路.
1日目
今日から、あなたさまへ向けて日記を書こうと思います。
そろそろでしょうから、少しずつ綴っていきますわ。
なんでわかるのかって?だって、ずっとそばにおりましたもの。もう何十年も私はここの居るのだし、あなたもそこに居るのだから、わからないはずがないわ。
あなたはあんまり信じていなかったけれど、現にこうして、感じていますからね。
声にするのは難しいですから、文字にしておきます。
私は恥ずかしいことなんてないもの。あなたのことを、たくさんたくさん書いてあげますよ。
2日目
自分のためにも丁寧にごはんを作るようになりましたね。
元からお料理はお上手だったと思いますが、私には、家族になったんだから手間をかけなくてもうまかったらいいだろうなんておっしゃって、そのくせ私がつくるものには厳しいのですから困ったものでした。
とはいえ私にも実家で鍛えてきた腕がありますし、それなりに自信もありましたよ。
生姜を入れたお味噌汁、最初はお嫌いでしたね。せっかくの味噌のにおいを邪魔しているとおっしゃって。でもあなたがお風邪を召されたり、体調を崩すたびに、お味噌汁以外同じものを食べているはずの私がぴんぴんしているものだから、腑に落ちないご様子でしたね。突然、明日からは俺のにも入れろっておっしゃった顔、今でも鮮明に覚えていますよ。
とってもおかしくて、かわいらしかったわ。
それ以来、欠かさず入れてらっしゃいましたね。私はもとより体が丈夫なほうでしたから、きっと生姜のおかげだけではなかったと思いますけれど…ふふ、美味しいでしょう?気に入ってくれてよかった。
3日目
出不精だったあなたが、よく散歩へ行かれるようになりましたね。
いつもの散歩道で素敵な出会いもあったでしょう。
あら、気づいていないとでも?私はなんだって知ってるわ。
最初は本当に、あの茶ぶちの大きな野良猫目当てだったんでしょうけど、だんだんと目的が変わっていったじゃありませんか。
いいえ、責めてるわけでは。気の移ろいのひとつやふたつ……とても綺麗で聡明な方でしたものね。
でも、あの方は突然いつもの川沿いの橋に来なくなった。あなたはそれが何故だったか、今もご存知ないですね。それは、あなたのお財布の中に入っていた私の写真が見えたからですよ。
聡明なあの方は、たったそれだけですべてに気づいたようだったわ。
最後に挨拶しようと思っていたようだけれど、ご実家の都合でね、お見合いが早まったのですって。だから来られなくなってしまったのよ。
でも、ちゃんと今は幸せそうですよ。
思いも寄らない、望んでもいなかった出会いが幸せにつながること、私はよーく知っています。あなたもそうでしょう?
そうだといいわ。
初めて雨の日にあの方とお会いしたとき、足の古傷が痛みませんでしたよね。
それだけで私は、"もういいかもしれない"と思いました。本当よ。
でも、でも正直に申し上げると、やっぱりどこか寂しかったわ。自分勝手でごめんなさいね。
あなたが家に帰ってこなくなってしまうと考えたら、私は、
消えてしまいそうでした。
4日目
季節の花を飾るようになりましたね。
手入れが必要だと気がかりで落ち着けないとおっしゃっていたけれど、やはり目の前にあると気分が違うでしょう。
花屋の秀さん、あなたが庭いじりにのめり込んでいくのをいいことに、育てるのに根気のいる難しい種類ばかりおすすめしていたのご存知でしたか?元来世話焼きのあなたが、予想を裏切らずに水や肥料を与えすぎて次々枯らしてしまっていたのはもうだいぶ前の話ね。
私がブーゲンビリアが好きだと、いつお知りになったの?私、言ったことあったかしら。
名前が『菊』だからって、祝い事には必ず菊の花を贈られることにうんざりしていたの、わかってらっしゃった?
それでも、お付き合いを始めた日、あなたからもらった菊は本当に嬉しかった。実家のお部屋のね、いちばん目に入るところに飾っていたの。あなたと一緒になるために家を出るか悩んでいたときに、勇気をもらったのよ。
「私がここに残るから、あなたは行きなさい」って、言われているような気がしたの。
それ以来菊の花も大好きになったけれど、あなたが秀さんに私の好きな花だと伝えて、大事に大事に育てて、真っ赤な花を咲かせたときにやっぱりブーゲンビリアがいちばん好きだと思ったわ。ふふ、調子がいいかしら。
5日目
少し疲れましたね。私も同じです。
痛みはもうないはずでしょう。でもね、こんなに蒸し暑そうで、雨が降る日はどうしても…思い出してしまいますね。
今だから言いますけれど、お相手の方も、それはそれは悔いていらっしゃったのよ。あの日は、ずっとご病気で入院されていた御息女が手術後やっと目を覚まされた日だったんです。私たちに子どもはできなかったけれど、もし、あなたが同じような立場だったら、いの一番に駆けつけたくてやはり急いでしまったと思うわ。
だから許しましょうだなんて言わないけれど、私はね、この世の中で生きていこうとする上で、そういうことはあるものだと、起こりうるものだと思ったら、すべてストンと落ちたのよ。
だから私はもうずっと前から大丈夫なの。
あなたはただ静かに私と一緒に一生暮らそうと決めてくださいましたね。謝罪も、お金も、何もかも受け取らずに今日まで。私の両親からひどい言葉を浴びせられても、一生のうちでそれだけを守ろうと決めてくださいました。私も、あなたの罪の意識の隣に、ずっと居りましょうと思ったわ。直接心に触れられなくても、声が聞こえなくても、ここで伝え続けようと思ったのです。
もうすぐね。
あなたも全部、大丈夫にしてさしあげたいわ。
6日目
気分はどうですか。今日は風が気持ちよさそうですよ。
先生が手を尽くしてくれて安心しました。突然お倒れになったとき、私も気が動転してしまいました。運良くすぐに秀さんが見つけてくださってよかったわ。
学生時代、駅であなたが友人を庇って階段から落ちて、頭から血を出されたときとおんなじ。何十年経っても傷つくのを見るのは慣れないわね。あなたは冷静に、
「頭は血が流れやすい、これぐらいはなんてことない」
と真顔でおっしゃるのと、私が青ざめた顔でおろおろしてるのをキミちゃんが見ていたのですって。あまりにも対照的で面白かったなんて言うものだから、私、不謹慎よってものすごく怒ってしまった。
それでもキミちゃんは私を許してくれた。家を出る日、私たちのことを笑顔で見送って、あの日からもずっとあなたを心配していたわ。
たまにね、私は会いに行っていたの。一緒に写った写真を今でも飾ってくれていた。
私の両親もね、晩年はあなたのことをとても気にしていたのよ。あなたに浴びせた言葉の数々を思うと、私はキミちゃんが私を許してくれたように許すことはできないわ。
でも今になって思うと、私は、私たちは、
とても愛されていたのね。
7日目
最期になりました。
たくさん書いてしまったわ。あなたが来たら、声に出して読んであげましょうかね。ふふ、どんなお顔をされるのかしら。
言葉を交わした期間がどれだけ短くても、たくさん思い出があるわ。あなたの人生を、すぐそばで見続けることができて本当によかった。
これはね、お手紙でもあるの。
私が死んでからも、60年間愛し続けてくれた重頼さんへ。
あの蒸し暑い、土砂降りの雨の事故の日から、私を守れなかったと自分を責め続けていた重頼さんへ。
私の両親からの心無い言葉に、頭を下げ続けてくれた重頼さんへ。
愛しているわ。
あなたをずっと愛してる。
生きていても、死んでいても、それだけが私のすべてだった。
きっとこれからもそれだけなのよ。
ああ、もう眠いですね。
おやすみなさい重頼さん。
あなたはいつも、そんなことできないと言ったけれど、私だって60年間待ったのだもの。
目が覚めたら、私の目を見て、ぎゅっと手を握ってね。
