エキゾチズムの宝石 -モローの絵画の美しさ
私の好きな画家の一人に19世紀フランスの画家ギュスターヴ・モローがいます。
エキゾチックな華麗さの中に、ある種の静寂と端正さがあり、年をとって耽美系に少し胃もたれを感じることが多くなっても、変わらずに好きな画家です。
ギュスターヴ・モローは、1826年パリ生まれ。ブルジョワの家庭に生まれ、小さい頃から家にあった神話集を読み、建築家で芸術好きの父親の影響もあって、絵画にも興味を持ちます。

ギュスターヴ・モロー美術館蔵
バカロレア(高等学校試験)に合格する優秀な子だったものの画家を志し、20歳の時に国立美術学校に入学。両親とは生涯仲が良く、対立することはありませんでした。ルーブル美術館に通って模写を繰り返し、様々な絵画芸術を吸収します。
そして、ロマン主義のエキゾチックな画家シャセリオーの絵を見て感激して私淑。シャセリオーの早世後は、イタリアにも二年間滞在し、独自の画風を模索します。
そして、1864年、38歳の時に『オイディプスとスフィンクス』をサロンに出品。以降、主に神話を題材にした濃密な絵画を次々手掛け、人気画家として地位を確立します。

メトロポリタン美術館蔵
1892年、66歳の時には、国立美術学校の教師となります。ルーブル美術館での古典の勉強を薦め、自由なその教室からは、マティス、ルオーといった20世紀の名画家が巣立ちます。
1898年72歳で死去。死後、遺言により自宅は「モロー美術館」となり、彼の名作や創作過程が分かる資料が収められた、貴重な美術館となっています。
モローの絵の特徴は、薄暗い静寂な空気に宿る、濃密なエキゾチズムの輝きです。
初期の傑作『オイディプスとスフィンクス』は、どこかルネサンス期のラファエロやダ・ヴィンチを思わせる薄暗い切り立った背景に、凍り付いたような男女が視線を交わす。
あるいは『オルフェウスの首を抱くトラキアの娘』の、やはり荒涼とした背景で、俯き加減で美青年の首を抱える女性の清楚な美しさと、不思議な文様のドレス。

オルセー美術館蔵
ドラマを感じさせつつ、強い情動よりも抑制された感情に、古代と遠方が混じったような無国籍な空気感が混ざって、唯一無二の艶やかさを創りあげています。
それは一連の『サロメ』を描いた作品にも濃密に反映され、世紀末趣味や象徴主義の代表的な作品と見なされるようになりました。
モローの作品で欠かせないのは、水彩でしょう。一つ一つの色が滲んで闇の中を染めるような空気を創り出すのは絶品。そして、段々と油彩にもそれが浸透し、滲んだ色彩の上を楔型の文様が踊るような様式も生まれます。

オルセー美術館蔵
後期に入ってくると、初期の端正なアカデミー風の人物から、少しフォルムが崩れたかのような人物像になり、傑作『一角獣たち』の中世とも東方ともつかない場所のように、いつの時代か判別できないエキゾチズムが匂い立つようになります。

ギュスターヴ・モロー美術館蔵
『サッフォー』では、古代ギリシャのレズビアンの詩人のポーズや着物が、明らかに浮世絵の役者絵を模しており、ジャポニズムの影響も感じさせます。

ヴィクトリア&アルバート美術館蔵
古今東西のあらゆる記憶を砕いて溶かして煮詰めた幻想の絵画であり、天野喜孝のような後世のイラストレーターに与えた影響も大でしょう。
ただモロー自身は、自作を「世紀末趣味」「退廃」と見なされるのを嫌っていた節があります。
世紀末の耽美作家ユイスマンスの小説『さかしま』には、モローの絵画に熱狂して収集し、部屋に引きこもるオタク男が出てきますが、モローは彼ら象徴主義者とは距離をとり続け、ペラダンら象徴主義の展覧会『薔薇十字展』とも、関りを拒否しています。

ギュスターヴ・モロー美術館蔵
そして何より興味深いのが、彼の弟子のマティス、ルオー、マルケといった画家たちは、いずれも象徴主義や退廃からは程遠い、表現主義的な画家だということです。
工房を開いて弟子をとった画家は古今東西珍しくありませんが、大抵は師匠の画風を継いでいるもの。ここまで真逆な弟子がいるのは珍しい。
マティスらの証言が残っている通り、モローは生徒たちの一人一人の画風を決して否定することなく、自分にしかない個性を伸ばすようにと励まし続けました。
勿論、それはモローが優れた教育者で人格者だったことを表していますが、同時に、彼自身が象徴主義的な絵画にこだわりがなかったことも示しているのではないか。
生徒というものは、いくら教師から自由に創れと言われても、無意識のうちに教師の好みに沿ってしまうものです。作品の講評等があれば尚更そうで、そうした場でもモローは象徴主義的な作品を贔屓目に見ることがなかった可能性があります。
そうしたこだわりのなさ、柔軟性は、晩年になると彼自身の作品にも反映され、異様な風景が生まれます。色彩の塊が滲んで交錯するその画面はほぼ抽象画であり、晩年のターナーやモネが到達したような、異形の表現となっています。

ギュスターヴ・モロー美術館蔵
おそらく、モローが本当に重視したのは、どことも知れない神話から零れる色彩、空気感のようなものだったのでしょう。
退廃的な物語はあくまでその空気感を醸すためのもの。ここではないどこかの異国の香りと光が感じられればそれでよい。
幼い頃から浸った世界各地の神話や歴史、19世紀末パリで集められる、中世ヨーロッパやジャポニズム、古代エジプトといった美術の記憶が沈殿し、その上澄みが固まって宝石となり、現実のどこにもない異国の輝きが煌めく。

ルーブル美術館蔵
そこにあるのは、大仰なドラマではなく沈黙と静寂です。それゆえに、カラフルで耽美的でありながら落ち着いた質感を持つ、大人の芸術となっている。
私が今でもこの画家を好きなのは、そうした多層的な意味を持ちえた、複雑な表現となっているからなのでしょう。是非、その精緻にして自由闊達な美を体験いただければと思います。
今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。
こちらでは、文学・音楽・絵画・映画といった芸術に関するエッセイや批評、創作を、日々更新しています。過去の記事は、各マガジンからご覧いただけます。
楽しんでいただけましたら、スキ及びフォローをしていただけますと幸いです。大変励みになります。
