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家族には、誰も決めていないのに続いているルールがある

「餃子パーティー」と意気込んで、最後の一個を譲り合う。わが家の王将ルール

わが家には、誰が決めたわけでもないのに続いている流れがあります。

誰かが、ふと、

「なんか餃子食べたくない?」

と言う。

すると、なぜか、

「じゃあ明日、餃子の王将行こうか」

となります。

しかも、夜ではありません。

必ず昼です。

なぜ昼なのか。

これも、家族会議で決めた記憶はありません。

「王将は昼に行くものです」

なんてルールを作った人もいません。

でも、気づけばそうなっています。

そして今日も、その謎の流れに従って、昼の王将へ向かいました。

ふて猫は、家族会議の議事録を探しています。

「人間、決めていないルールほど長く続くことがあります」

たしかに。

家族には、こういうものが意外とたくさんあるのかもしれません。


子どもたちが来るかどうかには、ルールがない

王将へ行くことが決まっても、家族全員が必ず参加するわけではありません。

子どもたちは、ついてくる日もあれば、ついてこない日もあります。

その法則性は、いまだによくわかりません。

何を基準に決めているのか、親には見えません。

外食だから来るというわけでもない。

餃子が嫌いなわけでもない。

むしろ、ついてこない日に、家で冷凍餃子とラーメンを食べる謎っぷり

予定があるならわかりますが、そうとも限らない。

たぶん本人たちの中には何かあるのでしょう。

でも親からすると、

王将参加率は予測不能です。

小さい頃なら、親が「外食するよ」と言えば、そのまま家族全員で出かけていたように思います。

でも大きくなると、それぞれに自分の時間があります。

親と外食することも、数ある選択肢の一つになる。

少し寂しいような気もしますが、だからといって無理に全員集合する必要もありません。

家族の定番は、全員参加でなくても成立するようです。


注文にも、わが家の「いつもの」がある

王将へ着くと、今度は注文です。

ここにも、かなり安定したルールがあります。

まず餃子。

目安は、

参加人数×1.5人前。

「餃子パーティー」ですから、ここは大事です。

そして、わが家が王将を好きな理由の一つが、天津飯の京風だれ。

これがあるから王将が好き、と言ってもいいくらいです。

子どもたちは、オーソドックスなチャーハンとラーメン。

メニューにはたくさんの料理が並んでいるのに、何度も通っていると注文するものは狭くなっていく。

人は選択肢が増えるとうれしいはずなのに、最終的には、

「いつものやつ」

に落ち着きます。

外食なのだから、たまには冒険してもいい。

知らないメニューを試してもいい。

そう思うのですが、メニュー表を一通り見るだけ見て、

「まあ、これだよね」

となります。

ふて猫は、メニューを最初から最後まで眺めたあと、いつもの注文に戻ります。

「人間、選ぶ楽しさは欲しいけれど、失敗はしたくないようです」

これは飲食店に限らないのかもしれません。

選択肢がある安心感と、いつものものを選ぶ安心感。

人は、その両方を欲しがります。

もう一皿くるまで、お腹は待ってくれません

餃子パーティーは、開始前がいちばん威勢がいい

料理が届き始めると、テンションが上がります。

今日は餃子パーティー。

餃子を食べるために来た。

人数×1.5人前では足りないかもしれない。

食べ終わったら追加しよう。

そんなことを言いながら食べ始めます。

空腹のときの人間は強気です。

目の前の餃子くらい、いくらでも食べられる気がします。

「餃子は追加できるね」

などと言っています。

ところが、食事が後半に入ると、空気が変わります。

さっきまで追加注文の話をしていたのに、残った餃子を見つめ始めます。

そして毎回のように、

「一人前食べてない人いる?」

「これ、誰か食べられる人どうぞ」

という会話が始まります。

追加どころではありません。

最後の数個が、静かに家族の間をさまよっています。

なぜ毎回こうなるのか。

そして、なぜ次に来たときには、

「今日はもっと餃子いけるよ」

と思うのか。

人間の学習能力には、ときどき不思議なところがあります。

ふて猫は、最後の餃子を見つめています。

「空腹時に立てた計画は、満腹になるとだいたい撤回されます」

餃子パーティーは、毎回だいたい同じ結末を迎えます。


昼の王将は、夜ごはんまで決めてしまう

お腹いっぱいで店を出る頃には、次のルールが発動します。

「今日、夜いらないね」

これも、ほぼ毎回です。

夕方になっても、まだお腹が重い。

夜ごはんをしっかり作って食べる気にはなりません。

ところが面白いことに、この流れを子どもたちもよく知っています。

王将についてこなかった日は、

「どうせ、夜は適当なんでしょ」

というようなことを言われます。

バレています。

親が思っている以上に、子どもは家庭内のパターンを見ています。

王将へ行った。

ということは、

親は昼に食べすぎる。

ということは、

夜ごはんは手抜きになる。

ここまでが一つの流れとして認識されている。

誰も説明していません。

でも、何度も繰り返されると、家族全員が先の展開を読めるようになります。

家族の暮らしとは、案外こういう小さな予測の積み重ねなのかもしれません。


そして子どもたちは、夜も普通に食べる

ただし、ここで世代差が出ます。

子どもたちも、王将でしっかり食べています。

親からすれば、

「これだけ食べたら、今日はもう十分でしょう」

という量です。

ところが夜になると、普通に食べます。

昼にあれだけ食べた人とは思えない。

胃袋の中で、いったい何が起きているのでしょう。

こちらはまだ昼の餃子の存在を感じています。

子どもは、

「夜ごはん何?」

くらいの雰囲気です。

若さとは何か。

体力。

回復力。

好奇心。

いろいろあると思います。

でも王将帰りのわが家を見る限り、

若さとは、油ものを昼に食べても夜にはリセットされていること

なのかもしれません。

ふて猫は、親の胃袋のあたりを気の毒そうに見ています。

「同じものを食べても、消化スケジュールまでは家族で共有できません」

これは、なかなか残酷です。

天津飯といえば、京風ダレがわが家の定番

家族には、名前のついていない文化がある

考えてみれば、わが家の王将ルールは、誰も作っていません。

改めて言語化してみると、かなり細かいルールです。

でも、家族で相談して決めたものは一つもありません。

何度も同じことを繰り返しているうちに、

「わが家ではこうなる」

ができていました。

こういうものは、ルールというより、家族の文化なのかもしれません。

旅行へ行くときの役割。

休日の朝の過ごし方。

誕生日の祝い方。

誰が最初にお風呂へ入るか。

家庭には、外からは見えない「いつもの」がたくさんあります。

そして不思議なことに、そういう何でもない習慣ほど、あとになって思い出します。

「あの頃、よく王将行ったよね」

となったとき。

思い出すのは、料理の味だけではないのでしょう。

最後の餃子を押しつけ合ったこと。

昼に食べすぎて夜ごはんを諦めたこと。

子どもが来たり来なかったりしたこと。

京風だれの天津飯を毎回頼んでいたこと。

そういう細かいところまで含めて、家族の記憶になります。


全員そろわなくなっても、定番は残っていく

子どもたちは、大きくなりました。

そのうち、今よりもっと一緒に出掛ける回数は減るのでしょう。

友達との予定が増え。

それぞれに行きたい場所ができ。

家族全員がそろうこと自体が、少しずつ特別になっていく。

でも、だからといって家族の定番がすぐになくなるわけではありません。

誰かが、

「餃子食べたくない?」

と言ったとき、

「ああ、じゃあ王将か」

と思える。

参加する人は毎回違っても、その流れだけは残っている。

家族の形は変わっても、こういう小さな習慣が、その時々の家族をゆるくつないでくれるのかもしれません。

全員そろわなくてもいい。

毎回同じでなくてもいい。

でも、何となく続いているものがある。

それくらいの定番が、家族にはちょうどいい気がします。

帰り道、シャトレーゼに寄るのも定番

明日ドヤれる一言

最後に、明日ちょっとドヤれる一言です。

家族の文化は、話し合って作るより、同じことを何度も繰り返すうちにできている。

わが家では、

「餃子食べたくない?」

の一言で、なぜか昼の王将へ向かいます。

注文するものも、だいたい同じ。

「今日は餃子パーティーだ」

と意気込み、

「追加もいける」

と言いながら、

最後には、

「この餃子、誰か食べられる?」

となる。

そして帰る頃には、

「今日の夜はもういいね」

と話しています。

子どもたちも、その結末まで知っています。

誰も決めていない。

でも、みんな知っている。

そんな名もないルールが、いつの間にかわが家らしさになっていました。

ふて猫は最後に、残った一個の餃子を眺めています。

「家族の伝統は、最後の一個を誰が食べるかで受け継がれていくのかもしれません」

もちろん今日も、餃子の追加注文にはたどり着けませんでした。

でもたぶん、次に来たときも言います。

「今日は追加できるんじゃない?」

人間、満腹の記憶だけは少し薄れるようです。


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この記事は、マガジン 「人間観察、ときどき外出」 の一編です。

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