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風、薫る 第9週「看病婦とアメ」 第43回(2026/5/27)

こんにちは、朝ドラ日和!です。

第43回は、フユ(猫背椿)の見え方がぐっと変わる回でした。

看護婦見習い生のりん(見上愛)と直美(上坂樹里)は、看病婦たちとの距離を縮めようとします。けれど、そこにあるのは「仲良くなれば解決する」という単純な対立ではありませんでした。

フユが積み上げてきた技術。看病婦として働き続ける生活。家に帰れば待っている事情。

今日の15分は、看護を学ぶことが、相手の人生に触れることでもあるのだと静かに見せていました。

前回の振り返り

第42回では、千佳子の手術を終えたりんが、看護婦になりたいという思いをさらに強くしていました。

その中で印象的だったのが、緊急患者への対応です。足に柵が刺さった重傷患者が運び込まれ、医師たちが慌ただしく処置に入るなか、フユはそばでてきぱきと動いていました。

りんと直美は、その動きを見て、フユの経験と技術の大きさを知ります。

りんはフユに「自分もそうなりたい」「教えてほしい」という思いを伝え、頭を下げました。けれどフユは、教えるならお金をもらう、という趣旨の返しをします。

その言葉にりんは詰まります。

ただ、その後の看病婦たちの会話では、看病婦を取り巻く経済的な厳しさもにじんでいました。フユの言葉をただの嫌味として受け取っていいのか。第43回は、その問いの続きから始まったように思います。

今日のあらすじ

病院では、看護婦見習い生と看病婦の間に、まだ冷たい空気が流れていました。

見習い生たちは患者の世話に励みますが、現場では理想だけでは進まないことが次々に見えてきます。患者の子どもを預かることへの不満、食欲のない患者への気づき、病室での細かな判断。看護の仕事は、教科書の知識だけではなく、目の前の人の生活や気持ちを読む力も求められるものでした。

小野田(宮地雅子)の食欲が落ちている場面では、ゆき(中井友望)やトメ(原嶋凛)が気にかけます。さらに、塩やりんごをめぐるやり取りからも、患者が何を欲しているのか、どこまで応えていいのかという難しさが浮かびました。

患者の子どもを預かる場面にも、現場の負担がにじみます。善意だけでは回らない仕事がある。誰かに寄り添うことは大切だけれど、その分だけ別の誰かの仕事が増えることもある。第43回は、看護の理想と現場の実務を、かなり具体的にぶつけていました。

一方、りんはフユに改めて教えを請います。

フユの10年の経験と技術は、座学だけでは得られないもの。りんはそこに価値を見いだし、どうしても学びたいと伝えます。

しかし、フユは簡単には受け入れません。技術には時間がかかっています。生活もあります。教えることは、ただ親切に知識を分けることではない。そんな現実が、フユの態度から伝わってきました。

やがて、りんと直美はフユの家を訪ねることになります。

フユの夫・康介(じろう)は足を悪くしており、りんと直美は自分たちにできる看護を探します。痛みやしびれの様子を聞き、洗髪をし、布団や枕を整え、家の中で必要なことに目を向ける二人。

病院の中では見えなかったフユの生活が、少しずつ形を持って見えてきました。

今日の見どころ

今日いちばん大きかったのは、フユの「お金をもらう」という言葉の響きが変わったことです。

前回だけを見ると、りんに意地悪をしているようにも見えました。けれど今日の流れを見ていると、あれは単なる嫌味ではなかったのだと思います。

フユの技術は、現場で生き抜くために身につけてきたものです。

手術介助の動きも、患者への対応も、家での段取りにも通じる几帳面さも、どれも生活と地続きにある。だからこそ、りんが「教えてほしい」と言う時、そこには相手の時間や労働への敬意が必要になるのでしょう。

りんの真っすぐさは美しいです。

でも、真っすぐであることと、相手の事情を受け止めることは別の問題です。第43回のりんは、フユに近づこうとしながら、その難しさにも触れ始めていました。

フユの家で見えたもの

フユの家を訪ねる場面は、今日の核心だったと思います。

康介は、足の痛みやしびれを抱えています。りんと直美は、すぐに大きなことができるわけではありません。それでも、洗髪や寝具の手入れなど、目の前で必要なことを探して動きます。

ここでよかったのは、看護が「病院の中だけの仕事」ではないと見えたことです。

患者が家でどう過ごしているのか。家族は何を抱えているのか。清潔を保つこと、眠れる環境を整えること、痛みを聞くこと。どれも派手ではありませんが、生活を支える大切な看護でした。

そして、そこにフユの現実が重なります。

病院では厳しく、時に刺々しく見えるフユにも、帰る家があり、支える相手がいる。そのことが分かるだけで、彼女の言葉の重さが変わってきます。

家の中の物の置き方にも、フユらしさが出ていました。手術前の器械を思わせるほど整えられた道具の並びは、フユの几帳面さと、現場で身につけた感覚が生活の中にも染みていることを示していたように感じます。

終盤、りんと直美がまた訪ねると伝えた時、フユは素直に礼を言うわけではありません。それでも、完全に突っぱねるわけでもない。その小さな余白がよかったです。看病婦と見習い生の間に吹いていた冷たい風が、ほんの少しだけ向きを変えたように見えました。

看病婦と見習い生の溝

今日の回では、看病婦と看護婦見習い生の間にある溝も、より具体的になりました。

見習い生たちは新しい看護を学んでいます。けれど看病婦たちは、現場で働き、患者のそばにいて、生活を支えてきた人たちです。

どちらか一方が正しい、という話ではありません。

りんたちには理想がある。フユたちには経験と生活がある。病院という場所で、その二つがぶつかっているからこそ、今週の空気は苦いのだと思います。

今日の感想

私は今日、フユを見ながら少し胸が詰まりました。

りんの「教えてほしい」という思いは、本当にまっすぐです。看護婦になりたい、もっと患者の役に立ちたい。その願いは応援したくなります。

でも、フユの側にも人生があります。10年かけて身につけた技術を、若い見習い生に簡単に渡せるほど、彼女の暮らしは軽くない。しかも家では、夫の康介を支える日々がある。

フユの態度はやさしくありません。けれど、やさしくできない人を、すぐに冷たい人と決めつけてはいけないのだと思いました。

今日の第43回は、りんの成長だけでなく、りんがこれから誰の痛みを見ようとしているのかを問い直す回でした。看護を学ぶということは、患者だけでなく、同じ現場で働く人の事情にも目を向けることなのかもしれません。

ネットの反応 Pickup

放送後の反応では、康介役のじろうさん登場や、フユの家での訪問看護に触れる声が見られました。

特に、りんと直美がフユの家で洗髪などに取り組む場面は、短いながらも印象に残った人が多そうです。病院内の緊張感とは違い、生活の場で看護がどう立ち上がるのかが見える場面でした。

また、フユの家の事情が描かれたことで、前回の「教えるなら対価を」という言葉も、単なる意地悪ではなく、技術や労働、生活の問題として受け止め直す余地が出てきました。

今週は、りんたち見習い生の成長を見守るだけでなく、看病婦たちが何を背負っているのかにも目を向けたい週になっています。

次回が気になること

第44回では、りんと直美が引き続き、フユの夫・康介の看護のためにフユの家へ通うことになります。

公式あらすじでは、康介のある言動が気になる展開になるようです。

フユが抱えているものは、まだすべて見えていません。康介との関係、家の中の空気、そしてフユが病院であれほど強く振る舞う理由。次回は、その奥にもう一歩踏み込む回になりそうです。

おわりに

今日も読んでくださって、ありがとうございます。

第43回で印象に残ったのは、フユの言葉でしたか? それとも、りんと直美がフユの家で看護を探していく姿でしたか?

よかったらコメントで教えてください。
続きも一緒に追いかけたいと思っていただけたら、スキやフォローで次回も見つけてもらえるとうれしいです。

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