「私が嫌いな町」第12話


 三日後に逢坂さんからの連絡を受けた私は、電車を乗り継いでふたりの事務所を目指している。教えられた最寄り駅に近づくほど、乗客と吐き出される二酸化炭素は増え、密集している車内の様子は人の形をした肉の檻を連想させる。横長のシートの端に座っているが、前も横も肉の壁だ。気晴らしに外でも見たいがそれも叶わない。
 聞き取りにくい車内アナウンスが流れて、停車するたびに新たな肉の壁を形成していく。
 我慢に我慢を重ねて、ようやくその瞬間が訪れた。
 停車した瞬間に立ち上がり、人波の一部になっていく。人で埋めつくされたホーム、どうにか案内図を確認して絶句した。
 まるで立体迷路じゃない。
 階段やエスカレーターは上下ともに作動しており、通路は左右に伸びている。地図アプリを起動させるが、画面上で地図が回転するため余計に混乱してしまう。
 結局は愛想を失った駅員に、出口までの案内を聞くことになった。構内は床以外がガラス張りで、近代的な様相にまるで別世界だと感心してしまう。
 駅を出れば問題ないと、高を括っていたがそれは間違いだった。終わりのない開発によって、どこを見渡しても高層ビルか巨大な商業施設が立ち並んでいる。
 空がほとんどない、あってもジグソーパズルのピース数個分だ。
 滞留している濁った空気と熱が混ざり合い、不快しか感じない歩道を歩き続けていると、突然アプリが目的地付近だと告げた。

「ここなの?」

 駅から徒歩二十分ほどの場所、小規模のオフィスビルの一角に階段がある。入口は手動のガラス扉、照明が点いていないのか奥の様子はよく見えない。
 ガラス扉は重く、思いのほか力が必要だった。エレベーターの横側で階層と企業名が表記された案内図を見たが、そこに『逢坂調査事務所』の文字はなかった。
 定員四名の狭い空間に留まること数十秒。上階の通路は奥行きがなく、エレベーターを中心に左右へと伸びている。
 どちらへ行くか迷ったが右側を選んだ。
 通路を挟んだ両側に、すりガラスを嵌め込んだ木製の扉がいくつかあり、プレートやらガラスに企業名が書いてある。
 自分の足音が響くだけでほかに音はしない。突き当たりには両開きの扉があり、非常口を示すマークが緑色に発光している。
 非常口の手前、通路の一番奥に逢坂調査事務所はあった。
 控えめにノックを数回するが反応はなく、ためらいがちにドアノブを回すとすんなりと扉が開いていく。
 その先に広がる光景に思わず息を呑んだ。
 事務所内は茶系と白系のシンプルな調度品が置いてあり、ソファに逢坂さんと藤戸さんが向かい合って座っている。
 どちらもまぶたを閉じて、テーブルの上で互いの手を重ねている。
 その様子はなんらかの儀式に迷い込んだようで、声をかけるどころか物音を立てることも許されない雰囲気だ。

「樹里、もう大丈夫よ」
「はい」

 逢坂さんが話すと同時に空気が弛緩する。時間にしては一分もなかったはずだが、頬に冷や汗が伝う。

「時田さん、お待たせしました」

 なぜ私だとわかるのか、ふたりは一度たりともこちらを見てはいない。

「こちらへどうぞ。今日も暑いですね、すぐに冷たいものお出しします」

 藤戸さんが奥からスプレーや台拭きを持ってきて、テーブルやソファを拭きはじめた。

「アイスティーとアイスコーヒーどちらがいいですか?」
「それじゃあ、アイスコーヒーをください」

 革張りのソファが艶やかになっている。スプレーの中身は揮発性の液体、おそらくアルコールなのだろう。

「私どもの都合でこちらまでご足労いただきありがとうございます」
「いえ、お願いをしたのは私ですから」

「ありがとうございます、書類を準備しますので少々お待ちください」

 ずいぶんと畏まった口調になっている逢坂さんの背中から、それとなく事務所内へと視線を這わす。
 窓側に置かれたアンティーク調のデスク、壁側には上部がガラス張りになっている木目調のオフィス収納棚が二つ、そして室内の中央にソファとテーブルがある。
 およそ目立つものはそんなところだ。ふたりがいる奥の部分は仕切りがあり、こちらからは見えない。

「お待たせしました、どうぞ」

 ドリンクコースターに置かれた琥珀色の液体と氷が入ったグラスが、テーブルに涼やかな模様を映し出す。
 一気に飲み干したい欲求を抑えて、一口分だけ喉に流し込んだ。

「さっそくですが」
「あの、その前におふたりにひとつお願いをしてもいいでしょうか」

 一拍だけの静寂。

「なんでしょうか」
「以前お会いした時のような話し方をしてもらえませんか。なんだかくすぐったくて」

 おかしなことを言っている自覚はある。
 藤戸さんが笑みを深くして、逢坂さんに視線を向けた。

「わかりました、それでは遠慮なく。結果から話しましょうか、西田宏太、多ノ元聡志、山野りの、この三人の現住所と連絡先がわかりました」
「ああ、よかった。ありがとうございます」

 依頼をしたのは連絡先だけだが、現住所もわかるのならばより確実に接触できる。
 テーブルに置いてあるファイルから、しなやかな指が一枚の紙をつまみ出した。
 そして逢坂さんは、そのまま紙を動かさない。

「その前に確認したいことがあるのだけど」
「はい」
「時田さん、この三人の調査資料はなんのために必要なの? 同窓会の名簿を作成するためだと言っていたけれど、それは嘘ね。あなたの今の状態となにか関係があるのかしら」

 眼前で赤い火花が散り視界が白くなる、頭をハンマーで殴られたような衝撃だった。
 逢坂さんの目には芯を突き刺す冷酷さと鋭さが宿っており、視線を逸らすことができない。説明内容が嘘だと気づかれたからではなく、私の状態を見抜かれたからだ。

「それは、どういうことでしょうか?」
「異常なまでの空腹、飢餓状態になることがあるのでしょう?」

 反論はできない、再び腹部に熱がともる。

「お腹が減っているのよね?」

 ぐるぐると腹部がうねる。

「今すぐに食べたくて、仕方ないのでしょう?」

 腹部が疼いて熱い。

「さあ、我慢しないで」
「食べたい食べたい、たべたいい」

 口が勝手に言葉を吐き出していく。

「まだよ、もっと素直に」
「たべたいたべたいたべたいいい」

 耐えられない、痛い、苦しい。
 なぜ、どうして、こんなに、私は。

「さあ、答えなさい」

 彼女の声に全身が震えて止まらない。
 食わせろ、食わせてくれ。

「望みを言いなさい」
「許せない、許さない、殺してやる殺してやる……殺してやる!」

 眼前にいる相手への憎悪や憤怒、そして殺意が私の感情を塗りつぶしていく。
 なにもかも真っ赤だ。

「宮乃さん!」

 藤戸さんの声がかすかに聞こえて、背中を強烈に打ちのめされた。

 天井が見えている、呼吸がうまくできない、私はどうなっているの?

「時田さん、しっかり!」

 藤戸さんに支えられて、なんとか上半身を起こす。

「ゆっくり、私に合わせて呼吸をしてください」

 指示されたとおりにタイミングを合わせると、呼吸が少しずつ楽になっていく。

「樹里、ここからは私がするわ」

 スッと二人が入れ替わり、背中を上から下へと温かな感触が何度も流れる。そして中心で止まると、先ほどとは違う優しく安らかな熱が全身へと広がっていく。
 まるで母に抱きしめられた時のような温もりに、涙が溢れていく。

「もう大丈夫でしょう」

 逢坂さんの手を掴むと、反対側から藤戸さんが支えてくれた。

「調子はどうかしら」
「背中は痛みますが、なんだかすっきりとしています」

 重く沈むような倦怠感も苛立つような不快感もない。
 それどころか心が澄みきっているような清々しさがある。

「なにがどうなっているんですか?」
「ごめんなさい。宮乃さんに飛びかかろうとした時田さんを私が投げ飛ばしたんです」

 簡潔な説明ではあるが、背中に感じた衝撃や痛みの理由に納得はできた。むしろ謝るのはこちらだろう。

「こちらこそすみません。言い訳になりますが、その、逢坂さんに飛びかかった前後の記憶がなんだかあやふやで」

 藤戸さんが新しいアイスコーヒーを置いてくれた。
 悲惨な状況だったテーブルや床もきれいに片づけられている。

「あなたは霊に憑かれていた。自覚していたでしょう?」

 逢坂さんの指摘に間違いはない。どうしても信じたくはなかった、否定をして気がついていないフリをしていた。そんなことがあるはずはない、そんなものはいないはずだ、と。

「心中お察しします」

 こういった場面に慣れているのか、それでも私を見つめる藤戸さんの目には悲しみの色がある。

「あなたを喫茶店で見かけた時はここまでではなかった、あの家でなにがあったの? どうしてこの三人のことを知りたいのか、話して」

 母の死をきっかけに町へと戻ってきたこと、徐々に身のまわりで不可解な現象が起きるようになったこと、早希の協力でお祓いをしたが失敗したことなどを説明した。そして調査を依頼した人物の誰か、もしくは全員が私を恨んでいるのではないか、という考えに至ったことを最後に付け加えた。

「複数体の霊がいたことは本当よ、でもおかしい」

 納得がいかない、逢坂さんの表情がそう物語っている

「どういうことですか?」
「訪問した時に私がすべて。だからいるはずがない」

 驚きよりも、いつの間にそのようなことをおこなったのだろうか、と疑問が浮かぶ。
 木箱を探すのに費やした時間はもちろんのこと、気を失っていたのもわずかな間だ。玄明がお祓いをしたときは、相応の時間がかかっている。逢坂さんの言葉を信じるならその数分の一程度の時間、さらには玄明が匙を投げた問題を解決したことになる。
 私の反応を窺っていた藤戸さんが慌てて頭を下げた。

「勝手なことをしたことは謝ります。でもあのままにしてはおけなかったんです、それほどにあの家の密度は高かったんです」

 密度、その言葉に思わず吐き気を催してしまう。

「もし、もしそのままにしておいたらどうなっていたんですか」
「今ここにあなたはいない」

 自分の置かれていた状況の危うさに、今更ながら身震いがする。

「もう大丈夫ということですか?」
「まだなんとも言えない。とりあえず当初の予定どおりこの三人に接触はしたほうがいいかもしれない」

 ここまできてふたりを疑う余地はない、やることに変わりはない。

「おふたりは霊能力といえばいいのか、そういったものがあるんですね?」
「はい、宮乃さんはその認識で大丈夫です。私は感じるだけなので」

 言質をとるわけではないが、直接本人たちから言葉として聞いておきたかった。

「今回の件、こちらでも調べていいかしら?」
「……お願いします」

 未知の領域でのことだ、逢坂さんたちに縋るほかない。

「樹里」
「はい。時田さん、これからは逐一連絡をし合うことにしましょう。場合によっては私も現地で合流します」
「ありがとうございます」

 まだ知り合ったばかりのふたりと交わした握手はとても頼もしかった。



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