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【創作大賞2024】深海で、灯火を捏ねる②


 ―おいしさを、引き出す

 目が回っていた。目が回るような忙しさ、という表現があるが、それはまだ序の口なのだと、紬麦は知った。「目が回るよー」と言うだけの余裕がある。

 それを越えると、実際に目が回る。逆に口は回らなくなる。配属して1週間だったが、アルバイトで10連続勤務した後、徹夜でカラオケに行った時よりも疲れていた。

「好きなだけ行ってこい」と真城に許可をもらい、紬麦は休憩室で缶コーヒーを飲み、一息ついた。

 重いのは身体か、心か。期待される人間はつらい。そう考えると、疲労も心地よい。

 4月に憧れの一星製パンに入社し、そこから3ヶ月の工場実習を経て、ようやく念願の商品開発部へ配属となった。

 商品開発部といえば、会社の花形部署。
 華々しくデビューを飾り、一目置かれる存在となって、エースと呼ばれる。大好きな一星の「まるころパン」以上のパンを開発する。

 そのはずだった。

 実際は、徹夜で考えた企画書を見てもらうことすら叶わず、会議資料の作成、配合表の作成、原価計算、原材料の手配や品質確認など、地味な仕事ばかりが回ってくる。

 開発の仕事はアイデア出しだ。アイデアも出さず、末端の仕事にばかり注力し、黙々と作業する他の担当者たちが哀れだった。

 凡人は歯車であることに疑問を持たないのだろう。疑問を持たないから、一生歯車のまま、抜け出せない。

 紬麦は、可哀そうな開発部の面々を想った。

 先輩は、必要なことしか話さないクソシャイガールと、外見ばかり磨き上げているイケメン気取りのニュアンスパーマ。

 上司は小言ばかりのヒステリックおばさんに、微笑むばかりで指示を出さない親戚のおじちゃん。

 頼りないメンバーばかりだ。自分が商品開発部を改革するしかない。紬麦は残ったコーヒーを一口で飲み干した。

 パンを食べることが好きだった。米より、断然パンが好きだった。まるころパンに出会って、その想いは一層強くなった。

 まるころパンは、大きく丸い惣菜パンと、ころんと小さい菓子パンがセットになった商品だ。

 高校受験。連日連夜の勉強に疲れ、空腹で泣きそうになりながら、夜食を求めて彷徨い歩いた。その時訪れたコンビニエンスストアで、出会った。

 少ししょうゆを効かせた和風のたまごサラダパン。小さいけれど、ぎっしりと中身が詰まった、濃厚なカスタードクリームパン。特にクリームパンがちょうどよいサイズで、甘みが疲れた心と身体に沁みわたる。

 自分のためのパンだと思った。

 空腹を満たし、最後に少しの甘さで癒してくれる。完食した後、自然と顔が綻んだ。

 まるころパンに、救われたのだ。また、がんばろう。そう思える、元気をもらえた。

 人を笑顔にできるような、そんなパンを、自分も作りたい。

 夢は定まった。

 叶えるために、パン屋でのアルバイト経験を積んだ。地元で人気のパン屋で、ホールからキッチンまで、一通り経験した。紬麦が考えた新商品案が採用され、並んだ途端に完売した人気商品になったこともある。

 商品開発の土台作りは万端だった。

 エースへの道のりはこれからだ、と紬麦は気合を入れ直した。明日は新商品を試作する。製造技術には自信があった。1,000個のパンを店長と作り切ったこともある。

 実力を見せる時だ。そう意気込んで、足取り軽く席に戻る。

 机の上に赤ペン入りの会議資料を見つけた。彼の意気込みは、穴のあいたパン生地のように、一瞬の内にしぼんでいった。


 一星本社は、研究所が併設されている。10階建ての研究所の一角が開発室となっており、そこで試作ができるのだ。真城も吉原も、最低週1度は試作を行っている。

 朝7時集合という指示だった。紬麦は一番乗りをするつもりで20分前に着いた。しかし開発室では真城がすでに作業服に着替え、準備を始めていた。

 11月用の新商品と、10月発表会用の商品を作る。全部で40種類。合計で500個。一日1,000個作っていた紬麦には、少なく感じた。

「このレシピ通りに計量して」

 真城は日に日にシャイになっていく。話をするのが苦手のようだった。声色は低く、心なしか顔が赤い。

「どこに何があるかわからなかったら、丸さんとヤーさんに聞いて」

 それは誰なのか。紬麦が聞く前に、真城は試作台に戻っていった。ドライフルーツやカスタードクリームの入った袋の準備をしている。目が全く合わなかった。

「シャイガールめ」と呟く。

「お呼びかな」

 突然聞こえた声に驚く。背後に、小太りで小柄な細目のおじいさんと、背が高く角刈りで目つきの鋭いおじいさんが立っていた。

 丸さんとヤーさん。名が体で表されすぎていて、すぐに悟る。「私たちはね、ここで試作の手伝いをさせてもらってます。試作のことは、何でも言ってね」そう話す、小太り小柄なおじいさんが、丸さんだろう。

 挨拶もそこそこに、2人は紬麦からレシピを奪った。

「どれ、なかなか多いな」

 丸さんとヤーさんは1分間ほど話し合っていた。最後に視線を交わし合った、と思ったら別々に動き始めた。丸さんは棚から縦型のミキサーボウルや細かい備品を取り出し、ヤーさんは25キロある小麦粉の袋を担いできた。

「つむぎくん、計量して。中種からね」

 作る順番で番号を振ったビニール袋を、ヤーさんが無言で手渡してくれた。小麦粉や砂糖など、原料を計量してその袋に入れろということだろう。中種計量用の袋には「中」と書いてある。

「あ、工場は中種法か」

 紬麦は気づいた。

 工場では大量製造に適している中種法が採用されている。街のパン屋の多くは、ストレート法でパンを作っている。

 大きな機械を取り扱う工場では、機械の馬力に耐えるしなやかさを生み出す中種法で、パン生地を作るのだ。

 中種法は、生地がしなやかでふんわりした食感になる利点があるが、最大の欠点は手間がかかることだ。ストレート法とは異なり、2回ミキシングしなくてはならない。1つの生地を作るために、計量を2回しなければならないということだ。

 40種類のパンを作るために、一体何度計量しなくてはならないのか。紬麦は気が遠くなった。

「つむぎくんは、パン屋でバイトしてたんだって?」

 丸さんの目は、しわの中に隠れてどこかわからない。紬麦が頷くと、しわの中から鋭く細い目が現れた。

「一旦その経験は、忘れなさい。いつか必ず役に立つが、今は必要ない」

 そこからは、目を回す暇もないほどの忙しさだった。原料を計量するだけで1時間以上かかった。

 計量したそばから、ヤーさんが生地を仕込んでいく。丸さんはヤーさんの補助をしながら、真城のフォローにも入っていた。双子か3つ子か。そう感じるほど、俊敏な動きだった。

 計量が終わったと思ったら、次は成形が始まった。

 成形とは、出来上がった生地を細かく分割して、丸めて伸ばして、形にしていく作業である。形にしたら、トッピングやフィリングの包餡もしなくてはならない。商品の見た目を決める、大事な作業だ。

「分割して。まずは50グラムね」

 真城の頭には、今日作る商品の規格や段取りが、全て詰まっているようだった。何をいくつ作るか。クリームは何グラムか。トッピングは何グラムでどのように魅せるか。真城が指示をし、丸さんが言う通りに瞬時に動く。生地をカットしているだけの紬麦が追いつけない。

「余裕あったら生地を丸めて。パン屋でバイトしてたなら、できるよね」

 分割した生地は、目的の形にする前に、一度丸くする。「丸め」と呼ばれる作業だ。あとの工程をスムーズにするためであり、べたつく生地の表面を伸ばして薄い膜を作り、粘着性を少なくして機械でスムーズに加工できるようにするためでもある。

「つむぎくん。ただ丸めるだけじゃだめだよ。表面が滑らかになるように、生地の目が一定の大きさになるよう心掛けなさい。

 ここで作った目が、焼き上げた時の目になる。目の大きさや均一さは食感となる。 

 食感はね、おいしさの一種だから」

 丸さんの声色は穏やかだが、手は絶え間なく動いている。大したことないね。黙って聞いている真城の目がそう言っているようで、紬麦は顔を赤らめた。

 息をつく間もなく、パンを仕上げていく。「次80グラム」「これはレーズン散らして」必要な言葉と、生地がボウルの壁を叩く規則的な音だけが、響いている。焼き上げたパンの香ばしい香りを感じないほど、全員が集中していた。

「あ。このパン、ジャムじゃなくてフレッシュのいちご挟んだほうが良くないっすか」

 紬麦が叫ぶ。我ながら良いアイデアだと、彼は自分を褒めているようだった。

 作っていた商品は、いちごジャムと濃厚カスタードのスイーツコッペパンだ。ジャムもおいしいが、いちごをカットして挟めば、いちご本来の酸味が加わって味のアクセントになる。見栄えも良くなると、紬麦は考えた。

「絶対その方がいいですよ。おれ、そのへんのスーパーでいちご買ってきますから。ブラッシュアップさせましょうよ」

 真城と丸さんの手が止まる。こんな状況でもアイデアを出してしまう、向上心しかない自分に感心してるのだろうと、紬麦は鼻を高くした。

「原価が合わない」

 小麦粉1粒落としたのかと思う囁きだった。マスクをしているので、真城が言ったのだと気づくまで時間がかかった。

「でも、お客さんだって高くてもおいしいものを食べたいだろうし。値段上げたっていいじゃないですか」

 真城が、まっすぐ紬麦を見据えた。

 怒っている。
 その時初めて、彼はその事実に気づいた。「簡単に言うな、クソが」彼女の視線は、紬麦を貫こうとしている。

「私たちの商品は、主にスーパーとか量販店なの。ドラッグストアに卸すときもある。あとはコンビニね。そのなかで1番高い価格で販売できるのはコンビニ。平均は150円。200円ぐらいのものもあるけど、高いほど販売個数は少なくなるから、値段設定は150円以下にすることが求められることがほとんど」

 真城は早口でまくし立てる。

「スーパーとかドラッグストアはもっと低い。150円のパンなんか売れない。せいぜい120円ね。今言ってるのは販売価格。卸値だと、その6掛けか7掛け、つまり100円程度。

 原材料費に振り分けられるのは、そのうち高くて4割。40円ね。あんた、いちご1個いくらか知ってるの?」

 紬麦は先日スーパーに買い物へ行った時のことを思い返した。1パックに15粒から20粒ほど入っていて、398円か498円だった。小粒なものでも、1粒20円ほど。

 いちごだけで、原材料費の半分を食いつくしてしまう。

「いちご売りたいなら、いちご農家に行けば」と冬の雨のような言葉が頭に降りかかった。

「原価だけじゃない。わたしたちの商品は製造して数日間、消費期限を満たす規格にしなきゃいけない。常温でよ。いちごが常温で痛まないわけないでしょ。

 作ったその日に食べてもらえる街のパン屋さんと一緒にしないで」

 真城が手を動かし始めた。連動しているのか、丸さんも同じタイミングで動き出した。

 紬麦だけが、動かない。

 動けなかった。

「そんな、街のパン屋をバカにしなくても」

 パン屋でのアルバイトの日々を思い出す。暑くて、重くて、忙しくて、大変だった。店長や他のアルバイト仲間がいたから、諦めずにがんばることができた。みんな良い人で、一生懸命だった。

 街のパン屋と一星製パンでは、売上金額は比べものにはならない。けれど、それは街のパン屋を馬鹿にしていい理由にはならない。いくら先輩でも、そのような物言いに我慢ならなかった。

 真城が肩を落とす。「全然伝わってないんだけど」とため息を吐いた。

「パン屋さんを馬鹿になんて、してない。私たちに焼き立てのパンは提供できないし、街に根づいているパン屋さんは、その土地のお客さまのことを考えて、毎日毎日、パンを焼いている。素晴らしい職業だよ」

 でもね。真城は続ける。

「街のパン屋さんと、全国に工場を持って大量製造している私たちパン会社は、戦うフィールドが違うの。私が言いたいのは、それを理解しろってこと」

 真城は手の中のパン生地だけを見ている。次の生地ができあがる。早く分割しないと。そう思っても、紬麦は手を動かすことができない。

「紬麦くん、街のパン屋さんに就職し直したら。それか、起業して自分の会社作って、好きなことしたら。向いてないよ、うちの会社」

 その夜は悔しくて眠れなかった。

 真城に言われた言葉が、生地を捏ねる音のように響いた。目の奥が熱くなり、うまく空気を吸えなかった。

 なぜあのようなことを言われなければいけないのか。考えてもわからなかった。

 アイデアをブラッシュアップさせることの何が悪いのか。

 確かに、フレッシュのいちごを使うことは難しいのだろう。しかし大事なことは、より良いものを作ろうという心構えのはずだ。その心構えを、褒められこそすれ、怒鳴りつけるのはいかがなものか。

 後輩の意見を頭ごなしに否定する真城の器の小ささこそ、問題なのではないか。

 彼女の行動の至らなさを考え始めると、目が冴えてきた。どうせ眠ることができないのならばと、飛び起きてパソコンを起動させる。

 明日、勝木部長に意見書を提出しよう。

 真城は間違っているし、自分の考えは正しいはずだ。

 タイピング音をBGMに、紬麦は明日の決戦に向けて気持ちを高めていった。


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