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【映画】「名無し」饒舌な二朗さんと無口な二朗さんどっちが好き?

日本映画「名無し」を観てきたので感想など綴りたいと思います。



映画について(ネタバレなし)

白昼のファミレスを襲った無差別大量殺人事件。 防犯カメラに残された容疑者の中年男。 被害者は誰もが鋭利な刃物で切りつけられていたが、映っているはずの凶器の姿だけが目視できない。 鍵を握るのは男の右手。 その手が向かう先には必ず何かが起こる。 目に見えない力の秘密に隠された、恐るべき真実から逃がれることはできるのか?

「爆弾」の圧倒的な演技が記憶に新しい佐藤二朗さんが原作脚本を手掛けたという映画
脚本を映画用に書いたものの当時実写映画化は難しいと言われ、先に2024年に漫画化されたのだそうです。その漫画が話題になり、結果的に映画化が実現しました。

映画公開にあたり掲載された下記の佐藤二朗さんのインタビューがとても興味深かったです。

佐藤さんの"20代の無茶苦茶"に見える経験って、あの時代だから世間的に許されたり再チャレンジ出来たり本人も突っ走れたという側面があった気がします。私も同じ世代で20代無茶苦茶だったので共感してしまいました。総じて恵まれていた世代だと感じています。
そして後半のインタビューを読むと、彼は本当にクリエイター気質の人なんだなと感じました。

そんな彼が執筆した「名無し」は公開されてから賛否両論があるようです。私のように「爆弾」を観て今回の作品を楽しみにしていた人が多かったかと思いますが、結果的に今のタイミングでの映画公開は正解だったのではないでしょうか。私がどうしてそう思ったのかは次の感想(ネタバレあり)の最下部に書きました。
皆さんは「爆弾」の饒舌な二朗さんと「名無し」の無口な二朗さん、どちらが好きですか?


感想など(ネタバレあり)

主人公の山田太郎がどうしてあの謎の「力」を持つようになったのかは全く語られていないのですが、子供の頃保護されたときに右手が縄でぐるぐる巻きだったということは捨てた親、または太郎本人が「力」を使わないようにしたのでしょうか。
この「力」で過去に誰かを死なせてしまったのかもしれません。
太郎が養護施設に行ってからも、犬やそして親身になってくれた照夫までも殺してしまって、大人になるまでそんなトラウマを繰り返し顔に痙攣が出るようになってしまいました。

そんな太郎に変化が現れたのは花子が自分の子を身籠ってからでした。
太郎は屑鉄工場で働きながら子供の誕生を心待ちにしていました。子供の名前も嬉しそうに考えていました。赤ちゃんの為の遊具も買いました。
けれど、出産前に花子は家出してしまいました。
それでもいつか戻ってきてくれる、と思っていたのでしょうね。
太郎にとっては子供が「希望」でした。
しかし再会した花子によって、太郎の唯一の「希望」が完全に消えてしまいました。
全てがどうでも良くなって怖いものなし。他人を無差別に殺していく。しかも一度ならず何度も。
太郎は無敵の人になってしまいました。

セーフティネットからこぼれ周囲からの支援が行き届かなかったり、また悩みを話せる人がおらず社会から孤立してしまった人が「無敵の人」化してしまうリアル事件を私たちは何度もニュースで目にしています。
佐藤さんや私が生きてきた時代でも生きづらさはあったけれど、現代の人々はより一層それを感じている気がします。
この映画ではそういった社会構造の歪みに警鐘を鳴らしているのでしょうか?
社会は山田太郎を救うことができたのかな?
照夫と同じぐらい寄り添ってくれる大人がいたら太郎は「力」を封印して違う人生を送っていたかもしれません。
何の罪もない人々の命を奪う事は絶対に許される事ではないです。でもこの映画の無敵の人化してしまった太郎に私は同情してしまいました。

先日、NHKの「世界のドキュメンタリー」で「アメリカ 貧困と生きる」という番組を観ました。アメリカで暮らす3人の子供たちを14年間追った記録でした。
親がコロナ禍で破産し食べるものもない家庭で育った子たちが、それでも夢を持ちつつ大人になっていくんですが、結局苦しい生活を強いられる現実となってしまっていました。
親ガチャなどというけれど、マイナスからのスタートで這い上がるのは本当に大変な事。
人並な生活さえおくれないのは精神的にもダメージが大きく、薬物に頼ったり犯罪に手を染めてしまう確率が高くなってしまうのでしょうね。

なんでも「自己責任」だと言って片づけてしまう日本の現代の風潮には本当に危険を感じています。
すぐ近くにいる誰かを救える力を持っているはずと思って、私はこれまで気づいた時に自分が出来る事をしていこうと行動してきました。そうしていくうちに自分があまりに共感しすぎてしんどくなってしまいました。
しんどい理由はやっぱりSNSで無関心な人の多さに気づいてしまったというのもあります。なのでSNSとは少し距離を置いてます。
現在は、自滅しては救える人も救えないのでマイペースで自分なりに理解と共感を深める時間を作っています。

今回の映画を観て、もちろん殺人はもってのほかだけれど私のように山田太郎に同情し周りに手を差し伸べるべき人がいたら勇気を出して差し伸べてあげることが必要だと考えた人もいるでしょうし、また逆に同情も理解も出来ないと思った人もいるでしょう。

タイトルの「名無し」
名前を付けるという行為は、親から子への一番最初の愛情表現でもあるように感じます。
また学校やコミュニティのなかで名前を呼び合うことによって隣の人とも距離が縮まることもあります。
名前って当たり前のように存在するけどすごく大事なんですよね。
山田太郎が親とも周りとも繋がれなかったから「名無し」だったんですよね。

それから太郎が持つ不思議な「力」は非現実的なSFのようなストーリーに仕立てられているので、無差別殺人も非現実的な映像になることによって観る側も耐えられる場面になっている気がしました。
それは観客の脳裏に残るのは、太郎の残虐な殺人だけでなく彼の不遇な生い立ちであって欲しかったのかなと思いました。


ここまで書いて一息ついていたら、丁度配給元のキノフィルムズさんの動画で佐藤二朗さんと共演のお二人のインタビューが目に入りました。
観てみたら佐藤二朗さんが下記のようなことをおっしゃっていました。

世の中当たり前のように理不尽で、神様から与えられるカードが全然ちぐはぐだったりするし、逆転不可能なカードしか配られなかった人も残念ながらたくさんいる。
でもそういう神様の気まぐれなカード配りに、僕は人間のぬくもりとか繋がりという綺麗事がなんとしても負けて欲しくないという思いがあって、こういう作品にも通底している。(略)
今回は徹底して絶望を描いている。僕は絶望というのは他者と繋がれている間は、なんとか絶望の淵にあっても明日もとりあえず生きてみるかって思えると思う。
他者と繋がることを諦めた時点で本当の絶望が来ると僕は思っている。

佐藤さんは、それでも希望はあるんだよといいたかったんですね。
なるほど、悲惨なほど絶望的なんだけど私は観終わった後に作品に
ちょっと光が見えた気がする
のは佐藤さんのそうした思いを感じ取れたからなのかな。

それでも空は青いんだ


佐藤二朗さんには役者として作家として人に社会にこういうポジティブな発信を続けていってほしいと思いました。
手元にはまだお披露目になってない脚本が山積みにあるそうですから、「名無し」に続いて第二作、三作と佐藤二朗作品を観たくなりました。

「爆弾」後に今回の作品が公開されて、佐藤二朗さんが作品を通してやりたかったことが「名無し」で沢山の人に伝わったのでとても良かったのではないでしょうか。
好き嫌いは別として。

ちなみに
「爆弾」の饒舌な二朗さんと「名無し」の無口な二朗さん、どちらが好きかというと私は断然「名無し」の二朗さんが好きです!


映画「名無し」
私的にこの映画の評価は★★★★☆でした!


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