「私が嫌いな町」第7話


 商店街に二店舗ある喫茶店のひとつ。
 シャンデリアを模した電球色の明かりが、煌びやかに店内を照らしている。合皮のソファは特有の硬さを失い、やわらかくて座り心地は悪くない。
 ここで早希と落ち合う予定なのだが、仕事で遅れると連絡があった。すぐに合流できるとしか考えていなかったので、テーブルの上には水が入ったグラスとおしぼりがあるだけだ。事情は入店時に説明しているが、ときおり店員の視線を感じることがある。
 先に注文しておこうかしら。
 控えめに手を挙げて注文をしようとすると、重厚な音のベルが来客を告げる。

「いらっしゃいませ」

 店員はその場から動かずに、入店した客が席に着くのを待つようだ。私は入口に背を向けているので、どんな人物なのか確認することができない。
 彼女がきたのかもしれない。そうは思っても、振り返り不躾な視線を向けることは憚られた。
 すると私の横をふたりの女性が通りすぎていき、二つ先の席に座った。
 二十代前半くらいかしら、こんなところに珍しい。
 お世辞にも若者が訪れるような店ではないことは、外観からも判断することはできる。
 店内にいる客は若くても五十代であり、私が注目されていないのはこの町の住民だからだ。
 しかしあのふたりは違う、明らかに場違いな雰囲気を纏っている。店内にいる客たちが、物珍しげな視線を送っていることが嫌でもわかる。

「ご注文は」

 歓迎する気などない、と捉えてしまうほど無機質で冷たい接客。

「レモンティーを二つ」

 涼やかで凛とした声だった。後ろ姿しか見えないが、声だけで物怖じしない芯の強さを感じることができる。もうひとりの女性は愛嬌のある笑みを浮かべている。

「お待たせ」

 肩を叩かれたことに驚き、振り向くと早希が立っていた。

「早希、いつの間にきたの?」

 彼女が対面に座ることで、背中を向けた女性と姿が重なる。

「今だけど、どうかしたの?」
「ううん、気がつかなかったから」

 そう言うと彼女は入り口のほうを見やる。

「そうなの? ここの入り口のベルってけっこう響くほうだけど」

 音が聞こえないほど、あの子たちに気をとられていたなんて。

「いらっしゃい、早希ちゃん」

 足早にやってきた店員が早希に媚びるような笑顔を向ける。
 気持ち悪い。
 常連客には愛想よく振る舞い、新規、とりわけ外からきた人間にはそっけなく対応する。
 私には理解できない。
 店員が世間話をはじめたので、遮るように注文するとようやく席を離れていった。

「あの人、おしゃべりが好きだから」

 苦笑いを浮かべるあたり、早希も対応には苦労をしているようだ。

「気にしないで。それより仕事はどう?」
「順調よ。何事もなく毎日が終わるもの。悩みがあるとすれば、私が家業を継ぐことにお祖父様が反対してることかな」

 彼女は高校を卒業すると、父親が経営している建設業兼不動産業の事務職に就いた。いずれ家業を継ぐためだ。

「どうして?」
「まだまだ現役でやりたいことがあるんですって」

 コーヒーカップに口をつけながら、彼女は呆れた口調で話し出した。

「そのくせ恋人や結婚の話をしようとしても耳を貸さないのよ。嫌になっちゃう」
「ちょっと、早希にそんな相手がいるなんて聞いてないわ」
「そりゃあそうよ、そんな人いないもの」

 いたずらっ子がする特有の笑みを浮かべる彼女に、今度は私が呆れる番だった。
「冗談だって、本当にいないの。希実、話は変わるけれど再々開発の話って聞いたことある?」
 急に話題を変えてきたが、真面目な表情で声をひそめるあたり、ほかの人にはあまり聞かれたくないのかもしれない。
「ないけど」
「実はね、駅を新設する予定があって、それに合わせてこの辺り一帯も再々開発する話があるの」
「そんなの反対されるだけじゃない」

 なぜなら私が住んでいるあの場所も、当時はほとんどの住民が反対したのだから。
 どういった経緯で新地区が建設に至ったのかは知らないが、反対派からの抗議活動や話し合いは長期に渡り続いたらしい。

「それがややこしいところなの」
「どういうこと?」
「古くからの人たちは希実の言うとおり反対してるわ」
「それのどこがややこしいの?」
「お父さんよ」
「早希のお父さん」
「そう、お父さんを中心に比較的若い世代の人たちが再々開発推進派になっているのよ」

 彼女の父親には会ったことがある。町内会長や地元の学校での行事など、地域活動には積極的だったが、その裏で政界にパイプを持つ野心家だと囁かれてもいる。ギラついた目つきをして、やや粗暴な印象だった。

「反対と賛成の理由って?」
「反対派の人たちは昔ながらの土地が変化することを嫌っているの、それはわかる?」
「ええ、よくわかる」

 この店や商店街、周辺の住宅だってずっと変わっていない、変わろうとしていない。

「賛成の理由は、再々開発をすることによって生まれる利益や恩恵だと思う。新しいものや場所ってみんな好きでしょう? そうすれば新しい住民も増える。もしかするとお父さんは開発の建設自体を請け負う気かもしれないわ」
「もしそうなるとしたらあなたはどうするの? いつまでも板挟みのままってわけにもいかないでしょう」
「そうね、いっそ家出でもしようかしら」

 口調は明るいのに、その寂しげな表情はあのころの彼女と同じだ。
 新緑に彩られて明日への息吹を感じる高校三年生の春、私は家を出ていくことを彼女に伝えた。

「そうなんだ、希実はそのほうがいいかもね。でも私は……」
「どうしたの?」
「ううん、お互いがんばろうね」

 あの時、彼女はなにを言いたかったのだろうか。いまだにその続きは聞けていない。私が町の外で多くのことを経験したように、彼女もまたこの町で多くのことを経験したのだ。
 その結果が家を出るという選択ならば、その門出を祝いたい。

「なんてね。あなたのほうこそこちらでの生活どう?」
「生活自体は貯金とかあるから贅沢をしなければしばらくは大丈夫、でも近いうちに仕事を探そうとは思っているかな。働かないと些細なことが気になったりして困るの。後は買い物へ行くのに坂道が億劫なくらい」
「そうなのね、よかった。あの坂道はこの辺一帯の名物といってもいいかもね、けれど慣れたものでしょう?」
「ええ、仮にも高校を卒業するまでは暮らしていたから」
「でしょう?」

 クツクツと屈託なく笑う彼女につられて、私も思わず声を出して笑ってしまう。この瞬間は褪せることがない、過去と現在、そして未来も続く私と彼女だけのかけがえのない時間だ。
 だけど、そんな時にも神経に触れる異物感は拭えない。その原因は高齢の常連たちだ。会話に華を咲かせているようでいて、私たちの話に聞き耳を立てていることはわかっている。

「ほかには変わったことはない?」

 早希の表情がまた変わる。あるかないかと聞かれればある。だけどそれは新生活の疲れによるものだ、と結論を出している。

「ないと思うけど」

 余計な心配はかけたくない、そうでなくても彼女は心配しすぎるところがある。自分より他人の痛みに敏感なのだ。

「そう、それならいいの」

 彼女は中身のないカップを持ち上げて、コーヒーのおかわりを注文すると、ため息を吐いた。
「どうかした?」

 私のコーヒーはすでに冷めきり、口に含むと苦味だけが広がっていく。

「あんまり人のことをあれこれ話すのはよくないことだけど、あなたにも関係があると思うから話しておく。小学校の時クラスメイトだった富永裕太くん、憶えてる?」

 富永裕太、その名前に鼓動が跳ねあがる。
 彼はよくいえば陽気な性格、悪くいえばやんちゃな子だった。あまり勉強は得意ではなかったが、体育祭や文化祭といった行事では、クラスを盛り上げる役としてなくてはならない存在だった。
 そして彼が行方不明になったのは、高校進学を控えていた三月も終わりのことだった。警察はもちろんのこと、各町内会が総出で捜索したが発見されることはなかった。
 私は当時疎遠になっていたが、元クラスメイトということで、警察などに何度も事情を聞かれたことがあった。最後に裕太と交わした言葉はなんだったか。

「もちろん憶えているけど……」

 たまたま最近、夢に見ただけ。隠す必要はない、かといって話す必要もない。それだけのはずなのに、早希から視線を逸らしたい衝動に駆られてしまっている。

「うん、正確には富永くんのお母さんのことなんだけど」

 裕太のお母さんは授業参観などで見たことがある、品があり密かに憧れを抱いたものだ。

「裕太のお母さんがどうかしたの?」

 即座に浮かんだのは最悪の場面。最愛の子どもがいつまでも見つからないことに絶望して……。
 きっと違う、そんなわけないじゃない。
 最低な想像を追い払うためにかぶりを振ると、外を歩いている人が傘を持っているのが見えた。
 囁くように憂鬱な気分が私に声をかける。

「希実?」
「ごめん、なんでもないの。それよりも続きを聞かせて」

 雨が降っていることに気がついているのは、どうやら私だけのようだ。
 早希は一度頷いて、深く息を吸った。

「富永くんが行方不明になって、おばさんは駅前とかで情報を求めるビラを配っていたでしょう? けれどいつの間にか姿を見なくなったの。心配になって自治会の人が訪ねたらしいけど、いつも留守だったそうなのよ」
 ビラ配りについては私も母に相談したことがある。

「やめておきなさい」

 その時の母は悲しんでいるような、怒っているような複雑な表情をしていたが、理由はあえて聞かなかった。
 ビラを配る人はいつも数人くらいで誰も受け取らず、避けるようにして通りすぎるだけだった。私もそのひとりだ。あれほど楽しい時間をともに過ごした友人と、そのお母さんに目を背けて知らぬふりをした。
 裕太にも友人がいたはずだ、もしかすると恋人もいたのかもしれない。しかしビラ配りには三十代くらいか高齢の人しかいなかった。今思えばあれは裕太の親族だったのだろう。
 自治会の人が心配? 本当にそうだろうか。それならばビラ配りを手伝うなり、情報を求める活動をすればいい。

「引っ越しをした、とか」

 わざとらしくそうであってほしい、と期待を込めて言ったが、早希は首を左右に振る。

「詳しくはわからないの、ただ最近三丁目の人が声をかけられたって」
「それじゃあおばさんは町にいるんだ、よかった」

 今も生活を続けている。思わず笑顔を浮かべた私と違い、早希の表情は重く硬い。

「それがおばさんに言われたらしいの……裕太が帰ってきたって」



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