カメレオン
「今の顔、本当に素敵。」
嫌い。
誰よりも私を心から肯定した言葉だったから、大嫌いになった。
目覚ましの音が鳴る。
私は、その音が聞こえるどれくらい前からかもわからないほど、座って、膝を抱えていた。小さな窓から空を見て、考えることをやめたいと考えながら日が昇っていくのを見ていた。
一日の始まり。これから近所の人たちがぞろぞろと家から出てきて、各々の目的地へ向かう。サラリーマンのおじさんはいそいそと小走りで駅へ向かい、おむかいの竹田さんはマルチーズの「マリン」の散歩をする。しばらくすると佐々木のおばちゃんがゴミを出しにでてきて、周辺の掃除もしながら通る人通る人みんなに挨拶をして、制服を着た私もそこに参加する。
「あらおはよう、今日も可愛いわね」と言われて、
「そんなことないですよ、でも、ありがとうございます」と口角をあげて、返す。それから――
「花蓮ー?そろそろ起きたらー?」
お母さんが呼んでる。
「…はあい!」
声のトーンはこれで大丈夫。同じ、一日の始まり。
テレビから朝のニュースが聞こえる。
芸能人の不倫報道、迷惑系動画配信者の選挙出馬、国民的アイドルの電撃引退に、日本人メジャーリーガーのヒーローインタビュー。
色鮮やかな画面、でも、毎日同じ色。
【__"若手俳優英レオ、弱冠十六歳で新人賞総ナメ"__】
「まあ、この子また賞獲ったのね。花蓮と同い年で、すごいわねえ。」
「すごいね。綺麗だし、演技も見入っちゃうもんね。」
「……あー、花蓮、今日は塾ないわよね、…はやく帰ってくるの?」
お母さんが、遠慮がちに聞いてくる。
「……うーんどうだろう、もしかしたら友達と遊びに行くかも。ほら、駅のところに新しいドーナツ屋さんができたから。」
私は口角をつりあげて返事をする。糸で引っ張られるマリオネットみたいに、私の意思の外側で表情筋は動いている。
頭の中ではカラカラと音がしている。
「あら、あら!いいわね!たくさん遊んでいらっしゃい。帰りに連絡いれてくれればいいから。」
「うん、わかった。」
「じゃあ、行ってきます。」
「行ってらっしゃい。」
「あら、花蓮ちゃんおはよう。今日も可愛いわね。」
「佐々木のおばちゃんおはようございます。そんなことないですよ、でも、ありがとうございます。」
「若い子が丁寧にねえ、いいのよそんな謙遜しなくても。」
「あはは、行ってきます。」
学校に着くまでの道で毎日考える。世間一般の十七歳が何をどう思うのか。狭いコミュニティで生きていくためには。同じものを好いて、同じ人を嫌うためには。
リアルがだめならネットかと思ったけど、SNSは息抜きにもならなかった。
なんか、あほらしくて。
まあ、そんなもの気にしているほうがバカバカしいと思いつつ、善にも悪にもなれないのならせめて、右を見て、左を見て、みんなと同じ間隔で歩き続けるしかないんじゃないかって思うんだけれど。
普通とずれている不安があるくせに、同じと括られるのも違うと思ってる。人と同じは盾になる、でもその盾の内側は、不快感の溜まり場だったりしてる。
「あ~、笑える。」
答えが出ているように見えて、それでも毎日同じように反論めいたセリフの数々を考えることを"思春期"と呼ぶんだとしたら、私はだいぶ浸ってしまっているらしい。
校門をくぐると見たことのない大きな黒い車が止まっていた。
うちのクラスの担任が運転手と何か話しているみたいだった。何人かの生徒はいつもと違う風景に疑問を持っていたようだけれど、私同様、何事もないかのように校舎へ入っていった。
「花蓮おはよ!」
「しゅうちゃんおはよ。」
「ねえ花蓮あのさ、」
「現国の宿題でしょ、いくつか解釈書いてるから選んでいいよ。しゅうちゃんが書かなかったやつで私提出するから。」
「きゃー!花蓮さっすが!わかってる!持つべきものは花蓮という名の友だちだよね!」
「もう、調子のいいこと言ってないではやく写して、私提出できなくなっちゃうでしょ。」
「はいはい花蓮様!ありがたくお借りしま〜す!」
「花蓮と周子おはよ~!周子の手にあるのは?」
「よく見つけましたな真綾殿、こちらは天才花蓮様の現国のノートでございます。」
「神々しい!!目も当てられない!!」
「目も当てられないの使い方違うよ、、」
「みんな何騒いでんの~てかマジありえねーから聞いて~」
「ちいこおはー!今日もまたアンニュイだねえ。」
「どうしたの、また男か。」
普通の女子高校生というものは、ともだちがいて、かれしがいて、だるいことがあって、うざいやつがいて、そういったあれこれを共有することで繋がりを得ている。自分自身にはなんの疑問も持たず、周りの環境が気に入るか気に入らないかで話をする。何事も提供されるのが当たり前で、不都合は徹底的に排除しようとするその行動の歪さがわかってない。頭でカラカラと音がする。
「席つけー。転校生紹介すっぞー。」
チャイムが鳴ったと同時に先生が教室に入ってきた。
その後ろを白くて長いコンパスのような足がついてくる。
きっちり閉められたブレザーの前ボタンがゆるみもなくまっすぐこちらを向いたとき、その転校生の顔をクラスの各々が自らの頭にある記憶と結びつけている間に、先生が言う。
「ほい、挨拶して。」
「初めまして、英玲央です。よろしくお願いします。」
恐ろしく白くてきれいな顔が美しく笑ったのを見て、歓声がクラス中に響いた。
男子も女子も声を上げる。うそ!マジ?本物だ?うわー!
多方面からのとんでもない声量に先生は落ち着けと面倒くさそうに頭をかいた。
今一番世間に注目されている女優様がクラスメイトになったらしい。仕事柄、遅刻早退も多くてみんなに迷惑をかけてしまうからと、一番後ろの扉側、もともと私の座っていた席に彼女は座ることになった。
一つ横にずれた私に、
「ごめんね、ずれてくれてありがとう」
と彼女はにこやかに言った。
朝のHRが終わった瞬間に、彼女の周りに人だかりができた。
この数十分でどこから聞きつけてきたのか、他クラスの人らまでも一目女優様を見ようと扉やベランダから入ってきた。
私は席に座っていられなくなり、しゅうちゃんたちのいる窓側の席まで移動した。
「いや~まじであの英レオじゃん。すげ~。」
「ね、きれいな子だね。」
「あー、きれいだけど怖くね?色白すぎて。」
あ、
「うん、わかる。人間じゃないみたいだよね。」
「あんな囲まれてずーっとニコニコしてて、」
始まる、
「調子に乘ってるっぽくてウザくない?」
女子高校生というものは、うざいやつを共有することで繋がりを得ている。
そんなことないと偽善垂れるようなやつは、まずは私に示して。
昼休みになるとしゅうちゃんたちが女優様を呼び出した。
教室にいた子たちはしゅうちゃんたちの声が聞こえた途端静まり返って、さっきまで女優様と話していた子たちすら下を向いて、ただこの時間を、息をひそめ過ぎるのを待つかのように微動だにしない。
女優様は一瞬、その空気に不思議そうな顔をしたが、すぐに笑ってついてきた。
校舎裏にある、今は使われていない小さな倉庫。お決まりの場所。
先ほどまで、
「これから仲良くしよー、あたしらのヒミツキチ連れてったげる!」
と馴れ馴れしく絡めていた腕を急にふりはらい、真綾が女優様を突き飛ばした。
「はっ、ウケる。いくらなんでも弱っちすぎない?」
「芸能界でちやほやされてるから世間知らずなんじゃないの?」
「あんまちょーしのんないでね。あたしらこういうことふつーにやっちゃうから。」
三人が女優様を囲んで見下ろしている。女優様は今にも泣きだしそうな顔をして、全身が震えていた。
倉庫内には今までの残骸がたくさんある。たばこ、破れた制服、いざという時の隠しカメラ。彼女たちのお楽しみグッズもまた、女優様を取り囲んでいるようだった。
起き上がろうとした女優様の腹を、ちいこが蹴とばす。
女優様は思い切りせき込み、うずくまって泣き出した。
それを見てにやにやとしている三人。ほんと、楽しそうにやってる。
「じゃーねレオちゃん、またあそぼ??」
しゅうちゃんたちの後ろについて、女優様だけを残し私も倉庫をあとにした。
「花蓮、英レオどう思う?」
「え?」
「次のターゲット、あいつでいいよね?前のは転校しちゃったし。」
「あー、うん…そうだね。あの、私トイレ行ってくる。」
「え、あたしも行こうかな。」
「いや!みんな先行ってていいよ。ほら、次箱センだから、少しでも遅れるとウザいじゃん。」
「たしかにー。じゃあ花蓮もはやく来てね!」
「うん、あとでね。」
聞かれてしょうがなく答えちゃったけれど、さすがに芸能人はまずいと思う。こういうところがしゅうちゃんたちは甘い。様子を見に行って、本人に教えてあげよう。
きっと彼女が行ける学校なんていくらでもあるし、こんなとこはやく出てったほうが彼女の為だ。
急いで倉庫のほうに戻ると、中からブツブツと話し声が聞こえてきた。
「うーん、さっきの違かったかしら。でも普通の女子高校生ってたぶん最初いじめに負けちゃうし、しばらくは言いなりよね…そこから弱いままじゃだめだって一念発起でいじめっ子たちに立ち向かっていく話が定石?でも教室の子たちもビビッてたしなあ…今までのこと聞いて教えてくれるかなぁ……、とか言ってべらべらしゃべりだしたりしてね。ノンフィクションでうまい反撃とかって、できるものなのかしら。うーん、いっそ見過ごしてた先生たちもろとも巻き込んでいく復讐劇の方がシナリオ的に…」
「あ、あの…」
「あ?」
女優様は砂ぼこりまみれになった制服のまま、ちいこが置いていた折りたたみの小さな鏡を見ながらしゃべっていた。
「あの、大丈夫?」
「……集団の一人。」
無表情でこちらを見た。
私は予想だにしていない姿に驚いてしまって、言葉がしどろもどろになる。
「あの、さっきは、痛かったよね。あの、」
「その顔は何?」
「え?」
「それはどういう感情で出してる顔なの?罪悪感?私が純粋に可哀想だった?転校初日に目つけられて呼び出し、腹を蹴とばされた様を見てどう思ったの?ほかの三人と違ってたわよね、目逸らしたり。でも全部に拒否反応ってわけでもなさそう。ざまあみろって感じでもないよね。あなた偽善者?」
「は、は……?」
彼女は突然鼻と鼻が触れてしまうんじゃないかと思うほど顔を近づけてきて、きれいな瞳から溢れた宝石のような涙は消え、瞳孔の開いた視線がまっすぐに私に向けられた。
「あ、これしちゃいけないんだったわ。」
冷静さを取り戻したかのように声のトーンが落ち着いた。
私と距離を取り、軽く握った手で小刻みに自分の頬をトントンと触りながらまたブツブツと話し始めた。
しばらくしてから、呆然と立ち尽くしていた私に気づいて、彼女は席を譲った時と同じにこやかな顔に、少しだけ眉を下げて
「ごめんね、心配してくれてありがとう、大丈夫だよ。」
と言って倉庫を出た。
彼女の後ろ姿は少し背中が丸まり、歩幅は小さく校舎のほうへ向かっていく。
その異様な後ろ姿が消えるまで、私はその場を動けなかった。
それから、しゅうちゃんたちのいじめは定期的に行われた。
さすがに芸能人だし、表立って証拠が残るようなことは控えていたけれど、移動教室で違うところを教えたり、靴を隠したり、そんなちまちましたしょうもないことを繰り返していた。
それでも、もともと女優様が学校に来る頻度も少ないこともあって、頻繁になにかあるわけじゃなかった。その間他の人に矛先が向くこともなかったから、クラスの子たちはむしろ安心しているみたいだった。
女優様がたまに学校に来たときはずっと一人だった。"念のため""一応"なんて言葉が聞こえてきそうなほど、初日とは打って変わって周りは彼女と距離をとるようになった。
誰かSNSにでも晒せばいいのに、誰もそんなことしない。その後を見越しての自己防衛策なのか、あの子たちも実は楽しんでいるのか。
ほんと、バカみたい。
現実には、助けてあげようなんて正義感溢れる良い人とかいない。いじめられてるやつを助けて代わりにいじめられるやつなんていない。
ただなんとなく、流れで、ターゲットが移り変わっていくだけ。
だっていじめる理由なんてなんだっていいし、友だちでいる理由も、いない理由も、あとからいくらでも作れる。
後付された関係性の名前だけを、いいように勘違いしているやつらばっかり。
やっぱり、すぐにでもこの学校を離れたほうがいいこと、彼女に言ってあげなきゃ。
「こんなところで食べてるの。」
私が声をかけると、彼女は一瞬真顔をこちらに向けたが、すぐにいつものきれいな笑顔に戻った。
「新条さん、どうしたの?」
「その顔、やめていいよ。もう私あなたの本性?見たし。」
「なんのこと?」
「まあそんだけ上手だから、あれが本性かもわかんないか。」
「新条さん難しい話するね。」
彼女はにこにことお弁当をつつき始めた。
「…そっちのが楽ならそれでもいいけど。しゅうちゃんたちにしょうもない嫌がらせされて、クラスのみんなからもハブられてんのになんで学校来るの。撮影?で忙しいんだったらさ、別にいんじゃないの高校なんて。」
「…」
「バラしちゃえばいいのに。」
「え?」
「というか、あなただったらメディアの力を使って公にできるんじゃないの?もうわかってるかもしれないけど、しゅうちゃんたちは常習犯だし、やめないよ。来なくなるまで。真綾もちいこもみんな裕福な家庭の生まれで、親を盾にしてなんでもできると勘違いして遊んでるだけ。先生たちも問題を起こしたくないから知らんぷりで誰も止めない。世間では、生徒が死んでから知りませんでしたーなんてうそっぱちの謝罪会見を開くような教育者もどきがこれでもかって叩かれてるのにね。みんな他人事だと思ってる。でも、あなたは今話題の女優様だし、やっぱりちょっと周りの対応も違うんじゃない?誰にも話してないの?」
「…話してないわ。言うほどひどいこともされてないし。
最初に連れていかれたあの倉庫にあったものを考えると、私はあからさまに手加減されてるでしょ。」
「自分のいじめられ方を分析してるなんて、芸能人って本当に変なんだね。もっとひどいことされてきたからとか?」
「うーん、まあ。こんなのはかわいいもんだとは思うわ。でもそれより…」
「それより?」
「私、感じないの。何も。」
「慣れっこってこと?」
「というより、私自身から出る感情がないって感じかしら。
何も思わないのよ。何に対しても。」
「なにそれ。」
「なんだと思う?」
「は?」
「感情のない人間は本当にいないと思う?感情がなくなる原因が必ずあると思う?私の"これ"は、全部学習結果でしかないのよ。こういうパターンのときは、だいたいの人間はどういう感情になるか。どういう振る舞いをすればそれが相手に『そう思っている』と伝わるのか。ピースを集めて、当てはめて見せているだけ。」
「家でショックなことがあった?」
「いいえ。」
「虐待されてるとか。」
「いいえ、父も母も絵に描いたように私を愛している素敵な人よ。」
「…そう思い込んでいるだけじゃないの。」
「そうね、そういうバックボーンがあれば説明できるのにね。私には何もなかったの。ずっと。そのせいで父と母は気を病んでたくらいだわ。
おもちゃを与えても喜びもしない。おねしょをしても泣きもしない。病院に連れていかれたこともあったけれど、いたって健康だもの。
失感情症なんてものがあるけれど、それにも私は当てはまらない。
サイコパス診断とか、やったことある?ここに木の絵を描いてみてって言われて、当時父からもらった絵本で見た木をそっくりそのまま描いたわ。その絵本が好きだったからその木の絵を描いたのね?って聞かれて、ただ写しただけって言ったらまたどこかへ連れていかれると思ったからうんって言った。母は喜んでたわ。私に好きという感情があったって。
それから"真似"すればいいんだって思って、色んな本や映画を見て勉強したの。」
「ふーん。」
「興味なさそうね。新条さんは私に学校に来るなって言いに来ただけ?」
「来るなとは言ってないよ。でもしゅうちゃんたちはやめないし、あなたがそのままでいるより誰かに話して転校でもSNSに上げるでもすれば楽になるんじゃないかって…」
「それ、今までの子たちにもしてきたの?」
「それ?」
「楽になる方法?の伝授?」
「伝授っていうか…だってクラスのやつらとか何もしないじゃん。見てみぬふり。ずっとそう。あなたほどの有名人すら無視すんだよ?終わってるでしょ。」
「新条さんて、おもしろいかも。」
「…なに。」
「ううん、なんでも。ご忠告どうもありがとう。検討するわ。」
お弁当箱を片付けてそそくさと行ってしまった。
本当に考えてくれるんだろうか。頭でカラカラと音がする。
「ねえ花蓮。英レオ、あんまり学校来なくてつまんなくない?」
「え?うん…そうだね。」
ああ、そろそろしびれを切らすと思った。そうだよね、いつもはもっとやりごたえあるもんね。女優様相手じゃできること限られてて物足りないよね。
「次もうひとり誰か探すー?」
「どうする?花蓮。」
「うーん、ちょっと考えてみるよ。でもみんなのほうがはやく思いつくと思う。」
「そうだね、たしかにー!」
「あたしら気にいらないやつばっかだしな。」
「でもあたしらに気にいられないほうが悪くない?」
「それなすぎ。」
そう、なんだっていいんだよ。全部ただの暇つぶし。ただ排除していけばいいのよ。それがどれだけ頭の足りない行動だったとしても、足りないことに気づく機会すらないんだから。
「前に使ったあの薬さー、倉庫にまだ残ってたよね。」
「あーあれね。前誰に入れたんだっけ?織田?」
「そうそう!うわ!懐かし!吐くだけにできるようにほんの少しだけ飲み物に入れたんよな!量の調節は花蓮がほら」
「私購買行ってくる。」
「え、あ、花蓮、私も行く!」
「いいよ、すぐ戻って来るし。」
「ううん、あたしも買いたいの!ね、真綾とちいこも行くよね。」
「うん、行く。」
「行くよあたしたちも。」
「…そう?じゃあ、行こっか。」
変なの。いつもは着いてこないのに。
「あ、」
購買に行く途中、遅刻してきた女優様と出くわした。
「レオちゃんじゃん。今日も遅刻?優雅でうらやましー。」
「新条さんたち、おはよう。」
本当に綺麗な顔して笑う。嫌がらせの犯人たちを前にして。
「ねえねえレオちゃんさー、今日は最後までいるの?」
しゅうちゃんが女優様の手を取った。ちょうどいいタイミングだと思ってるんだ。
「うん、いるよ。」
「え、じゃあさ!放課後ちょっと遊ぼ!この前のヒミツキチで!お菓子パーティーしようよ!
来なかったらあることないこといろんなSNSに書いてやるから。」
「そういうことだから、またあとでねレオちゃん。」
「じゃーね。」
先に歩き出した三人が振り返って私を見て笑った。女優様と目があった。彼女も笑っていた。
「簡単にはいかないかもなぁ。」
「ねぇしゅうちゃん。」
「なに?」
「あの薬だけどさ、確か織田さんのときに全部使ったんだよ。」
「え?そうだっけ?」
「うん。」
「でも、あのとき使ったのってほんの少し…」
「使ったの。全部。もうないの。」
「そ、そっか。ごめーん忘れてた!」
しゅうちゃんの顔を見て真綾が言う。
「そしたら今日のどうしようね?」
「もっとやってもいいんじゃないかなぁ。」
ほら、しゅうちゃんたち物足りないでしょ。せっかく今日は相手がいるんだから、やりたいことやんなよ。
「うん…うん!じゃあ襲わせるか!」
「あー、やっちゃう?」
「そんで携帯で動画撮ってさ、レオちゃんも同意の上でやってるみたいに編集してさ、脅せばいいじゃん。そんなん世に出たらイメージダウンでしょ。あんな清楚感で売ってんのに!」
「じゃああたし男呼ぶわ」
「騙すために一応飲み物とかは用意しとこ!」
ほらね、楽しそう。よかったね三人とも。
でも、ごめんね。
「良いタイミングだから、協力してね。」
「新条さん?」
後ろから声をかけられた。
「びっくりした。はやいのね。ていうか律儀にいじめられに来て、本当に何考えてるかわかんない。」
「お菓子パーティーでしょう?私、そういうの初めてだから、少し楽しみなの。こういうのをウキウキするって言うんだろうな。飲み物、もう買ってきてくれたのね。私もほら、少しだけどお菓子。」
「変な人…。とりあえず今日は帰ったほうがいいよ。しゅうちゃんたち、男の人にあなたを襲わせようとしてる。ちいこのセフレ呼んで動画回す気だから。」
「あら、急にそんな大掛かり?」
「…一応、三人からも見えないところにカメラ仕掛けとくから、そんなにお菓子パーティーしたいなら、何かあったらその動画証拠として使っていいよ。」
「新条さんはなんでそんなに私に協力してくれるの?あなたもあちら側でしょう?」
「私は違う。そりゃあ、いじめられたくないからしゅうちゃんたちと一緒にいるけど、こんなのを楽しいと思ったことない。こんなくだらないこと。続けてたらいつかバレる日が来る。いくらクラスのやつらや先生たちが触れようとしなくてもね。」
「私が世間にバラしたら、新条さんも叩かれるわ。三人と心中するつもり?」
「それは受けるべき罰だと思ってる。もう、どうでもいいんだよね。今までこの立ち位置を守ってきたけど、それももうどうでもよくなっちゃった。私がいじめてた側として今までしてきたことを暴露するよりも、実際にいじめられていた側が言ってくれたほうが罪は重くなるでしょ?したくてしてたわけじゃないのは本当だけど、同情を誘うようなことしないよ。」
「そう。」
そう、やっと、やってあげられる時が来たの。
「ところで、飲み物に何入れてたの?」
「え?」
「何か入れてたでしょ?粉みたいなの。」
「…なんだ、見てたの。もしものときのための睡眠薬だよ。三人の飲み物に少量ずつ入れておいたの。さすがにあなたが襲われる前に止めないと意味がないしね。大丈夫、量は調節してある。」
「そう、ちなみにそのお薬?このオレンジジュースにも入ってるわ。」
「え?」
突然顔を鷲掴みにされ、持っていたペットボトルを口に押し込まれた。否応なしに濃いジュースが喉を通り身体に入ってくる。私は窒息しそうになりながら彼女を突き飛ばした。
「なっ、何するの!」
「初めてここに連れてこられたときに見つけたのよ。半分くらい拝借したわ。でも私、量の調節とかわからないから全部いれちゃった。新条さん大丈夫?眠い?」
女優様が顔を近づけて囁いた。鼻と鼻がぶつかりそうなほどの距離、あの時と同じ。
私はグラウンドにある水道へ向かった。
まだ大丈夫、吐き出せば、水で、まだ、身体がなんか、でも、
頭の中でカラカラという音が加速した。
身体がざわめき、内臓全部が外へ出たがっている。
とにかく水を飲んだ。指を喉奥に突っ込み、吐き出す。
吐しゃ物がゆっくり排水溝へ流れていくのを見ながら、私は何度も繰り返した。
「うそよ。」
後ろから声がした。
私は顔を拭うこともせず振り返った。もう水はいやだった。
水に対する恐怖なのか、彼女に対する恐怖なのか、虫が蠢いているかのような感覚の、自分の身体に対する恐怖なのか。
そのどれもが正解ではない気がして、それならいっそこのまま死にたいと思った。
「すごく素敵な顔。私があなたに会ってから、一番良い顔をしているわ。うーん、そう!可愛い。」
哀れんだ表情をしたかと思えば、すぐに軽く握ったこぶしで頬をトントンとしながらべらべらとしゃべりはじめた。
どういう時に使えるかしら。そうね、わかりやすいのは裏切りよね。思いもよらなかったこと…死への恐怖…過去の恨み…未来への不安…ああ、でもなにより
「優位性がなくなった怒り、かしら。」
彼女は私が飲んだオレンジジュースのペットボトルを持っていた。中には少し残っていて、彼女は一気にそれを飲み干した。
「オレンジジュース、久しぶりに飲んだわ。おいしいね。」
「なんでこんなことするの。確かに私も今までしゅうちゃんたちの行動を知ってて何もしなかったけど、でもだからこそあんたの助けになろうとしたんじゃん。やるなら私じゃなくて、しゅうちゃんたちが先でしょ。真綾もちいこも、クラスのやつも教師たちも、そっちが先でしょうが。」
「私が転校初日、新条さんに席変わってくれてありがとうって言った時、あなたすごく美しい顔してた。こんなふうに思ったの初めてよ。
やっぱり、演技は演技でしかないんだわ。あなたは…本物。」
細長い指で顔を指された。何を言っているのかわからない。
「本当に無自覚なのね。すごいわ、本当に素敵。私あなたに出会えてよかった。」
「何が言いたいの?はっきり言いなよ。」
「あなたが見下していたオトモダチ三人が私に話しに来たの。最近あなたと私が話しているところを見たんですって。最初はいつもど通り強気な姿勢で私を脅してきたけれど、あなたの話をしたら急にしおらしくなっちゃったわ。」
「は?なんの話。」
「あなたたちと一緒にいるのはもう飽きた、今までのことをバラすつもりでいるから協力を持ちかけられたってね。」
「はあ?そんなこと言ってどうすんの。あいつら信じないでしょ。」
「最初はそうだったわよ。でもだんだん、意識が変わっていったんでしょうね。今までの彼女たちのお楽しみは誰の手のひらの上だったかって。」
「……」
「あなたに捨てられると思ったから。次のターゲットは自分になるんじゃないかって、不安になったんですって。」
「三人の中でも仲間割れしてるわけ。ついにそこまできたの。ほんとしょうもない。本当にバカの集まり。」
「三人の関係のヒビもそうでしょうけど、誰よりも新条さんに嫌われたらダメだって思ってるわ、みんなね。なんですっけ、お金持ちのご家庭の子だから好き勝手してる、ですっけ。それって新条さん、自分のことも入ってたのね。」
「意味わかんないこと言うのやめてって言ってるでしょ。私は違う。」
「いいえ、あなたのお父様は官僚の新条康俊さんでしょ。」
「違う」
「奥様は元料理家の新条エリさん。」
「違う」
「お二人の仲睦まじい様子はよくテレビに映ってるけど、娘さんがいらっしゃったのね。」
「違うって言ってるだろ!!!」
グラウンドに響いたのは私の怒声だった。
「アレは家族じゃない。女優様だったら何を言っても良いわけ?あの倉庫にあったもの、もう忘れた?お前みたいな調子にのったやつを相手にしてたんだよ。しゅうちゃんたちが使ってたお楽しみ道具は今もお前を取り囲んで嘲笑ってる。世間知らずの有名人を苦しめられるのは自分らだって。」
「わあ、その表現も素敵。たしかに物にも感情があるつもりで、追い詰められてるつもりでいたほうがもっと被害の怯えに幅がでるかも。」
私は女優様の腹を蹴飛ばした。
女優様は床に倒れ込みながらも笑っていた。
「お前その顔しかできねーの?女優が聞いて呆れるんだけど。」
「私今、心から嬉しいのよ。こんなに昂っているのは初めてなの。どれだけ演じていても、誰かを参考にしても、得られなかった興奮だわ。あなたのおかげ。花蓮、あなたのおかげで震えてる。」
英玲央は、私だけを一直線に見ていた。
「花蓮!」
しゅうちゃんたちが来た。私の声を聞いた生徒たちも集まってきた。どいつもこいつも変な顔しやがって。
「ねえ花蓮、あなたにはあるんでしょう?そうなったバックボーンがあるんでしょう?聞きたいわ私。何があなたをそうさせたの?」
「ただいま。」
小声で言ってみる。帰宅のメールは30分前にした。返事はなかったからまだ居るだろうとは思った。奥のリビングから汚物の音が聞こえる。
最初に気づいたのは中学二年のときだった。これから本腰を入れて受験勉強を始めるというときに、通っていた塾の講師たちが季節の流行り病にかかり、時間割り通りの授業ができないと急遽休講になった。
こういったとき、母を経由して私に連絡がくるようになっていたけれど、その日は何もなかったから塾の入り口に貼ってあった急ごしらえであろう手書きのお知らせを見て知った。
個別室も使えないし、ファストフード店で勉強する気分にもなれなかったので真っ直ぐ帰宅した。母にメールは入れなかった。
そういったことは、知識としてはあった。ドラマなんかで見たことがあるし、初めての彼氏ができた友だちに、いつするの?どうするの?なんて、周りの子が食い気味に聞いていた。
「私たちもさ、パパとママがして、生まれてるわけじゃん。なんかキモいよね〜」
とか言って笑ったりしていたけれど、実際はもっと、しゃべる汚物同士が絡み合っているようにしか見えなかった。
それは、行為自体への嫌悪感なのか、大好きだった母が父以外の男としていたからなのか、それとも、母の中の優先順位が思っていたものと違ったからなのか。
今となってはどうでもいい。
父は厳しい人だった。跡継ぎが男でないことの失望を、表には出さない思慮深さは持ち合わせていたようだけれど、私への態度はそれはそれはわかりやすいものだった。
それでも"家族"はそこに存在していて、当たり前に"愛"なんてものがあると思っていた。
ある日、父に帰宅早々腕を捕まれ、強引に風呂場に連れて行かれ、湯の張った浴槽に頭を押さえつけられた。
あとから知ったが、その日は母の秘密を知った日だったようだ。
父は、母に対して怒りをぶつけるのではなく、副産物を消そうとした。結局今でもこうして、消えることなく惨めに生き残っているけれど。
別居してからもメディア露出のときは母と幸せそうに腕を組んでいた。
私に対しては、嘘で取り繕う必要すらももうないと思われたのだと気づいた。
「普通の女子高生になりたかったの。…簡単には、いかなかったなあ。」
みんなに見られながら、英玲央にだけ聞こえる声で言った。
彼女はまた、奇麗な顔で笑った。
「英さん。」
「あら、私のこと初めて名前で呼んだ。」
英玲央が職員室から出てきた。
手には転校届を持っている。
「学校には行くんだ。」
「ええ、やっぱり同い年の子たちと普通の集団生活をすることも大事だと思って。」
「普通、ね。」
「なんてものは建前で、また素晴らしい出会いがないかなって期待しているの。あなたに会えたみたいに。」
「嫌味。」
「そうじゃないことは花蓮ならわかってくれていると思っていたけれど、感情が少しわかるようになってからちょっと図々しくなったかしら、私。」
あの日、あの場所には人が集まりすぎて、教師が面倒そうに私と英玲央を連れて行った。校舎の窓から一部始終を見ていた生徒が、私が英玲央を蹴飛ばしたところを動画に撮っていてあっと言う間に拡散された。ところが私が新条康俊の娘であることは一切触れられておらず、私は父に一度殴られ、母には抱きしめられた。しゅうちゃんたちは私と口をきかなくなり、いじめをやめた。あとは何も変わらなかった。
「英さん、これから私はどうしたら良いと思う?」
「え?私に聞くの?それはどういうこと?」
「わかんないけど…たぶん、私英さんのことすごく嫌いだから。」
「…そう、羨ましい。」
英玲央は笑った。
「そうね、また心が震えることがあったら、花蓮に報告するわ。だからそれを待っててくれる?」
「なにそれ、意味わかんない。」
もう二度と英玲央と言葉を交わすことはないと思う。画面の向こうで演じる彼女を、私は嫌でも目にするだろうが。
「さあ、今回非常に難しい役を演じられ、お茶の間からはその素晴らしさ、そのリアルな恐怖感から悲鳴まであげられた英レオさんですが、」
「ふふ、私、悲鳴あげられてたんですね。」
「それはもう、それほどに主人公の『愛』という人間は、異常なほどの執着が見えました。終盤は恐ろしい迫力と形相でしたからね。この役を演じられる上で、意識されたことはなんでしょう。」
「そうですね、『愛』は明らかに加害者ですが、本人にその意識は薄いんですね。頭がいいから、自然と周りをマインドコントロールする振る舞いをしている。彼女の家庭環境が彼女のその性格を作り出しているわけですが、だからといって許されるわけではありません。許す許さないではなく、あくまでもその時々の彼女の心の機微に寄り添えるように考えていました。」
「英さんは毎度のことながら、役への没入感というか、感情の表現方法が多種多様に思えます。感受性が豊かなんですね。」
「…それほどでもないとは思いますが、うーん、そうですね、まだ十数年しか生きていないですが、得られた経験から湧き出す思いは、あると思います。」
「そうですか、本当に素晴らしい作品でした。また次回作を期待しております!」
「ありがとうございます。」
「インタビュアーの気まずそうな顔、好きそうだな。」
【__"俳優英レオ、アカデミー主演女優賞受賞"__】
サムネイル:Pixabay #Laura_O
