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【東京美術旅①】90s英国にタイムトリップした4時間─ テート美術館|YBA&BEYOND 世界を変えた90s英国アート─ 国立新美術館

この展示室にいた4時間、私は90年代のイギリスにいた。
そう思えるぐらい濃密な時間が流れていた。

はじめてのひとり旅がロンドンだった。
20代前半のことだ。
見るものすべてが刺激的で、運良く知り合いもでき、想像以上に楽しい1週間だった。

若さは無敵だ。

その後、勤めていた音楽業界の仕事を辞めることを決心し、ロンドンで暮らしてみることにした。
結局、家族の都合で数ヶ月で帰国することになったが、その後それまでとはまったく別の道を志すことになる。
ここで過ごした時間が人生の転機のひとつだったかもしれない。

ロンドンにいたときにいちばん好きだった美術館がテート美術館だった。
その頃はまだ作家の名前などあまり意識せずなんとなく観ていたが、美術館の漂う空気が好きだった。

そんなテート美術館が所蔵する、1980年代後半から2000年代初頭の英国美術に焦点を当てた展覧会が、国立新美術館で開催されるということで、3月中旬の金曜日、お休みを取って東京に向かった。

六本木の駅を出て、国立新美術館へ。

地下通路を通り、

なんだか近未来っぽい

地上へ。

都会の街にたたずむ昔ながらの掲示板
その中に今回の展示案内があった。少しほっこりする

久しぶりに訪れる国立新美術館。

3月なのに空気の冷たい1日だった
後ろのレンガと妙にマッチしている
1日読書していたくなるような空間

居心地のいい空間に一瞬引きとめられたが、展示室に向かおう。

展示室入口

展覧会は6つの章から成り、各章をつなぐ重要な作品を「スポットライト」として紹介している。

序章

まず迎えてくれるのは、フランシス・ベーコンの作品。

フランシス・ベーコン 《1944年のトリプティク(三幅対)の第2ヴァージョン》 1988年
1944年に描いた作品を、44年後に背景の色をオレンジから血液を思わせる濃厚な赤に変えて発表した

臓器のような形をしたものに、歯がむき出しの口がついている。
いきなり不穏な空気に包まれる。
シニカルさとユーモアが混ざり合ったようにも感じるベーコンの作品には、いつも目が離せなくなる。

第1章 ブロークン・イングリッシュ:ニュー・ジェネレーションの登場

ダミアン・ハースト《後天的な回避不能》 1991年

ダミアン・ハーストの作品。
黒枠のガラスケースの中にオフィス空間が閉じ込められている。
現代人の生活は、自由なようで実は知らないうちに閉ざされた世界に生きていることを強烈に皮肉っている。
この作品が作られた35年後の今、当時からは想像もつかないほど、私たちは常に多くの情報に囲まれ、便利な世の中で暮らしている。
でも、さらに見えない強い圧力の中にいるようにも感じる。
これから35年後の世界はどうなっているのだろうか。

広い展示室に進み、作品が浮き上がるような照明が目を引いた。

左 クリス・オフィリ《ユニオン・ブラック》2003年
右 ルベイナ・ヒミド《二人の間で私の心はバランスをとる》1991年

クリス・オフィリ《ユニオン・ブラック》は、英国旗「ユニオン・フラッグ」の色を緑・赤・黒に置き換えている。
これは、アフリカ系の人々の解放と自由を掲げる汎アフリカ主義の三色旗の色だという。
3色を置き換えただけなのに、発想の転換だ。

ディノス・チャップマン、ジェイク・チャップマン
《戦争の惨禍》1993年

チャップマン兄弟の作品。
最近の現実世界と重なり、直視するのが怖くなる。

第2章 おおぐま座:都市のイメージをつなぐ

サイモン・パターソン《おおぐま座》1992年

この章のタイトルにもなっているパターソンの作品。
ずいぶんお世話になったロンドンの地下鉄路線図。
駅名は哲学者や俳優、政治家などの名前に置き換えられている。
なつかしくて、私が住んでいたのはどの辺だったかとしばらく眺めていた。

第3章 あの瞬間を共有する:音楽、サブカルチャー、ファッション

なんといっても、今回の展示で私にとってのメインはこの章だ。
この頃のロンドンのカルチャーに、ずいぶん影響を受けた。

そして、ヴォルフガング・ティルマンス。

印画紙をそのまま壁に貼り付けたり、展示の方法にもセンスを感じる

大好きな写真家の1人だ。
彼の写真はどれも何気ないが、そこからは空気や温度、湿度、匂いまで伝わってくる。

誰もが撮れそうで撮れない写真。

ヴォルフガング・ティルマンス
《あなたを忘れたくない》2000年

休憩スペースで流れていたティルマンスのインタビューで、「自分の写真に共感するかしないか、それだけ」と話していたのが心に残った。

ヴォルフガング・ティルマンス《座るケイト》1996年
他のアーティストの作品にもケイト・モスの姿がたびたび見られた。この時代の絶対的アイコンだったんだな 

第4章 現代医学

医学とアート?と思った。
でも、展示を観ているうちに、この時代の大きな出来事のひとつであるHIV/エイズは、アーティストたちの作品制作と切っても切り離せないものだったのだと痛感した。

デレク・ジャーマン
《運動失調ーエイズは楽しい》1994年
デイヴィッド・ロビリヤード《早くイッて、笑って》
1987年

この章では、デイヴィッド・ロビリヤードのカラフルさと軽やかさが心地よかった。

第5章 家という個人的空間

なんでもない日常や家庭生活を切り取っている作品がおもしろかった。
こうした何気ない日常に意味を見いだす視点は、今のSNS文化にも通じる気がする。

リチャード・ハミルトン
《一体何が今日の家庭をこれほどに変えているのか?》1992年

ハミルトンは、1956年に発表したコラージュ作品をもとに36年後にこの作品を制作した。
時代を風刺したこの作品は、今見ても胸に刺さる。

スポットライト コールド・ダーク・マター:爆発の分解イメージ

前の展示室から
コーネリア・パーカー
《コールド・ダーク・マター:爆発の分解イメージ》
1991年

部屋全体が作品だ。
狂気すら宿る美しさに圧倒される。

第6章 なんでもないものから何かが生まれる:身近にあるもの

身近なものが作品になっているのがおもしろい。
ポップな色づかいも目を引く。

こういうポップさは好きだ。
重くなりがちなメッセージをポップに落とし込む表現がいい。

ダグラス・ゴードン《指示(ナンバー1)》1992年

シンプルさが目を引いた。

映像作品の中にも強く残るものがあった。
クラブカルチャーも、この時代を象徴する存在のひとつだ。
音と映像の重なり合う中に身体ごと引き込まれていた。

当時の社会への批判や痛みを、むき出しの感情でぶつけた作品も多かった。
90年代のイギリスの熱気に、すっかり飲み込まれた4時間だった。
頭の中では、20代の頃よく聴いていたイギリスの音楽がずっと鳴り続けていた。

展示室を出て美術館をなんとなくぶらつく。
当たり前だけれど、そこに広がるのは2026年の景色。

空腹感が限界に近かったけれど、レストランはランチタイムがすでに終了していた。
2階のカフェも待ちが出るほど混んでいたので、地下のカフェで遅いお昼ごはんを食べた。

ランチのあとは1階のカフェでスイーツタイム

外の風景を眺めながらコーヒーを飲み終えるころ、やっと現実に戻っていった。


東京美術旅は続きます。
次回の記事でお会いしましょう🐈

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