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蒼穹のストラテジスト ―零細ギルドを王国最大の商会へ導く経営魔導書―第4話:呪印(特許)の逆転法廷

王都の経済を司る「商業ギルド本部」の審議ホールは、冷徹な静寂に支配されていた。  高い天井からは、法と秩序の象徴である天秤の紋章が刻まれた巨大なシャンデリアが吊るされ、魔導灯の白い光が、黒大理石の床に鏡のように反射している。  その中央、被告席とも呼べる簡素な木製椅子の前に、シンとアリサは立たされていた。

「これより、冒険者ギルド『青い燕』による、登録呪印の侵害に関する審議を開始する」

高壇の上から見下ろすのは、商業ギルドの最高鑑定官・ジャッジ。その隣には、先日の「月の雫」の成功を忌々しげに睨んでいたボルカスが、勝利を確信したような薄笑いを浮かべて座っていた。  ホールには、この裁判の行方を見届けようと、町中の有力商人や魔導師たちが集まっている。漂うのは、高価な香油の匂いと、大衆の好奇心が入り混じった、重苦しくも粘り気のある空気だ。

「訴状によれば――」ジャッジが重厚な羊皮紙を広げる。「『青い燕』が販売した魔導具『月の雫』の内部構造は、三年前、我が商業ギルドが既に登録を済ませている『微光集積呪印』の権利を著しく侵害しているとのことだ。被告、反論はあるか?」

アリサが隣で小さく震えた。彼女の指先は氷のように冷たく、その肌は恐怖で陶器のように白くなっている。無理もない。もし有罪(侵害)と判断されれば、莫大な賠償金だけでなく、ギルドそのものの解散と、父が遺した全資産の没収が待っているのだ。

しかし、シンは違った。  彼は懐から、ボロボロになった一冊のノートを取り出した。それは、アリサの父が病床で最期まで書き綴っていた、研究日誌の断片である。

「鑑定官殿。反論の前に、一つ確認させていただきたい。貴殿らが主張する『微光集積呪印』の権利範囲……すなわち、どの部分が我々の『月の雫』と重複しているとお考えか?」

ボルカスが、待ってましたと言わんばかりに身を乗り出した。 「とぼけるな! 周囲の微細なマナを吸収し、それを光に変換する基本回路だよ。あの石を撫でることで起動するトリガーシステムも、我々の登録呪印の独占的範囲内だ。お前たちは、我々が多額の投資をして開発した技術を、タダ同然で盗んだのだ!」

ボルカスの声がホールに響き渡り、傍聴席から「そうだ、泥棒ギルドだ!」という野次が飛ぶ。

シンは冷静だった。彼の瞳には、前世で学んだ『経営法務』の体系図が、光のグリッドとなって浮かび上がっていた。 (知的財産権の侵害判断は、まず『特許要件』の充足性と、権利範囲の解釈から始まる。奴らの狙いは、この市場から我々を排除することだ。ならば、その『権利の根底』から覆すまで)

「なるほど、基本回路とトリガーシステムですか。しかし、その主張には二つの大きな誤りがある」

シンの声は、騒がしいホールを鎮めるほどに澄んでいた。

「第一に、貴殿らが登録したというその呪印には『新規性(ノベルティ)』がない。すなわち、登録されるべきではなかった呪印だ」 「何だと……!?」

「ここにあるのは、アリサの父上が五年前――つまり貴殿らが登録する二年も前に記した研究記録だ。見ていただきたい、この日付を。ここには、後に『月の雫』となる呪印の原型が、ほぼ完成された形で記述されている」

シンは、魔力で拡大投影されたノートのページを指し示した。 「さらに、父上はこの技術を、当時所属していた職人コミュニティで公開し、複数の工房で試作を行わせている。法律上、登録前に公に知られた技術(公知の事実)は、誰の独占物にもなり得ない。これを『新規性の喪失』と言う」

ジャッジの眉がピクリと動いた。商業ギルドの役人たちが慌てて記録を調べ始める。

「ふ、ふん! たかが職人のメモ書きが何だ!」ボルカスが顔を真っ赤にして叫ぶ。「たとえ技術が古くとも、正式に『呪印登録(パテント)』を行ったのは我々だ! この国は『先願主義』――すなわち、先に申請した者が勝つ世界なのだよ!」

その言葉は、ある意味でこの世界の真実を突いていた。アイデアや技術が誰のものであろうと、国家の帳簿に先に名を刻んだ者が最強の盾を手にする。アリサの父は、申請の手続きを怠ったがゆえに、この状況を招いたのだ。

「その通り、先願主義はこの世界のルールだ。しかし――」

シンは一歩前へ出た。その足音が、大理石の床に力強く反響した。

「権利者が誰であれ、その登録より前から、独自にその技術を研究し、実際に事業を行っていた者には、継続してその技術を使う権利が認められる。経営の理においては、これを『先使用権』と呼ぶ。アリサの父上は、この呪印を用いた試作灯を、五年前からこのギルドの地下で細々と、しかし確実に生産し続けていた。この地下倉庫の古い在庫と、当時の仕入れ伝票がその証拠だ」

シンが提示したのは、カビの生えた古い羊皮紙の束だった。そこには、数年前のインクで記された「常夜石」の仕入れ記録と、試作品の廃棄記録が、整然と――それこそシンの指導による整理以前から、アリサの父が律儀に記していた「経営の足跡」があった。

「我々には、この技術を使い続ける正当な権利がある。没収も、販売停止も、法的根拠を欠いている!」

ホールの空気が一変した。  先ほどまで「青い燕」を嘲笑っていた商人たちが、今度は商業ギルドの失態を囁き始めた。

だが、ボルカスはまだ諦めていない。 「……へ、屁理屈を! たとえ先使用権とやらがあろうとも、それは『現行の事業範囲内』での話だ。お前たちは『月の雫』として、かつての試作品とは比較にならない規模で商売を広げている。それは明らかに権利の侵害だ!」

「いいえ、侵害しているのは貴殿らの方だ」

シンの言葉に、ボルカスが絶句した。 「……何?」

「我々の技術を精査する過程で、興味深い事実を見つけた。貴殿らが現在販売している、高価な『王家御用達・魔導ランプ』。これに採用されている『光軸安定呪印』……。これこそが、アリサの父上が十年前、唯一正式に登録を完了させ、更新し続けてきた『燕の紋章(意匠・商標権)』の一部を盗用している」

シンは別の書類を突きつけた。  それは、アリサが「役に立たない」と思って捨てようとしていた、古い古い権利証だった。

「この呪印の波形を見ていただきたい。貴殿らのランプの核となる反射術式は、父上が十年前、当時の王立魔導院と共に開発し、登録した『反射効率向上呪印』のデッドコピーだ。我々の侵害を訴えるなら、まず貴殿らが過去十年にわたって不当に得てきた利益を、このギルドに返還してもらう必要がある。計算したところ――」

シンは、掲示板から持ってきた算盤(そろばん)を、猛烈な勢いで弾いた。

「利息と権利使用料を合わせて、金貨三千枚といったところでしょうか」

金貨三千枚。それは「黄金の獅子」であっても、一朝一夕には用意できない、組織の存続を揺るがす巨額だった。

「ば、バカな……! そんな古い権利がまだ生きてるはずが……!」 「有効期限は二十年。父上は、病床にあってもこれの更新料(特許料)だけは、アリサに内緒で払い続けていたんだ。いつか、娘がこの権利に救われる日が来ることを信じて」

シンはアリサを見た。  彼女の目から、大粒の涙が溢れ出した。父は無能でも、怠慢でもなかった。経営の知識はなかったかもしれないが、愛する娘とギルドを守るための「武器」を、たった一人で磨き続けていたのだ。

「……ジャッジ殿。審議を続けるか、それともここで『和解』の場を設けるか。選ぶのは貴殿らだ」

ジャッジは、青ざめて震えるボルカスと、堂々と立ち尽くすシンを交互に見た。  もはや、勝負は決していた。

「……本件審議を一時中断する。商業ギルドは、被告『青い燕』に対し、和解案を提示せよ。また、過去の権利侵害の疑いについても、厳正なる調査を行うものとする」

ジャッジの木槌が、閉廷を告げる音を鳴らした。  その瞬間、ホールには嵐のような拍手とどよめきが巻き起こった。

勝利だった。  魔法の呪文ではなく、法という名の論理が、強大な権力を屈服させた瞬間だった。

「シン……ありがとう。本当に、ありがとう」  アリサがシンの腕にすがり、声を上げて泣いた。シンは慣れない手つきで彼女の背中を叩きながら、ホールを出ようとするボルカスの背中に、冷徹な一言を投げかけた。

「ボルカス殿。商売(ビジネス)は、力でねじ伏せるものじゃない。ルールを理解し、相手に敬意を払うものだ。……次は、王国の『独占禁止法』についても勉強しておくといい」

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