見下していた、と気づいた。
長女がスケートをやりたいと言ってきたとき、私の頭の中にあったのは、彼女への関心じゃなかった。
場所が不便だな。
送迎が必要か。
バイオリンも途中でやめたし、またお金がかかるだけじゃないか。
口には出さなかった。でも、本心はそこにあった。
振り返れば、ずっとそうだった。
長女が中学生のとき、ニキビに悩んでいた。
当時の私は健康や美容を熱心に学んでいて、医療よりオーガニック、無添加が正しいと信じていた。
だから病院には連れて行かなかった。
私の知識で対処させた。
良くなるどころか、悪化した。
学ぶことが好きだと思っていた。
向上心があると思っていた。
でも今思えば、知識がついた分だけ傲慢になっていた。
私の価値観にあうものはよし。
そうじゃないものは、デメリットを並べて否定した。
娘の純粋な気持ちより、私の審美眼が先にあった。
特に長女に、それは顕著だったと思う。彼女は辛かっただろう。
スケート場で、私は手すりをつかんだまま動けなかった。
怖くて離せなくて、今日はここまでにしようと思いながら、座って長女を見ていた。
何度も転んでいた。
後ろ体重で、姿勢が辛そうで。
でも立ち上がって、また滑って、また転んで。
次第に姿勢が綺麗になって、滑れる距離が伸びていった。
何より、楽しそうだった。
気づいたら涙が溢れていた。
応援したくなっていた。
素敵だと思っていた。
そのとき初めて、彼女に対して敬意があった。
自分を責めることをやめたのは、ある日突然じゃない。
前歯がなくなって、強制的に止まって、自分のことを少しずつ受け入れていくうちに、気づいたら娘のことも同じように見られるようになっていた。
不完全な私でいい、と思えたとき。
娘も今のままでいい、と思えるようになった。
続くかどうかは、どうでもよかった。
転んでも立ち上がる彼女の背中を、ただ見ていたかった。
それだけで十分だった。
