【BL】白イ鴉・1章「塩コショウの野菜炒め」
(※一部暴力的な表現が含まれます)
息子が尋ねてきた質問は、あまりにも突飛すぎた。
「拓海さんはさ、どうしてそんなに俺に優しいの?」
「はぁ?」
スーパーにも関わらず声を上げ、岸 拓海は手にしていた柿の種を落とした。さきいかと悩んで、さきいかに軍配が上がった直後だ。仕方なく、落とした柿の種をカゴへと入れる。
「親父が息子を庇うのって当たり前じゃねぇか」
「そっか、有難う」
「おう」
そして当たり前の質問をしてきた青年は、拓海の答えを聞いて納得したらしい。話はそこで終わり、再び歩き始めた。拓海も彼の後に続く。
ゆっくり店内を物色しながら進む中、貼りたてのガーゼを通じて歩くたびに頬が痛む。
数ある棚の中で再び息子が止まったので、拓海も立ち止まる。頬を撫でていると──プラスチック製のカゴの中でガコン、と缶に当たる鈍い感触が手を通じて伝わった。
拓海は手に持つカゴに視線を向ける。野菜やビール缶の中に、ソースの瓶が増えていた。続いて今しがた瓶を入れたばかりの青年を見る。
「なんだこれ」
「オイスターソース」
「いらねぇ」
「でも野菜炒めに入れると美味しいって、クックパッドに書いてた」
「そうか」
彼から答えを聞いた後で、拓海はカゴからソースを取って棚へと戻した。
「さしすせそに、あるんでしょ。ソース」
「味噌だ馬鹿」
茶髪をかき上げ、青年は当然のように間違った知識を放つ。馬鹿呼ばわりされて気に入らなかったのか、少し拗ねた様子を見せるも「これは切れてた」と言い、代わりにパンダの顔が描かれた調味料の瓶をカゴへと入れてきた。
「凪」
「なに?」
拓海は再びスーパーを歩きながら隣にいる息子の名前を呼ぶ。
「明日の分も買っておくか?」
「うーん」
精肉コーナーは、夕方を過ぎて割引品がちらほらと目立っていた。歩く速度を緩めながら、凪は悩んだ様子を見せる。少し考える様子を見せるも答えは早かった。
「ココさんから食べたいものを聞いて作りたいから、まだいい」
「そうだな、アイツの食いたいやつがいいな」
拓海も同意を見せると、彼は歩みを少しだけ速めた。
「そろそろ寒くなるから、スープの素だけは買っておきたい」
先導する凪の後を追い、2人は買い物客が減ったスーパーを並んで歩く。最後に明日の朝食をそれぞれがカゴに入れて巡回は終わった。レジへと向かう途中、人が殆どいない輸入食品のコーナーで凪はふと立ち止まった。
彼が振り向き「拓海さん」と名を呼ぶ。
何だ、と拓海が目を向ける。こちらへと一歩進んだ凪の顔が、自分と同じ目線の高さにあった。こちらの顔をじっと眺めて「痛い?」と尋ねられる。
頬の傷だとすぐに分かり、拓海は軽く笑みを作る。「まぁ髭剃りをしくじった様なもんだ」と告げる中、ズキズキする傷の主張は無視をした。今日中に片付けようとした仕事のトラブルで、たまたま負っただけの軽い傷だ。血も既に止まっている。
凪はなおもこちらを伏し目がちに伺っていたが、それ以上は何も言ってこなかった。
レジ近くの飲料品コーナー前を通った時だ。再び手に持つカゴが重くなる。新たに加わった数本のエナジードリンクと、自分の好物である少し高いビール缶を一瞥する。
凪は「先に車、行ってるから」とだけ告げると、拓海に背を向けて去っていった。
レジを迂回して去ってゆく凪の背中を見送り、拓海はレジ手前の菓子コーナーを眺める。そして凪が子供の頃から好きなクマ柄のグミを1袋取ってカゴに入れ、空いたセルフレジへと足を向けた。
「今日は拓さんのご飯だったんだ」
背中へと掛けられた女性の声に、夕食を作る拓海は「おう」と応えた。
フライパンの中では、買ってきた野菜と豚肉が丁度良い具合に混ざり終えたところだ。中で振ると焼き音と香ばしい匂いがキッチン中に漂う。
「遅くなったから、やっぱり外食にすれば良かったか?」
「ううん」
冷蔵庫を開けるついでか、拓海の元へやってきた心愛がフライパンを覗く。彼女は「美味しそう」と声を弾ませる。風呂から上がったばかりで、短く切り揃えられたショートボブはまだ湿っている。彼女が動く度、束になった髪が揺れていた。
「我儘だった?」
「いや?」
「なんでもいいから、家で食べたかったのよね」
完成した野菜炒めをフライパンから大皿に移しながら「そうか」と拓海は返事をした。隣に立っている心愛に渡そうかと思ったが、見ると彼女の両手はビールで塞がれていた。代わりにダイニングテーブルに座っていた凪を呼んでカウンター越しに大皿を手渡す。
「面倒じゃない限りは、家庭の味がいい」
「でもココさん、拓海さんが作る野菜炒めって塩コショウだけだよ?」
拓海から受け取った大皿をダイニングテーブルの上に置く凪に対し、心愛は「だからいいのよ。アンタ子供の頃からそれ、食べてるから分かんないんでしょうね」と反論する。
背中越しのやりとりを聞きながら、フライパンを水に浸けて調理を終えた。一息ついて、屈めていた腰を慎重に伸ばす。
「じゃあココさん、子供の頃何食べてたの?」
「レーション」
ダイニングテーブルへ向かおうとした時に、ニヤリと笑った心愛と目が合った。両手に持ったビール缶をこちらに掲げるので、夕方買った高い方を指差す。
「流石にレーションは無いだろ」
「うん、でも殆どコンビニ弁当だった」
拓海が椅子に腰を下ろして暫くすると、3人は両手を合わせて「いただきます」と言った。
相当腹が空いていたらしい。心愛は即座に箸を伸ばし、パクっと豪快に野菜炒めを口に入れる。
「で、アンタ達と暮らす前はウーバー漬け」
一口食べた後で、心愛はビールを飲む。再び野菜炒めを口に入れると「んー、やっぱ美味しい」と言ったきり、あとは黙って白米と交互に食べ続ける。
「拓海さん。そういえば三笠ビルの件、どうなったの?」
「ん?」
食べている間は3人共に無言だったが、最初の沈黙を破ったのは凪だった。拓海がテレビから顔を逸らすと、続いて心愛も口を開く。
「あ、拓さん。例の案件も、進んでる?」
「……飯の後でいいか?」
食事の最中にスマホを見たり、テレビを見るのは別に構わないと拓海は思う。
だが仕事の話となれば別だ。ここは会社の社食じゃないのだから、せめて夕飯の時は仕事の話を抜きにしたい。
だが拓海の胸中など知らぬ凪が「データ、簡単に纏めたんだけど」と、箸を置く。代わりにテーブルの端に置いていたノートPCを引き寄せた。
「あ、監視映像の角度。ココさんこれどうかな?」
「どれどれ?」
ノートPCを広げた凪に対し、彼の隣に座る心愛も画面を眺めようと身を乗り出す。拓海は「お前ら、飯食ってからにしろ」と、声を低めて告げた。すると平成生まれの2人は、渋々といった風で食事へ戻った。
「でもさ、現場の写真は先に確認してもらいたくて」
「だから後にしろ、今は飯だ」
なおも諦めが悪い凪に、拓海はぴしゃりと叱る。今度は反論せず黙ってノートPCを閉じる。彼は拗ねる様子も無く、空の茶碗を持つと立ち上がった。
「私も」
「てめぇで入れろ」
拓海は叱りつけたが、凪は黙って心愛が手渡した茶碗を取っていた。おかわりを入れに行く凪の背中を眺めて「拓海パパは厳しいねぇ」と、心愛はビール缶に口を付ける。
「ココ、お前今年幾つだ?」
「ん、26」
「……てめぇみたいな、デカい娘がいてたまるか」
「でも拓海さんが20歳の時の子どもなら、ココさんと同い年だよ」
戻ってきた凪に淡々と告げられ、拓海は黙るしかない。
一方、心愛の方はこちらをじっと見ている。彼女と目が合うと「アリだわ」と小さく言ってきたので拓海は「ねぇよ」と即座に返した。今のやり取りで何がツボだったのかは分からないが、先程までこちらへ淡々と接してきていた凪は珍しく声を出して笑っている。そんな2人を眺め、拓海は苦い気持ちをビールと共に喉へ流し込んだ。
『情報は金になる』
これは、情報の重要性を知る者ならば誰にでも分かる理屈だ。
拓海も刑事時代から、先輩から散々に叩き込まれた。
昔は噂話の程度で収まっていたものでも、現代では誰もが持つスマートフォンで世界中に拡散される。SNSの中で何気ない書き込みでも真実であったり、逆に数万のいいねを集めたいが為だけに嘘を流す者もいる。玉石混交の情報の真偽を嗅ぎ分ける能力と手間がさらに必要とされ、情報の売買を生業とする人間にとってはリスクが増えた時代になった。
「なので、私は考えたのよ。場所は限定的だけど『情報屋に正しい情報を売る仕事』って面白くない?」
それが今目の前でビールを飲んで、凪と話し込んでいる女性──中村 心愛から掛けられた言葉でもあり、今の3人が共同生活をするきっかけとなるものだった。
「じゃあ明日、俺は三笠ビルに盗聴器を設置しに行って。拓海さんは佐伯さんに、調査結果を渡しに行くんだよね?」
「そうだな。先輩のとこは、結果を渡すだけだ」
「ついでにラブホの非常階段はココさんの言った角度で、実際に跳弾跡が無いか探してみるよ」
「うん」
食事が終わり、片付けも終わった後。3人はリビングのテーブル上で、数々の資料を広げ会話を行っていた。仕事の話とは言っても、今夜は互いの報告のみで終わる。なので特に話し合って決めるものは無い。
リビングではそれぞれが好きに飲んで、テレビでは心愛が選んだ動画が流れている。この様な調子で普段とは変わらず、のんびりと会話は行われていた。
「私、明日は仕入れてきた色々を取りに行くね」
「……どうせ、ロクなもんじゃねぇんだろ」
「正解」
拓海の呟きに対し、リビングソファーに深く腰掛けた心愛は含みのある笑みを浮かべていた。
彼女がこの笑い方をする時は、ロクでもない場合が殆どだ。それはこの2年程の付き合いで、拓海が知った心愛の一面であった。
今の顔を見る限り、彼女が元の本業──傭兵関係の用事で1ヶ月留守にしていた間、非合法の品々でも手に入れたのだろう。何を入手したのかは知りたくもなかった。どうせ正規の手段では絶対に輸入できない、軍事関連の装備か武器辺りだ。
だがその恩恵に預かっている以上、あえて拓海は黙っておく。
「あと拓さん」
「ん?」
「聞きそびれてたんだけど、それ何?」
心愛が自分の頬を突いて見せる動作で、すぐに頬の傷だと分かった。
「ああ、これか」
風呂から上がった今は、ガーゼから大判の絆創膏に替わっていた。擦りながら拓海は答える。
「さっき言ったラブホの件でデリヘル嬢に話を聞こうとした時、ソイツの男に襲われた」
「根性あるじゃん。その彼氏」
「襲われたのは、凪だがな」
心愛との会話に黙ってノートPCを触っていた凪が、言葉を添えた。
「拓海さんが走ってきてからの大外刈り。で、そいつがナイフを持ってたから掠ったんだよ」
「あー、把握」
昼間に簡単な仕事として、片付けていた仕事。その中で起きたイレギュラーが、傷の原因だった。
対象の女性から話を聞くにあたり、今日は同年代の凪に交渉を任せていた。だが凪が話し掛けていた所を対象の彼氏が見ており、勘違いを起こしたのだ。揉め事程度ならば凪にも片付けられるだろうと最初は眺めていたが、男はナイフを取り出した。そこで事情が変わり、騒ぎを目撃した通行人に通報される前に、拓海は素早く止めただけだ。
自分たちは人前では極力、揉め事を避けるように動いている。だが今回は相手が悪かった。にも関わらず、その話をした後に拓海へと向けられた2人の視線は随分と冷えている。
心愛が2缶目のビールを飲んだ後で「やばいね」と呟き、凪もエナジードリンクを飲んだ後で「やばいよ」と返す。
「お前ら揃って、何言ってんだ?」
2人が妙に通じ合った会話をしている意味が分からず尋ねるも、結局若い2人は拓海の何が「やばい」のかを最後まで告げることは無かった。
◇ ◇ ◇
拓海は息を切らせながら階段を登る。
まさか、エレベーターが整備中とは思わなかった。
繁華街の一角にある、雑居ビルの階段は段差が高い。久し振りに訪れて階段を登るが、2階の時点で既に息が上がりきっていた。踊り場で立ち止まり、着ていた薄手のジャケットを脱いで腕に掛ける。9月下旬だからと、着て失敗した。ジャケットを脱いでもまだ暑く、さらにワイシャツの袖を捲る。そうしているうちに息は整うも、目的の階に辿り着く頃には再び汗だくとなっていた。
肩を上下させながら、やっと到着したのは最上階の4階だ。壁に背を預け、もう1度拓海は息を整える。呼吸が落ち着くと、細く静かな廊下をコツコツと靴音を響かせて足を進めた。奥まで進み『佐伯興信所』と書かれた、古びたアルミサッシのドア枠をノックする。
拓海の拳がアルミ製のドアを叩く度に、ドアはグラグラと揺れる。ノックをやめた後ですぐ「はい、どうぞ」と返事が聞こえ、ドアノブに手を掛けた。
扉をくぐった途端、紙の匂いが漂う。昔ながらの古い事務所独特の空気を浴びながら目を細め、拓海は部屋の主に頭を下げた。
「失礼します」
「なんや、岸の方か」
「お久し振りです、先輩」
部屋自体は広くはないが、両脇を書類棚で固めた応接机までは遠く感じる。
その机を挟んで向き合った形で置かれているソファーには、事務所の主でもある佐伯が腰掛けていた。拓海とは刑事時代からの、長い付き合いである。「まぁ、座り」と関西弁で言われ、拓海も対面のソファーへと腰掛けた。
事務所の歴史を感じる合皮張りのソファーは、家のソファーよりも硬い。軽く腰掛け、調査結果を入れた封筒を佐伯に手渡す。「有難うな」と穏やかな声と共に、佐伯は深く皺が刻まれた笑顔を拓海へと向けた。
佐伯は刑事としての先輩でもあり、情報屋でもある。確か歳はもう70近くのはずだ。
だが渡した封筒の中身を確認する彼の姿は、それよりも遥かに若々しい。背筋もピンと伸びており、声も張りがある。確かまだ煙草も吸っている。にも関わらず、階段を登るのにも苦労していた自分とは大違いだ。
拓海はそんな事を考えながら、佐伯を眺めていた。確認を終えたらしく、彼とちょうど目が合う。掛けていた眼鏡を外した後で「おおきに」と佐伯は一つ大きく頷き、ソファーから立ち上がった。
続いて彼は窓際の業務用デスクへと向かう。上に封筒を置くと、腰を屈めて引き出しを漁り始めた。拓海が待っていると「なぁ岸」と、佐伯の方からのんびりとした口調で話し掛けてきた。
「茶ァも出せんですまんの、今日は事務がおらんでな」
「お構いなく」
「俺ぁてっきり、横田のボンが来るおもてたわ」
「凪がですか?」
彼の方から普段あまり接点がない凪の名前が出てきて、拓海は訝しむ。一方の佐伯は「おう」と軽快な声と共に頷いた。
「整備中やったやろ、エレベーター」
ああ、とそこで佐伯が何を言おうとしたのかを悟った。拓海は苦笑を浮かべ「いい運動にはなりました」と返す。先輩の方からは「そらよかったわ」と、同じく笑って返された。
佐伯も目的のモノが見つかったらしく、デスクの引き出しを閉めた。続いて窓の外に目を向ける。気になるものでも見えたのか、カーテン代わりに掛かったブラインドを指で開いて外の確認を行っていた。
応接テーブルの前へと戻ってきた佐伯の手には、銀行名が書かれた封筒があった。差し出されたそれの中身は見ずに、拓海は受け取ると礼を行う。頭を下げたところで「なぁ岸」と名前を呼ばれた。
「お前、さっきの話の続きな。横田んとこのボンやけどな……アイツ、幾つになった?」
「22ですね」
「なんや、ほなもう手は掛からんな」
「あの、凪が何か?」
エレベーターが整備中の話かと思ったが、今度は違うらしい。拓海が首を傾げながら問い掛けると、佐伯は先程眺めていた窓をもう一度チラリと見た。「なんのことあらへん」座ったままの拓海に向け、取り出した煙草に火を点けながら佐伯は短く告げる。
「今アイツ、タバコ屋横の路地に1人引っ張って行ったの見えたからな」
「……は?」
思わず聞き返す拓海とは反対に、佐伯は面白そうに肩を揺らして笑う。
「さっきまでボン、すぐそこで暇そうに突っ立っとってん。あれ、お前が連れて来たんやのうて、きっと別件でホシでも張ってたんやな。ああいうところは、ホンマ死んだ親父にそっくりやの」
気付いた時には、拓海は勢い良く立ち上がっていた。勢い付いて応接机で脛を打ち付けてしまうが、痛みを感じている場合ではない。走るように「失礼しました!」と最後に扉の前で振り向き、雑な一礼だけは行う。
「おう、ボンと中村に宜しくな!」
ドアを乱暴に閉める際に掛けられた声に、返す余裕はない。拓海は狭い雑居ビルの廊下を走り抜け、階段を駆け降りるのであった。
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