身寄りのない死が増えたというより、家族前提の仕組みが限界に来ている
一人で生きる自由は増えた。でも、死後だけは誰かを必要とする
一人暮らしをする。
一人で働く。
一人で買い物へ行く。
一人で病院へ行く。
今の社会では、
「一人で生きる」
こと自体は、かなり普通になりました。
でも、
自分が亡くなったあと。
そこだけは、自分ではできません。
遺体を誰が引き取るのか。
火葬を誰が手配するのか。
遺骨を誰が受け取るのか。
その後、どこへ納めるのか。
ふて猫は、一人で歩いてきた道の最後に、突然「ここから先は誰かにお願いします」と書かれた看板を見つけます。
「人は一人で暮らせても、自分がいなくなったあとのことだけは、自分ではできません」
記事によると、生活保護受給者が亡くなった際の火葬費などを公費で賄う「葬祭扶助」は、2024年度に5万6447件となり、過去最多を更新しました。
国と自治体による公費負担は、総額で約120億円に上るとみられています。
さらに、引き取り手のない「無縁遺体」は2023年度に4.2万人と推定され、年間死亡者数の3%弱。
自治体が保管している無縁遺骨も、総務省の2021年調査では約6万柱に上ったとされています。
今日はこのニュースを入口に、
家族が小さくなった社会で、“死後の仕事”を誰が引き受けるのか
を考えてみます。
合言葉は、
読んで納得、明日ちょっとドヤれる。
「無縁」と呼ばれても、生きている間まで無縁だったとは限らない
「無縁遺体」
少し強い言葉です。
身寄りがない。
親族が引き取らない。
そうしたケースを行政上まとめるための言葉なのでしょう。
でも、
その人が生きている間、本当に誰ともつながっていなかったとは限りません。
友人がいた。
職場仲間がいた。
近所の人と話していた。
趣味の仲間がいた。
毎週通う店があった。
それでも、
亡くなったあとに必要になるのは、
親族なのか。
誰が遺体を引き取るのか。
誰が手続きをするのか。
という、とても制度的なつながりです。
ふて猫は、たくさんの人とつながった線の中から、「家族」という一本だけが太く描かれている図を見ています。
「人間のつながりは家族だけではないのに、死後の手続きになると急に“家族がいるか”が大きな意味を持ちます」
今の社会では、
家族以外のつながりは増えています。
でも制度の側は、
まだ家族がいることをかなり前提にしている。
今回のニュースは、そのズレが表面に出てきた話でもあると思います。
公費120億円は、「急に増えた仕事」なのか
約120億円。
数字だけを見ると、
そんなに税金が使われているのか。
と思います。
でも少し見方を変えると、
これまで誰がやっていたのか。
という話になります。
家族が亡くなれば、
遺体を引き取る。
葬儀を考える。
火葬を手配する。
遺骨を受け取る。
お墓や納骨先を決める。
こうしたことを、家族が担ってきました。
当然そこには、
時間も、
手間も、
お金もかかっています。
ただ、それは「家族がやるもの」だったので、社会全体の費用としては見えにくかった。
家族が小さくなり、
その役割を担う人がいなくなれば、
行政が引き受ける。
そこで初めて、
数字になります。
ふて猫は、今まで家の中に隠れていた仕事が、「公費」という札をつけて外へ出てくるのを見ています。
「公費が突然必要になったというより、昔は家族が見えないところで引き受けていた仕事が、金額になって表へ出てきたのかもしれません」
これは介護でも、
子育てでも、
看護でも似たことがあります。
家族が担っていた仕事が、
家族だけでは支えきれなくなったとき、
初めて社会の問題になります。
「安くやってくれる」は、自治体には魅力的
今回の記事でもう一つ気になるのが、
いわゆる「無縁ビジネス」です。
記事では、自治体が通常約21万円を負担するところを、
民間業者が16万5千円で、
火葬から納骨、永代供養まで引き受けるケースが紹介されています。
自治体からすれば、
費用が安くなる。
業者からすれば、
自治体から継続的に仕事を受けられる。
この部分だけを見れば、
お互いにメリットがあります。
ふて猫は、21万円と16万5千円の札を見比べます。
「安く引き受けてくれることは助かります。でも、“安い”と“安心”は同じ意味ではありません」
問題は、その先です。
記事によると、
業者へ遺体を引き渡したあと、
適切に扱われているのかを国や自治体が十分に把握できず、
チェックする仕組みもないとされています。
そこに今回のニュースの怖さがあります。
本人が亡くなったあとほど、確認する人がいない
普通の商品やサービスなら、
雑だった。
約束と違った。
対応が悪かった。
となれば、
本人が苦情を言えます。
契約をやめることもできます。
でも、
亡くなった人の遺体や遺骨を扱う仕事は違います。
本人は、
もう確認できません。
家族もいない。
引き取り手もいない。
となれば、
本当に丁寧に扱われたのか。
適切に保管されたのか。
約束通り供養されたのか。
確認する人そのものが少なくなります。
ふて猫は、「確認済み」の欄が空白になった書類をじっと見ています。
「本人が声を上げられない仕事ほど、本人以外が確認する仕組みが必要になります」
だから、
民間業者が参入すること自体が悪いわけではありません。
むしろ、これから必要になるサービスでしょう。
問題は、
家族の代わりをする仕事なのに、
それを監督する仕組みまで一緒に整っていないことです。
葬儀業は、思っているより自由に始められる
記事によると、
葬儀業は許認可事業ではなく、
公的な資格も必要ない。
監督官庁もなく、
業者を公的に把握する仕組みもないとされています。
もちろん、多くの葬儀業者は真面目に仕事をしているでしょう。
ただ、
亡くなった人を預かる仕事。
遺体を安置する仕事。
遺骨を扱う仕事。
と聞けば、
かなり厳しいルールのもとで行われていると思う人も多いはずです。
実際には、
社会の変化のスピードに、
制度の整備が追いついていない部分がある。
ふて猫は、新しい仕事がどんどん先へ走り、その後ろを制度が息を切らしながら追いかけるのを見ています。
「社会の困りごとが先に増えると、ビジネスはすぐ生まれます。でもルールは、たいてい少し遅れてやってきます」
身寄りのない人が増える。
自治体の負担が増える。
民間サービスが生まれる。
そのあとで、
どう管理するのか。
何を最低基準にするのか。
が問題になる。
まさに今、その途中なのだと思います。
「家族に頼らない」は、自由でもある
ここで、
昔のように家族が面倒を見るべきだ。
という話に戻すのも違います。
結婚しない人。
子どもを持たない人。
親族と疎遠な人。
一人暮らしを選ぶ人。
さまざまな生き方があります。
家族に頼らず生きることが、
悪いわけではありません。
むしろ、
生き方の自由が広がった結果でもあります。
ただ、
自由が広がれば、
昔は家族が担っていたものを誰が引き受けるのか。
という仕組みも必要になります。
ふて猫は、「家族に頼らない」という自由の隣に、「家族以外でも頼れる」という札を置きます。
「家族に頼らなくても生きられる社会なら、家族以外にも安心して頼れる社会である必要があります」
ここが大切だと思います。
家族がいないことを問題にするのではなく、
家族がいなくても困らない仕組みをつくる。
その方向の方が、今の社会には合っています。
「死後の準備」は、お墓だけの話ではない
終活というと、
お墓をどうするか。
葬儀をどうするか。
遺言を書くか。
そんな話を思い浮かべます。
でも今回の記事を読むと、
もう少し手前から考える必要がありそうです。
自分が亡くなったとき、
誰が連絡を受けるのか。
誰が手続きをするのか。
誰に何を頼むのか。
どこまで民間サービスへ任せるのか。
一人暮らしだからこそ、
元気なうちに決めておく。
それも、これからは大切なのかもしれません。
ふて猫は、「死んだあと考える」と書かれた付箋を見て首をかしげます。
「死後のことほど、死後には自分で決められません」
少し皮肉ですが、
本当にそうです。
家族の代わりをするなら、家族以上に透明であってほしい
これから、
身元保証。
死後事務。
葬儀。
納骨。
永代供養。
遺品整理。
こうしたサービスは、ますます必要になるでしょう。
そこに民間企業が入ること自体は、
むしろ自然です。
ただし、
本人が確認できない。
家族も確認できない。
となるサービスだからこそ、
料金。
保管方法。
契約内容。
その後の処置。
誰が責任を持つのか。
そうしたものを見えるようにする必要があります。
ふて猫は、閉じた箱に「信じてください」と書かれているのを見て、そっとふたを開けようとします。
「家族の代わりになる仕組みには、“家族だから信じる”ではなく、“見えるから信じられる”が必要です」
これは死後のサービスに限らない話かもしれません。
誰かの善意に頼っていたものを、
社会の仕組みに変えるなら、
善意だけではなく、
確認できる仕組みが必要になります。
「無縁」の問題ではなく、「新しい縁」の問題なのかもしれない
このニュースは、
無縁遺体が増えた。
孤独な人が増えた。
という話にも見えます。
でも私は、
少し違うようにも感じます。
家族の形が変わった。
一人で暮らす人が増えた。
親族以外の人間関係が増えた。
それなのに、
亡くなったあとの仕組みだけが、
昔ながらの家族を前提にしている。
だから、行き場がなくなる。
ふて猫は、「無縁」と書かれた札を裏返します。
そこには、
「家族以外の縁を、まだ制度が拾えていない」
と書かれています。
「“無縁”が増えたというより、社会がまだ新しいつながり方を“縁”として扱えていないのかもしれません」
この見方をすると、
少し違って見えてきます。
明日ドヤれる一言
2023年度に推定4.2万人の「無縁遺体」。
2024年度の葬祭扶助は5万6447件。
公費負担は約120億円。
数字はかなり大きくなっています。
でも、
これを単純に、
身寄りのない人が増えて大変だ。
税金がかかっている。
で終わらせるだけでは足りません。
昔は家族が引き受けていた仕事を、
今は社会が引き受け始めている。
その途中に、
制度が追いついていない部分もある。
だから民間サービスも必要になる。
でも、本人がいなくなったあとだからこそ、
安心して任せられるルールも必要になる。
ふて猫は最後に、
「家族」という一本の線だけで支えていた仕組みに、いくつもの新しい線を足していきます。
「一人で生きる自由が広がるなら、その人が亡くなったあとを家族以外でも安心して支えられる仕組みも、一緒に必要になります」
読んで納得、明日ちょっとドヤれる。
今日は「身寄りのない死」への公費負担と無縁ビジネスのニュースを入口に、
“家族が小さくなった社会で、死後の仕事を誰が引き受けるのか”
というお話でした。
家族がいることを前提にしてきた社会には、
まだ見えにくいところに、
いくつもの「家族がやるもの」が残っています。
それが少しずつ社会へ移っていくとき、
人間の暮らしや制度はどう変わるのか。
そんなニュースの裏側にある人間のクセや社会の前提を、メンバーシップでも少し深く眺めています。
メンバーシップはこちらです。
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