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成るようになっとるし、成るようにしかならんもんねっ


タモリさんがかつて言ってました。

「人間って、自分がいかに下らない人間かということを思い知ることで、スーッと楽にもなれるんじゃないかな」。

なんだか悲しい言葉だなぁとわたしは思った。

ほんとは立派な人に成りたかったのにわたしは諦めないといけないのか。

なんて残念だっ、情けないっ。無念の子たちがわたしの胸をいっぱいに埋め尽くす。

けれど、タモさん、意外と優しいな。彼の言う通りだった。

そうは成れなかったじぶんを認めたら、確かにわたしに救いというか自由が起こった。

じぶんがこうして過去を振り返る時、意外にもその振り返る理由を本人は分かっていない。

ノスタルジーなんかじゃないです。

だんぜん追い詰められ、はてなんでこんなに苦しんでいるのかと危ぶんでいるんですから。

何十年にも渡った成ると在るとの戦いにわたしは疲れ、そして朝日を見たんでしょう。ほろほろ。



1.かのじょと、わたしの起点


かのじょは筑後の高校生だった。高校2年の時、友達と将来の話をしたそうです。

進学とか、就職とか。で、心配しても無駄ねということになった。

「数年後、わたしたちは成るようになっとるし、成るようにしかならんもんねっ」と友達と話したという。

いい加減だなぁとわたしは思った。

が、在るがままに素直なかのじょらしい会話だとも思った。


わたしは新潟の山奥で高校生をしていました。

断然、米農家は継ぎたくなかったし閉鎖的な村が大嫌いだった。ここを出る!

大学とは遠く離れた都会にしかなかった。わたしはガリガリと勉強した。だんだんと成績はあがった。

わたしは大学に入り、村を捨てました。

当時のわたしには、「数年後、なんとか成ってる」なんていう気はさらさらなかった。

仕事もがりがりやった。わたしはマネージャーに昇進した。

人生はじぶんの力で獲得して行くものだと思って来た。

努力しないのはそれは本人の怠慢だ、という目で他者を見ていたとおもう。まぁ、傲慢野郎だった。


かのじょには、人生の自然の成り行きや運命を受容するところがある。

諦念と前向きさが同居するひとだと思う。

できる限りの努力をした後は、結果を仏様にお任せするというような執着を手放す考え方がある。

「成るようになる」と思ってるひと。

物事は自然の流れに任せれば結果的にうまくいくという構えでしょう。

「成るようにしかならん」とは、人の力ではどうしようもない必然的な結果(「因果の道理」)を指していると思います。

無駄な心配や焦りを手放し、心を軽くする知恵とも言える。

いや、そんな神仏任せなんてわたしにはとうてい無理っ。

もちろん、かのじょも出来ることには全力を尽くす。

けっして100%お気楽、ルンルン♪ってなわけでもないのです。

ただ、「今」を受け入れる賢明さがある。

わたし?わたしはいつもガリガリともがいて来た。「今」を常に否定した。ほら、「成る派」ですから。



2.為せば成る、為さねばならぬ何事も


と思い込んで来たわたしは、やがて結婚し子供を持った。

口では「こう在るべきだ」なんて言っていて、「今」の現実を認められず批判ばかりした。

さぞ妻や子は萎縮してたでしょう。すまんっ。

片や、かのじょは自分の気持ちはしっかりあるけれど、それをわたしに投影することも何かを期待するということも無かったです。

まぁ、わたしは自由に泳がせていただいていた。

が、定年後にはじめたデートレードで、わたしは深刻な問題に突き当たったのです。為しても為らんのです。


トレードをやればやるほど資産が減り続ける。先日も、爆損しました。

原因は、はっきりしているのです。

しかも、どう対策をとったら良いのかもはっきり分かっている。

才能とか市況とか技術とかの問題ではないのです。

株価が想定にひどく逆行すると、時々わたしが暴走するのです。

じぶんで決めたルールをすべて投げ捨ててギャンブル・モードに突入して行く。

ルールを破り、「取り返そう」とする強迫観念に支配されます。

こうなると、もうわたし本人には打つ手がないのです。

スルスルと手が勝手に「やってはいけないこと」をやり始める。

わたしは、何をしているかは見ていて分かっている。

でも、思考はほぼ凍り付いている状態なので、見ているだけでこのモードを止めれません。

きっとわたしの脳内では論理的な思考はシャットダウンし、生存本能に近い「闘争モード」が起動している。

そういうことが何度もこの1年半に繰り返されました。悪夢っ。


最初はじぶんが制御不能に成るなんて信じられなかった。

でも、いくら反省ザルを毎日してもひんぱんに起こる。

きちんと決めたことを積み上げて生きて来たにんげんなのに、それが出来ないなんて。

きっと、逆行すると、「自分の判断が間違っていた(負ける)」という状態を一秒たりとも許容できないというプライド(エゴ)がニョキニョキお出に成っているんでしょう。

深層心理に隠されていた「影」が表に出て来て全力で暴れる。

ユングせんせいが見た精神病の患者たちによく似ている。


いや、きっかけはちょっとした逆行なんです。

ある時、逆行になると、ほんのちょっと、わたしは拾った古びたランプをこすってします。ただこすっただけけなんだけど、むくむくと真っ黒な巨人が現れていう。

「おまえ、下がってなさい!わたしが主人だ!」。

そしたら、わたしは株価が逆行したにも関わらずナンピンしてゆくのです。

下落しながらの株のさらなる追加は、本質的には「利益が欲しい」からではないです。

自分が間違った(敗れた)まま終わりたくないっ。

再び上昇するはずだ、買い足したんだから、さぁ上がってくれ!

いえ、そのまま株価は下落し続け、爆損となる。

目の前に起こった市場からのじぶんへの否定を、わたしはすぐに正解に書き換えたいのでしょう。

内なる暴君が雄たけびを上げる。と、わたしはその魔人の前にただ平伏するしか無い。

この「有能でありたい」というわたしの深く刻まれた執着が、期待値に沿ってすべきトレードを全額取り返すためのギャンブルへとすり替えてしまうのです。ああ”・・・



3.ああ、、あなたはそんな人格の者を信じられないでしょうね


わたしも、このじぶんが信じられないっ。

ギャンブル依存症と言われる人たちには、潜在的に何か強い執着があるのではないでしょうか。

ギャンブルにただ夢中に成りたい人のように外からは見えると思うんですが、たぶん違う。

思考が停止し感情の言うなりに成ってしまうような何かが。

わたしの場合は、じぶんは出来る男だという「有能感」だと思うのです。

わたしは出来るんだ、優秀なんだと認めて欲しい。

それはバカ、バカとわたしを叱った母のせいばかりではないでしょう。

ストレスがかかると、挫けることをじぶんに許さず、がんばらせると言う生存戦略の結果だったと思う。


ああ、、でも、わたしはじぶんのほんとうに「在る」姿はずっと認めたくはなかったです。

ギャンブル依存症だなんていう情けない男のつもりでは無かったんだもの。

アルコール依存症や薬物依存症と同じだなんて、そんな意志薄弱なヤカラの仲間のはずはなかった。

が、ここまで爆損を繰り替えしてしまうと、事実を受け入れるしかなくなったのです。

事実はなんなのかと、「成る派」でさえじぶんの今の「在る」を受け取らざるを得なくなった。

リアルに資産が溶け続けて行く。一大事なヤバイ今。


そんなに辛いんならトレードなんて辞めたらいいじゃん、ときっとあなたは言うでしょうね。

でも、この男が全身全霊を持って向かう先が無くなってしまいます。

定年した男が月日が無為に過ぎるのをただ待つなんてわたしにはとうてい耐えれない。なにかに燃えていたいっ。

そもそも、ルール通りに自己統制できている時もあるんです。そういう時は冷静に利益を産んでいる。

ああ、、だから、わたしは辞めたくないっ。が、もう資金が底を尽きるっ。

大きな損はもう出せないんです。

魔人を手なずけるしかないっ。ユングせんせい、そんなこと可能なんですか!?



4.アホの効用


じぶんがアホ過ぎてほとほとウンザリしました。

他人のことなら簡単に「あいつはアホだな」とか言って来たんだけど、こうなると他者のことがまったく言えなる。

キミもアホだが、わたしもアホだっ。

でも、タモリさんの言うように「人間って、自分がいかに下らない人間かということを思い知ることで」楽になる。

おれの願望に従うようにと相手に押し付けても、相手の考えは相手が決める。

マーケットは巨大ですから、そもそもわたしの願望なんて相手にしてくれない。

わたしは、じぶんが優れた男であることを世界に示し続けて来た。

それが満たされなくなるとマーケットでは爆損となる。

わたしは、「優秀な男である」という執着にしがみ付いて生きてきたんだなぁ、、と観念したんです。

意外なことに、当然な帰結だったのだと分かったとたん、スーッとわたしが楽になった。


世界を制御下に置きじぶんを安全地帯にいたいというこの有能感信仰は、わたしの生存戦略そのものだったでしょう。

だから、それはわたしの潜在意識に深く埋め込まれていて、きっとわたしはこれを生涯抱えて生きないといけない。

でも、執着していたんだなと知ったことは、わたしのこころを解放させてくれました。

仕方ないよね、成るようになるしかならないよねって。

諦めるとは、明らかに自己に知らしめるが語源なんだそうです。



5.たった1つの原因に注力する


だれにだって生存戦略に根を降ろした何かの執着ってある。とおもう。

その拘りを自他や世界に押し付けようとし易い。

でも、大きな犠牲を払わねば自分でその存在は認めないでしょう。

執着したものを自他に押し付け続けると思う。

とても惨めな目にあい、もう自分を誤魔化せないという地点にまで追い詰められるとかしない限り。

わたしはようやくじぶんの根本原因、「いつも有能感を求めているじぶん」ということを確信したでしょう。

これだっ、根っこはこの子だったんだって。

どうする?


わたしたちは多くの原因や対策を同時には扱えません。

もっとも根本的な原因1つだけに全集中しないといけない。

わたしの根本は確定した。

完全な解決はできなくとも、きっと成るようにしかならないし、何とか成るでしょう。

新しい地平で、新しい生存戦略がまた立ち上がることをわたしは望んでいます。



P.S.

以下は、トレードに関心の無い方には特殊すぎて面白くないでしょう。ごめんっ。


プロでも予測をよくはずしています。株価は逆行し易いのです。

プロの多くは最初、わたしと同じような爆損を繰り返しています。

でも、プロとは損失を小さく収める工夫を確立した者たちのことです。


わたしの場合、時々の予想外の動きにプライドが関わってしまう。

この面倒くさい男は、ならば、負ける訓練をしないとなりません。

負けが常態化した中で、負けに慣れて行くのです。

エゴたっぷりなわたしでさえ生かしてもらうには、シャバ代として多くの「小さな負トレード」を献上すれば良い。

もちろん、わざと負け続けるわけではありません。負けを前提にするということになるとおもいます。


マーケットにエントリーするたびに、大半は読み間違いし負けるのだとし、

すぐに下に損切り(ストップロス)を入れて置く(少額の損失で済みます)。

ときどき、設定して損切り点まで落下しないことも起こるので、その時は上昇に沿って利益を伸ばすことになる。

小さな損失が多発しても、ときどき大きく利益を伸ばせればいいのです。

たとえば、10回トレードし、9回は10円づつ負けても、1回だけ100円稼げれば良い。

ほら、トータルでは10円の儲け、になる。

マーケットでは、勝率ではなく、いかに爆益を出せるかにヒミツがあります。

もちろん、爆損を限りなく抑制させる。


実際のわたしの平均勝率は6割ほどです。

10回に6回も勝っているんなら、なぜ資産が減るんだ?とあなたは聞くでしょうね。

たった1回でも死ねます。

有能感がモクモクと出て来てしまうと、わたしのエゴは市場の動きを無視します。

勝つことだけに執着しどんどん派手な賭けに突き進むのです。資金をフルに突っ込む。そして、爆損です。

わたしは「うまい負け方」を修行しないとなりません。

ええ、わたしの根本問題に対する解決策はとても単純なものでした。

でも、勝つことだけを意識していた時には、うまい負け方を深く修行するって出来ませんでした。

やっぱり勝ちたくてやってるんですからね、負け方なんて一番最後のものでした。

それに、わたしにはいろいろな問題があり、それらに付随した対応策もいっぱい必要でした。

でも、焦点が違ってた。執着してたから見えなかった。

でも、ポイントが見えてくれば、いっそう大事なことが求められる。

たった1つに集中して改善するってとても大事なんだなと痛感します。


わたしは、もっとも根っこのポイントを探ろうとここに何度もしつこく書いてきました。

たぶん、ほとんどの方には興味ないだろう話なんですが。

改善策を整理し続けた。でも、根本がバカな男だった。

どうして人間ってこんなに不完全なんだろうって思いました。

ほんとに悔しかった。でも、それがリアルなわたしなのですね。

わたしはじぶんにそれ以上もそれ以下も期待できないということを知りました。

バカならバカで生きて行くしかない。


ということで、わたしは有能感を誰かに誇ることも、他者を裁くことももう出来なくなりました。

では、どうするかということしか残されていない身だった。

もちろん、神仏に委ねるなんていう高級なワザはわたしにはありません。

いいや、わたしは今まで「出来る男」を世間や市場に押し付けようと頑張って来たのだけれど、もうそんなバカなあがきはしなくて良いのです。

出来ることをするしかない。勝たなくても大半は小さく負ければ良い。

おお、、なんて気が楽なんだろう、なんてナチュラルな身のこなしか。。


もちろん、ビルトインされている執着を手放すなんてとうてい出来ないのだけれど、キミと仲良く暮らすことなら出来る。

キミを亡き者にしようなんて、もうそんな傲慢な気はとうに失せた。

キミはあまりに巨大で由緒正しいんだものね。

よろしくっ。


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