできる。


この人のこの言葉は痛かった。
けれど、この人のすべてが
その痛みだけでできているわけではない。

この人とは離れたほうがいい。
けれど、それは
この人の存在価値を裁くこととは違う。


関係の質はずいぶん変わります。

評価は残る。
けれど断罪が薄まる。

整理はする。
けれど切り捨て方が変わる。


そして、それは
相手だけに向かう話ではありません。

人を結果だけで見ていると、
やがて自分も結果だけで見るようになります。

うまくできた日だけ、
存在していい気がする。
失敗した日は、
自分そのものが
小さくなったように思える。

けれど、人を存在として扱うまなざしは、
少しずつ自分にも返ってきます。

失敗した。
でも、失敗そのものにはならない。
未熟だった。
でも、未熟さだけが
私の正体ではない。

そう思える余白が、
かすかに残る。


やさしさとは、
何かをしてあげることだけではないのだと思います。

相手を、
ひとつの意味に閉じ込めないこと。
すぐに説明し切らないこと。
自分の安心の材料として、
相手を使い過ぎないこと。

目の前の人は、
まだ言い切れない。
でも、だからこそ
雑に扱わない。

その静かな踏みとどまりのなかに、
やさしさの深い場所がある気がします。


それは柔らかさというより、
曖昧さに耐える力です。

わからなさの前で、
乱暴にならない力です。


人を存在として扱うとは、
相手を理解し尽くすことではなく、
理解し尽くせなさの前で
なお、人として向き合おうとすることなのだと思います。





最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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ーAI時代に、正解を示さず、揺れを止めず、人生の途中に小さな灯を置く。デスクの小さな景が、本当に大切なものに気付かせてくれるー

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