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木々に溶け込む絵画 -ミレイの名作『オフィーリア』の面白さ

 
【月曜日は絵画の日】
 
 
「絵が上手い」というのは、「細かく描ける」と言う意味ではないと言うのは、おそらく多くの人の認識にあると思います。
 
そう考えると、私たちが「これは名画だ」と思う要素というのは、案外色々な要素が複合してできているように思えます。
 
イギリスの画家ミレイの『オフィーリア』は、絵画史に残る傑作なのは、ほぼ衆目の一致するところとしても、何が素晴らしいのかを言葉にするのが意外と難しい、それでも輝く魅惑的な名作です。


 

ミレイ『オフィーリア』
テート美術館蔵




ジョン・エヴァレット・ミレイは、1829年イギリスのサウサンプトン生まれ。幼い頃から絵画の才能を示し、史上最年少の11歳でイギリス・ロイヤルアカデミーの美術学校に入学します。

 

ミレイ肖像画


しかしそんな彼は、仲間のロセッティや、ウィリアム・ホルマン・ハントらと共に、1848年に「ラファエル前派同盟」を結成。
 
アカデミーの慣習に囚われない、精緻で克明な自然描写や、中世や現代生活といった、神話と違う生き生きとしたテーマを題材とする等、アカデミーに風穴を空けようとする運動でした。
 
1850年の『両親の家のキリスト』は、その成果の一つで、聖家族を文字通り大工の家を舞台にして描き、リアリズムを追求したものでした。しかし、理想的なアカデミー絵画と程遠いその「醜さ」は酷評を受けます。

 

ミレイ『両親の家のキリスト』
テート美術館蔵


しかし、批評家ジョン・ラスキンの擁護もあり、ラファエル前派は徐々認知されていきます。そして、彼らの中でもミレイの画力が抜き出ていることは一目瞭然でした。
 
そして、1852年、ロイヤル・アカデミー展に『オフィーリア』を発表。今度も最初のうちは反応は微妙でしたが、徐々に評価を高め、今では不動の名作となっています。




この作品は、シェイクスピアの戯曲『ハムレット』で、主人公ハムレットを恋い慕う悲劇のヒロイン、オフィーリアの水死の場面です。作品では舞台上でなく、ハムレットの母ガートルードが台詞で描写するのみの場面。
 
『両親の家のキリスト』が囂々たる非難を浴びて、宗教的な題材からは遠ざかり、文句のつけようのない自国の文学の巨匠を題材にしたという、周到さを感じさせます。




この作品を見てまず誰もが感嘆するのは、その草木の自然描写でしょう。
 
ひとつひとつの草花がちゃんと特定できるように描かれており、また、勿忘草や、バラ、柳の枝にかけようとして枝を折ってしまい流れた花冠(それが原因でオフィーリアは川に落ちます)等、よくよく見ると、ちゃんとシェイクスピアの原作に従っています。
 
ラファエル前派の思想に則って克明に描かれた自然は、1851年の夏に、サリー州のホグズミル川に出かけて、半年近くかけて制作されました。

自然の中の制作は困難を極め、天候や、絶えず自然を変えてしまう動物たちに悩まされることになります。




そして、ヒロインは、モデルで後にロセッティの妻となり、悲劇的な最期を迎えるエリザベス・シダル。こちらは、1852年の1~3月に、古着屋で買ってきた衣装を着せ、バスタブに張った湯の中に横たわらせて、制作されました。
 
バスタブの下のランプで湯を暖めていたものの、ある時火が消えてしまい、シダルは危うく肺炎になりかけたとのこと。
 
そういった制作上の困難も併せて、これは、野心に溢れて気力も充実した、弱冠23歳の天才のみが作れた、奇跡的な傑作と言えるのでしょう。


ロセッティ『ベアタ・ベアトリクス』
テート美術館蔵
妻シダルをモデルにした絵




しかし、この作品がどうしてこんなにも有名になったのか。それは他の「オフィーリア」を描いた絵画と比べると何となく見えてきます。この絵画は、明らかに異質なのです。
 
生命の源であり死に誘惑する「水」に落ちていく狂気の女性、オフィーリアは、多くの画家の主題となってきました。その作品の多くは、水辺に佇むオフィーリアを中心に描いています。
 
例えば、奇しくもミレイの絵と同年に描かれたアーサー・ヒューズの『オフィーリア』では、ぞっとするくらい不吉な表情の幼い少女が水を見下ろしています。


アーサー・ヒューズ『オフィーリア』
マンチェスター市立美術館蔵


それから40年後の、ウォーターハウスによるオフィーリアは、やはり川辺に腰かけ、狂気というより、この画家特有の、水の妖精のような物憂げな空気を醸し出しています。


ウォーターハウス『オフィーリア』
個人蔵


 
異色なのは、ポール・ステックによる1890年代に描かれたオフィーリアでしょうか。

沈み込んでいく水中のオフィーリアというなかなかない場面で、ゆったりと広がるドレスには、当時流行のアールヌーヴォーの感覚があります。
 
どこか恍惚とした宗教的なものも感じさせるオフィーリアの表情も含めて、忘れ難い一作です。


ポール・ステック『オフィーリア』
パリ市立美術館蔵





こうした作品群と比べると、ミレイの作品の変わった点が見えてきます。つまり、オフィーリアが、明らかに自然の中に埋没しているような印象を受けるのです。
 

ミレイ『オフィーリア』(再掲)



埋没していると同時に、草木がオフィーリアを覆って、舞台の幕のように広がっています。それをミレイが意識していたのは、オフィーリアの左手前にひときわ高い水草を配していることからも分かります。
 
つまり、草と頭上の丸太がアーチになり、額縁となって、ヒロインに視線が向くように、誘導しているのです。
 
ヒロインを際立たせているわけでもないのに、克明に描かれた自然の幕によって、劇的にその姿を認識できます。




更に言えば、ドレスの質感は明らかに、木々の感触と同調しています。

水の中に落ちて、木々の中に同化して溶け込んでいくようなヒロインが、顔と手だけはまだ人間のままでいる。そんな、メタモルフォーゼの最中のような不思議さもあります。




そして、モデルをエリザベス・シダルにしたことも、異質性に拍車をかけています。

可憐な少女とは言い難く、どちらかと言えば大人に近いけど、年齢不肖な顔立ちと、全く感情を読み取れない、いい意味で能面のような表情。

それが、ある種の謎めいた神秘をも付加しているように思えるのです。
 
こうした諸々の要素によって、「憐れな少女の死」や、「水の女」という主題がちょっとぼやけて、宙に浮いているようなところがあります。

そうした部分が、自然描写の見事さと融合して、謎めいた名作となったと言えるのかもしれません。




それにしても、名画というのは、不思議なものです。
 
私が感じたような要素は、決してミレイが全て意図通りに残したものではないでしょう。しかし、作品ができた時に、作者の意図を超えて、様々な化学反応を起こして、時には思いもがけない、永遠に残る名作ができあがったりします。
 
作品は作者の子供である、というのはよく言われることですが、その喩えを使うなら、子供は、親の遺伝を受け継いでいるけれど、親の意図を超えて、育っていくということなのでしょう。

そんな思いがけない驚きが、芸術作品や、その歴史を学んでいく面白さのように思えるのです。



今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。


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