日常
先月26日
12日間のデフリンピックが閉幕。
いくつかの会場に足を運びましたが
いずれも
新たな気付きや理解の場となりました。
聴こえに困難のない自分にとって
貴重な機会となったことは確かです。
京王アリーナTOKYOのバドミントンは
未観戦となった競技の一つ。
後で知ったのですが
ここでは
シャトルを打つ音が
文字になって表示されたとのこと。
「パッ」
「スパーン」
のような文字が客席のモニターに。
意図は
これまで音として伝わっていた
「盛り上がり」
「迫力」
「空気感」
のような情報を
視覚化することにあるようです。
より良い社会の実現のため
行われている様々なチャレンジ。
このプロジェクトも
聴覚に障害がある方々のために
進められているものであると思います。
しかし
この10日間ほど
健常者として競技場を歩いた者としては
本当に必要なものなのか
正直なところわかりません。
確かに健常者は
音によって盛り上がりや迫力を感じます。
それと同様に
聴覚障害者には
それぞれが感じる臨場感があるのではないか
そう思うようになったからです。
必要な情報が伝わらなければ
弊害が生じる可能性が高くなります。
だから
混雑状況や競技結果を伝えるアナウンスを
正確に可視化することは
とても意味のあることだと感じました。
しかし
シャトルの音をカタカナにしても
理解できるのは音の世界を知っている者だけ。
可視化することは
聴覚障害者の日常に
健常者の日常を
無理に当てはめているだけなのではと
思ったのが本当のところです。
手話の拍手も同じです。
健常者が送る拍手は
いつもの拍手でいいのでは
と感じました。
もちろん
手話を否定するつもりは全くありません。
ただ
普段使用しない表現方法に
自分の思いを乗せることができませんでした。
だったら
手話を学べばいい
という話になるのですが
現状としては現実的ではありません。
最後のひと押しをする
ゴールした選手を労う
感動に感謝する
どれも
気持ちがあれば
普段の表現方法で伝わると信じています。
大切なのは
コミュニケーションが必要な場面で
それをいかに図るかということ。
そして
様々な場面で
いかに情報を共有するかということ。
聴こえに困難がある方に
何が必要で
どんな気遣いが必要ないのか
学んでいきたいと思います。
共に何かをするときのために。

