【創作大賞2024】深海で、灯火を捏ねる⑤
―すばやく、形を整える
業績が思わしくない。
それは社内売上計上システム「STARS」で数字を見れば、一目瞭然だった。しかし勝木の様子からも伺い知れた。何度も7月の予算比や8月の売上予測を確認してはため息をつき、いつも以上に細かく新商品開発の進捗確認をしている。
「先月も前年達成しなかったから。もしかしたら、社長が出てくるかも」
一星製パンの代表取締役社長、諸星勇。親族経営の一星製パン二代目。初代を上回る経営手腕で、一星を業界3位まで成長させた。鋭く思い切りが良いが、業績が下がることを極端に嫌う。
業績が良いとき、商品開発に口を出すことはない。しかし悪化したときは、自ら入り込んで新商品開発、提案商談など、縦横無尽に動き回る。
社長が介入する。
それは、全社が一体となり、スピード感をもって動くことができる利点とともに、そのスピードに振り回され、社員が疲弊するリスクもある。
紬麦はまだ、社長が動いているところを見たことがなかった。
勝木が部長会から帰ってきた。肩で風を切り、鬼の形相である。席に着くや「集合」と全員を集めた。
「社長命令で、急遽9月に新商品を追加することになった」
全員が息を呑む。
9月発売。
今は7月半ば。4ヶ月先の新商品開発を進める通常スケジュールを、3分の1に短縮するということだ。単純に考えて、3倍速で仕事を回さなければならない。通常業務はなくならないので、実際はそれ以上の回転率が求められる。
その厳しさを、真城や吉原は実感を伴って知っていた。2人の表情は強張っている。
「例年以上の暑さで、パン自体が売れていない。うちのパンが売れていないのも、暑さが原因と考えている。それは夏場対策を怠った結果だと、社長が猛省しておられる。
が、開発の責任でもある。8月はさすがに間に合わないが、9月の対策はまだギリギリ間に合う。
暑い時期でも食べてもらえるパンを2品、今から考える。明後日の発表会で社長に報告するから、企画会議の準備、明日試作ができるように手配」
勝木の言葉に「はいっ」と返事が揃った。
「会議室予約、あと営業にも声掛けします」吉原がまず動いた。船越は原料会社に連絡、購買部にも声掛けすると席に戻っている。真城は丸さんとヤーさんの予定を押さえると電話に向かった。
「あの、おれは何をすれば」
「ホワイトボードとペン、一応付箋の準備も。過去の資料漁って、夏場に良さそうな原料があれば、コピーして準備しておいて」真城の緊迫した表情に、紬麦の返事が大きくなる。
緊急の企画会議が行われた。開発部全員、営業部とマーケティング部の部長とスタッフ数名が参加となった。環と越谷もいて、同期会を思い出し、紬麦は身体を強張らせた。2人の表情も、硬い。
「そもそも、この暑いのにパンなんか食べないよねぇ」
会議の口火を切ったのは、マーケティング部部長の石田だった。それを言ったら終わりだろう。そんな嫌な空気が流れる。
「そう仰るなら、社長のお心を励ます良策をお持ちなのですよね。ぜひお聞かせいただきたいです」
勝木が満面の笑みを浮かべている。紬麦はこんなに恐ろしい笑顔を初めて見た。「一般的な意見だよ」と濁す石田も、恐怖を感じているようだ。
「そう、買ってもらえる、食べたくなるようなパンを開発するしかない。まずは、ブレストしようか」
越谷がホワイトボード前を陣取った。書記をするつもりだろう。紬麦も何かすることはないかと探ったが、今できそうなことはなく、大人しく席に収まっていることにした。
「辛いものかな。激辛チョリソーパンとか」桃原部長に続き、意見出しが始まった。
ブレインストーミングなので、全員が思い思いの意見を言っていく。それを否定するものはいない。
紬麦も楽しくなり、「ラムネ味フィリングのコッペパン」や「爽やかレモンパン」「スイカ&チョコ」「ぽんぽん口に放り込める、食べやすい一口パン」などアイデアを出していく。
一通りアイデアが出そろったところで、アイデアを絞る作業に移行することになった。「営業から意見出ししますね」と、桃原部長がツーブロックの髪を撫で上げながら、ホワイトボード前に立った。赤いペンを持って「うーん」と唸っている。
「まず、奇をてらったのは、やめとこう。売れないから」
真っ先に、ラムネ味フィリングのコッペパンが赤いバツ印で消された。その他数個の案が消えていく。
「8月の新商品と被っているものもある。カニバるからやめとこう」
爽やかレモンパンが消えた。8月の新商品とのバランスを考えていなかった。紬麦は反省事項をメモしていく。
「スイカね。9月は遅いよね。アイスとのコラボができるなら、来年再挑戦かな」
スイカ&チョコも消えた。桃原部長だけで、半分のアイデアが消されている。
「じゃあ次、マーケティング部の意見ですけど」
石田が何も言わず、さらに残った内の半分を消していく。
「今はコスパを求められることが多い。一口パンは食べやすくていいけど、複数個入れだと割高感を与えてしまう。安くて大きくてボリュームがある。そういう、わかりやすい方がいいと思いますねぇ。少なくとも、2品のうち1品はそうしましょう」
いいですね。売りやすい。桃原も同意している。
残ったアイデアは、10個ほどとなった。「ゼリーパン」「激辛チョリソーパン」「焼きコーンパン」「ミルクパン」「ほとんど具だけ」など、それほど良いアイデアとは思えないものが残っている。
「勝木部長はどうです?」桃原の問いかけに、勝木は唸り声のような返事をした。
ホワイトボードを凝視し、残っているアイデアを見比べ、目を閉じ、1分ほど、無言だった。冷房の効いている部屋が、暑く感じる。
「皆さんのご意見に概ね同意です。2品発売できるので、バランスを考え、1つは総菜パン、もう1つは菓子パンがいいですね。総菜パンは、激辛チョリソーがベースで良いかと」
チョリソーパンを提案した桃原部長が、首がちぎれるぐらいに頷いている。「ジューシーで太くて食べ応えのあるやつにしましょう」と嬉しそうだ。
「残っている案は、どれも一つだと弱い。何かと何かを組み合わせる、というのはどうでしょう。『チョリソー』と『ほとんど具だけパン』。夏場食べるパンは口に残る。極限まで減らしてみましょう。
菓子パンは『ゼリーパン』と『ミルクパン』。ミルクゼリーだと涼しそうだし、のど越しもよいですよね。夏に牛乳って、意外と人気だし。生地も白くして、見た目にも涼しくするといい」
石田と桃原と環が、勝木の意見に激しく同意している。「『冷うま』のワンポイントラベルで訴求するのもいいね」と営業サイドは盛り上がっている。
紬麦はとにかく全員の意見を記録した。あとで見返して勉強する。全てのアイデアを却下されたことが、とにかく悔しかった。この挫折も、エースになるための一歩だ。この時のことは、のちに紬麦自伝に掲載されることだろう。
調子が出てきたようだ。そう思って、紬麦はこっそりと苦笑いした。
「コンセプトは一旦、その2案でいきましょう。詳細の規格ですが、総菜は130円。菓子パンは120円で販売できるようにしたい」
桃原の意見に、石田は頷いている。
勝木の眉間に、しわが刻まれた。
「ジューシーで太くて食べ応えのあるチョリソーを使って、というご要望でした。130円だと、原価が合わないんじゃ」
思わず口にした。言ったあと口を押さえたが、明らかに遅かった。営業の面々が紬麦を睨むように見ている。穏やかだった桃原と石田も、険しい顔つきだ。
「君は、新入社員だね」
桃原の声は平坦だったが、目は笑っていない。紬麦は自己紹介し、頭を下げた。
「企画会議も初めてだね。良い機会だから教えてあげよう。物価が高騰しているなか、賃金を上げている企業はわずか。お客さまの家計はとてつもなく圧迫されている。
そんな中でも、お買い求めやすい価格で、品質の良い商品を提供する。それが一星の使命だ」
最初から限界を決めないように。諭すような桃原の発言に、紬麦はただ頭を下げた。
「桃原部長の仰る通りです」
頭を上げる。
勝木が微笑みながら桃原を見据えている。また小言だろうか。紬麦はうんざりして、ペンを置いた。「また出た、勝木スマイル」隣の吉原が呟いている。
「ですが、紬麦の言う通り、原価が厳しいのは事実。時間もなさすぎる。あくまで最善を尽くした後、という前提ですが、130円で収まらなかった時には、150円まで許容していただけませんか」
お願いします。勝木のまっすぐな視線には、有無を言わせない圧があった。桃原と石田が顔を見合わせる。反論は、出なかった。
「ありがとうございます。営業のみなさまにはいつも感謝しております」
会議はそこで終わった。
営業部が去ったあと、紬麦は勝木に駆け寄った。
「部長。フォローいただき、ありがとうございました」
怪訝そうな顔を向けてきたので、「原価合わない発言をしてしまって」と説明する。「ああ」そこで初めて合点がいったようだった。
「別に。紬麦が言わなかったら、私が言っていた。あなたが言ってくれたから、角が立たずに収めることができた。良い働きをしてくれた」
耳を疑った。褒められたのかもしれないと、気づくまで息が止まっていた。
「気にするな。営業は価格を下げるのが仕事だと思ってるし、絵空事を平気で言えることを特権だと思ってる。私も、それでいいと思っている。誰かが理想を言わないと、アイデアの枠は狭くなる一方だからね。それじゃいいものはできない。発言は自由だよ」
勝木は自分のノートを閉じ、資料をまとめて立ち上がった。
「ただし開発の仕事は現実的だ。理想を忘れてはいけないが、実際に枠はある。
限られた費用で、揃えることのできる原材料で、決められた設備で、最低限の人数で、必要な衛生環境で、最大限良いものを作る。それが使命だ。
金をかければおいしくて見栄えのするものぐらい簡単に作ることができる。でもそれは、街のパン屋やレストランに任せなさい。普通なら300円かかる商品を、100円で作ることのできる方法を考えることが我々の仕事。
パンのアイデアを出すことだけが、開発の仕事ではないと言った意味、今のあなたなら、わかるでしょう」
言い終わると、勝木は会議室を出て行った。紬麦も後を追う。
環の気持ちが、ほんの少し、わかった気がした。
