「私が嫌いな町」第20話


藤戸樹里

 湯気のたつ来客用のコーヒーカップをテーブルに置くと、和束さんが会釈をした。

「本日はお越しいただきありがとうございます」

 宮乃さんは伝手を頼り、オカルトマニア兼ライターである和束健治とコンタクトをとった。情報源については聞かない、また今回の話は一切公表をしないなどを条件に、神部の情報を教えてもらえることになっている。

「神部について知りたいとのことですが、具体的にどのようなことですか」

 痩せた体でしきりに眼鏡を触る仕草、神経質な印象が強い。

「彼女の略歴と大正初期ごろのことです」

 予想外の内容だったのか、和束さんは驚きを露わにして口角を上げた。

「へえ、神部が女性であることを知っているなんて。おまけに大正初期だなんて、同業者ではなさそうだけど」

 和束さんのねっとりと舐めるような視線は、熱量と不気味さが混在していて心地のよいものではない。そして宮乃さんは返答しない。

「失礼、彼女のことを興味本位で調べる奴は多いけど、精々が過去に悪名高い霊媒師がいた程度の認識なのでね」
「あなたは違うと?」

 思わず声を上げそうになった。情報を提供してくれる人を挑発するなんて、心臓がいくつあっても足りない。

「もちろん。そんな奴らと一緒にしてもらっては困ります」
「……本題に移りましょう。彼女の略歴を教えてもらえるかしら」

 互いを探り合っている状況に胃が痛くなる。
 和束さんはコーヒーカップに口をつけて唇を湿らせた。

「彼女は明治末期に隣県の集落に突然あらわれた。断っておきますがそれ以前のことはわからない。ぼくが知らないのだからきっと知っている人はいない」

 たいした自信だと思ったが、そうなのだろうと同時に納得してしまう。神部についてはどれだけ調べても情報がほとんどなかったからだ。

「当時、その集落では老若男女関係なく罹患する奇病が発生していた。彼女はその原因を呪いだと断言し、儀式をおこなうことで見事おさめてみせた」
「けれどもそれだけなら彼女の悪名は広まっていない、そうでしょう?」

 和束さんは低く笑うと口角をさらに上げた。

「ご推察のとおり、彼女は報酬を受け取って集落を去った。その少し後、集落で多数の人間が死んでいるのが発見された。これは記録が残っていましてね。有名な話ですよ」

 和束さんの言い草ではこれくらいは知っていて当然ということだ。だけど私は知らないし、この短い時間で彼がまともな部類の人間ではないと確信している。

「続きを話して」
「喜んで。その後も彼女は各地を巡り、そこには数多くの死が残されることになる。ある時は大規模な火災、ある時は住民による虐殺、ある時は病死」

 なにがおかしいのか、和束さんは区切りがつくたびに笑う。

「まあ、ここまでは調べればある程度わかります。そちらさんもそうでしょう。ではここからが本番」

 彼はわざと区切って間を空ける。

「当時日本は文明開花という変遷期を迎えていた。人や町、文化や風習、価値観に経済、ありとあらゆるものが目まぐるしく変わっていった」

 興奮しているのか、徐々に口調が荒くなっていく。

「次に彼女があらわれたのはある村の開発事業だ。その中で彼女は開発に携わったひとりとして記録されている」

 間違いない、御影新町のことだろう。

「これ自体はおかしいことじゃない。古くから日本では霊的なものや土地を大切にするし、いまでも建築をする前には地鎮祭をする。当時なら霊媒師が携わっていることも多かっただろう」

 でもね、と和束さんは両手を広げて天井を見上げる。

「多数の人間に不幸をもたらした彼女を起用するなんて正気の沙汰じゃない! 狂っているんだよ、昔からこの国は!」

 恋煩う人さながらの、恍惚とした表情と声に吐き気を催してしまう。

「ご大層な思想は間に合ってるわ」

 宮乃さんの反応が気に入らないのか、和束さんが小さく吐息を洩らす。

「そこからのことは大体把握しているのよ。当時の人夫や家族を生き埋めにして人柱にした。その霊魂を鎮めるためにあるものを作った」

 彼は憑きものが落ちたようにおとなしくなり、コーヒーカップに口をつけた。

「面白くないな、一番いいところを持っていかれた気分だ。あるものっていうのは木箱だろう?」
「ええ、そうよ。中身の正体はなに?」
「木箱の中身、そんなもの土地神として祀られていたものの一部だよ。さほど珍しくもない」

 血色の悪い指が角砂糖をひとつ摘み、半分ほどになったコーヒーへ落とした。中身が溢れたが気にすることなく、ティースプーンでゆっくりかき混ぜている。

「わからないのはその後よ、神部は生まれ故郷に戻った、けれどもその時にはすでに身籠っていた。彼女と子どもはどうなったの?」

 もはや興味を失ったのか、和束さんはつまらなさそうにスプーンを動かす。

「どうなったかね……御影新町。あのふざけた町、そこに戻って家族仲良く暮らしましたってさ。つまらない、悪業の限りを尽くした彼女が家庭を持って一生を終えるなんて」

 心底そう思っているのだろう、かき混ぜるたびに耳障りな音が響く。

「家庭をもったと言ったわね」
「ああ、そうだ。せっかく神部貞光と名乗っていたくせにありきたりな母親になったのさ」

 忙しなく動かす手を宮乃さんが素早く掴んだ。

「最後よ、母親になった彼女の名前を教えて」
「モリガミだよ。守るに上下の上で守上。これでいいだろう、離してくれよ」

 和束さんがいなくなると、宮乃さんはソファに身体を預けた。

「宮乃さん」
「大丈夫よ、自分の馬鹿さ加減にうんざりしているけれど。樹里、早希さんからの連絡は?」
「途絶えたままです、既読もついていません」

 彼女から頻繁にあった連絡が途絶えた。こちらから連絡しても反応はない。
 和束さんからの情報を鵜呑みにすることは避けたいが、そんなことを言ってはいられないのが現状だ。早希さんから最後の連絡で、御影新町が非常に危うい状態にあることが判明した。

「御影新町に向かいましょう」

 いつも冷静な宮乃さんが焦っている。車に乗り込んだまま発進させず、ハンドルを何度も指で叩く。

「私たちも二手に別れて」
「ダメよ。この一件、偶然が重なって起きているものではなくて、誰かの意志が介入しているのは間違いない。ここで二手に別かれるのは悪手よ」

 もっともだと思った。私ならともかく宮乃さんの代わりはいない、もしものことがあればなす術がなくなる。

 休憩を挟むことなく御影新町へと戻り、町中を巡った後商店街の近くにあるタイムパーキングに車を停めた。
 いつもなら満車であることが多いのに、今日は私たちの車だけだ。
 徒歩で商店街を往復したことで、さらに異様さが浮き彫りになった。
 往来する人が少なすぎる。ただこれはまだいい、時間帯やタイミングによってはそういう時もあるだろう。だけど個人店舗がひとつも営業していないのはおかしい。営業しているのはチェーン店ぐらいだ、それにしたって客が入っている様子はない。
 そして反比例するように増えているものがある。

「宮乃さん、これってどうなっているんでしょうか。あちこちに存在を感じます」

 普段なら霊を感じることがあっても、特定の建物や場所にいるかいないか、せいぜいその程度だ。

「樹里もそう感じるのね、そこらじゅうにいる」

 心当たりはある。

「木箱の影響でしょうか」

 頬杖をついていた宮乃さんがクラクションを鳴らす。

「ここまでいると煩わしいわね。原因の一因ではあるけれどもすべてじゃない」

 この中を歩いている人はきっとなにも感じていないのだろう、だからといって安全なわけではない。視えず、聞こえず、感じない、そんなものはなんの保証にもなりえない。

「新地区のほうへ向かいましょう」

 あそこには希実さんの家がある、この霊たちはあの場所から発生しているのだろうか。
 新地区の象徴ともいえるS字の坂を上っていく。麓の段階で予想はついていたが、進むにつれて存在が増えている。
 人がひとりもいない。立ち並ぶ洋風建築はどこも生活感が皆無だ。かつて夢と希望に溢れた住宅街が、こんなゴーストタウンになることを誰が望んだのだろうか。
 視界にほんの少し白い靄がかかり、まばたきをしてみたが変わらなかった。靄の濃度は上側のほうが濃い。
 車の走行速度が徒歩とほとんど同じくらいに落ちている。これ以上は危険と判断したのか、宮乃さんは車を止めてパーキングブレーキをかけた。

「ここから先は歩いて行きましょう」

 指示に従い、シートベルトを外してドアをゆっくりと開ける。たちまち鮮明だった車内に靄が流れ込んでくる。

「樹里、離れないように」

 車の前で隣り合い、互いの顔を確認する。その距離であっても宮乃さんの輪郭がはっきりとは見えない。彼女が先頭を行き、そのすぐ後ろを歩く。踏み出した足に力を込めて、坂を上る。
 目的地である希実さんの家は、その姿を靄の中に隠していた。
 白い靄のドームが形成されている。わたアメに見えなくもないが、そんな夢のある代物でないのは明白だ。ここまでくると宮乃さんの背中も薄っすらとしか見えない。
 ギィィと音が鳴った。擦るように歩を進めると足先に硬いものがぶつかる。

「門扉よ、段差に気をつけなさい」

 逐一状況を説明して、注意を促してくれる。
 空気が流れた、どうやら玄関扉を開けたようだ。
 時田家に足を踏み入れるとともに靄がなくなり、明かりの点いた廊下が別世界のようだ。
 土間で異常がないことを確認してから安堵の吐息をついた。そして宮乃さんに話しかけようとしたができなかった。
 彼女が前方を睨みつけている。肌に痛みを覚えるほど纏っているものが鋭い。

「気をつけなさい」

 遅れて理解した、異常を感じないこと自体がなのだ。
 ここでも彼女が先を行く。しかしその歩みは非常にゆっくりだ。
 わずかに声が聞こえた。
 途切れとぎれで聞こえるのは若い女性らしき声。
 クスクス、クスクスと笑っている
 方角や位置からしてダイニングだ。引き戸は閉まっているが、すりガラス越しに室内の明かりが点いているのはわかる。

「ふふ、そうね」

 どうやら会話をしているようだ。聞こえる声はひとりだけだが、会話が成立しているように思える。
 引き戸に宮乃さんが手をかけて、一呼吸も置かずに開いた。

「早希さん!」

 音信不通になっている早希さんが、ダイニングの椅子に座って上品に笑っている。

「あら、逢坂さんに藤戸さん」

 早希さんは小首を傾げて、私たちを不思議そうな表情で見ている。そしてまた誰もいない空間に向かって話をはじめる。

「いやだおばさまったら。本当よ。嬉しいわね、希実」

 早希さんは『おばさま』『希実』と言った。まともな状況ではないのは明白だ。
 椅子は全部で四脚、早希さんを除けば残りは三脚。そこにいるのだ、時田家が。のどかな昼下がりにお茶でもする気軽さで、彼女たちは再会を喜んでいるのか。
 過去に遡ればはっきりと霊が視えたことはある。だけどそれは早急に対応が必要な危機的状況であることを示している。

「誰と話しているの」
「いやね、逢坂さん。希実よ。ああ、でもおばさまやおじさまは初対面だったかしら」

 また早希さんは小首を傾げた。口調と幼い仕草がまるで一致しない。

「宮乃さん、これは」

 希実さんの時と同じではないだろうか。

「憑かれているわけじゃない」

 宮乃さんが空いている椅子を指していく。

「もう一度聞くわ、ここにいるのが希実さんたちなのね」
「どうしたの、さっきから」

 早希さんはさも当然だと頷く。

「あなたにとって、これがなのね?」

 ぴたりと彼女の動きが止まる。
 早希さんの顔がこちら側に、少しずつ動いては止まるを繰り返す。表情はなく、まばたきもしない。その様子は油の切れた機械をイメージさせる。
 宮乃さんが彼女の背後にまわり、背中に手を当てて静かに深く息を吸い、ゆっくりと吐いていく。

「さあ、よく見なさい」

 すると彼女は目を見開き、霊たちから視線を逸らした。

「希実……ごめん」

 霊たちがただ座っているだけに映っている。

「笑えない冗談はやめなさい」

 宮乃さんが冷ややかに言葉を放つと、霊たちが一斉に揺れて動き出した。
 ゔゔううう、ゔゔあああああ。
 つらい苦しい、どうして私が、おれが、いやだ、助けてくれ。
 言語になっていないのに、霊たちの叫びが理解できてしまう。聞いていられない、耳を塞ぎたくなる。
 宮乃さんがさっきと同じ呼吸をして、今度は右手で空中に文字を書いていく。すると激しく揺れている霊たちの姿が、少しずつ宙へと消えていく。
 早希さんは両手で顔を隠してすすり泣いている。彼女もあれが希実さんたちの霊でないことに気がついていたのだろう。
 それでも、仮初だとわかっていてもなお、早希さんは浸っていたかったのだ。
 許せない。心の隙間に入り込み、土足で踏みにじる。たとえそれが生きている人間の仕業でなくても、到底許せるものではない。

「立てますか?」

 私の肩を支えにして、立ち上がった彼女の顔はげっそりとやつれていた。もう少し到着するのが遅れていたら、命はなかっただろう。
 彼女は落ち着くと、この家で起こったことを話してくれた。
 意識を取り戻した時には、すでに自分ではどうすることもできないようになっていたようだ。そしてこの現象の裏にいるのが自分の祖父、喜助であることも説明してくれた。

「きっとお祖父様が木箱を所持していると思います」

 次の目的地が決まった。
 さっそく行動を開始しようとすると、宮乃さんが口元に指を当てる。動くなということだろう。
 ズルリ、ズルリ……。
 ズズズ、ズルリズルリ。
 ここにいてはいけない、本能が最大限の警鐘を鳴らす。この世ならざる音、聞くだけで全身が萎縮して、ありとあらゆる不快なものに精神を侵食されてしまいそうだ。強く気をもっていても発狂しそうになる。
 ズルリ。
 宮乃さんは指を三本立てた。その頬には汗が伝っている。
 指が二本になった。
 ズズズ、ザザザザザ。
 こちらの意図に勘づいたのか、音の近づいてくる速度が上がる。
 指が一本になる。宮乃さんが私の手を、私は早希さんの手を強く握る。
 音が止んだ。
 それと同時に引き戸を思いきり開いて、全力で外を目指す。
 ザザザザザザザザザザ。
 恐ろしい、とんでもないものが背後から迫ってきている、絶対に振り向いてはいけない。
 ダメだ! 早い!
 もうすぐそばまで迫っている!

「先に行きなさい!」

 開かれた玄関扉、早希さんの手を引っ張りながら無我夢中で走る。
 足裏が硬いものを蹴り、熱くなる。
 門扉を抜けて道路へ飛び出すと、勢いあまって転んだ身体に叩きつけるような衝撃が突き抜ける。

「うぅ」

 早希さんが少し離れた場所に倒れている。

「宮乃さんは」

 痛みを無視して玄関を見ると、宮乃さんがこちらに背を向けて立っており、空間を埋め尽くす黒く蠢くものがいまにも飲み込もうとしている。

「宮乃さん!」

 助けようと身を起こしたがまた倒れ込んでしまう。それでも視線だけは離さない。
 蠢くものから二本の腕があらわれて、彼女に巻きついていくとその姿が黒く染まっていく。
 手を伸ばす、助けるんだ、と懸命に手を伸ばす。だけどその姿は蠢くものと同化してしまい、そして映像を戻すように廊下の奥へと消えていった。

「う、うぅ」

 早希さんが呻き声を洩らした。
 あちこちに擦り傷があり、服が傷んでいるが無事のようだ。

「どう、なったんですか。逢坂さんは」

 一部始終を説明しながら体勢を立て直す。
 ふたりとも満身創痍だ。それでも進まなければならない。宮乃さんは「先に行きなさい」と言った。ならば先に進む。

「早希さん、お祖父様のところに案内してください」



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