【短編小説】山へいこう
この短編小説は2月17日付けの中日新聞夕刊で紹介をされました。
少し長いかもしれませんが、ほのぼのとした小学生のお話です。
あれは僕が小学校に入ったばかりの頃だった。
人とのつきあいが苦手だった僕は授業の合間はいつも一人でいることが多かった。だが、家ではいつも一人で留守番をしていたこともあり特に寂しいと感じることがなかった。そんな僕に対して一部のクラスメイトがちょっとしたイタズラをするようになり、それがいつしかエスカレートしてイジメになっていた。教科書を隠されたり、靴が無くなったりとイヤなことが毎日のように続いた。それが原因だったのだろうか、僕は学校に行ったり行かなかったりという生活になってしまった。
このことを僕の両親は心配しあれこれ悩んだ末に、夏休みの間、気分転換になればと僕を秋田に住む祖母の家へ何週間も送り出してくれた。
祖母の家には私のいとこであるクミちゃんが両親と一緒に住んでいた。クミちゃんは僕と同い年。夏休みの間、僕はクミちゃんと一緒に朝から夕方までずっと遊んでいた。原っぱを駆けまわったり、近くの小川へ魚釣りに出かけたり。汗びっしょりで家に帰ると水風呂で冷やしたスイカにかぶりついていた。
そんなのどかな毎日だったが、夏休みも後半となり、僕が名古屋に戻る日が近づいてきた。秋田での生活があまりにも楽しかったので、僕の心中は複雑だった。
そんな時、クミちゃんが嬉しそうに僕に話しかけてきた。
「アキラ君が名古屋に帰る前にこの村の秘密の場所を教えてあげるネ」
「秘密の場所って?」
「あのね、この村のはずれにあるカラス山にものすごく珍しい花が咲いているらしいの。このことを知っている人はその花を『幻の花』って呼んでいるみたいなの」
私の耳元でクミちゃんが囁くように教えてくれた。
「ふーん。花の話か」
僕は花には特別な興味もなかったので素っ気ない返事をした。
「もう、アキラ君、喜んでよ。それでね、その幻の花がもうすぐ咲く時期なの。年に一回しか咲かないんだって。見てみたいでしょ?」
「そうだね」
「じゃあ、明日行こうね」
クミちゃんは僕に一生懸命説明してくれたのだが、「幻の花」の事については正直あまり気が乗らなかった。それよりも名古屋に帰らなければいけないということだけが何よりも憂鬱だった。名古屋に帰れば、また行きたくもない学校に通わなければならない。忘れかけていたイヤな想い出がじんわりと蘇り、僕の心は重くなっていた。
翌日の朝、クミちゃんは僕の気持ちをわかっていたのかどうかは知らないが「いいから、いいから」と言ってカラス山へと無理やり連れ出したのである。
途中でクミちゃんは学校の友達・リキ君に声をかけると、一緒に来てくれることになった。こうして僕たち三人は「幻の花探検隊」を結成しカラス山へと出発することになった。
三人でこれまで通ったことのない道を歩き、見たこともない田んぼや畑の横を通り抜けながらカラス山に向かっていると、まったく興味のなかった僕もなんとなく楽しくなってきた。
カラス山に向かう僕たちを見かけた村の人たちがみんな手を振って声をかけてくれた。
「おーい、クミちゃん。気をつけてなー」
「アキラ君。がんばれよー」
小さな村だったので地元の人は僕のことを覚えてくれていた。
「リキ君。楽しんで来いよー」
僕たちは鬼退治に向かう桃太郎になったような気分で張り切っていた。カラス山に行く道順は三人とも詳しくは知らなかったけれど、リキ君が先頭になり二番目が僕、一番後ろをクミちゃんという順番で歩いた。全員で歌を歌い、大声で笑いながらゆっくりとカラス山を目指していると僕はこれから何が起きるのだろうかという期待ばかりが膨らんでいた。
小さな川を渡り、騒がしい蝉の鳴き声や爽やかな鳥のさえずりを聞きながら山の奥へととにかく進んでいった。
山道を歩きながら、僕はこのまま秋田に移り住んでクミちゃんやリキ君たちと同じ学校に通いたいと思うようになっていた。でも、それは誰も許してくれるはずもなかった。この探検が終われば両親が僕を秋田まで迎えにきて一緒に名古屋に帰る約束になっていた。
そんなことが頭の中によぎった時、山の奥からブン、ブンと何かを振り回すような音が聞こえてきた。
「何の音だろう」
僕たちは足を止め、目を凝らして森の中をじっくりと見渡した。
「誰かがあそこにいるよ」
クミちゃんは声を震わせながら指をさすと、そこには着古した柔道着姿の男性が岩場に立ち、妖しく光る日本刀で素振りをしていたのである。その男性は痩せていたが真っ黒に日焼けをし、あご髭をたくわえていたので、まるで熊がそこに立っているかのようだった。その男性の迫力は凄まじく僕たちは震え上がってしまった。
その男性は僕たちを見つけるとじっと睨みつけていた。
「貴様たちは、何者だっ」
柔道着姿の人は少しやつれたような表情のまま僕たち三人を怒鳴りつけた。
「地元の小学生です。あなたは何をしているんですか?」
僕はドキドキしながらも、クミちゃんにかっこいいところを見せようと返事をした。
「ワシは、この山を昔からずっと守っている。子ども達がこんな危険な山の中に遊びに来るもんじゃない。すぐに家に帰れ」
僕たちは山の中に響き渡るような大声で怒鳴られてしまったので、一目散に駆け出し、あの男性の目の届かないところまで逃げ延びた。
「みんな、ゴメン。この山には仙人と呼ばれる人がいることをすっかり忘れていたわ」
クミちゃんは必死に謝りながら説明してくれた。クミちゃんの話では、カラス山には「仙人」と呼ばれる人が長年住んでいて、通りがかる人に「この山には入ってはイカン」と誰に対しても叱りつけることで知られていたという。ちなみにその人は、何十年も前の空手の全日本チャンピオンだという。
「でも、何のためにそんなことをするのだろう」
リキ君が呟いたが、三人とも頭を捻るしかなかった。「仙人」に怒鳴られはしたけれど、せっかくカラス山に来たのだからと僕たちは別のルートを通って「幻の花」を見にいくことにした。
再び三人で静かな山道をおしゃべりしながら進んでいった。
「これでもうそろそろ、幻の花の近くにきたのかな?」
リキくんがクミちゃんに訊いた。
「いや、まだまだ先だよ」
そう言うと今度はクミちゃんが先頭に立って歩き始めた。
それからしばらく歩みを進めると、茶色く錆び付いた古いレールのある場所に出た。
「クミちゃん、ここは電車が走っているの?」
僕は汗を拭きながら訊いた。
「明治時代にこのあたりを汽車が走っていたことがあるって昔おじいちゃんに聞いたことがあるわ。でもかなり前に廃線になったみたい。だからこの線路の上を電車や汽車が走ることはもうないわよ」
それを聞いて僕はホッとした。
「そうなんだ。クミちゃんはどんなことでもよく知ってるね」
僕は一本のレールの上を平均台のようにバランスをとりながら歩いていた。
「昔、見た映画で、子どもたちが山の中にある線路の上を歩いていたら蒸気機関車が急に現れて慌てて走って逃げていくシーンのことを思い出したよ」
リキ君が笑いながら言うので僕もクミちゃんも笑っていた。
すると線路ぞいの木陰からガサガサと何か音が聞こえてきた。
「風は吹いてないし、タヌキか、キツネでもいるのかな」
僕はどちらも見たことがなかったので一度見ておきたかった。
「かわいいタヌキさんだったら見てみたいわ」
クミちゃんも歩きながら嬉しそうに微笑んでいた。
すると僕たちの少し後ろから再びガサガサという音がしたので振り返ると木陰から茶色いものが少しだけ見えた。
「タヌキさんですか?」
クミちゃんがかわいい声で呼びかけると、そこに現れたのは体長が人間の大人よりも一回りも二回りも大きなイノシシだったのである。
「タヌキじゃなかったね」
ぼくは苦笑いをしながら何歩か後ずさりをすると、その大きなイノシシが僕たちに向かって猛スピードで走り出したのだ。
「マズイ。逃げよう」
僕たち三人は廃線になった線路の上を全速力で走って逃げるしかなかった。
「やっぱりあの映画みたいになっちゃったね」
リキ君が笑いながら僕に話しかけた。
「なんとなく、そんな予感はしていたけどね」
僕も追いかけてくるイノシシから逃げることで必死だった。
僕たち三人は廃線になった線路の上をとにかく走り続けた。かなり走ったところで、僕が足元に落ちていた長さ五センチほどの石を拾い振り返りざまイノシシに向かって投げつけた。その石がちょうどイノシシの目と目の間に命中すると、そのまま気絶して倒れ込んでしまった。
「なんとか助かったみたいだよ」
リキくんはその場にしゃがみこんだ。
「イノシシはしばらく動けないみたいだね」
僕は肩で息をしながら目の前で倒れているイノシシをじっと眺めていた。
「さあ、行きましょう。幻の花を見に行かなくちゃ」
クミちゃんが声をかけて三人で再び歩き始めた。その後も、森の中からサルが突然飛び出してきたり、足元にいたヘビをリキ君が踏んでしまったりとなかなか思うように進めなかった。
いよいよカラス山の頂上までもう少しという時に、僕たちの周辺が急に薄暗くなってきた。あっという間に上空が真っ黒な雲に覆われ、秋のような冷たく強い風が吹き始めた。
「こんなに天気が悪くなる予報だったかな」
僕は不安になりクミちゃんに声をかけた。
「山の天気は変わりやすいのよ」
こんな時でさえもクミちゃんは冷静だった。
すると、突然大粒の雨が落ちてきた。
「アキラくん、急ぎましょう」
さすがのクミちゃんも心配そうな顔になり小走りで雨宿りするところを探した。すると
急に雨の勢いが増してスコールのようになり、ほとんど前が全く見えなくなってしまった。
その時、ちょうど僕たちの目の前に樹齢何百年にもなるような巨大な木が立っているのを見つけた。僕たちは慌ててその木の下へ入り三人で肩を寄せ合い雨が止むのを待つしかなかった。
「こんな大きな木があって助かったね」
リキ君の言葉を聞いて僕もクミちゃんも小さく頷いていた。
しばらく雨と風が吹き荒れ、どうなるのか不安だったが、二十分もすると雨は小降りになり、風もおさまっていった。
「さあ、出発しよう」
クミちゃんが先頭になって僕たちは再び歩き始めた。
するとその時だった。突然目の前が真っ白になったかと思うとズドンという地響きのような大きな音がした。振り返ると、いままで雨宿りをしていた巨大な木に雷が落ちたのだ。あれほどの大きな木が真っ二つに割れて倒れていた。僕はあのままそこに座っていたらと思うと恐ろしくなりガタガタと震えていた。
「とにかく行くよ」
再びクミちゃんが大きな声を出すと僕もリキ君も黙って頷き、再び「幻の花」を目指して進み始めた。木をかき分け獣道のようなところをしばらく歩き続けると、一転して小さな草原のような広場に出た。やっと目指していたカラス山の頂上にたどり着いたのである。
少しだけホッとしたけれど、一番の目的である「幻の花」を見ていないし、どこに咲いているのかも知らなかった。
「どうしよう」
僕たち三人は途方に暮れてキョロキョロと周囲を見渡すしかなかった。
「幻の花はやっぱり見つからないのかな」
ポツリと僕がつぶやいたその時。どこからか真っ黒なカラスが一羽飛んできて、ゆっくりと僕たちの頭の上で旋回した。
「なんか不気味だよね」
リキ君がそういった瞬間、そのカラスは僕たちに向かって一直線に急降下してきた。
「あっ」
僕たちはしゃがんで避けようとしたけれど、そのカラスはリキ君の帽子を咥えて飛び去ってしまった。
「帽子を返せ」
僕たちはリキ君の大切な帽子を懸命に追いかけた。そのカラスをしばらく追っていくと小さな森を抜けたところに、テニスコートほどの広さの空間が現れた。そしてカラスはリキ君の帽子をその芝生の上に静かに落とした。リキ君が急いで帽子を拾いあげると、僕たちはまったく知らない場所に迷いこんでしまった。
すると雲の切れ目からスポットライトのように一筋の太陽の光が差し込むと妖精のような一輪の青い花をはっきりと照らしたのである。花びらについた雨の水滴が太陽の光に反射して宝石のように美しく光り輝いていた。花びらは神秘的で透明感があり、美しい青色をしている上に、風で少し揺れると紫色にも見えるという不思議さを持っていた。これまで見た花の中で最も荘厳で気品あふれ、甘く爽やかな香りが周囲に漂っていた。
三人ともこの花の美しさに呆然として立ち尽くしてしまった。
「これが、幻の花なんだね」
僕はつぶやきながら青い花をじっと見続けていた。
「この花は一度だけ図鑑で見たことがあるわ。『ヒマラヤの青いケシ』という名前。このカラス山の頂上にたどり着いた人しか見ることができない花なの」
クミちゃんも喜びで声が少しだけ震えていたし、リキ君は感激のあまり言葉を失っていた。僕たち三人は時間を忘れてその美しい花をいつまでも見つめていた。すると僕の心の中にあった何かモヤモヤとしたものがいつの間にか消えてなくなっていた。それはなんとも言い表すことのできない不思議な感覚だった。
こうして僕たち「幻の花探検隊」の任務は終了した。三人ともこの探検を通して何かを得たのかもしれない。
数日後、僕は名古屋に帰る時、クミちゃんと駅でお別れをした。ちょっぴり寂しかったけれど、両手でしっかりと握手をした。クミちゃんの手はふんわりとして温かくやさしさが伝わってきた。
「アキラくん、名古屋でもがんばってね」
クミちゃんの大きな瞳が涙で潤んでいた。もしかしたら、僕もクミちゃんもお互いのことがちょっとだけ好きになっていたのかもしれない。帰りの電車の中でも何とも言えない
気分だった。この秋田で過ごした日々、特に「幻の花探検隊」での出来事は僕の心の中に生涯残り続けるだろう。
名古屋に戻ると、これまでのイジメはぱたりと無くなり、クラスのみんなとも仲良くなって楽しい小学校生活を送った。夏休みに秋田に行ったことで何かが大きく変わったようだった。
僕はその後、「カラス山」を調べたのだけれども、どれだけさがしても秋田県内にその名前の山を見つけることができないのだ。
もしかすると「カラス山」は、どこにも存在しない山だったのかもしれない。
(了)
