【ショートショート】引っ越しのことお引っ越しっていうやつは、豆腐のことをお豆腐って言うし、居酒屋のことを居酒屋さんって言う
「なぁ聞いてや、今日のおやつなんやったと思う?」
公園のグラウンドに今日も一番乗りした僕に、入り口からタッチの差でやって来たナツミが話しかけてくる。
「お豆腐に醤油だけかけたやつやってん!ありえへんくない?」
健康的に黒くなった額に大粒の汗を浮かべ、ナツミは大げさに首を振る。ふわっと切り揃えられたボブの髪が揺れて、シャンプーの匂いが春の匂いと共に僕の鼻に入ってきた。
「とうふ、でええやん」
僕がお決まりのセリフを返すと、これまたいつものごとくナツミはニヤッと笑う。
「……よくこのノリ飽きひんよな」
「ノリっていうかマサトの言葉使いが汚いだけやねんで」
「こんなやり取りもフモ―やわ」
フモー?と小さく呟いているナツミの手からサッカーボールを奪ってドリブルを始める。
「あ!ちょっと待ってや!」
追いかけてくるナツミをターンして躱し、さらに追い縋ってくるナツミを振り切るように走る。
ドリブルしながらちょっと顔を上げると、近所では最も大きいナツミの家が目に入った。その隣のこじんまりした僕のウチは公園の木に隠れてほとんど見えない。
他のみんなも、そろそろ家から公園に向かってくる頃だろう。
「なぁ、ナツミさ」
「ハァハァ……なに!?」
ボールをワンタッチで止め、ナツミを振り返る。
「ボクな、引っ越しするらしいねん」
「――え?」
走ってきた勢いそのままにボールを奪って走り去ろうとしていたナツミの足元から、ボールだけが先に砂埃を立てて逃げていく。
「なんか父ちゃんの仕事でトーキョー行くらしい」
ニュースでたまに見るトーキョー。そこに行くということは、教科書に載っている場所に行くという意味でアメリカに行くことと同じだと思う。
「やから、もう、会えへんかも……」
しれへん、と聞こえないように言葉を落とす。断定はしたくない。
父ちゃんは、行こうと思ったら関西と関東なんか一瞬や、と自信満々に言い切っていたけど、それはつまり、親と一緒に行こうと思わないと行けない距離に移動するということだ。
もう二度とナツミとこうやって公園に来ることがないかもしれない。もう二度と学校帰りに遊びの約束して遊べないかもしれない。
話し始めると寂しくなりそうで、学校のみんなには黙っていたけど、どうしても、ナツミにだけは伝えておかないといけないと思った。
「え、泣いてんの?」
慌ててナツミから顔をそらして、袖で目元をぬぐう。
「見せてー」
こんなときにもナツミはふざけて、ボクの前に回り込んでくる。
泣いてへんし、と袖を目元から離してナツミの目を見る。
「泣いてるやん!」
ナツミはケラケラと笑いながら、その表情を崩さずに
「大丈夫やって!いつでも会える、何回でも遊ぼ!」
と断言する。
うん、と言ったらまた泣きそうだったので、大きく頷く。
「お引っ越しはいつなん?」
あくまでフツーに尋ねているようで、そのナツミの声にも少し涙が混じっている。
「……来週」
「はや!もうすぐやん、お引っ越し」
「...…引っ越し、でええやん」
目元を擦りながら返すと、ナツミは僕と違って隠そうともせずに涙を両目から流しながら、それでもニヤッと笑った。
*
地元の成人式なんて、来るんじゃなかった。
市長が話しているにも関わらず、後ろでお揃いの法被を着て、わざわざ持ってきたであろう大きな太鼓をダンダン鳴らす市内の同い年に辟易しながら、目をつむる。
「ひとつめは、親御さんへの感謝を忘れないということですーー」
文化センターの大きなホールに集められた小学校の同級生のうち、何人かは覚えててくれていたようで、当時と変わらず接してくれた。それでも大学に受からずに浪人が確定してるようなやつは僕ぐらいらしく、みんなが一様に慰めてくれることがとても心苦しい。
小学校の半分と中学、高校を過ごした関東の方が、関西よりも愛着があることに、成人式に出席してから気が付いた。
幼いころの狭い行動範囲は全てが変わってしまっていて、よく行っていた公園には、立派な老人ホームが元から居たような顔をして建っていた。
幼少期に住んでいた場所のことを本当のふるさとなんて考えるのは今後辞めよう、と心に誓う。
「以上を持って成人される皆さんへの言葉とさせていただきます」
長くてつまらない話をする市長と、旺盛な自己顕示欲で叩く太鼓の、目的のない泥試合がやっと終わる。同じ列に座っている何人かが僕と同じタイミングで、疲れたように息を吐く。
「それでは新成人の皆様は2階にあります立食パーティーへご参加賜りますようお願いいたします」
以上を持ちまして――傍目に見ても無事に終わってホッとしている司会が退席の誘導を始めた。
ロビーには知り合いを探すどころではない混み具合だった。全員がゆっくりとお互いを見合いながら知り合いを探したり、一目散に2階へ向けて動き出していたり、リッスイの余地もないっていうのはこういう時に言うんだなと逆に感心してしまう。合っているかどうかは知らない。昔から難しい語彙を使いたい気持ちだけが、先行してしまうこの性格が苦手だ。
賢くみえることと、賢いことは全くの別物であることは今年の僕が証明してしまった。
「あ、マサト!おひさ~」
人波にうんざりして、もういいやと誘導されたコースから抜けようとしたとき、ひとごみの中で肩を叩かれた。
「えっ?」
振りかえると、やほーと僕より上の目線から美人が手を振っていた、が思い当たる節はない。
戸惑いを隠せない僕にふふん、と笑みを湛えながら、その美女は口を開く。
「私のこと覚えてないん?ナツミやでナツミ」
「あ、ナツミ」
改めて見ても当時の面影はほとんどない。すらっとした綺麗な頭身に青のドレスが眩しい。
長いさらさらの髪を、両手を組んだみたいな、おしゃれな髪留めで止め、大きい目を中心にバチッとしたメイクをしている姿は、もう昔のようには接することができないことを言外にこちらへ告げていた。
「なんなん、態度悪っ!」
浪人が確定しているような人間が、改めて幼馴染として話すことに対する気後れだよ、と心の中だけで答える。
久しぶりだね、と少し会釈してから、改めて列から離れようとした僕の肩をナツミがグッと掴む。
「あとで、一緒に居酒屋さん行こ」
「居酒屋、でいいじゃん」
思わず反応してしまった僕のセリフを聞いたナツミは、心底うれしそうにニヤッと笑った。
