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maho11
時は流れているのか?
まだまだ残暑も厳しく、日傘が手放せない日が続く。でも確実に夏から秋の空気に変わっている。
夏が終わって秋になる。また時は流れたなと思いつつ、本当に時は流れているのかと疑問がわく。
量子力学の世界では、時は流れてはいない、過去・現在・未来という区別もない、という説もあるようだ。私は量子力学に詳しいわけではないので、完全な主観でしかないのだが、実は時は流れていないのではないか、と感じることがある。
西暦、月日、時間、季節。
確かにどれも移り変わり、流れているように感じるのだが、流れる、というよりは、循環しているのではないか。
1月から12月、時計の数字、春から冬、月の満ち欠けなんかもそうだ。どれもずっとぐるぐると回り続けている。時が流れるというよりは、その中で自然や私たち人間など、生きるものが変化し続けているだけに過ぎない。生きるものだけではない、建物など物質も劣化などの変化をしているだろう。
私自身、時が流れたという表現をすることがあるが、自分が年齢を重ねて変化をしただけで、時は流れていないのかもしれない。
時とは雄大で不変なものとするなら、私たちが"時"と表現する大きな循環の中に、私たちは生きているのかもしれない。時を循環と捉えるなら、過去・現在・未来の区別もなく、皆1つだ。
生きるも死ぬも、大きな循環の中の1つなのかもしれない。輪廻、というものと似ている気もする。
循環であるならその中心は何か。何を軸に循環するのか。世界を創造したのが神であるなら、その中心は愛だろう。アインシュタインも娘への手紙で伝えたように、神は愛なり、なのである。
愛を中心の軸とした、大きな時の循環の中に、私たちは生きている。
さて、今日は1日研修なり。
