おとぎ話
1
むかしむかし、あるところに、美しい自然に囲まれた小さな村がありました。手入れをせずとも咲き誇る花々や、凛と生い茂る草木は人々の生活に安らぎをもたらしているのでした。
その村に、ひとりの誠実な青年がおりました。
青年は毎日よく働き、人には親切にし、自分を卑下することもなく、皆に平等に接することから
青年が住む村、その隣の村、さらにその隣りにある少し大きな町の住人たちにいたるまで、老若男女問わず人気者でした。
そんな彼は、ある日から、毎日決まった時間にいなくなるようになりました。
森の奥のほうへ続く、一本道を歩いていくのです。
その道は、何百年も前には"ある場所"へ続いていたという噂がありましたが、村の老人たちですら、正しくその存在を知っている人はいませんでした。
今では一本道は途中で切れ、その先はトゲのある植物が生い茂り、太陽の光も入らず人が進めるようなところではないと、誰も足を踏み入れ確かめようともしません。
今では、森で遊ぶ子どもたちを間違っても道の奥に行かせないため、
「一本道の途切れた先には恐ろしい魔物が住んでおり、子どもを好んで食べる」
と言い伝えられているのでした。
そんなところへ向かっていく彼を、不思議に思った村娘たち(あわよくば彼に近づきたい娘たち)や、興味本位の子どもたちが後を追ったこともありましたが、いつの間にか姿を見失ったり、道を歩いていたはずが村に帰ってきてしまったりしました。
見失ったあたりで、帰りにまたここを通るだろうと夜まで待ち伏せてみても、村の方から彼が現れ、
「一緒に帰ろう。」
と、優しく声をかけるのでした。
皆がどこへ行っているのか聞いても、彼は素敵な笑顔ではぐらかすばかり。
一度、彼は魔物の使いなのではないか、彼自身が魔物なのではないかと子どもたちが騒ぎたてましたが、彼が赤ん坊のときから知っている大人たちは
「もしそうだったら、おまえたちはとっくに食べられちまってるよ。」
と笑うのでした。
彼と一番仲良しの青年エフがおりました。
彼が毎日いなくなることを心配しつつも、誰にも言いたくないのであればと、無理に聞こうとしない優しい青年でした。
少し大雑把で、少し気位の高いところがありましたが、エフもまた、皆に慕われているのでした。
ある日、二人は森の中で木を切り、村長の家のテーブル作りをしていました。
体力仕事が得意なエフと、細かなデザインや作業に長けた彼は、よく村人たちの家具の制作を頼まれるのでした。
その作業の休憩中、エフが彼に言いました。
「なあ、」
「ん…なんだ?」
昼飯のサンドイッチをほおばりながら、彼はぱっちりとした目をエフへ向けました。
「何をしているかは言わなくてもいい。ただ、毎日毎日、どのあたりに行っているのかだけは、俺にくらい言ってもいいんじゃないか?お前がもし、へんぴなところで突然ぶっ倒れでもしたらどうする。俺は友を助けにいけないじゃないか。」
彼は言いました。
「うーん、そうだなあ。たしかに、お前には良いかなあ。」
エフは驚きました。彼と一番の友であることに自信はありましたが、皆に平等に接する彼は、自分にも何も話さないと思っていたからです。
「言うのか?」
「何を驚いてるんだ。お前が聞いてきたんだろ?」
クスクス笑う彼に、エフは少しムッとして、
「ならばはやく言え。俺が聞かなくても、お前から言ってくれたってよかったんだ。」
と、不満そうに言いました。
「……なにもない場所。」
「ん?」
「なにもない場所だよ。」
「なんだそれは、どこなんだ。」
「一本道の先。」
「トゲのある植物がぼうぼうと生えているあたりか?」
「うーん、そこというか、続きというか。」
「続きってなんだ。」
「そこらの植物がね、うーんと、ない。そう、ないんだ。道は先まで続いているし、途中で分かれ道もあって、村を大きく、こう、囲うように一周してる。」
彼は指で地面に円を描きながらエフに伝えました。
「何を言っているんだお前は。そんな道は見たことがないぞ。」
「はは、そうだよね。そりゃあそうだ。」
にこにこと笑う彼に、エフの不満はつのるばかりでしたが、これ以上は聞いても無駄だろうとため息をつきました。
「……お前は、感情が読めないところがある。村のやつらも、俺にすら、わからないことが多すぎる。」
「そうかな。俺って結構素直だと思うけど。」
「勝手に野垂れ死んでも知らないぞ。」
吐き捨てるようにエフが言うと、
「そんなときは、エフにも道が見えるようになるかもね。」
と彼は言い、サンドイッチの最後の一口を食べ、作業に戻ろうとエフをうながすのでした。
2
「門が開こうとしている。もうここはだめだ。皆をどこかへ、どこかへ…」
「どこへ行こうというのです。生きていける場所など、ないではありませんか。ここ以上に美しい場所など。」
「そうだ。何百年と居ても、息をのむほど美しい場所だ。我々を護ってくださる憩の場だ。だからこそなのだ。この場から離れなければならない。この場が護ってくださるのと同様、我らは御護りせねばならなかった。だがもう無理だ。それができないのであれば、我ら…」
「それができないのであれば、我らここで朽ちるべきでは。」
「……シューリ。」
「陛下、わたくしはわかっております。いいえ、皆わかっておりますわ。三門のうち、ふたつが開いたあの日、皆今日のために心に一本の木を植えたのですわ。」
「……」
「百年ありました。百年もあればそれはそれは立派な大樹になります。木々や花に罪があるなど、誰が思うでしょうか。種族のひとりですもの、王の決断を受け入れられぬ者あれど、責め立てる者などおりませんわ。」
「俺よりもよっぽど肝の据わった民たちだ。……お前も。」
「あなたの一声で、わたくしたちは、今度こそ根をはれます。」
「……この俺の、この悔いすらも養分として、皆が安心して陰で休めるような立派な大樹になれるだろうか。」
「陛下、その優しき御心が、わたくしたちをずっと護って下さいましたわ。そして……そして、アズザール、あなたの妻であれたことが、あなたの子の母であれたことが、わたくしの生になによりの輝きをもたらしました。
王妃としてではなく、ただひとりとして愛するものにひとつ。わたくしとどうか最期のその時まで…その、時まで。」
「ああ。愛しのシューリ、名を呼んでくれてありがとう。」
3
「おい村長、テーブルが完成したんで持ってきた。どこに置く?」
「おおエフ、すまないの。そこの窓際に。」
エフが村長の家に完成したテーブルを持っていくと、部屋ではいろんな形の瓶が、さまざまな色をして、しゅうしゅうと蒸気をたてていました。
「調子はどうだ。何か足りない草でもあれば、また持ってくるぞ。」
村長はここらの集落でいちばんの調合士でした。
薬の調合から香水作り、料理に使う香辛料などにいたるまで、豊富な知識と技術を持っていました。
「いやいや、今は足りておる。ありがとう。
ぬ!むやみに触れるでないぞ!」
エフが、いちばん近くにあった、透き通った青色と深い緑の液体が層になっている小ぶりの瓶を手に取ろうとすると、村長はぴしゃりと言いました。
エフは手を引っ込め、村長におちゃらけた顔を見せると、茶でもどうだと言われ、大人しくソファに腰をかけました。
「やはりお前らの作る家具は素晴らしい。これはリグタの木だ。比較的匂いが薄く、他の香りを邪魔しない。細胞の密度が高く、重く、しっかりしておる。私がこの木を所望していたと、よくわかったな。」
「あいつが言っていた。村長はこの木が欲しいだろうと。俺は、これだと言われた木を切っただけだ。」
「む、そういえばやつはどこへ行った。」
「いつものだ。出かけるとな。」
「またか。まあ、帰ってくるならそれでいい。」
村長は、ボウルのように大きい透明のティーポットに、引き出しから乾燥した植物を数種類、ぱらぱらと手づかみで入れ、湯を三度、八の字を描くように入れると、植物たちがそれぞれ手を取り合うように絡み、湯の中で網状になりました。
「今日はパディオロン・ロムの木・ナブンダとペウォールの気分だ。」
「はぁ、毎度不思議なこった。湯を入れた瞬間はとても飲めそうにない色をしてやがるのに、ものの数秒で澄んでいく。」
「筋細胞の修復促進、ひらめき、心の落ち着きじゃ。」
エフは、ティーポットをそのまま小さくしたような透明なカップを受け取ると、匂いを嗅ぎ、
「女の好きそうなにおいだ。」
と言って口をつけました。
「うまいな。」
「当たり前じゃ。」
エフは一気に茶を飲み干し、カップを持ってきたテーブルの上に置くと、彼が彫った模様を見ながら村長に言いました。
「村長は草木に詳しい。」
「それがどうした。」
「今まで一本道の奥は誰も立ち入ろうともしなかった。切ることもできず、触れれば毒があり危険だとな。さすがにガキの頃の話など迷信していないが、あのへんの植物のことは村長でもわからないのか。」
「あれらは我々が触れていいものではないからな。」
「"我々"とは、誰をさす。」
「相棒がそんなに心配か。」
「そりゃあ、今まで家でちまちまと彫り物や書き物をしていた時間にどこかへ行っているんだ。行く先を聞くと、あの辺の植物の先に進め、『なにもない場所』だとか、よくわからんことを言う。」
「お前は、そんなでかい図体をして大雑把なわりに小心じゃの。」
村長は自分のティーカップにも茶を注ぎ、香りを楽しみました。
「そんなものではない。ただ、いずれそのまま村に戻らなくなる日がくるんじゃないかと…なんとなくそう思っただけだ。
それに孤児だったあいつの親代わりは村長だろう。むしろ俺にとっちゃ村長の態度のほうが……
いや、まあ、俺らも年を重ねた。それはそれで、自分のことは自分でどうにかしろとも思うが。」
「わしからすれば、お前らはまだ幼子だが。」
「村長はよちよち歩きの赤ん坊にも家具を作らせるのか?」
「ふむ、今ある椅子も合わなくはないが、せっかくなら少し背もたれの大きな、このテーブルと同じ装飾のものが欲しいものじゃ。」
村長は自分の分の茶をテーブルにそっと置くと、ゆっくりエフを見てにっこりと笑いました。
「読めないやつらばかりだ。」
呆れたように言うと、手をひらひらとさせて、エフは村長の家をあとにしました。
「全く素直な奴じゃ。茶が効きすぎる。心配せんでも帰って来るぞ…今はな。」
4
「陛下!民を広場に集めました。未開のラーラの門付近に衛兵を多く置いております。また広場の周りは、各出入り口に配置しております。」
「わかった、すぐに向かおう。滞りない手配を感謝する。」
「もったいなきお言葉。」
「ダンドルセン!ゼライヤ=ダンドルセンはいるか!」
「は!」
「すでに開いているふたつの門の様子はどうだ。」
「は!今は敵襲の動きは見られません。時間も時間ですので、やつらが来ることはないと思われます。ですが、念のためボレイル、ツォゴダイム、それぞれの門に腕の立つ者を配備しております。」
「そうか、そちらも問題なさそうだな。」
「はい。」
「お前はこの後どこへ行く。」
「は、陛下へのご報告が済みましたので、私もラーラの門の方へ。」
「家族がいたな。」
「え?ええ、妻が…」
「体調はどうだ。広場に来れているか。」
「細かく確認はしておりませんが、…どこかにはいるかと。」
「その目でどこにいるかを確認してから門へ向かえ。他の衛兵等も、持ち場が手薄になりすぎない程度に家族の居場所を順番に確認させろ。」
「は、、は!」
*
「諸君、突然の招集で不安を覚えた者もおろう。だが察しの通りだ。門ふたつは既に開き、いずれラーラの門も開く。その時は、すぐそこまできている。我らは…護り切れなかった。」
「陛下!我らは門を開かせないためにこの身を挺しております!まだ未開ではありませんか!」
「そうだ!」
「そうです!」
「…皆の言葉は届いておる。全て私が至らなかったがゆえだ。本当にすまない。」
「陛下!!王が頭を下げるなど!!」
「あってはなりませぬぞ!!」
「もはや肩書など意味はない。我ら種族の、ただものとして謝罪を述べている。諸君らから見た肩書はとうに捨てているが、己が誓った決意の責務は全うする。諸君らには恥をしのんで、どうかご協力願いたい。全ては我らが誇りを捨てぬため、そしてこの場への、感謝を忘れぬためだ。」
「陛下…」
「諸君らの命、共に連れて行こうとしていることを重ねて詫びる。張られた根が、穏やかであれることも保証はできない。開かれた門から外の世界へ足を伸ばすこともできる。自身の選択なのだ全ては。背中を押す事があっても、咎める事はない。ただ、このままではいられないことは、理解してもらう他ない。」
「我らの理解に及ばぬ生き物が、我らを追いやった。諸君らの胸にある憎しみも間違いではない。だがそれよりも、この場への思いが強くある。諸君らが住まうこの場を、私は愛している。」
「シューリ様も…同じようにお考えなのですね…」
「はい。わたくしの心は、常に陛下とあります。」
「皆さまには、この期に及んでも伝えきることのできない感謝がございます。わたくしも母であります。小さな子らまでも、このようなかたちで連れていくことに心が痛まないわけではありません。ですが、このような幸せもあると信じてやまないのでございます。なぜならわたくしたちの特別な力が、今まで素晴らしきこの場を護り、今日までの繁栄に導いたのですから。」
「シューリ様…」
「急かすようだが、あと一時間後には薬を配る。悔いの残らぬようとは言わぬ。誰であれ、悔いは、残る。
それでも選択をしてくれ。」
5
「エフ。」
「なんだ。」
「突然なんだけど、俺しばらく村を離れるよ。」
エフはその言葉を理解するのに時間がかかりました。
何故か、青年が本当にもう戻らない気がしてなりませんでした。
「なんだと?」
「もう少しなんだ。」
「なにがだ。」
「内緒。」
「なんなんだお前は!」
「はは。エフは、大雑把なわりに小心なところがあるよね。」
「何が言いたい。俺は、男として力をふるう必要がある場面はもう知っているぞ。」
「そんな怖い顔しないでよ。」
「また『なにもない場所』だとかか。何をしているんだ。言いたいことがあるなら言え。いつ戻るつもりだ。……クソ!なぜ俺はお前なんかにこんな女々しいことを言わねばならない!」
「あはは。」
「笑いごとではない!!」
エフは、必死に言いました。
「俺も行こう。」
「無理だよ。」
「何が無理なんだ。」
「だってトゲがあるでしょ?」
「お前にとってはないんだろう。」
「無理やり来ようとしちゃダメだよ。エフには然るべきときが来る。そのときは村長と一緒に来てくれ。」
「なぜ非力なお前が一人で行く。……もうあのときの俺じゃないぞ。」
「それは俺がいちばんよくわかってるよ。」
*
二十年前
「なんだおまえ。」
「こいつをお前に会わせたくて連れてきたんじゃ。歳は…お前と同じくらいだったかの。」
「ふーん?おまえ、なまえは?」
「……」
「なまえは?」
「…エフ。」
「エフ!おれとなにする?おれ、外でられないからさ、家のなかであそべることしよ!ほらこれ!おれがほったやつ!どう?」
「……」
「すごくない…?」
「すごい。」
「だろ!おまえはなにがすき?」
「……いわない。」
「なんで?すきなことおしえろよ!」
「おれがすきなことしたら、みんなこわいって。おれ、ちからつよいから…。」
「エフ、ちからあるんだ!すごい!これ、これもてる?この木のやつ!」
「…うん。」
「すごい!ほんもののちからもちだ!エフ!次におれの家くるとき、この木、とってきて!それで、うちでこういうふうに切ってよ!そしたらおれ、それにもようつけるから!そしたらほら、おれらだけのさく品ができるぞ!」
「おれもいっしょにつくるの?」
「そうだよ!エフがいなきゃ、できないさく品をつくるんだよ!すごいやつ!」
「!……うん、!」
*
「俺がやらなきゃいけないことなんだよ。」
「俺が手伝えばいい。今までもずっとそうだった。」
「俺が帰ってきたら、今度は村長の家の椅子にとりかからなきゃな。あれと同じ木、切っててくれ。」
「…リグタだな。」
「お前も木の名前覚えられるようになったのか!ああ、頼むよ。」
エフは彼を送り出すことにしました。そしてその日から十年、彼は帰ってくることはありませんでした。
6
「種族を恨むことになってしまったこと、申し訳なく思う。」
「何を言う。当然の道理だ。むしろわしの作ったものを、皆よく飲んでくれる。反感もあったろう。」
「いや、民には伝えていない。」
「なに?」
「これは私が背負うべき罪だ。引き受ける罰だ。全てを皆に言う必要はない。」
「そうか…」
「無論、お前が気に病む必要もない。お前は我らの救世主だ。皮肉な事だろうが、その技術の更なる成長を私も願っている。」
「お前が私を一人として見てくれた。お前は素晴らしい王だ。」
「優秀な男に言われるとその気になってしまうな。」
「未来永劫、その気は持つべきだ。たとえどうなろうと。お前は少々優しすぎるぞ。本当に族長なのか?」
「はは、俺も年をとったかもしれん。
全盛期はもう少し、手荒で名を馳せていたはずだがな。」
「わしと出会ったころにはもう棘は抜かれていたということか。」
「それはどうだろうな。」
「……」
「……」
「そろそろだ。協力を感謝する。あとのことは頼んだぞ。」
「ああ、静かに眠れ。」
「出ていくものは、その身末永くあらんことを。ともに眠るものは、この薬瓶を手に取れ。」
「ゼライヤ?ゼライヤ、どこなの?」
「ここいいるぞ。どうだ、俺の子は。」
「さっきまでお腹を蹴っていたのだけど、今は大人しくなったわ。眠る準備をこの子もしているみたい。」
「そうか、優秀な子だ。お前も誇り高き我ら種族の一員だ。その姿を見ることはできなかったが…お前を愛している。お前の名を手に眠ることにしよう。」
「我らがアズザール王に!」
「アズザール王に!」
「…出ていくものは、いないのか……」
「アズザール、誇り高き我が王、そして最愛の…」
「誇り高き民たちに!」
「シューリ、そして我が息子、悠久の眠りの中で、変わらず君らを愛そう。」
*
「効果は問題なかったようじゃな。アズザール。たくさんの芽吹きだ。時間をかけてお前らはこの地に根を張る。茂り、その身を体して護るぞ、安心して眠れ。」
「…?な、赤子、、、??どういうことじゃ、母を通してでは効かなかったのか?」
「…そうか、生まれたか。お前は抗ったんじゃな。いつかこの地を元に戻すことができるかもしれんな。」
7
青年が村を出てから十年後
「おい村長、呼んだか。」
彼が村を出てから十年の歳月が過ぎました。村人たちは最初こそ心配していたものの、もうどこかで妻でも娶り、暮らしているのだろうと思いました。
エフだけが変わらず彼の帰りを待っているのでした。
「ああエフ、付き合ってほしいところがある。」
「木を切るのか?どの木だ。わざわざ村長が出なくても、もう俺は種類の見分けもつくぞ。」
「そんなのは知っておる。お前を連れていきたい場所があるんじゃ。」
「場所?」
「あやつのところじゃ。」
「は?」
「着いてこい。」
「どういうことだ村長。あいつの居場所をずっと知っていたのか?おい、おい!」
村長はエフの質問には答えず歩き出しました。
エフは色んな感情を抱えながらも、村長のあとに着いていきました。
村長は一本道を進んでいきました。だんだんと陽の光が当たらなくなり、トゲの植物が増えていきます。
「止まれ。これを飲め。」
「なんだ、また茶か?」
「いいから。」
エフはわけがわからないまま瓶に入った液体を飲み干しました。
「時間がかかってしまった、このわしでもな。すまない、アズザール。」
液体を飲み干すと、視界が急に明るくなり、エフはぎゅっと目をつむりました。
次に目を開いたときには、目の前のトゲの植物がなくなっていました。
「なんだここは…いや…なにものだ…?」
先ほどまでトゲの植物だったものが、生き物が眠る姿に変わっていたのです。
「かつてわしら人間が滅ぼしたものたちじゃ。」
「滅ぼした?」
「人間からは、魔族と呼ばれていたな。」
「どういうことだ。実在していたと?」
「そうじゃ。じゃが言い伝えられているような邪悪なものではない。少なくともこの場にいた皆は、自然を愛し、自然に愛されたものたちじゃった。」
「慈しみの心が草原を生み、彼らの息吹きが花を咲かせた。地もそれに思いを返すかのように彼らを護った。人間の手から。」
「…襲われたわりには、ただ眠っているように見えるが。」
「ああ、眠っている。わしの薬液で眠らせたのじゃ。」
エフは目の前の光景が信じられませんでした。たくさんの幸せそうな寝姿が並び、そして行き止まりだと思っていた先に道ができたのです。
「あいつが言っていた。道は先に続いていると…」
「進もう。」
村長はまた歩き出しました。魔族の寝姿を横目に、エフを後ろを着いていきます。
「あいつは魔族だったのか?」
「生まれは魔族じゃ、じゃが年数をかけて身体を変えた。わしの薬でな。幼少の頃、外に出せなかったのはそのせいじゃ。」
「家族はいないのか。」
「眠っている。本来ならばあやつも眠るはずじゃった。まだ母親の腹の中にいたからな。じゃが運命とは奇であるの、あやつは生まれた。わしが引き取って人間にしようとした。それがわしにできる罪滅ぼしじゃと思った。」
「これは、村長の罪なのか。」
「彼らにとってはどうだかわからん。ただ、わしの胸がすくことはなかった。この二百年。」
「二百年?村長も人外か?」
「わしは人間じゃ。でもまあ、何をもって人間と呼ぶか、じゃな。わしも己に投薬している。」
「つまりあいつは…故郷に帰ったと?」
「生まれたときからわしと居る。家族がいないことも、自分が魔族であることも知らなんだ。それでいいと思った。わしが死ぬまでには完全なる人間にしようと。じゃがメモを見つけた。」
「メモ?」
「父が書いた、あやつの名じゃ。わしが見つけたときにその手に握っていた。恐らく父が眠る前に持っていたものじゃろう。」
「それを見ただけでこの場がわかったのか。」
「不思議な力があるものじゃ。導かれるように、吸い寄せられるように、あやつはこの場に来た。」
二人が足を止めた先に見えたのは、それはそれは美しい大自然。
色とりどりの花と草木、極彩色に広がる世界はこの世のものとは思えない鮮やかな風景でした。
「まるで…楽園だな…」
「はは、似合わんな。」
「人間は、どうして魔族と戦った。」
「戦いというよりは、排除に近いな。魔族は手を出していない。」
「それで争いが生まれるのか?こういうのもなんだが…先に魔族が人間に害をなしたんじゃないか?」
「種族でばかり語ろうとするなど、なんと視野の狭いことじゃ。そこにあるのは個であり、多種多様な思いである。もちろん己の種を誇ることは必要じゃが。」
「小さな綻びが広がってしまったとて、滅んでしまって仕様が無いとは言えん。言ってはこの世は、何も救いがないではないか。」
「……」
二人は広がる世界を進み、一人の魔族を前に村長をは足を止めました。
「友が居なくなり、悲しみを抱くのは自然の摂理じゃ。」
「村長は、友とどうやって出会った。」
「さあな。もう忘れた。」
「忘れても涙が出るのか。」
「そうじゃ。再会は喜び、お前もそうじゃろう。」
そう言って村長が指さした先を見ると、ゆっくりと歩いてくる人影が見えました。
「あれ?リグタの木、持ってきてくれてないの?修理もだいぶ終わって、あとはお前が持ってきた木を彫ってあそこの門にはめるだけなんだけど。」
「…今ではお前のほうが力があるんじゃないか?」
その言葉を聞くと、青年は笑いました。
青年の背中には、美しい羽が生えているのでした。
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