「私が嫌いな町」第15話


 いくつかの事実を知ることはできた。すべてを信じているわけではない、そんな簡単なものではなかった。
 帰りの車内は終始無言だった。別れ際、早希は私たちに「なにも力になれなくてごめん」と謝罪をした。そんな彼女の手を藤戸さんが握り「これからできることをやりましょう」と、笑顔で応えていたのが印象的だった。
 守上さんは携帯電話を所持しておらず、理由があって連絡は向こうからのみとなっている。

「なにが起こるのかわからない」

 彼女の言葉は事実だった。
 夢で見た蠢く異形のものたち、それは今もここにいる。
 ううぅ。
 夢ではない、はっきりとした意識を保っている。
 ゔゔぅゔうう。
 幻聴なんかではない、確かに聞こえている。
 ああぁぁぁ。
 彼らに対して恐れより悲しみを抱くようになった。もう夢は見ない。だけど身体を動かせない時がある、生命が抜け出ていく感じだ。もしかすると残された時間は少ないのかもしれない。

 朝がやってきた。
 早希から深夜に電話で伝えられた内容に、眠りを奪われたまま部屋の片隅で膝を抱えることを余儀なくされた。
 守上さんが遺体で発見された。
 発見者は早希だった。
 話の続きを聞くために、単身で向かったのだそうだ。
 彼女の動揺は大きく、まともに話すこともままならない様子だったが、それでも必死に発見時の状況を説明してくれた。
 人らしきものが濡れ縁台の近くで倒れているのを発見して、すぐさま近くまで駆け寄ったそうだ。しかしひと目見て、生きてはいないとわかったらしい。誰かもわからないくらいに、遺体の損傷は激しく惨たらしいものだったようだ。
 鉛同然の足を引きずりながら、奥の部屋から目録を持ち出した。椅子に座って初めから読み直していく。守上さんの話を聞いてから木箱について考えていたことがある。
 私はてっきり、母が人に預けたと思い込んでいた。だけどあれはそんな生優しいものではない。それならば考えられるのは、意図的に盗まれたのではないか、という可能性だ。
 そして、それを裏付けるように手紙が届いた。
 差出人は不明。
 警戒しつつ開封すると何枚かの便箋が入っていた。ゆっくりと隅々まで内容を読み終えて確信した。
 早希が以前教えてくれた。
 三度目となる開発予定があり、反対派と推進派が開発を巡って対立していると。年月が経てば記憶も想いも風化していく、口伝だけのものもそうだ。開発による恩恵は抗えない魅力そのものではないか。古い風習や反対する人々などは開発の邪魔にしかならない。もし仮にその要となるものが消えてしまえばどうなるのだろうか。
 焦りに似た感情。
 ページを捲ることがもどかしい。
 すべて読み終えて、該当のページを再度捲る。
 私がこの家に戻ってから、現在に至るまで大勢の弔問客が訪れた。その中で唯一、自由に動く時間があった人物。

「栗原さん」

 以前は繋がらず、あらためて電話するともうその電話番号は使われていなかった。
 熱を帯びた身体で早希のところへと向かう。

「早希さんならしばらくお休みしていますよ」

 中山不動産の事務所内で応対してくれた事務員さんは、壁に掛けられているホワイトボードを指した。

「三日前に『具合が悪くなったから、しばらく休むだろう』と社長が仰ってました」
「そうなんですね、ありがとうございます」

 あんなことがあったのだ、当然だろう。
 何度かメッセージを送り、電話もしたが反応はない。
 商店街までやってきたものの、雰囲気がいつもとは違う。多くの店舗が定休日でもないのにシャッターを降ろしている。
 歩いていると胸がざわつき、ありとあらゆる場所からピリピリとした視線を感じる。
 守上さんが亡くなったこと、それに私が関わっていることをみんな知っているのだ。そして敵意を向けている。『新地区の穢れだ、邪魔者だ、近寄るな』と囁いている。
 平然としていたがめまいや動悸が激しくなり、いても立ってもいられない。燃えるように熱が全身を冒していく。
 私を見るな、囁くな、知っているんだぞ、おまえたちが守上さんを手にかけたのだろう。
 自治会も、精肉店の店主も、歩いているおまえたちもみんなグルなのだろう、暴いてやる、おまえたちの悪行は私が必ず暴いてやる。怖いものなどない。敵討ちだ。
 重なり合う声に導かれて、私たちは進む。
 商店街の路地に入っていくつもの角を曲がると、長屋が並ぶ一角にひときわ目立つ一軒家がある。
 自治会長を務める田崎洋治の家だ。
 早希の父親である中山政次となにかと噂がある、いわば側近のような存在だ。
 反対派の勢力を削ぐために、栗原夫妻を利用して木箱を盗み、邪魔になった守上さんを殺害した。いや、母も奴らの手にかかったのだ。醜悪で卑劣なシナリオだ。
 刃物を相手の胸に突き刺すように、力強くインターホンを押す。
 熱い、焼けるように身体が熱い。

「はい」
「突然すみません、時田と言いますが自治会長さんはご在宅でしょうか」

 焦るな、いつもどおりを演じろ。

「主人なら今は町内会の会合に行っています」
「わかりました、失礼します」

 好都合だ、乗り込んでやる。
 町内会の集会所へと歩を進める。夏も終わりのはずなのに全身が沸騰しているようだ。
 入道雲が空にのさばり、空き地に生えているイヌグサが風にそよいでいる。開いているどこかの窓からテレビの音が聞こえてくる。
 のどかな風景だ。
 カゴいっぱいに荷物を積んだ自転車が走っていく。虫捕り網とカゴを下げた子どもたちが木を見上げている。乳母車を押した老人と付き添うヘルパーらしき若い人。
 ここには人の営みがある。
 誰のおかげだと思っているのだ。
 ギリギリと歯の軋む音が鳴り続ける。
 商店街から南側は進むにつれて農地が広がり、人と出会うことも極端に少なくなっていく。
 店舗よりも駐車場が広いコンビニを横切り、深い用水路に注意を払っていると集会所に到着した。
 知らぬ間に建てられていた新しい集会所と旧集会所。自転車や車が駐車しているところから、会合は新しいほうで開かれているようだった。
 主たる建築素材である木材の真新しさに、また歯軋りが鳴る。
 集会所からは楽しそうな話し声と暢気な笑い声。
 これからどうなるのか知りもせずに。
 気を抜くとこちらまで笑ってしまいそうになる。
 引き戸に手をかけると、すんなりと扉は開いた。大小さまざまな種類の靴が土間に並んでいる。空いているところで靴を脱ぎ、ほかの靴を踏んでいく。
 廊下の右側に扉があるが、造りからして洗面所だろう。その少し先で襖が開いており、室内の光が洩れている。
 わざと足裏で床を叩いて歩く。ダンッ、ダンッとテンポよく鳴る音が愉快でたまらない。
 音に気がついたのか、廊下に誰かの顔がひょっこりとあらわれた。こちらからは影になっているので特定はできない。

「あんた、誰だね?」

 相手からもこちらの顔は見えないのだろう。
 そう判断してさらに近づいていくと、不穏な空気を感じたのか相手は慌てて顔を引っ込めた。

「どうしたね、宮崎さん」

 相手が返答するよりも早く、襖を全力で開く。

「新地区に住んでいます、時田希実です」

 予定にない来訪者だからか、時田希実を名乗ったからか、それとも両方か。会合の場が雑音で賑やかになる。
 長机が室内の中央に並べられており、男女合わせて十数名がそれぞれ座布団に座っている。高齢のものもいるが、五十代くらいが多そうだ。知っている顔は少ない。

「見てのとおり、私らは会合の真っ最中なんだがなんの用だね」

 想像したよりも冷静な対応に肩透かしを受けた気分になる。
 問いかけてきたのは上座で腕組みをしている男、田崎洋治だ。

「お久しぶりです、自治会長さん」
「挨拶はいい、なんの用だね」

 冷静なのは表面上だけで、内心は苛立っているのが丸わかりだ。短気で面白味のない男だ。
 脳内に幾重にも重なった声が絶え間なく響く。

「自治会長さん。母が亡くなる少し前に何度かわが家を訪ねていたようですが、どんなご用事だったんですか?」

 泉さんが教えてくれたことだ。聞かなくてもおおよその答えはわかっている。

「時田さんにも会合に参加してほしくてね、それで何度か訪問したんだよ」

 やっぱりだ。母を推進派に入れるためだったんだ。そして木箱を手に入れるつもりだったんだな。
 やけに頭が冴えている、相手の考えが手に取るようにわかる。

「それで協力しない母を手にかけた」

 周囲の奴らが「無礼だろ!」「あなた、おかしいんじゃない!?」などとさえずっている。

「栗原さんたちはいないのですね」

 敵意を剝き出しにしている連中の顔を、ひとりずつ確認するも栗原夫妻の姿はなかった。

「栗原?」
「誤魔化さないでください。もしかすると偽物かもしれませんが、あなたたちが栗原さんたちに木箱を盗むように指示をした。木箱は手に入った、だけどそれに気がついた守上さんを殺害した」
「きみは、そうか。嘘つき時田か。可哀そうに」

 あちらこちらから憐みの眼差しが向けられる。
 やめろ、そんな目で見るな。

「証拠はあります」

 道中ずっと意識して守っていた鞄から、手紙を取り出して長机に叩きつけた。
 しかし田崎は動じることなくその場で便箋を読みはじめた。
 そこには守上さんが命を賭して告発したものが書かれている。
 母の死や木箱の盗難は町の住民の仕業であること、守上さんは話し合いをするために、住民たちを自宅に呼び出したことなどが書いてある。
 もう言い逃れはできない。破かれたとしても、すでに逢坂さんにコピーを送っている。

「ふざけているのか」

 読み終えた田崎は静かにそう言った。

「どういう意味よ」
「この手紙には

 なにを言うかと思えばこの後に及んでみっともない、なんて苦しい言い訳。
 その反応が気に食わなかったのか、田崎は便箋を隣の男性に渡す。

「本当だ、なにも書いてない」

 便箋は次から次へと会合の参加者たちへ巡っていく。

「真っ白じゃない」
「なんなのよ、この子」

 怒り、呆れ、蔑み、憐れみ。
 ぐるりと一周をした便箋は再び田崎の手もとに戻り、私へと差し出された。

「よく読んでみなさい」

 封筒には私の住所、氏名が書いてある。
 なによ、ちゃんと書いてあるじゃない。
 続いて便箋を読むために、封筒を一番後ろへまわす。
 柄のない白色の背景に等間隔に並んだ罫線、それだけだ。それだけ。文字などどこにも書かれていない。
 ありえない、そんなはずはない。
 次の一枚、もう一枚と目を通すが真っ白だ。なにも書かれていない。いくら見直しても結果は変わらない。
 なんで、どうして?

「封筒に住所と名前は書いてあるが消印もない。それはきみ自身が書いたのではないのか」

 脳裏にある映像が浮かぶ。
 ダイニングテーブルの上には、便箋が数枚、封筒とペンが一本。
 ペン? どうしてペンがあるの?
 ペン先から出る黒いインクが文字を形成していく。
 我にかえり、目を皿にして封筒に書かれた文字を見る。
 これ……私の字だ。

「帰りなさい」

 優しい声、この場を満たす嘲笑。
 あれほど私を支配していた、狂おしいほどの憎悪や重なり響く声はもうない。
 私、私は……。
 集会所から逃げるようにして裸足で飛び出すと、重く硬い痛烈な衝撃が突き抜けていった。



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