「私が嫌いな町」第17話
中山早希
私の世界から希実がいなくなった。
『ごめんね』
彼女から送られてきた最期のメッセージ。そのすぐ下には私が送ったメッセージがある。しかしこれから先、既読のマークがつくことはない。
喪主は私が務めた。参列者は新地区の住民、それから逢坂さんと藤戸さんだけだった。
私は守上さんの遺体を発見したことで心身のバランスを崩し、お祖父様の指示で別荘へと療養に向かうこととなった。すぐに戻るつもりだったが、そこで軟禁される羽目になった。
スマートフォンは奪われてどこへ行くにしても、移動には常に彼の命を受けたものが付き添った。何度も必死に抗議はしたが、「もう時田の娘に会うんじゃない」とお祖父様は頑なに私の自由を許そうとはしなかった。
それでもなんとか隙をついて別荘を飛び出し、ヒッチハイクを繰り返して御影新町へ戻ってきた時には手遅れだった。
もしかすると希実はずっと孤独だったのかもしれない。両親にこそ愛されてはいたが、一歩外へと出るとその状況は変わる。誰かに見てほしくて気にかけてほしかっただけなのに、蔑まれ、妬まれ、疎まれ続けた。
そんな彼女が町を出ると伝えてくれた時は、寂しく思ったがそれ以上に嬉しかった。この町を出れば、きっと幸せに生きていけると信じていたからだ。
けれどその後のことを噂で聞いて、戻ってきた彼女と再会した時、それは間違いだったと思い知らされた。
私は、私だけは彼女から離れてはいけなかった。いくら悔やんでも悔やみきれない。
「希実……」
主人を失った家の前には物言えぬ寂しさだけがある。どうしてと流す涙も枯れてしまった。
死因は心臓発作とだけ教えられた。
断じて違う、そんなはずはない。彼女は殺されたのだ。
喪服を着た逢坂さんは、火葬場の煙突を見上げて「依頼は最後までこなします」と言ってくれた。それならば私がやるべきことは決まっている。
私は希実のメッセージを指でなぞり、ごめんねを重ねた。
彼女と初めて出会ったのは、秋雨が降りしきる昼下がりだった。当時新地区が開発されて人口の流入が多く、頻繁に自治会の会合が開かれていた。そのたびにお祖父様やまだ存命だったお祖母様に連れられて、集会所へとやってきていた。しかし集会にきている子どもは私ぐらいなもので、毎回暇を持て余していた。
現在は建物だけが残っている新地区の集会所も、当時はそれなりに活用されていた。とはいえ場所が変わるだけで、大人が熱心に話し合いを続けているだけの状況など、幼い私には耐えられるものではなかった。
そしてあの日、お祖母様たちの目を盗んで外へと脱出することに成功したのだ。
初めての場所に不安よりも好奇心が勝り、気が向くままに探検をすることにした。誰にも縛られることがなく、咎められもしない時間はあまりにも魅力的すぎた。
お気に入りの傘に落ちてくる雨すら楽しくて、水たまりを発見しては長靴で水飛沫を上げる遊びに興じていた。
けれど夢中になりすぎたのだろう、気がつけば見知らぬ場所までやってきていた。そこでようやく不安を覚えたが、戻ろうにもどちらから歩いてきたのかもわからない。雨は止んでいたが、なんの救いにもならなかった。
知らない場所で、ひとりきりなんだ、もう帰れないんじゃないか、と怖くなり泣きじゃくった。
どれくらいそうしていたのか、パシャパシャと軽快に水を跳ねながら、ひとりの女の子がやってきた。
それが希実だった。
彼女はクルクル、クルクルと傘をまわして「どうしたの?」と声をかけてくれた。
祖父母たちのいる場所は希実も知らなかった。そしてその時の私たちは解決策を探すよりも、なぜだか一緒に遊ぶことを選んだ。
難しいことばかり教えられて、遊ぶことなどほとんどなく、暗くてつまらないだらけの毎日。不安と恐れに飲まれていた私に差し出された小さな手。
屈託のない笑顔に優しい言葉、誰かと一緒にいることが楽しくて嬉しいものだと初めて知った。遊ぶ時間は宝物のように輝き、たちまち彼女の虜になった。
けれどそんな輝きも終わりが訪れる。
遠くから私の名前を呼ぶ声が聞こえてきたのだ。
勝手に抜け出した私を、鬼の形相で𠮟りつける祖父母たちの姿が思い浮かび、恐ろしかったことはよく憶えている。
駆けつけた大人たちに「よかった」と言われて安堵したのも束の間、祖父母の姿を見て私はとっさに希実の背中に隠れてしまった。
「勝手なことをするな」
けれど般若の如く醜悪に顔を歪めたお祖母様がとった行動は、希実への追求と激しい叱責だった。
相手が幼子であることなど気にもせず、「どこの子だ!」「お前が連れ出したのか!?」「早希をどうするつもりだった!」など容赦なく彼女を責めたてた。
「ごめんなさい、さきちゃんとあそびたかったから」
あの時の希実は私を庇ってくれていたのだ。
それなのに肝心の私は大人たちが怖くて、一緒に遊んでくれた彼女の背中に隠れて、その服を掴むことしかできなかった。
祖父母に連れ戻された私の記憶には、俯き震えている小さな希実の姿と、大人たちの途切れることのない罵声が焼きついた。
そんな彼女と再会したのは、小学生になってからだった。
クラス分けがおこなわれた直後の教室、クラスメイトたちがそれぞれのグループを作っている中、窓の外を眺めているひとりの女の子に視線が釘付けになった。
ずっと会いたくて謝りたかった。
また会えた嬉しさと喜び、なにもできなかった後悔や葛藤、彼女を見つめたまま声をかけるのを躊躇っていると、服の袖を引っ張られた。
「あの子に近づいちゃダメだよ」
ひそひそと耳打ちをしてくる子に問いかける。
「どうして?」
「わからないけど、お母さんが『あの子と仲良くしたらいけません』って言ってた」
どうしてそんな意地悪なことを言うのか、思わずその子を突き飛ばしそうになった。
「関係ないじゃない」
「ダメだよ、みんなそうしてるもん」
怒りでどうにかなりそうだった。
その子の手を振り払い、教室内へ入って希実のもとへと向かう。
私が近づいていることに気がついたのか、彼女は目を大きく見開いた。けれどすぐにまた窓のほうを向いた。
「……なに?」
私のことを憶えているのだとすぐにわかった。それと同時に壁を作る彼女への、自分勝手な苛立ちを覚えた。
「ちょっと、やめてよ」
彼女の手首を掴んで、有無を言わさぬまま、誰もいない場所まで連れていった。
掴まれた手を撫でている彼女に、私がすることはひとつだけだ。
「あの時はごめんなさい、それと助けてくれてありがとう」
地面に向けた視界には靴が映っている。片方は買い与えられたばかりの靴でまったく汚れがなく、もう片方の靴はひどく汚れていた。
新たな決意を込めて、困惑している彼女と視線を合わせた。
「私と友だちになってください」
すると彼女の表情は、ぽかんと口を開いたなんともいえないものになった。
「でも私と友だちになったら」
「関係ない。親とか誰かとか関係ない。私があなたと友だちになりたいの」
この時、生まれて初めて素直な想いを人に伝えることができた。
「うん」
そして彼女はまたあの時のように、屈託のない笑顔を向けてくれるようになった。
そこから私たちとの蜜月ともいえる時間がはじまった。しかし表立って仲良くすることを彼女は嫌がった。
「早希に迷惑がかかるから」
いくら説得しても彼女は頑なに拒み、ついには私が折れる形になった。
また私は選択を間違えたのだ、強引にでも説き伏せておけばよかった。そうすれば彼女は孤独に苛まれて、妄想の世界を夢みなくてすんだはずだ。
『嘘つき時田』などと蔑まれたり、疎まれたりすることもなかった。許せない。
いや、本当に許せないのは私自身だ。希実がこの町を離れる時に一緒に行けばよかったのだ。結局祖父母や父に逆らえなかったのだ、町の人と同じだ。
想えば想うほど、希実がそばにいる気がする。
胸や鳩尾に憎悪が渦を巻いていく。
憎い。私から最愛の人を奪った、この町この土地のすべてが憎い。絶対に許さない。
翌日、隣市のビジネスホテルで逢坂さんたちと合流した。ふたりは葬儀の後すぐに調査を再開していたようで、藤戸さんは御影新町の商店街を中心に聞き込みをしたようだった。
ひと気のないホテルのロビーは、話をするのにはうってつけだった。
「とりあえず商店街の人たちとの会話を録音しました」
藤戸さんはボイスレコーダーをテーブルに置き、会話を文字に起こした資料を渡してくれた。
会話は挨拶からはじまり、たわいもない雑談を交えながら希実のことを聞き出していく。
「希実ちゃんはね、よく面白い話を聞かせてくれたのよ」
藤戸さんがボイスレコーダーを操作して、次の人物との会話まで進める。
「親父さんが『思い込みが激しいところがあるんだ』って言ってたよ」
さらに進める。
「みんな心配していてねえ」
めいめいが希実のことを話している。
「どう思いますか」
藤戸さんは操作をやめて、私たちに意見を求める。
「まるで正反対ね」
逢坂さんが資料をテーブルに置いた。
「希実さんは町や住民についてよい印象を抱いていなかった。けれどこれを聞く限りでは住民側は生前の彼女を偲び、死を悼んでいる節があるわ」
確かに逢坂さんの言うとおりだった。
なぜ希実のことを調べているのか、聞き出したい気持ちを抑えてふたりの見解に耳を傾ける。
「でも実際は希実さんの葬儀に参列した人はいませんでした」
「そうね。それと彼女が事故に遭ったとき、鞄に薬が入っていたことを聞いたわ」
どんな薬だったのか、聞かなくても私にはわかる。
「早希さん、あなた知っていたわね。希実さんが町を出たあと精神疾患で入院していたことを」
嘘は許さない、逢坂さんの視線はそう告げている。
「その前に訊ねたいことがあります。どうして希実のことを調べているんですか?」
平静を装っているものの、言葉の端々に怒気が滲んでしまう。
「本当のことを知るためよ」
私は幼少期から今日に至るまで大勢の人を観察してきた、その直感が教えてくれる。この人は信じられると。
「これからの会話を録音します」
私たちの様子を窺っていた藤戸さんが、ボイスレコーダーを操作する。
「希実は昔から思い込みや妄想が逞しいところがあって、よく創作話を人に披露していました。けれどしだいに疎ましく思われたのか、彼女は独りでいることが多くなって誰とも話さなくなりました。そしてある時期からみんなに『嘘つき時田』と罵られるようになり、高校を卒業してすぐに町を離れていきました」
「そして、新天地でもうまくいかずに入院したわけね」
調べはついているのだろう、それでも彼女のことを話す。
「はい。ひとり暮らしをしてすぐに心を病んでしまった彼女は入院することになりました。私は会えなかったけど、父親が亡くなった時に一度町へは戻ってきたみたいです。その後は逢坂さんたちが知るとおりです」
そして希実の孤独はますます深まり、自分を受け入れないこの町をさらに憎むようになった。
「ちょっと待ってください、子どもたちはともかく町の人もそうだったんですか?」
もっともな疑問だ。逢坂さんは表情や姿勢をあまり変えないが、藤戸さんはころころと変わる。正反対のふたりだ。
「いいえ、それは違います。ある人が『時田の娘に近づくな』と緘口令を敷いたのだと思います」
町の人もクラスメイトだったあの子たちもきっとそうなのだろう。
「そのある人というのは」
「祖父である中山喜助か父の中山政治でしょう」
その当時の年齢や影響力でいうならお祖父様だ。
「中山家には誰も逆らえない。ある時期というのはモリガミサンの一件ね」
希実から守上さんを訪問すると聞き、役に立てれば、と中山家お抱えの霊媒師である玄明に連絡をとった。
けれど彼は、私も守上家を訪ねていると説明するや否や「すぐに帰りなさい」と苦言を呈した。いくら理由を訊ねても、曖昧な言葉ではぐらかすだけだった。そのことがお祖父様の耳にも入ったこともあり、守上さんの死後に軟禁されることとなった。
しかしどれだけの圧力をかけても、人から人へと噂や話は伝わっていく。
そして古い時代のものは淘汰されて、新しいものへと変わっていく。御影新町にとってその象徴ともいえるのが父だろう。
「仮に希実さんの話が思い込みや妄想のたぐいであったとしても、彼女の身に起きた霊障は本物」
信じてもらえるとは思わない、私だけが希実を信じていればいい。
「それでは次よ、なぜ彼女の身に霊障が起きたか」
「それなんですけど」
心当たりがあるのか、藤戸さんは資料をもうひとつ取り出した。
「まだ完全ではないんですけど、実は新地区のことも聞き込みをしてきました」
渡された資料に目を通す。簡潔でありながらも、要点が整理されていて読みやすい。読む側のことを考えて作られているのだろう。
「新地区の人口は減少傾向にあり、ここ数年は加速度的に減少しています」
全盛期のおよそ半分近くまで減っている。それだけではなく、さらに着目すべき部分がある。
「新地区は多少の不便があるとはいえ、住環境としては人気が高い物件のようです。それなのに新しい住民が増えていません」
逢坂さんの視線がこちらへ向く。
「藤戸さんがおっしゃるように昨今の住宅事情から、新地区の内覧を希望されるお客様はいらっしゃいます。けれどどなたも内覧後には断るんです。時には向かう途中で辞退される人もいます」
これについては仮説を立てることができる。
「あの土地が異常だと感じるのでしょうね」
かつておこなわれた禍々しい儀式、その犠牲者の霊魂を鎮めるために利用された土地。
「でもそれってここ数年ですよね。なぜなんでしょう?」
「それが希実さんのお母様から木箱を預かった理由よ」
疑問を投げかける藤戸さんとそれに答えていく逢坂さん、ふたりのやりとりは答え合わせをしているかのようだ。
「あの土地はバランスを失っている。近いうちに恐ろしいことが起こるかもしれない」
「恐ろしいことですか」
「自然に発生するのか、はたまた人為的に起こされるものなのか、どちらにせよ推測の域はでないわ。もっと情報を集めないといけない。一応伝手を頼ってはいるけれど、その前にこちらでもできることはしておきたい」
逢坂さんたちの情報網がどれほどのものなのかは、計り知ることもできない。
「言いにくいのだけれど、早希さんには中山家について調べてほしいの。もちろんできる範囲で」
逢坂さんは言い淀んでいるが、中山家は御影新町とともにあるようなものだ。当然外部には知られていないことも多いだろう。内容によってはすぐに露見しないよう、隠ぺいしていることも考えられる。
お祖父様にしても父にしても、会話で情報を聞き出すことは至難の業だ。そのふたりが管理する資料や情報となると同程度、もしくはそれ以上の難易度だ。
「わかりました、やってみます」
それでもできることはなんでもするつもりだ、それが希実に繋がっているのだから。
