共生社会
ずっと昔のこと。
学生の頃だったと思います。
何人かが集まったある場面で
こんなことを言う方がいました。
「あういう子たちをみると
可哀想になっちゃうんだよ。」
そんな発言に至った流れについては
全く覚えていません。
その場に
養護学校に勤務する方がいたので
そのような話題になったのだとは思います。
すると
その養護学校で働く方が
「可哀想なんて思うのは侮辱ですよ。
僕たちと何も変わらないんだから。」
と返します。
世間知らずの若い頃。
言葉の意味を
正しく理解できるようになったのは
ずいぶん時間がたってからのこと。
さて
間もなく閉幕する
東京2025デフリンピック。
いくつかの競技を観戦しました。
それぞれの場所で
補聴器を使用している方
手話で会話される方々
たくさんの姿に出会いました。
それぞれの方に
嫌な思いをしたり
不便を感じたり
そういう場面はたくさんあると思います。
しかし
会場では
どの方も笑顔で
生き生きとされていました。
この大会。
ビジョンとして
掲げられていることの中に
“誰もが個性を活かし力を発揮できる”
共生社会の実現
というものがあります。
デフリンピックでは
いくつかの競技を観戦し
聴こえに困難がある方々が
想像以上に多いことを認識しました。
同じ空間や感動は共有したものの
残念ながら
関わり合う瞬間はないまま。
それは
機会がなかったというより
距離があるということなのかもしれません。
ところで
東京2020パラリンピックの際には
小中学校で
オリンピック・パラリンピック教育が
実践されたとのこと。
コロナ禍で観戦には至らなかったものの
競技をビデオで観たり
体育でシッティングバレーボールを
やったりしたと聞きました。
当然
現在も同様の働きかけを
子どもたちにしているとは思います。
加えて
今回のデフリンピックでは
どんな取り組みをしているのか
気になるところ。
共生社会の実現に必要なのは
何より
「心」
だと思っているので…
自分ができることを
考えていきたいと思います。


