「私が嫌いな町」第18話


 ひとり暮らしをすることも許されないため、毎日この家に帰ってくるしかない。律儀に門扉まで行かずに石垣塀を乗り越えたい、といつも思うが実行に移したことはない。

「ただいま」

 明るいだけの玄関。
 脱いだ靴を数秒かけて揃えるが、その間に出迎えてくれる人や言葉はない。すでに夜が遅いため、家政婦の枝松さんは帰っているようだ。
 夕食が用意されていることはわかっているが、食べる気にはならない。それが母の作ったものならなおさらだ。

「いつ見ても立派な家ねえ」

 塀の向こうから、そんな声が聞こえてくることがある。
 確かに立派だがそれだけだ。中山家を羨ましがる人は多い。そういう人に会うたびなにも知らないくせに、と心中で悪態をついてしまう。
 ちょうど廊下を曲がってきた母とすれ違うが、こちらから声をかけることはない。反対であってもそうだ。
 通りすがりにさっきまで母がいたと思われる部屋の障子を開ける。欄間、鴨居、床の間、床框とこかまち、飾り窓、室内の細部にまで細工や装飾がされており、初めて目にする人は圧倒されるだろう。
 しかしここには人の温もりがない。ここだけではない、この家すべてにおよそ温かみというものは感じられない。
 乱暴に障子を閉めて進んでいく。この先に父の部屋があり、さらにその奥がお祖父様の部屋だ。
 父の部屋の前までやってきた。明かりは灯っておらず、父が室内にいないことはわかっている。それでも静かに気分が高まっていく。息を深く吸い、吐き出しながら障子を開いていく。
 素早く室内へ入り、後ろ手で障子を閉める。そして息をひそめながら薄闇に目が慣れるのを待つ。しばらくして明かりを点けようとして手を止めた。
 つくづく自分に呆れてしまう。この期に及んで、見つかってしまったときのことを恐れているのだ。
 馬鹿らしい、見つかったからなんだっていうの。逆に都合がいいじゃない、もしなにか言われたらその時はその時よ。
 自分に強く言い聞かせて、ようやく室内の明かりを点けることを決心した。数回点滅をしたのち、勿体ぶった明かりがついた。
 父の部屋はさほど広くはない、本棚もあるがほとんどが無関係なものだ。
 パソコンもあるが埃が積もっているところからして、使用している形跡はないだろう。
 なにかないのかしら。
 なるべく痕跡を残さないように、室内を慎重に調べていく。興味がひとつもわかない本をひとつずつ逆さまにして、仕掛けがないかも確認した。
 そこまでしても見つかったのは私が焦っている事実だけだ。もしかしたら隠し扉でもあるのかもしれない。そう思って念入りに探してみたが、そんなものありはしなかった。
 見れば見るほど整理整頓が行き届いた部屋だ。生活感がまるでない、これではオープンハウスの見本だ。

「あなた、なにをしているの」

 危うく悲鳴を上げるところだった。ぎこちなく振り返ると母が立っている。

「お母さん」
「ここはあの人の部屋よ。許可もなく勝手に入ってはいけないことぐらいわかっているでしょう」

 話す内容とは裏腹に彼女の口調に抑揚はない。表情はいつもと同じで眉ひとつ動かない。

「お母さん、私は」
「出ていきなさい」

 私の言い分や勝手に忍び込んだ理由すらも聞かない。睨んでみたがまるで意に介さない。
 生気のない目、まるで人形だ。
 どうするべきか逡巡したが、室内を出ることに決めた。しかしそのまま自室へと戻るつもりは毛頭ない。
 お母さんがその気なら私もしたいようにするだけよ。
 思春期を迎えた子どもさながらに、反発心に突き動かされてお祖父様の部屋へと向かう。
 後ろから慌てる音や咎める声は聞こえてこない。黙ったまま視線で追っているのだと容易に想像がつく。
 ますます母のことが癪に触り、感情の赴くままお祖父様の障子に指をかけた。
 廊下の明かりを背に受けている私の影が、室内の暗闇に馴染んでいく。そして呆然とするしかなかった。室内はもぬけの殻だったからだ。
 どういうことなの。ここは確かにお祖父様の部屋だった、それなのにどうして。

「そこにはなにもありませんよ」

 等身大の日本人形と見間違う母がまたもや後ろにいた。

「それならお祖父様はどこにいるの」

 感情を露わにする私とは違い、感情の揺らぎも見出せない表情の母。

「お祖父様はこの家を出ていきました」

 彼女の口がカタカタと動いた。

 お祖父様の行方は不明のままだ。
 詳細を求めても母は無言のまま部屋へと戻っていった。
 逢坂さんたちに現状を報告すると、中山家のことはいったん保留となり、もうひとつの懸念事項である木箱を探すこととなった。
 しかし私たちはこの調査も難航するであろうことはわかっていた。なぜなら探すための手がかりが希実の残したアドレス帳だけだからだ。
 順番にアドレス帳を手に取り、記載されている内容を確認していく。

「早希さん、この栗原さんに心当たりは?」
「ごめんなさい、ありません」

 栗原という名前だけが強調されるように丸で囲んである。その筆跡の強さから重要なことを知っている、もしくは関わっていると推測できるが、記載してある電話番号はすでに使われていなかった。

「中山家だけではなく、木箱の行方もたどれない。このままじゃあ……」

 藤戸さんの顔から明るさが消えている、おそらく私もだ。進もうとすると暗雲に遮られて、絶望と無力感に苛まれそうになる。

「もうひとり調べたい人物がいるわ」

 そんな中でも、逢坂さんだけが凛とした佇まいを崩さずにいる。

「誰ですか?」

 藤戸さんにも見当がつかないようだ。

「神部貞光」
「神部貞光、誰なんですか?」
「木箱の作成者よ」

 逢坂さんは木箱を預かった際、中に入っていた書物の内容を読んでいたらしく、そこには多数の人名と霊媒師の名前があったそうだ。
 そうして神部貞光の故郷である山間の村を目指して、空港からレンタカーで進路を北西へと向けて移動している。
 神部貞光。
 明治中期から大正初期に名を馳せた悪名高い霊媒師であり、逢坂さんの冷淡な語り口であっても、その常軌を逸脱したおこないの数々は耳を疑いたくなるものだった。
 どうしてそんな人物を開発事業に携わらせたのか、正気の沙汰とは思えない。
 山間の道に入ると道幅は狭くなり、慎重な運転を余儀なくされた。そして座っていることも苦痛を感じるようになったころ、ようやく山道を抜けて視界が開けた。
 三叉路を始点にして道は続いている。どの道も田園風景が広がっており、日本家屋がぽつりぽつりと建っている。
 まずは役場へと向かうため、村の様子を窺うこともかねてゆっくり走っていると、風景から田畑がなくなり、住居や個人商店が点在するようになってきた。

「この辺りが町での生活の要みたいね」

 役場のだだっ広い駐車場には、一台も車が停まっていない。
 窓口の職員に事情を説明すると「少しお待ちください」と奥へ消えていった。
 役場内は外観よりもこぢんまりとしており、在籍している職員もそれほど多くはない。
 しばらく待っていると、えびす顔をした中年の男性職員がやってきた。

「どうも、私は宮下と申します。観光、それともなにかの研究とかですか?」

 どう答えるべきかと悩んでいると、藤戸さんが「大学の研究で調べものをしているんです」
 と嘘をついた。
 宮下さんはしきりに頷き「どんなことですか」と身を乗り出してきた。

「神部貞光という人物についてです。明治初期から大正初期ぐらいにこの辺りに住んでいたと知りまして」

 今度は逢坂さんが答えた。

「ははぁ、なるほどなるほど。昔のことでしたら上が図書館になってましてね。そこで調べてもらったほうがいいですな」

 お決まりの対応なのか、どもることもなく宮下さんが上を指した。
 ふたりと目配せをして、礼を告げて上階へ向かう。傾斜のある階段を上がりきると、右側に図書館の入り口があった。
 けれど図書館といってもフロアの半分ほどしかなく、それほど蔵書があるわけでもない。さらにその半数は児童書などが占めている。落胆しつつも手分けをして、当時の村に関する資料を探すとそれなりの数が集まった。

「けっこうありますね」

 いざはじめてみると積み重ねられた本の中から、個人を探し出すのは困難を極めた。それでも粘り強く片っ端から目を通していくも、時間だけが過ぎていく。ほかに利用客はおらず、ページを捲る音とそれぞれのため息が響く。
 一冊、また一冊と読み終わり、机に本の山が積み重なっていく。
 逢坂さんや藤戸さんも同じ状況のようだ。そもそも悪名高い人物のことなど、後世に残したがるだろうか。村の汚点だと判断された可能性だってある。そうなれば神部の記録など無くて当然なのかもしれない。これ以上探しても無駄だ、徒労に終わる。そんな考えすらよぎってしまう。

「あったわ」

 聞き間違えたかと顔を上げると、逢坂さんは見えるようにA5サイズほどの冊子を机の中央へ置いた。厚みはなく保存状態も悪い、そのうえ表紙は白紙だ。

「宮乃さん、これは?」
「本の隙間に挟まっていたものよ。詳細は不明だけれど神部貞光の名前があったわ」

 少し黒くなった指が該当のページを慎重に開いていく。

「確かに名前がありますね」

 しかし乱雑な字で書かれているため、読み解くのには相当の時間が必要だろう。
 窓から夕陽が差し込み、室内を橙色に彩りつつある。時刻を確認すると十六時を過ぎている。
 図書館の閉館時間は十七時だったはず、時間がない。

「逢坂さん、もうあまり時間がありません」

 文字に視線を走らせている逢坂さんが、腕時計を一度見た。

「これは日記ね。ほとんどが当時の日常や些細な出来事を書いてあるだけ」

 私たちも残りの時間を使って、ほかに手がかりを探していくが、無情にも時間切れとなり退館せざるをえなくなった。結局ほかになにも見つけることはできず、肝心の日記も本棚に戻してしまった。
 上階フロアから足取り重く階段を下りていると、宮下さんが一階で手を振っていた。

「どうでしょう、知りたいことはわかりましたか?」
「いえ、残念ながら」

 日記のことは話さないほうがいい、事前にそう決めていた。

「ひとつだけお聞きしても?」
「ええ、どうぞどうぞ。どんなことでしょうか」

 宮下さんのえびす顔は、ぴったりと張りついているようで気味が悪い。

「神部貞光についてお聞きした時、得心されていましたがなにかご存じなのでしょうか?」

 それは私も気になっていた。なにも知らないのならば、神部がどんな人物かくらい聞いてもいいはずだ。

「いやぁ実はね、あなたたちのほかにもその神部なんちゃらって人のことを調べにきた人がいるんですよ」
「それはいつころ、どんな人でした?」

 間髪入れずに藤戸さんが問いかけた。

「そうだなぁ、七十過ぎくらいのお爺さんと五十代くらいの男性でした。ここを訪ねてこられたのは去年の春ぐらいだったかな」

 ありありと映し出される男性たちのシルエット、胃が鈍く痛む。

「わかりました、ありがとうございます」

 夜の帳が下りた山道を、ヘッドライトの明かりが切り裂いていく。
 役場を出てから同じことを、自問自答するのを止められずにいる。

「早希さん、役場を出てからずっと難しい顔をしているけれど」

 世の中には理解できないものを崇高している人たちがいる。もしかすると研究者やオカルトマニア、その筋では神部貞光は有名な可能性だってある。そう考えれば神部貞光の故郷を訪ねるものがいてもおかしくはない。
 それでも確信している。宮下さんが会ったという老人と中年の男性は、お祖父様と玄明なのだろう、と。
 確証はないと前置きをしてから、考えていることを逢坂さんたちに話した。

「希実さんからも聞いたことがあるけれど、その玄明というのは何者なの?」

 お祖父様は信心深く、風習や縁起といったものを大事にしていること、玄明はそのご意見番兼霊媒師の役割を担っていることなどを説明した。

「もしそうならばこちらが後手にまわっているわね、もしかすると木箱の行方を知っているかもしれない」

 お祖父様の目的がまるで読めない。中山家の絶対的な地位にある彼に逆らうことはおろか、意見をすることも難しい。直接話を聞きに行っても無駄だろう。
 それに私は彼の意向にそぐわない形で動いている、よくは思われていないはずだ。だからといって父に頼んでみることはもっと現実的ではない。婿養子ではあるが再々開発を巡って、お祖父様とは袂を分かっている。母に関してはお祖父様の傀儡同然だ。
 誰に頼ればいいのかわからない。
 希実もこんな気持ちだったのか、今になって彼女が抱えていた孤独の破片が輝いている。
 こんなものじゃない。彼女はもっとずっとつらかった、苦しかったはずだ。甘えるな。
 弱くなった心を戒めて、気持ちを鼓舞させる、

「神部のことについて興味深い記述があったわ。後で画像を送るから確認してちょうだい」

 思考の殻に閉じこもっている間も会話は進んでいたようだ。逢坂さんは密かに撮影していたらしい。
 家まで送ろうとするふたりの好意を断り、御影新町の商店街近くで車を降りた。
 深夜になろうとしている時間帯だ、車はおろか人すらいない。眠った町に不釣り合いの音が響く。逢坂さんから送られてきた画像、映っているものに文字を読めるように拡大する。

『娘は神部貞光と名乗り、子を身籠もっていた』



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