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この大宇宙の根源の真理は”自由意志”である

いつもお読みいただき、ありがとうございます。
二十二にそじです。

皆様は、なぜこの世界に苦しみが溢れているのか、深く考えてみたことはありますでしょうか?

私は、これまで漠然とこの命題について考えてきました。
明確な答えをみることはありませんでしたが、先ほど唐突に答えが脳裏に閃いたのです。それは、

この大宇宙の本質は、”自由意志”である

ということです。
これをひとつの真理として、以下にその理屈を交えながら提案させていただきたいと思います。

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「神様はなぜ苦しみを創ったのか?」

この問いかけが、私がこの大宇宙に抱いた疑問のはじまりでした。
「全知全能の神様ならば、天国だけを築けば誰も不幸にはならなかったのではないか?」、そうした子供じみた疑問から始まったのです。

「なぜ、私は己を律し続け、苦しみを乗り越えて、悟りたいと思っているのか」
「その必要性の本質はどこにあるのか」
「仮にいつか完全な悟りを得たとして、それは一体何になるのか」
そうした自問を続けてきました。つまり、私は自分が行っていることに対する、腑に落ちるような明確な理屈が欲しかったのです。

「なぜ、人は善を絶対的な基準とするのか」

すべての人には良心があり、どんな悪人であっても良心の呵責が起こります。一方で、悪心の呵責なんてものはありません。自我の無い動物ですら、悪い事をして怒られたら悪びれた様子を見せるものです。

こうしたことから、生き物は善から離れると不安定になる性質を持っているのは明らかです。そして、悪の側に染まるほど心身ともに破壊的になっていきます。

なぜ神様は、この”善悪の苦しみ”を創造されたのでしょうか?

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この大宇宙に善悪は無く、”永遠性”が基準として存在するだけである

結論から言いますと、善悪の基準は自我により創り出された概念であり、元々大宇宙には善悪の基準が無く、”永遠性の有無”だけが法則の根幹にあると考えられます。つまり、神様は善悪の基準により人間に働きかけているわけではない、ということになるでしょう。

私たち人間が背負う苦しみも、大宇宙で起きる破壊的な出来事も、”神様が意思により創造している”という視点は的を得ておらず、自然発生的な法則によるものだと言えると感じます。

この大宇宙は、”永遠性”という根源的な原理で運営されており、歴史的な大霊覚者たちの霊視によれば、それは共通して”愛の海”と表現されます。つまり、愛の表現としての”善”とは永遠性に内包されたものであり、対照的に愛を破壊する”悪”とは永遠性に相反する性質を持つものということが言えるでしょう。

この永遠性を保持するためには陰陽の相克としての、創造と破壊による循環が必要であり、その自然現象に対して人は善性や悪性を見出しました。

つまり、元々この大宇宙には善も悪も存在せず、相克や衝突を繰り返す絶対的な法則の中で現れた現象に対して、私たちのような自我のある存在が善悪をラベル付けしていったということになります。

その先達は人格神であり、自然の法則の中で堕落した神が悪神となったと考えられます。そしてこの悪神も、大宇宙の発展において重要な存在なのです。

この大宇宙は、永遠性を保持し続けるという基本構造を持っていますので、人は永遠性を持つ善に近づくほど心が安定して幸福を得ることができ、永遠性を持たない悪に近づくほど心が不安定になり不幸になるのです。

仏教においては、この悪性を持つものを煩悩と呼び、そこから執着を断つことで真の幸福を得ると説きます。それは、永遠性を帯びるということであり、根源の神である愛の海に近づくことですから、とても道理を得ていると言えるでしょう。

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悟りとは、永遠性の獲得であり、ひいては神へ還る境地である

「息が長い者」という神様を表現する言葉がありますが、「息が長い=永遠性」であり、「息吹く=生み出す」という意味を持ちます。つまり、永遠性とは創造性の源流であり、神性であると言い換えることができるでしょう。

悟りとは、完全なる利他の境地であることからも、私たちが己を律して永遠性を持つ善を追求していくことは、神性を磨いていくことであり、すなわち神様に近づいていく行為だと言えます。

しかしこれは課せられたものではなく、すべての存在に認められた自由意志による選択のひとつであり、仮に悪の道を選べば、それは悪なりの役割を担うことで大宇宙の発展に寄与することになるのです。

ただし、悪は永遠性を持たないため、必ず自己破壊の結末を迎えます。私たちは、日々自己破壊を促す煩悩という悪と闘いながら、少しでも永遠性を獲得したいと願って善への想いを馳せるのでしょう。


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古神道家 二十二(にそじ) 思いがけずチップを戴いてしまったため、使い道について書かせていただきます。神に触れる内容のため、私の懐に入れるわけには参りませんが、地域猫活動および保護猫活動支援に充てさせていただきます。あなたのお気持ちが、猫ちゃんの支援に繋がります。