「私が嫌いな町」最終話


「それじゃあ早希ちゃん、次回の会合もよろしく頼むね」

 最後まで集会所の後片づけをしてくれていた吉原さんが、杖をついて歩いていく。賑やかさに華が開いた場所も今は静かなものだ。
 念のために忘れ物などがないかを見てまわり、また会合が開かれていた部屋に戻ってきた。
 畳敷きの床に座布団も敷かずに、壁を背にして足を伸ばして座る。ぶらぶらと足首を揺らしていたがすぐに飽きた。
 御影新町で起きた出来事は世間を震わせた。報道各社が連日流す内容は、競い合うかのように過激さを増していき、インタビューに応じた住民の個人情報すら流出する騒ぎになった。
 すべての責任は自分と夫にあると遺書を残して、母は自らの命を絶った。私は天涯孤独というわけではなく、なかなか癖の強い親戚たちに囲まれている。
 あれからかなりの月日が経つ。それでも思い出したかのように、御影新町の名前を耳にすることがある。インターネット上ではいまだにさまざまな憶測が飛び交い、面白がった一部の人間が記者の真似事をしていることがある。
 意外だったことは頓挫すると思われた再々開発事業が、継続する運びとなったことだ。それが忌まわしき出来事を忘れさせるためなのか、教訓とするべく後世に残していくためなのかはわからない。
 そして驚くことに町は当時よりも栄えている。個人商店はめっきり少なくなったが、全国展開をしているチェーン店などが幅を利かせて軒を連ねている。

「皮肉なものね」

 ぼそりと呟く。
 凄惨な事件があった場所に近づこうと思う人は少ないだろう。しかしそれは同時に話題を生み、名を売る絶好の機会でもある。
 夕暮れを過ぎて、室内が夕闇の一部になりはじめたころ、ようやく動き出すことにした。
 今日はこれから逢坂さんと藤戸さんに会う約束だ。ふたりとはあの一件以来疎遠になっている。楽しみにしている反面、会いたくはないというのが素直な気持ちだ。
 ふたりの助力がなければ、この町がどうなっていたかはわからない。それでも時間とともに薄れていったものが、再会することでよみがえる気がしてならない。

「希実に怒られるかな」

 今は中山家ではなく、希実の家で暮らしている。
 元々あったものはほとんど手をつけていない、奥の部屋にあったものはすべて処分した。中山家から持ち出した自分の荷物はほんのわずかだ。希実たちが暮らした家に余計なものを持ち込みたくなかったからだ。
 希実の部屋で眠っていると、ときおり彼女の気配がすることがある。もちろんそれは自分が望んだ幻想なのだとわかっている、それでもその時間は多忙な日々の支えになっている。

「これでよし」

 戸締まりをして集会所を後にする。待ち合わせ場所はあの家だ。

「早希さん!」

 再会するなり藤戸さんが抱きついてきた。彼女は天真爛漫さをそのままに幼さの抜けた魅力的な女性になっていた。

「お久しぶりね」

 逢坂さんのすらりとした佇まいは変わらないが、表情が豊かになっている。きっとふたりもあれから多くのことを経験してきたのだろう。
 家を見るふたりの目に、寂寥感が浮かんでいる。
 憶えてくれているのだ、この家であったことを、この家に住んでいたあの子のことを。
 それだけでも会えてよかったと思う。

「どうぞ上がってください」

 この家で客人を迎えるのは初めてだ、けれどこのふたりなら希実も許してくれるだろう。
 空白の時間を埋めるように互いの近況を話し終えると、話題はあの時のことになった。

「心臓が止まるかと思いましたよ」

 蠢くものに取り込まれた逢坂さんから連絡があったのは、神社で黒い靄がすべてを飲み込んだ後のことだった。
 しかし事後処理に追われているうちに、碌に会話をすることも叶わず別れたのだ。彼女と合流した藤戸さんは泣いており、私と別れる時にはまた別の涙を流してくれたのが強く印象に残っている。
 電話やメッセージアプリでのやりとりはしていたが、あの時のことを向き合って話すのは今回が初めてになる。

「この家や守上の前にあらわれた霊こそが、神部貞光だったのよ」

 逢坂さんが蠢くものに取り込まれた後、意識を取り戻すとそこは暗い大穴で、数えきれないほどの亡者たちが苦しみにのたうちまわり、天に向かって手を伸ばしていたそうだ。
 生者である逢坂さんにも亡者たちは群がってきたそうだが、それを助けたのが神部の霊だった。
 神部は生前の姿だったらしく、会話をしたそうだ。

「ここにいるのは、開発の人柱になった人たちばかりではありません。私がかつておこなった儀式の犠牲となった人たちなのです。私は子どもに彼らを慰める手段を遺しました。だけどそれはいつまでも続くものではない。やがて亡者たちはこの穴から這い出して地上に溢れるでしょう。彼らは求めているのです」

 逢坂さんが語ってくれた内容は、私が知る世界と常識からあまりにもかけ離れたものだった。しかし彼女の憂いを帯びた表情が、実際に体験したことなのだと思わせてくれる。
 藤戸さんはすでに知っているのだろう、相槌を打つでもなく黙って耳を傾けている。
 結末を早く知りたいと思うが、こればかりはそういうわけにもいかない。

「亡者たちが求めているのは私なのです。すべてを終わらせるため私は自らここへやってきたのです。ですがそれだけでは足りなかった。許されないのです、私の血に連なるものが生きていることを」

 神部の血に連なるもの、そう聞いた時まさかと思った。その表情から察したのか、逢坂さんが神妙に頷いた。

「そう、彼女の血を受け継ぐ唯一の存在。守上蓉子よ。自らを犠牲にして子孫に託した想いは届かなかった。それどころか生前の自身と同じく非道なおこないを画策し、実行するに至った。皮肉なものね」

 希実や私たちの前にあらわれた亡者たちは、守上蓉子を求めて彷徨っていたのだ。

「そして神部貞光もまた守上に利用されることになった」

 聞けば聞くほど浮き彫りになる『守上蓉子』という存在。

「彼女は本当に町や土地が嫌いという理由で、あんなことを引き起こしたのでしょうか」
「わからないわ。もしかするとほかの理由があったのかもしれない。でもそうね、きっとそれは」

 逢坂さんが髪を触りため息を吐いた。

「独りよがりのくだらないことだったのでしょう」

 そうして逢坂さんは自身の霊能力と神部の助力で、大穴から現世につながる道を造ったのだそうだ。
 それがあの時、私たちの周囲に亡者と黒い靄が発生した理由であり、拝殿の奥から彼女に導かれた神部の霊があらわれたのだ。そして守上は靄に包まれ、跡形もなく消え去った。
 想像でしかないが、彼女は亡者の大穴にいるのではないだろうか。そこでどんな目に遭っているのかは考えたくない。
 地獄があるというのであれば、彼女にとってその場所がそうなのだろう。

「あの、逢坂さん」

 ここから先は聞く必要はない、聞いてもいけないのかもしれない。だけど知らなくてはならない。

「大穴に彼女は……希実はいましたか」

 テーブルの上で握りしめた手を、逢坂さんの手がふわりと包み込む。

「いなかったわ」

 それは木洩れ日のようにやわらかな微笑みだった。

 この日を最後に、ふたりとは会うことはおろか連絡もしていない。
 月日はさらに流れて私にも家族ができた。夫と大切な娘に囲まれた毎日は幸せに満ちている。
 御影新町は度重なる開発を経て、いまや広大な面積を誇る都市の単なる一部になった。
 かつては生活の要であった商店街も、資料にその姿が残るだけだ。
 もうすぐ成人して自立した娘が帰ってくるころだ。幼いころからおとぎ話や昔話が好きだった彼女は、各地の民話や民謡を研究する職に就いている。
 きっと今回もそんな内容の話を、捲し立てるように聞かせてくれるに違いない。

「ただいま」

 噂をすればなんとやら。
 勢いよく開かれた玄関扉のそばに、大きな荷物を抱えた彼女が立っている。

「おかえりなさい。希実」

 私たちはこれからも生きて、かつて忌まわしい出来事があったこの地で生涯を終えるのだ。
 誰にも邪魔はさせない、誰にも奪わせない、彼女は、この町は私のもの。
 胸に飛び込んできた希実を抱きしめる。昏い感情を宿したままで。



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