未来でも続く友情 -映画『ソイレント・グリーン』を観る喜び
【木曜日は映画の日】
少し前、1973年のリチャード・フライシャー監督の名作SF映画『ソイレント・グリーン』が、リマスターで再公開されていました。
時間がとれなかったので行けなかったのですが、現行のバージョンを、配信で少しずつ見返していました。今のままでも十分いい画質です。
そして、改めてこの作品が、SFに留まらない、人間のありようを描いた、大好きな作品であることを認識しました。
舞台は2022年、人口爆発により、格差の拡大と、食糧難の進んだ時代。合成食料「ソイレント・グリーン」が配給で配られています。
殺人課の刑事ソーンは、同居人の老人ソルと共に、ある殺人事件を追ううちに、合成食料を製造するソイレント社の、裏の陰謀に迫ることになります。
「ソイレント・グリーン」とは何なのか、そして、有名なラストシーンは、是非ご覧になって、確かめていただければと思います。

1970年代当時の近未来SFですが、改めて思うのは、この映画を、舞台設定とほぼ同じ2024年に観るのが、驚くほどリアルだということです。
人が建物の床に寿司詰めに眠る程の人口爆発に、格差の拡大とそれに伴う買売春。食料問題と、代替食品。蒸し暑い空気の、温暖化。
更に言えば、とある人物が、死ぬ前に在りし日の美しい地球の映像を映画館のような場所で観ることも、You tubeの観光地の定点カメラか環境映像を観ているようで、今はスマホやパソコンの画面なことを除けば、決して突飛なものではありません。

大々的なCGや近未来用の美術も特にない、丁寧な会話と、ほんの少しの引き締まったアクションがあるだけの、ごくつつましい映画。
この作品が今リアルということは、私たちの今は、思ったより1970年代から変わっていないということなのでしょう。
多分私を含めた20世紀後半を生きた人の多くは、未来とは、空飛ぶ車に乗り、宇宙旅行に行き、高度なヒト型AIと一緒に生きることだというのを、意識的であれ、無意識であれ考えていたと思っています。
でも、今のAIや、交通機関、ロケット等の状況を見るに、少なくとも私と同じ年齢くらいの世代は、未来は未来のまま、体験することなく、人生を終えるのだろう。そんなことも、観ていて何となく思いました。
私がこの映画が好きなのは、若いソーンと年老いたソルの友情が描かれているからです。
知識によって、ソーンを助けるソル。同居している二人のシーンの、何気ない仕草や落ち着いた会話。ブランデーや果物、肉が手に入って、喜ぶ二人。その晩餐の美しさ。
ソルは年長者ですが、ソーンを教え諭しているわけでもない、寧ろ、ソーンの方が、母性的な表情でソルを包み込むような感触があります。

左:ソーン(チャールストン・ヘストン)
右:ソル(エドワード・G・ロビンソン)
この映画は、名優ロビンソンの遺作となった
監督したリチャード・フライシャーの映画では、しばしば、年齢や境遇の異なる人物たちの友情が描かれています。

それは、親子的な関係ではなく、プロフェッショナリズムによるドライな関係でもなく、お互いを信頼し、尊重して、ただ一緒に時を過ごす仲です。
傑作西部劇『スパイクス・ギャング』での、凄腕の悪党と、家出した三人の少年の間の、揺れ動く友情。
異色コスチュームプレイの名作『マンディンゴ』での、屈強な黒人奴隷と、脚の不自由な雇い主の白人男性との奇妙な絆。

ハッピーエンドになろうと、陰惨なバッドエンドを迎えようと、彼らは、まず偏見や思い込み、決めつけをすることなく、人と接していく。
大人であれ、子供であれ、人として謙虚さと尊重の精神を持ち、成熟しているのです。
そんな成熟した友情や愛情の美しさが『ソイレント・グリーン』でも描かれています。
もう一つ『ソイレント・グリーン』で注目したいのが、オープニング映像です。
古い写真をズームやディゾルプで繋げ、音楽に合わせてどんどんと加速していきます。
スプリット・スクリーン(分割画面)も使ったシャープな切れ味で、画像を矢継ぎ早に出し、現在の人口過多までの歴史を、何の説明もなく描き切って、体感させてしまいます。
フライシャーは、エキスポで観たスプリット・スクリーンに興味を持ち、その可能性を極限まで突き詰めた大傑作ノワール『絞殺魔』も撮っています。
それは、ラストシーンのショットの美しさにも繋がります。現在動画やPVを制作する人にも参考になるシャープさだと思います。

私がこの作品を好きなのは、そうした友情や編集の妙であって、寧ろ、SF的な設定には、そこまで面白さを見出していないところがあります。
SFにおいて、近未来や架空の設定を突き詰めることよりも、そうしたものが時代の限界を露呈していることの方が、私は好きです。
『ソイレント・グリーン』で言うなら、2022年の設定なのに、ブラウン管のテレビがあったり、スマホを持っていなかったり。
でも、それでいいのです。パソコンやスマホを1973年当時の人は思いつかなかったのですし、だからこそ、それらは画期的な発明だったのですから。
私たちは自分たちの体験した過去を基にすることでしか、未来を想像することはできない。未来とは、常にレトロである、と言えるのかもしれません。
そして、そんな未来でも、ソーンやソルの間にあるような友情が続いていることに、どこかほっとします。

多分、暗い宇宙空間を見ても、人工知能と会話できても、人間の本質はそう変わらないし、私自身、もし体験できたとしても、あまり変わることはないと思っています。
寧ろ、友情や愛情の在り方が変わる時こそが、私にとって、人類が変わる瞬間であり、多分大きな決断を迫られる時なのでしょう。
そうなるまでは、私は肉や果物を楽しんで食べて、今まで通りに人と向き合い、芸術を楽しめるだけ楽しもう。ソーンやソルの朗らかな笑顔や、ラストのクレジットの美しい映像を見ながら、そんなことも感じるのです。
今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。
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