速度を刻みつける絵画 -ジェリコー『メデューズ号の筏』を巡る随想
【月曜日は絵画の日】
前回バッハの『マタイ受難曲』で大作について書きましたが、全ての力を結集した大作が代表作になれるのは、創作者として幸せなことなのかもしれません。
19世紀フランスの画家、ジェリコーは『メデューズ号の筏』で知られる早世の画家ですが、その一作に凝縮された才能は、今でも驚くべきものです。
テオドール・ジェリコーは1791年フランス北部生まれ。父親が弁護士の裕福な家庭に生まれ、幼いころパリに移住し、金銭には困らず、画家を目指して絵画を修業。ルーブル美術館で模写を繰り返します。

21歳の時に、サロンに出品して金賞を受賞。『突撃する近衛猟騎兵士官』というこの絵画は、馬に乗った士官の躍動感あふれる作品でした。また、この絵で生き生きと描かれたように、ジェリコーは小さい頃から馬が大好きで、度々その後のモチーフになります。
その後、後のロマン派の巨匠画家ドラクロワと知合い、切磋琢磨して生涯の友人になります。そしてローマ賞を目指すも入選ならず、自分でお金を出してイタリアに修業に。特にミケランジェロのダイナミックな表現に大きな影響を受けます。
パリに帰ってきたとき、ある話題の事件を知ります。丁度イタリアに行った1816年に、フランス海軍の艦船メデューズ号が座礁し、設備の不備により、船員が筏で漂流。極限状況の中、400人いた船員で生き残ったのは15人だけという、国際的なスキャンダルになったこの事件を絵画化することを、ジェリコーは思いつきます。
早速生存者の2人に取材に行き、筏の模型を作ったり、凄惨な状況を再現するために、病院から解剖された手足を持って観察したりと、制作に八か月をかけ、高さ5メートル弱の大作『メデューズ号の筏』が完成します。

ルーブル美術館蔵
1819年のサロンで大評判となり、金賞を受賞。翌年にはイギリスにも滞在し、本場の競馬を見て絵画にしたり、『メデューズ号の筏』を有料で公開したりしました。
しかし、落馬での大けがが元で、脊椎の障害に悩まされ、1824年、33歳で亡くなっています。
ジェリコーの代表作と言えば何と言っても『メデューズ号の筏』。そして、この巨大な作品は、彼の特徴が良く出ている作品と言えます。
まずはその構図のダイナミックさ。実は最初に描いた習作の油絵が残っており、それと比べると、完成作ではより筏を大きく、画面に迫り上げるようにフィーチャーしており、マストと筏と、折り重なる船員で、明確に巨大な三角形の構図を作っているのが分かります。

ルーブル美術館蔵
そして、人々のポーズの美しさ。それが密集していることにより、切迫感とスピード感が生まれる。
ジェリコーの大きな特徴として、この「速度」があると思っています。
初期作品から一貫して、馬を描く時の躍動感。イギリス旅行中に製作した代表作の一つ『エプソムの競馬』での、馬の疾走のパワー。そこには、馬を画面に合うようなポーズに収めようというよりも、あの馬のスピードそのものを画面に焼き付けたい、というような欲望が感じられます。

ルーブル美術館蔵
これは、画家の中でも案外珍しいタイプのように思えます。絵画は何と言っても動かないのですから、大抵の画家は、構図を気にして、動いている対象を一番効果的なポーズ(Pose、つまり静止)で収めたいとするものです。
「リンゴのように動くなと何度言ったら分かるんだ! リンゴが動くか!」とモデルに怒鳴ったセザンヌは極端としても、ダヴィッドの『ナポレオン』の肖像にせよ、ドガが捉えたバレリーナ達にせよ、画面に調和したポーズだからこそ、生き生きとした存在感が生まれるようになっています。
ジェリコーの場合、大好きな馬を幼い時からずっと見ていて、あの速さそのものをどうにか画面に刻めないかというような欲望が、『エプソムの競馬』の、胴体をいっぱいに伸ばして駆ける馬から感じられます。

ルーブル美術館蔵
『メデューズ号の筏』のように一か所で人々が固まっている絵画ですら、パワフルな身振りと画面いっぱいに溢れてくるような構図で、画面全体に速度が刻まれるようになって、その欲望がエコーしているのが感じられます。それは、ジェリコーが、近代の画家では珍しくミケランジェロから影響を受けたことも大きいように思えます。
ジェリコーの親友で、影響もうけたドラクロワの『サルダナパールの死』は、『メデューズ号の筏』に匹敵する大作絵画ですが、効果的にちりばめられた人物や構図には、彼独自の絢爛豪華な絵巻物の感覚があり、ジェリコーの切迫感やスピード感とは別物に見えます。

ルーブル美術館蔵
ドラクロワと同じロマン主義絵画でくくられることも多いですが、様々な意味でジェリコーは珍しいタイプの画家でした。宗教画を、自分は向いていないからという理由で全く描かなかったことも含め、モダンな感覚を持ち合わせており、それは絵画史で直接受け継がれることはなかったものでもありました。
ジェリコーが早世したのは大変残念なことではあります。ただ、彼は自身の全てを凝縮した『メデューズ号の筏』を製作して、正しく自分の代表作として残すことができたという意味で、幸福な芸術家でもありました。
早世した、或いは活動期間の短かった芸術家には、もっと時間があれば、その人の本領を発揮できた作品ができたはずなのに、と思えるような人もいます。
ジェリコーが代表作をものにできたのは、彼が自分の力を発揮できる題材、それも「大きな題材」を常に探し、そして見つけることができたというのはあるのでしょう。その意味で、野心を持って活動することの重要性を感じます。

色々な芸術家の生涯を見ていると、どれ程精力的で長く活動した人でも、その人の代表作ができる黄金期は、長くても10年程度のように見えます。
例えば、夏目漱石はあれだけ名作を描きながら、処女作『吾輩は猫である』から、遺作『明暗』までは、10年程しかありません。
人の一生は平坦なものではない、おそらくその人が望む全ての力を発揮できて何かを成し遂げられるのは大体それぐらいなのかもしれない。
ジェリコーの『メデューズ号の筏』は、そんな力を結集した作品の一つであり、移り行く人間のスピードもどこか画面に刻み付けられた永遠に残るイメージの一つになったように思えるのです。
今回はここまで。
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次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。
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