【創作】フェルメールの絵画指南書【幻影堂書店にて】
※これまでの『幻影堂書店にて』
光一が書店の扉を開けると、奥の方で、ノアがイーゼルに乗ったキャンバスの前で、パレットを持って何やら絵を描いていた。覗き込むと、本屋の前で、店主のクリスと、ノアが一緒に仕事をしている絵だった。
光一は、クリスと個別に会うことは会っても、ノアとクリスが一緒のところを見たことがなかった。何かそれも理由があるのだろうかと思いつつ、真剣なまなざしのノアを見守る。
ノアは、ふっと筆の手を止めると、光一に気づいて、振り返った。
「やあ、来ていたんだね」
「うん。集中していたね」
「手すさびにやってみたら、結構楽しくてね。うまくはないのは分かっているけど、人が絵を描く理由が分かる気がする。手を動かして、線や色が刻まれて、一つの世界が立ち上る。幸せな魔法のようだね」
ノアがキャンバスを片していくと、一冊の本が、キャンバスの周りを鳥のように飛んでいた。
「この本は?」
「これは昨日入荷した、画家フェルメールの絵画指南書だ。絵画の初心者に向けた本だね」

マウリッツハイス美術館蔵
「フェルメールの絵は知っている。『真珠の耳飾りの少女』とかの人だね。興味あるな」
「そう、生前も画家としては認められていたけど、どちらかというと20世紀になって再評価された人だね。室内画を中心に、現存する作品が40点近くしかない、どこかコレクター心やマニア心をくすぐる画家でもある。
そんな彼が、制作の傍らに書いた本。勿論、表の世界では流通していない。読んで御覧」
ヨハネス・フェルメールは、1632年オランダのデルフト生まれ。父親は宿屋を経営しながら画家としても活動していた。

ドレスデン美術館蔵
一番左のグラスを掲げる男が
フェルメール本人と言われている
フェルメールの修業時代については良く分からないことも多いが、1653年に当時の画家組合にマイスターとして登録されている。父の死後、宿屋を経営しつつ、絵を手掛ける。デルフトの醸造業者のパトロンも見つけ、寡作ながらも独自の作品を創り続けた。また、デルフト画家ギルドの理事も務めている。
1670年代オランダは戦争に伴って不況に陥り、また、後進の画風の違いもあり、フェルメールは絵が売れずに苦労している。1675年に43歳で死去。死後、家族は破産を申請している。
光一はページをめくったが、そこには、驚くほど冷静な記述で、画家の心得が書かれていた.
キャンバスの作成方法、色の塗り方から、正しい遠近法の描き方、カメラ・オブスクラといった光学装置を生かす方法という絵画を描く方法だけではない。自分にとってのパトロンを見つける方法、そのコミュニケーション方法や金額交渉等を、淡々と記述している。

ニューヨーク・フリック・コレクション蔵
光一が強い印象を受けたのは、「絵画とは何か」「芸術とは何か」と言った絵画論のような記述が全くないことだった。過去の名作を論じたりと言ったことも無い。ただ、「創作の心得」という最終章で、短くこう書かれていた。
あなたが自分の作品を創りたいとしたら、あなた独自の絵画を創ろうなどと思ってはいけない。多くの優れた絵画があるのだから、それらの何が優れているのかを自分で考えればいい。それについて教えることはできない。一般的に、何かを削ぎ落す方が難しいとは言えるが。
主題、人物、色彩、視点等の様々な要素があなたを捕らえるだろう。それらを輝かせるように忠実になぞって再現するのだ。そうすることで、あなたの作品はあなたしか描けない絵画に自然となる。
もしそれが、他人の模倣と言われるのなら、それはまだあなたの中で、優れた作品が何なのかを消化できていないのである。

アムステルダム国立美術館蔵
「面白いな。結構現実的というか、生臭い話に終始しているね。気難しい芸術家タイプとはちょっと違う感じだ」
「うん、フェルメールは、17世紀オランダの黄金時代の画家だ。なぜ黄金時代かと言えば、スペイン帝国から独立して、共和国として、或いは商業都市として、欧州一の発展を遂げていた国家だったからだ。
その途上で、商業を主とする市民階級は豊かになり、生活を彩ってくれる絵画の需要が急増した。そこでの需要は、宗教画じゃない。風景画、静物画、そして室内画だ」
「それが、つまりフェルメールの作品の主題でもあると」

ウルリッヒ公爵美術館蔵
「そう。そして彼の作品の主題は結構同時代の画家と被ってもいる。

『ワインと会話を楽しむ男女』
ロンドン・ナショナルギャラリー蔵
デ・ホーホは特に
初期のフェルメールに影響を与えた
自分の独自性を思い煩わずに、ただ良いものを創るのが最善だという考え方は、勿論普遍的な真理なのかもしれないけど、多くの似たような作品が出回って、それが売れているから生活ができるという、需要が尽きない成熟したマーケットがあるからこその発想と言えるのかもしれないね」
「なるほど。その中で、フェルメールは、あくまで自分の色を出そうとはしなかったということなのかな」
「うーん、それは説明が難しいね。というのも、彼は似ているように見えて、結構後期の方には作風を変えている。厚塗りで省略された筆致、大仰なポーズの人物像等、中期のいわゆるフェルメールっぽい、静謐な人物画とまた別の色を出しているからね。
晩年は、オランダの国力が傾いていた時期にもあたり、作品が売れずに、画家たちが皆苦しんでいた時期だ。おそらく、彼の中でも何か心境の変化はあったんだろうね。

メトロポリタン美術館蔵
フェルメール後期の作品
でも、フェルメールの視点が、かなり同時代のオランダ画家とは変わっていたのも事実だ。
一つは、彼の絵画はかなりの小型サイズが多いこと。大きなキャンバスは、初期の習作を除いて、40センチ四方のサイズが多い。
もう一つは、構図のシンプルさ。同時代の風俗画と並べると、光の処理の明晰さ、前景と光景のくっきりとした分け方も巧みさ、遠近法処理の自然さは、まったく抜きんでている。結果としてシンプルに見えるんだ。

アムステルダム国立美術館蔵
他の絵画と一緒に並べると、フェルメールの絵画だけ、小さいけど清浄な光で輝いているような感じがする。それは、彼の絵画がオランダのマーケットの中でも、十分な独自性を持っていたように、今では思えるね」

ルーブル美術館蔵
フェルメール作品でも最小の
30センチ四方にも満たない小品
「なるほど。絵画は奥が深いね。もしかすると、実際にフェルメールは、他の画家と差別化を図ろうという意識はなかったのかもしれない。それは今となっては分からないけど、本人としては自然な作品だったのかもない」
「うん。そういえば、彼は同じ黄色のガウンを何度も使ったり、明らかに同じ人物がモデルを務めたりと、身近にあったものを題材にしているね。11人もいる子沢山だったのに、子供たちを描いていないのも興味深い。

ワシントン・ナショナルギャラリー蔵
このガウンは『婦人と召使』等でも見られる
つまりは、他人と主題が被って似ることは恐れずに、ただ自分の身の回りのものを取捨選択しながら、自分の世界を創りあげたということなのかもしれないね。
そう、私も絵画を描いて、それは自分の考えや無意識は、キャンバスに自然と現れるものだなと感じたよ。あと残るものは、技術というものなのかもね」
ノアはそう言って、キャンバスの絵を持って、嬉しそうに笑った。絵画の中の穏やかなノアとクリスのほほえみには、彼女の望みのようなものが、自然と表れているのかもしれない、そうであってほしいと光一は思った。
(続)
今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。
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