『迷探偵 沖田』第32話:透明な指名手配~第40話:ファイナル・チューニング
第32話:透明な指名手配
新宿の街が、牙を剥いた。 都庁展望台での爆発から数時間が経過した深夜。降り続く雨は都市の熱を奪い、アスファルトを冷たい黒光りに染め上げている。志乃は、瑞穂の細い手を引きながら、裏通りの入り組んだ隙間を縫うように駆けていた。肺の奥が焼けるように熱く、喉を通り抜ける空気はオゾンと排気ガスの焦げ付いた匂いが混じり合っている。
「……志乃さん、見て」
瑞穂が震える指先で指し示したのは、新宿駅東口の巨大なデジタルサイネージだった。 普段は華やかな広告が流れるその画面が、今は一転して、禍々しい紅い文字で埋め尽くされている。そこに映し出されていたのは、都庁の爆風の中で硝子の鍵を掲げる志乃の姿だった。
『――重要指名手配:広域テロ容疑者。発見次第、射殺許可。』
志乃の心臓が、肋骨の内側を激しく叩いた。 彼女の顔は、新宿中のあらゆるモニターに、そして人々のスマートフォンの画面に、呪いのように拡散されている。それは物理的な追跡以上に残酷な、情報の檻だった。
「真実、その一。……瑞穂さん。これは単なる警察の捜査ではありません。……観測者が、街のネットワークそのものを『偽りの真実』で上書きしたんだ」
志乃は、壁に背を預け、荒い呼吸を整えた。 硝子の鍵が、コートのポケットの中で不気味な熱を発している。透明だったその鍵は、今や七色の光を乱反射させ、志乃の存在を周囲に知らせるビーコンのように輝いていた。
「真実、その二。……私たちが今、指名手配されているのは、私たちが『罪を犯したから』ではない。……観測者にとって、私たちがこの街の調律を乱す『異物』になったからだ」
街頭カメラが、無機質なレンズを志乃の方向へと向ける。 電子的なシャッター音が、雨音の中に紛れて聞こえてきた。志乃は、自身の視覚を論理的に遮断する訓練を思い出し、脳内に新宿の地下迷宮の三次元地図を展開した。
「三つ目の真実は、私が言うね……」
瑞穂が、志乃のコートの裾を強く握りしめた。彼女の瞳には、かつてエミが持っていたものと同じ、未来を予見するような悲劇的な影が宿っている。
「真実、その三。……志乃さん。この指名手配は、私たちを見つけるためのものではない。……私たちを『透明な存在』に変え、この世界から永久に削除(デリート)するための儀式なんだよ」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、路地の両端から、音もなく黒い人影が滑り込んできた。 彼らは警察の制服を纏っていたが、その動きはあまりにも機械的で、人間特有の「迷い」が一切感じられなかった。
「志乃。……マンデリンは、まだ胃の中に残っているか?」
耳元で、懐かしい声が響いた気がした。 志乃は、硝子の鍵を強く握りしめ、前方の影を睨みつけた。
「……沖田さん。……真実が3つなら、私は4つ目の『嘘』で、この街を騙し抜いてみせます」
彼女は、硝子の鍵をアスファルトの黒い水溜まりに叩きつけた。 光の飛礫(つぶて)が周囲を包み込み、新宿の監視網が一瞬だけ盲目(ブラインド)となった隙に、二人の影は地下の深淵へと消えていった。
第33話:機械仕掛けの鼓動
地下五階。かつての地域冷暖房施設の巨大な配管が這う、忘れ去られた空間。 滴り落ちる水の音が、鉄の管に反響して不規則なメトロノームのように響いている。志乃は、肩で息をしながら、瑞穂を古い点検用ブースに座らせた。
静寂。 しかし、その静寂は長くは続かなかった。 遠くから、規則正しい、しかしどこか不自然に「重い」靴音が聞こえてくる。 それは、一年前まで志乃が信頼し、背中を預けていた人物の歩法に、驚くほど酷似していた。
「……久世、さん?」
闇の中から現れたのは、一年前のあの日、砂となって消えたはずの久世警部補だった。 しかし、その瞳には光がなく、剥き出しになった左腕からは、精密な光ファイバーとチタン製の骨格が覗いている。
「――ターゲット・ロケート。……論理的整合性、皆無。……抹消を開始する」
久世の声を模した合成音声が、冷たく響く。 アンドロイド。 観測者が、久世の記憶と人格データを、最凶の処刑マシンへと転写したものだ。
「真実、その一。……久世さん。……いいえ、目の前のあなた。……あなたは、久世さんの『正義』を模倣しているのではない。……彼の『後悔』だけを増幅させて動いている、悲しい残骸だ」
志乃はタクティカル・バトンを最短距離で振り下ろした。 超硬質の合金が、アンドロイドの腕と激突し、火花が暗闇を青白く照らし出す。 金属のぶつかり合う音。それは、かつて三つの鍵が奏でていたあの旋律を、暴力的に歪ませたような響きだった。
「真実、その二。……この機械の身体には、人間の鼓動はない。……だが、あなたのメインプロセッサには、今も沖田さんが仕掛けた『論理の毒』が回っているはずだ」
志乃の攻撃は、正確無比だった。 彼女は、かつて久世が自分に教えてくれた、警察格闘術の死角をあえて突いた。 アンドロイドが、一瞬だけ動きを止める。 その隙に、志乃は硝子の鍵を、アンドロイドの胸部にある外部インターフェースへと差し込んだ。
「三つ目の真実を、私が暴く……」
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