21世紀 世界音楽遺産〜第1回 私が未来へ残したい音楽たち
第1回 デヴィッド・ボウイ ― 始まりと終わりを芸術にした男
世界音楽遺産という私的な試み
音楽には、時代を超えて残る作品があります。
そのジャンルの常識を書き換え、後世の音楽に大きな影響を与えた作品。
そして、何十年経っても聴くたびに鳥肌が立つ音楽的瞬間。
私は、そんな作品や瞬間を「世界音楽遺産」と呼びたいと思います。
もちろん、これは公的な認定ではありません。
あくまでも私自身が長年聴いてきた音楽の中から、「未来へ残したい」と思う音楽を選んでいく、私選のシリーズです。
だから、最初から数は決めません。
アルバムもあれば、一曲もある。
一つのギターソロ、一つのドラムサウンド、一つのシンセの音色、一枚のアルバムジャケットもある。
音楽史を変えた作品だけでなく、記憶に残る瞬間も取り上げていきたいと思っています。
第1回:デヴィッド・ボウイ
第1回は、デヴィッド・ボウイです。
取り上げる中心は、二枚のアルバム。
『The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars』。
そして『Blackstar』。
この二枚は、単なる代表作ではありません。
ボウイという芸術家の「登場」と「退場」を象徴する作品だと思います。
若きボウイは、ジギー・スターダストという架空のロックスターとして登場しました。
晩年のボウイは、『Blackstar』で自らの死さえ作品へ昇華して去っていきました。
登場の仕方も、退場の仕方も、ここまで芸術にしてしまった音楽家は、他に思い浮かびません。
ジギー・スターダストという登場
『ジギー・スターダスト』で、ボウイは架空のロックスターを創造しました。
ジギーという存在になりきることで、ロックは単なる音楽ではなく、演劇であり、ファッションであり、生き方そのものになりました。
ボウイはロックスターを演じたのではありません。
ロックスターという存在そのものを作り替えたのです。
音楽、衣装、メイク、ステージ、性別の曖昧さ、未来的なイメージ。
それらすべてを使って、ボウイは「ロックとは何か」を拡張しました。
ロックは、ただギターを弾き、歌を歌うだけのものではない。
一人の人間が別の存在へ変身することで、世界の見え方まで変えてしまう。
『ジギー・スターダスト』は、そのことを証明したアルバムでした。
ボウイの歌は、上手い下手を超えている
デヴィッド・ボウイの歌唱は、「上手い」「下手」という評価を超えています。
彼は、声量で圧倒する歌手ではありません。
バラードを朗々と歌い上げるタイプでもありません。
ボウイの魅力は、独特のトーンにあります。
少し冷たく、少し演劇的で、どこか距離がある。
そして、あの独特のビブラート。
感情を直接ぶつけるのではなく、声の揺れそのものが、人物の内面や不安定さを表しているように聴こえます。
さらに面白いのは、言葉の置き方です。
ボウイはメロディにただ言葉を乗せるのではなく、言葉を配置します。
時には語るように、時には突き放すように、時にはラップのようにリズムの上へ言葉を置いていく。
だから彼の歌は、単なる歌唱ではありません。
台詞であり、独白であり、演劇的な語りでもあります。
オペラが美声を競うだけの世界ではなく、役柄を演じる総合芸術であるように、ボウイもまた、声を使って人物そのものを創造していました。
同じアルバムを作らない芸術家
デヴィッド・ボウイの凄さは、一枚のアルバムでは語れません。
彼のアルバムを年代順に聴いていくと、同じ作品がほとんどありません。
音楽性が変わる。
歌い方が変わる。
声の質感が変わる。
バンドの編成が変わる。
価値観まで変わる。
多くのアーティストは、自分の成功したスタイルを磨き続けます。
しかしボウイは、その成功を自ら壊し、新しい自分を創り続けました。
だから『ジギー・スターダスト』のボウイと、『Young Americans』のボウイ、『Low』のボウイ、『Let’s Dance』のボウイ、そして『Blackstar』のボウイは、同じ人物でありながら、まるで別人です。
それでも不思議なことに、「これはボウイだ」と分かる。
変わり続けているのに、変わらない。
この矛盾こそが、彼という芸術家の本質だったのだと思います。
Blackstarという退場
そして40年以上の時を経て、『Blackstar』が生まれます。
自らの死を見つめながら制作されたこの作品は、遺作という言葉では語り尽くせません。
死を隠さず、恐れず、最後まで新しい音楽へ挑戦し、自分の人生そのものを芸術へ昇華してしまった。
ただし、『Blackstar』は暗いだけのアルバムではありません。
確かに、全体には深い闇があります。
しかし同時に、奇妙な明るさや、メロディアスな美しさもあります。
最後の曲「I Can’t Give Everything Away」には、どこか開放感があります。
別れの歌でありながら、暗闇に沈んでいく曲ではありません。
むしろ、最後に少し光が差すような感覚があります。
そこが『Blackstar』の凄さです。
死を扱っているのに、死に飲み込まれていない。
絶望だけで終わらず、最後まで音楽として前へ進んでいる。
最後まで新しい音を探していた
『Blackstar』が偉大なのは、遺作だからではありません。
もし過去のヒット曲を焼き直したアルバムだったなら、これほど特別な作品にはならなかったと思います。
驚くべきは、69歳になってなお、ボウイが「まだ誰も聴いたことのない音」を探していたことです。
このアルバムでは、ジャズの要素が非常に重要です。
ボウイは現代ジャズのミュージシャンたちを起用し、ロックバンドではなく、ジャズを土台にした新しい音を作ろうとしていました。
タイトル曲「Blackstar」は、一曲の中でまるで別の作品へ変化していきます。
暗く、不穏なリズムで始まり、途中から美しく開かれ、再び闇へ戻っていく。
一般的なAメロ、Bメロ、サビという構成ではありません。
組曲のように景色が変わり続ける構成は、1970年代のプログレッシブ・ロックを思わせながらも、そのどれにも似ていません。
そして「Lazarus」。
この曲には、静かな覚悟があります。
悲壮感を煽るわけでもなく、絶望を叫ぶわけでもない。
不思議なほど冷静で、美しく、どこか遠くを見ているような歌です。
『Blackstar』におけるボウイの声は、まさに彼の歌唱表現の集大成だと思います。
歌い上げない。
泣かせにいかない。
しかし、一言一言が異様に残る。
広大な残響の中に、サックスが浮かび、電子音が漂い、リズムはどこか落ち着かない。
それでいて、全体は不思議な統一感を持っています。
聴いていると、現実と夢の境界が少しずつ曖昧になっていく。
これはロックアルバムというより、一つの映画、一つの舞台、一つの現代アート作品のようです。
デヴィッド・ボウイという一つの長い歌劇
私は、ボウイの全アルバムを通して聴くたびに、一つの壮大な演劇を観ているような気持ちになります。
いや、演劇というより、一つの歌劇と言った方が近いかもしれません。
若き日の主人公が現れ、さまざまな人格を演じ、迷い、挑戦し、姿を変えながら旅を続け、最後に静かに舞台を去っていく。
その長い物語が、約50年という時間をかけて完成したのです。
だから『Blackstar』は、一枚のアルバムとして完結しているだけではありません。
デヴィッド・ボウイという芸術家が、生涯をかけて創り上げた一つの大きな作品の、最後の一幕なのです。
誕生と旅立ち
ロックの歴史には、数え切れないほどの名盤があります。
しかし、登場の仕方と退場の仕方、その両方をここまで作品として完成させた音楽家は、他に思い浮かびません。
『ジギー・スターダスト』は誕生の物語。
『Blackstar』は旅立ちの物語。
始まりと終わりが、一人の芸術家によって、一つの作品世界として結ばれている。
これは、もう誰にも真似ができません。
だから私は、「21世紀 世界音楽遺産」の最初を、この二枚から始めたいと思いました。
あなたの世界音楽遺産
音楽遺産は、誰か一人が決めるものではありません。
それぞれの聴き手が、自分の人生の中で「これは未来へ残したい」と思う音を持っています。
皆さんもぜひ、自分だけの「世界音楽遺産」を、独断と偏見で選んでみてはいかがでしょうか。
きっと、そのリストには、その人だけの人生が映し出されるはずです。
