蒼穹のストラテジスト ―零細ギルドを王国最大の商会へ導く経営魔導書―第7話:組織の壁(サイロ化)の破壊
ギルド「青い燕」の本拠地は、今や王都でも指折りの活気に満ちていた。 二階建ての石造りの建物は、増築を繰り返したことで迷宮のような複雑さを持ち始めている。一階は、かつてと変わらず荒くれ者たちが大声を上げ、酒と汗の臭いが立ち込める「実戦部門(フィールド・ユニット)」の領域。そして新設された二階は、魔導計算機や大量の資料が並び、インクの香りと沈黙が支配する「情報解析部門(インテリジェンス・ユニット)」の領域だ。
物理的な階層の隔たりは、いつの間にか心の隔たりへと変貌していた。
「……また一階の連中が、報告書を汚して出しやがった。この『毒棘イノシシ』の生息数データ、血の跡で読めやしない。野蛮な連中にペンを握らせるのが間違いなんだ」
二階の解析官・カイルが、鼻を突き抜けるような冷たい声を上げた。彼は魔導学院を首席で卒業したが、魔力不足でエリートコースを外れた青年だ。シンの「情報の黄金律」に共鳴し、燕の頭脳を自負している。
「何だと、このモヤシ野郎! 俺たちが命懸けで稼いできた素材(キャッシュ)で、一日中椅子に座って紙遊びをしてる分際で、偉そうな口を叩くな!」
階段の踊り場で、ベテラン冒険者のベイルが吠えた。その背後には、泥と傷にまみれた前線組が控え、二階の文官たちを忌々しげに睨みつけている。
「紙遊びではない、経営戦略だ。君たちが無駄な怪我をせずに済んでいるのは、我々の予測(フォーキャスト)があるからだろう」 「ああん? 予測だあ? 結局、最後は剣を振るう俺たちの腕次第なんだよ。効率、効率って、俺たちはシンの指先で動く人形じゃねえんだ!」
一触即発の空気。 アリサが慌てて割って入るが、両者の溝は深く、彼女の声は喧騒にかき消されてしまう。
シンは、事務室の奥でその光景を静かに観察していた。 彼の眼には、組織の崩壊を招く特有の病が見えていた。
(組織の『サイロ化』だ。部門ごとに最適化が進みすぎた結果、自分たちの利益やプライドを優先し、組織全体の目標を見失っている。バーナードの組織論で言うところの『共通の目的』と『貢献意欲』が、情報の分断によって失われかけているんだ)
シンは手元の『組織構造図』に、太い×印を書いた。
「アリサ。……手術の時間だ」
シンの低い声に、アリサが肩を震わせる。
「シン……どうするつもり? このままだと、明日からの『北限の氷原』への大規模遠征が失敗しちゃうわ」
「失敗はさせない。……全員、広場に集まれ。これより『青い燕』の構造改革(リストラクチャリング)を宣言する」
夕刻。ギルド裏の広場に、百人を超える構成員が集まった。 焚き火の炎が、対立する二つの集団の顔を赤々と照らし出している。
「これより一週間、ギルド内の全役職を『完全入れ替え(ジョブ・ローテーション)』する」
シンの宣言に、広場は凍りついたような静寂に包まれた。 次の瞬間、爆発的な反対の声が上がる。
「正気か、シン! 俺にこの筆を持てっていうのか!? 冗談じゃねえ!」 「私たちが戦場へ!? 魔法の適性もない文官に、モンスターと戦えと言うのですか!? 無謀です!」
シンは動じない。彼は懐から、先ほどの「汚れた報告書」を取り出した。
「カイル、君は『血の跡が汚い』と言ったな。ならば、その血が流れる瞬間に立ち会え。現場の冒険者が、どの指の筋肉を使い、どの程度の恐怖の中でその数字を刻んでいるのかを知るんだ。……ベイル、君は『紙遊び』と言ったな。ならば、君が持ち帰ったその一握りの素材が、どのような計算を経てギルドの運営費となり、君たちの武器を修理する資金に化けるのか。その複雑な数式の海に溺れてみろ」
「そんなの、時間の無駄だ!」ベイルが食ってかかる。
「無駄ではない。相互理解(エンパシー)のない組織は、戦場ではただの烏合の衆だ。今回の『北限の氷原』遠征は、極限の環境下で行われる。解析官が現場の限界を知らずに指示を出せば、君たちは死ぬ。冒険者が解析の意味を理解せずにデータを改ざんすれば、ギルドは倒産する。……これは命令だ。従えない者は、今すぐギルド証を置いて去れ」
シンの瞳には、一切の妥協を許さない鉄の意志が宿っていた。 アリサも、シンの意図を汲み取り、毅然とした態度で頷いた。
「私も、明日からは受付を離れて、ベイルのチームに同行します。……みんな、シンを信じましょう。私たちは、一つの燕(組織)なんだから」
翌日から、奇妙な光景が展開された。 解体場では、慣れない手つきで大包丁を握り、吐き気と戦いながら魔獣の胃袋を裂くカイルたちの姿があった。彼らの手は震え、普段自分たちが処理している「数字」がいかに重い犠牲の上に成り立っているかを、肌で、鼻で、血の温もりで理解していった。
一方で、二階の資料室では、巨大な算盤(そろばん)を前に顔を真っ赤にして唸るベイルたちの姿があった。 「くそっ、なんでここの数字が合わねえんだ!……ええい、一G(ゴールド)も無駄にできねえってのは、こういうことか……。あいつら、こんな細けえ作業を毎日やってたのかよ……」 彼らは、自分たちの怪我の治療費や、家族への補償金が、文官たちの執念のような計算によって捻出されている事実を突きつけられた。
そして三日目。シンは仕上げとして『部門横断的タスクフォース』を編成した。 ベイルとカイルを同じチームに入れ、一つの目標――「氷原遠征におけるロジスティクスの最適化」という課題を与えたのだ。
「いいか、ベイル。氷原の気温マイナス三十度では、インクが凍る。だから、報告書は『刻印式』にする必要がある」 カイルが、現場での経験を基に提案する。 「ああ、それなら俺たちが使ってる発熱石をペンの芯に入れりゃあいい。だが、重すぎると持ち歩きに不便だ。……これくらいの重さならどうだ?」 ベイルが、文官の体力を考慮してバランスを調整する。
かつての「壁」は、そこにはなかった。 あるのは、専門性を尊重しつつ、共通の目的のために知恵を出し合う、プロフェッショナルたちの姿だった。
遠征当日。 「北限の氷原」に立つ「青い燕」の隊列は、かつてないほど統制が取れていた。 前線で戦う剣士の隣には、盾を持ちながら必死に周囲の魔素濃度を記録する解析官の姿がある。 吹雪が荒れ狂う中、ベイルがカイルの肩を叩いた。
「おい、モヤシ! 指は動くか? 次の魔力の波形、頼むぜ!」 「当然です、ベイルさん。……あと五分で、この吹雪の『ボトルネック』が解消されます。総員、突撃準備!」
解析と武力が、完璧な「同期(シンクロ)」を果たした。 遠征は大成功に終わり、ギルドは過去最高の成果を王都へと持ち帰った。
祝杯の夜。 一階と二階の住人たちは、入り混じって酒を酌み交わしていた。 そこにはもう、階層による差別はない。
「……シン。見事な診断だったわ」 アリサが、少し疲れた、しかし晴れやかな笑顔でシンの隣に座った。 「組織は生き物だ、アリサ。放っておけば硬直化し、壁を作る。リーダーの仕事は、その壁を壊し続け、情報の血流を止めないことだ」
シンは、手帳に新たな組織図を書き込んだ。 それは、部門が独立しつつも、蜘蛛の巣のように互いに支え合う『マトリックス組織』の原型だった。
しかし、喜びも束の間。 ギルドの扉を、一人の伝令が血相を変えて飛び込んできた。
「た、大変です! 王国北部の領主たちが、連名で『燕の予報』の利用停止を宣言しました! さらに、彼らは独自に『北部防衛商業同盟』を設立……我々の物流網を完全に封鎖する構えです!」
アリサの顔が険しくなる。 「……せっかく組織がまとまったのに。今度は『外部環境』の急変ね」
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