蒼穹のストラテジスト ―零細ギルドを王国最大の商会へ導く経営魔導書―第30話(最終話):診断士、元の世界への帰還と、残された遺産
帝国の首都、戴冠式の熱狂が遠く夜風に乗って聞こえてくる。 宮殿の最上階、かつて「最後の大診断」が行われた戦略会議室には、今、この世界の理(ことわり)を超越した、白磁のような静謐な光が満ちていた。 シンの胸元に刻まれた「光の門」の紋章が、拍動を強めている。 それは、空間を歪め、向こう側の「現実」を透かし見せていた。 視界が二重に重なる。 豪華絢爛な帝国の装飾と、付箋だらけの『中小企業経営・政策』の分厚いテキスト。 魔法の残り香である沈丁花の香りと、徹夜明けの部屋に漂う冷え切ったコーヒーの、少し酸っぱい匂い。
「……門(ゲート)の安定度は九八%。……同期、完了。……いつでも、戻れるな」
シンの声は、自分自身に言い聞かせるように、冷静で、しかしどこか名残惜しげな響きを湛えていた。 彼の背後には、燕の全幹部――アリサ、ベイル、ガモン、カイル、そして新女帝となったエレナが、言葉を失って立ち尽くしていた。
「……シン。……本当に行ってしまうの?」
アリサが、震える指先でシンの透け始めた袖を掴んだ。 彼女の碧眼には、溢れそうな涙が溜まり、月光を反射して銀色に煌めいている。彼女にとって、シンは単なるストラテジストではなかった。絶望の淵にいた自分を救い出し、共に戦い、世界を塗り替えてきた、魂の半分とも言える存在だった。
「アリサ。……私の使命(ミッション)は、この世界を『持続可能な成長軌道』に乗せることだった。……診断は終わり、処置も完遂された。……今の君たちには、もう私の『知恵』を借りる必要はない。……君たちの手の中に、すでに答えはあるんだから」
「……違うわ! 私は、私はまだ、あなたから教わりたいことが……!」
「いいえ。……君はもう、立派な経営者(リーダー)だ。……自分を信じて下した意思決定こそが、この世界にとっての正解になる。……アリサ、君に最後の『知的資産』を贈ろう」
シンは、手帳から最後の一枚の羊皮紙を破り取った。 そこには、これまでのように数式やグラフは記されていない。 ただ一行、彼の万年筆で、力強く、そして優雅な筆致で言葉が刻まれていた。
『――経営とは、人々の幸せを願う、最も高潔な魔法である』
「……シンさん。……僕たちは、あなたの遺したこの『システム』を守り抜きます」 カイルが、涙を拭い、自律した解析官の顔で深く一礼した。
「ああ。……技術は俺が、世界一の品質に育ててやるぜ。……あんたに笑われないようにな」 ガモンが、ごわごわした手で鼻を啜(すす)りながら、力強く笑った。
「……旦那。……背中は任せろなんて、もう言えねえが……。……この大陸の平和(物流)は、俺たちが死守してやる。……安心して、自分の戦場(世界)へ戻りな」 ベイルが、岩のような拳を胸に当て、戦士としての最大の敬意(サルート)を捧げた。
エレナ女帝もまた、帝国の法印を捧げ持ち、静かに宣言した。 「ストラテジスト、シン。……貴殿がこの大地に蒔いた『共生の種』は、私が命を賭して大樹に育てます。……私たちは、もう二度と、利権のために剣を抜くことはありません」
シンの身体が、いよいよ光の粒子となって霧散し始める。 この世界での「シン」という存在(アセット)が、役目を終え、情報の海へと還元されようとしていた。
「……アリサ。……最後に、一つだけ。……診断士(コンサルタント)としてではなく、一人の男として、伝えておきたいことがある」
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