心の地図をなぞる -ルイジ・ギッリの写真の美しさ
東京都写真美術館で開催中の『ルイジ・ギッリ 終わらない風景』展に行ってきました(9月28日まで)。
現代イタリアの写真家の、カラーで撮られた風景や静物の写真を集めた展覧会。分量も多過ぎず少なすぎず、ちょうどいい塩梅で、ゆったりした空間を回って楽しむことが出来ました。
この写真家については、画家モランディのアトリエを撮った写真で、河出文庫の須賀敦子全集の表紙になっている写真ぐらいしか知らなかったのですが、改めてまとめて見ることで、その優れた写真の美を楽しめました。

表紙写真はギッリの『モランディのアトリエ』
©Heirs of Luigi Ghirri
ルイジ・ギッリは1943年イタリアのレッジョ・エミリア生まれ。1970年代初頭から写真家として活動し、コンセプチュアル・アーティストとのコラボレーションやレコードのジャケット等も手掛けつつ、イタリアの風景や、画家のアトリエ等ミニマルな題材を撮影しました。

©Heirs of Luigi Ghirri
『コダクローム』『モランディのアトリエ』等の写真集があり、現代批評を含む『写真講義』は、邦訳も出ています。1992年49歳の若さで急逝しています。
展覧会は『オブジェクトとイメージ』という展示から、初期の様々な静物写真や、人々を捉えた風景写真が並べられていました。
私が興味を惹かれたのは、出てくる人物たちの多くが背中だけ捉えられて、表情が見えないこと。

(『F11、1/125、自然光』より)
©Heirs of Luigi Ghirri
人物がある種のオブジェとなり、風景の前景となるような感覚。それによって、風景が何そうにも連なって、ごくありきたりの景色が、どこか抽象的な異国の質感を持つようになります。
初期のやや審美的な写真も、物体の前を覆うようにして別の物体が視線を遮り、重ねられることで、日常とは違う、でも意味を押し付けられることのない光景が立ち上がります。
私がこの展覧会に行こうと思ったのは、展覧会のホームページに載っていた、ギッリのこの言葉がきっかけでした。
私は写真を作りたかったのではなく、写真であると同時に地図や設計図を作りたかったのです。
地図や設計図というのは、現実に沿って現実をなぞりつつ、余計なものを削ぎ落して、単純化したものです。そうすることで世界全体を把握し、目的地に向かったり、建物や機械を組み上げたりできる。
そして単純化されることで抽象的な文様となり、地図や設計図には、それ独自の美が宿る。そうした現実から浮遊した感覚を、ギッリの写真も備えているといってよいかもしれません。

©Heirs of Luigi Ghirri
勿論、ファッション・フォトグラファーを含め、現実を歪めた、審美的でマニエリステッィクな写真を撮る写真家は、結構います。その中でギッリの個性とは、決してその抽象化をやりすぎないこと、現実の光景と程よく調和していることにあるように思えます。
展示の中盤は、『イタリアの風景』と題して、澄んだ空と海のアドリア海を背景にした風景写真が並んでいました。
それらは、後景の海、中景の建築物、前景の人物というように自然に多層化されています。よくある雄大な「イタリアっぽい」風景写真と個人的なスナップ写真の丁度中間に位置するような、一見ありふれたどこか見たことのあるイメージなのに、よく見るとどこにもない場所になっているように思えます。
そんな光景になることで、私たちの記憶の奥にある、どこか特定できない無時間の場所を思い出させるような、不思議な空間となっていました。

©Heirs of Luigi Ghirri
そして、終盤では、モランディ(彼も陶器をどこか抽象的に捉えた、優れた静物画家です)や建築家アルド・ロッシの、無人のアトリエが捉えられます。

(『アルド・ロッシのアトリエ』より)
©Heirs of Luigi Ghirri
風景の多層化は、ここではさりげなく行われ、余白に満ちた壁を前に物が適切な距離感を持って行われ、長方形の画面を何層にも区切るようにフレーミングされ、それでいて全体はすっきりしたトーンでまとめられる。
そこからは、部屋の持ち主の性格が現れるのではなく、寧ろ、物自体のつややかな質感と、空間の静寂が立ち上ってきます。それは、彼が到達した抽象的な風景の極限のようにも思えるのです。
もう一つ、展示のカラー写真の色合いが、微妙に色褪せていて、それが美しかったことも印象的でした。
糖蜜色のノスタルジックなトーンの中から、淡い赤や青が浮かび上がる。狙ってつくられたものかはわからないのですが、図版の印刷を見る限り、微妙に経年変化があるようにも感じました。

(『雲の輪郭』より)
©Heirs of Luigi Ghirri
でもそれは、決して悪いものではない。カラー写真という材質によって、現実の光景にニスを塗って記憶の中で輝かせるような、そんな美しさを持っています。
そんな黄昏色の輝きと多層化された構図から醸される静寂が、空間全体から溢れてくるのを味わうのは、素晴らしい快感でした。この何も主張しない、様々な生の地図の断片が浮かぶ空間に漂って浸っていたいと思って、何度も往復してしまいました。

(『F11、1/125、自然光』より)
©Heirs of Luigi Ghirri
展示のセクション名のタイトルの一つに『イメージと記憶の交差』という言葉があったのですが、ギッリの写真は、普段様々なイメージに塗れている私たちを洗って、記憶という抽象的な風景がある場所に連れて行くのかもしれません。
記憶とは、私たちの心の中にある、私たちの生が刻まれた地図のようなもの。その生を辿り直すために、芸術は私たちを静かな一つの部屋へと連れて行く。
ギッリの写真は、そんな優れた静寂の芸術の一つのように思えます。機会がありましたら、是非体験いただければと思います。

(『ジョルジョ・モランディのアトリエ』より)
©Heirs of Luigi Ghirri
今回はここまで。
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善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。
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