「私が嫌いな町」第10話
初夏になったばかりなのに、あちらこちらで陽炎が揺らめいている。連日、天気予報士が熱中症への注意喚起をしているが、それでも夕方のニュースでは数字を変えた同じ内容が報道されている。
早希からの依頼を受けてやってきたのは、御影新町でずいぶん昔から名前を知られている占い師の男性だった。姓名判断や四柱推命、風水など多種多様な占いを駆使するようで、その的中率はかなりのものだと耳にしたことはある。
しかしあいにくと、今回はその腕前を披露してもらう機会はなさそうだ。彼女いわく表向きは占いをしているが、副業として浄霊など心霊関係の仕事も請け負っているとのことだった。
玄関先で出迎えた私を見るなり、くだんの占い師である玄明は険しい表情を浮かべた。
「これはいけない、すぐにはじめましょう」
忙しなく靴を脱ぎ捨てた玄明に促されて、ふたりを客間ではなく仏間へと案内する。
入るなり仏壇の横に立った玄明は、私を仏壇の前に座るように、早希には部屋の隅で待機しているように命じた。
「大丈夫、事情は説明してあるから」
私の困惑を感じ取ったのか、部屋の隅から言葉が飛んだ。
「この家には複数体の霊がいる。異常だ、普通ではない。あなたが無事でいること自体奇跡だ」
なんと言ったか、耳を疑わずにはいられない。複数体の霊、なぜそんなものがわが家にいるのか。
「ご安心ください。これから私がすべての霊を説得して、安らかに眠れるようにしますので」
玄明は説明をしながら鞄から白い塊を取り出して、室内に振りまいていく。
「これはある場所でしか手に入らない特別に清められた塩です」
彼は塩を振りまき終えると、仏壇の前に座って何事かを唱え出した。緩急が激しく荒々しい口調、それだけでも聞き取りにくいが、早口が聞き取りづらさに拍車をかけている。
「懸命に念じなさい」
その指示に従うべきなのかを迷い、振り返ると早希が神妙な面持ちで頷いた。
まぶたを閉じるとより一層、玄明の声が響く。具体的なことは説明されず、どう念じるべきなのかはわからないが、ありきたりに『やすらかにお眠りください』と念じ続けた。
そうしていると父のことが浮かんできた。
「人や物に相性があるように、土地や家にだって相性があるんだよ。父さんは初めて訪れたときにね、御影新町を大好きになったんだよ」
そう語る父の横顔はどこか誇らしげだった。残念ながら町を好きだという気持ちは、よくわからない。それでもそのことを否定することはしない。私は相性が悪かった、父の言葉を借りるならそういうことだろう。
まったく異なる感情を抱いていた私たちだが、家族仲は良好だった。
少々感情的になる部分があった母を、父が宥めている場面をよく見かけた気がする。そこであることに思い至った。
母が感情的になる時は、いつも家や町のことだったのではないか。単に居住地として起こりうる、日常的な出来事のことではなく、もっと根本的なもの。
例を挙げるのならば私がわがままを言った時など、母は感情的になるどころか努めて冷静に諭してくれていた。
それなのに町の住民が関わるようなことには、事の大小に関係なく私を烈火の如く叱りつけた。
一度疑問が浮かぶと、もう同じ地点には戻れない。
母はどうしてあんなにも怒ったのだろう。それこそ私が原因になったことよりも、その先を恐れて怯えているかのようではなかったか。だとするならば、母が恐れて怯えたものはなんだったのだろう。
「これはどういうことだ」
戸惑いの声に意識が現実へと引き戻された。玄明は背中を丸めたままだが、声質が変化している。
当初の荒々しさや力強さはなく、声量は小さく細く途切れるようになっている。よく見れば後頭部から首筋にかけて大量の汗が流れており、肌や襟を濡らしている。
「どうかされたんですか?」
私だけでなく、早希も玄明の様子がおかしいことに気がついたようだ。だが彼は問いかけには応えず、身体を前後に揺らして一心不乱に念じ続けている。
「霊たちが応えようとしない、こんなことは初めてだ」
彼の焦りに対して私たちは、不安を抱えることぐらいしかない。このまま座っていてもいいのか、それすらも迷う。
せめて玄明の汗だけでも拭こうかと、膝を立てると「うぁ」と悲鳴のような声があがった。
見れば彼は仰反った姿勢で両手を畳についている、すると五本の指先にある細かな白い結晶が突然弾けた。そしてそれを皮切りに室内中の塩が消えていく。飛ばされたり散らばったりしているのではない、音もなく消えていくのだ。
早希に視線を向けると、片隅で身を強ばらせている。怯えているというよりは驚きのほうが強いようだ。
玄明は違った。これまでより一層熱を込めて念じていく。その合間に腕や手を振り、かけ声を出している。しかしそれでも現象がおさまる様子はない。そしてばら撒かれた塩がすべて消え失せると同時に彼は立ち上がった。
「応えた」
おおお。
重なるようにして、地を這うような低く不快な呻き声が頭の中に響く。
どこから聞こえているのか特定しようにも位置が特定しにくい、早希も辺りを見回している。
おおおぉぉぉ。
先ほどよりもすさまじい声に、脳や神経が掻き乱されるようで、姿勢を保つこともままならない。頼りの綱である玄明ですら膝をついている。
「ここはあなたたちのいるべき場所ではない、今すぐに」
彼の訴えはそこで途切れた。いきなり蹲り頭を抱えて震え出したのだ。
「そんな……こんなもの私の手に負えるはずがない」
そのまま四つん這いになって、どこかへ向かおうとしている。私たちは黙ってその様子を見るしかない。
そして彼は一度動きを止めてから、一気に駆け出した。わずか呆気に取られたが、私たちはすぐに追いかける。そして全員が外へと出る羽目になった。
「あの家にはいてはいけない。すぐに逃げなさい」
そう告げるやいなや、玄明は逃げていった。
その日からしばらくの間は、早希からの提案で隣市にあるビジネスホテルに宿泊をしていた。しかしいつまでも彼女の厚意に甘えているわけにもいかず、悩みぬいた挙句、また自宅での生活を再開することにした。
お祓いの効果があったのか、あれからおかしな現象は起こっていない。
「すまないが私では力になれない。だがあれらは彼女とは無関係ではない、思い当たることがあの子にはある筈だ」
と玄明から説明をされたと、早希から連絡があった。
詳細を聞き出そうとしたものの、玄明は一方的に告げると、連絡が取れなくなったとのことだった。そして、今回の件が中山家からの依頼になっている以上、私が勝手なことをすることはできなかった。
酷暑にやられたのか、冷房に負けたのか、体調不良の日々が続いている。
体温計の数字は下がることなく、微熱を示すばかりだ。どうにも頭がぼんやりとする。
せめてもの救いなのか、動くことにさほど支障はない。数日間風呂に入らず、清拭で済ませていたがそれも限界だと感じていた。食事も薄味で消化のよいものばかりなので少々物足りなくなってきている。
緩慢な動きで浴室へ向かい、寝間着を脱いだ。そこかしこ軋む身体を、いつもより念入りに隈なく洗い流す。浴槽に浸かるとなんとも心地よかった。
身体がきれいになると気分も清々しくなり、次は日射しを浴びたくなった。そうなるともう布団の中に戻る気にはなれず、溜め込んでいる洗濯物を無視して、簡潔に化粧をしてから外へと向かう。
空調の効いた快適な空間から、高温多湿の環境に出たことで身体が悲鳴を上げる。だけどそれもまた気分を高揚させる材料にしかならなかった。
敷地の中で軽く体操をするだけでも汗が滴る。少しするとめまいがしたので玄関ポーチに腰を落とすと、見慣れないものが置いてあった。
回覧板じゃない、いつから置いてあったのかしら。
子どものころは見かけることも多かったが、母が他界してからは初めてだ。多種多様な連絡ツールがある現代において、いまだに回覧板があることになんだか懐かしい気持ちになった。
『夏祭りのお知らせ』
回覧板の表題が感傷的な部分を刺激する。
お父さんと行っていたなあ。一度だけどお母さんも一緒に行ったことがあったっけ。行ってみようかしら。
ぼんやりとした状態であることに変わりはない。だが夏祭りで人々が楽しんでいる光景が私を誘う。このまま帰ってしまうのが惜しくなってきた。
「よし、行こう」
行かずにいるという選択肢はなかった。両親と手をつないで歩いた、数少ない思い出に酔いしれたかった。
夏祭りといっても町全体ではなく、各自治会がそれぞれおこなっている小規模のものだ。それでも浴衣や甚平を着た人たちもおり、鳴らす下駄の音は風情がある。会場は御影新町で一番広い公園の広場だ。
広場まで足を伸ばすと、祭り用の|櫓≪やぐら≫が建てられていて、色鮮やかな浴衣を着た人たちが盆踊りを楽しんでいる。
祭り囃子と特徴のある音頭に合わせて人々がねり歩く。
広場には少ないながらも屋台があり、日頃味わうことのない雰囲気に心が浮き足立ってしまう。
棚に並べられた人形や置物を狙うべく、身の丈近くある玩具の銃を構えた子どもが、父親に教わりながら弾を込めている。隣ではねじりはちまきをしている人が、テンポよく麺を炒めている。
ここでは誰もが笑顔だ、かくいう私もそうなのだろう。
思い出したことがある。
「お父さん、こっちこっち」
両親と訪れた祭り会場、毎年見る光景だけどすべてがきらめく宝石に映っていた。
母からはどこか刺々しいものを幼心に感じていたが、それよりも家族そろってと祭りに参加できることがなによりも嬉しかった。
夢中になりすぎたのだろう、両親とはぐれたのだ。ふたりがいないとわかると、それまで楽しかった気持ちが一変した。心細くて泣きそうになるのを堪えて、ひたすら両親を探した。
「お父さーん、お母さーん」
いくら声を出してもかき消される。
前に進もうとしても人波が押しよせるため、逃げるように会場の隅、照明の影が重なった暗い場所へと移動するしかなかった。
その場所は祭りの喧騒から離れた別世界のようで、なにもかもが恐ろしかった。それでも必死に両親の姿を探していると、近くの暗がりに見覚えのあるシルエットを見つけた。
お母さん?
しかし母らしき女性の前には、もうひとり女性が立っている。
会話をしているのか、母らしき人が口元を手で隠した。それが笑う時の仕草だと気づき、無我夢中で母のそばへと駆け寄った。
「あら、どこに行っていたのよ。希実」
絶対に離さないように、と浴衣を掴む私の頭を母は撫でてくれた。
「希実さん? もうこんなに大きくなったのね」
「はい。おかげさまで元気に成長しています」
誰?
相手の顔は光を背にしており、暗闇が濃くてよく見えなかった。
「本当に先生のおかげです」
肩に軽い衝撃を受けてよろけそうになった。私のそばをお面や水風船を持った子どもたちが駆け抜けていく。
先生と呼ばれたあの女性は誰だったのだろうか。後にも先にも母が、町の人と親しげにしている場面を見たことがない。
さっきまでの高揚感はすっかりと消えていた。熱がぶり返したのか、全身が熱い。
どうしてこんな場所にきてしまったのか。
身体が重く、頭がぼんやりとする。
帰る前にせめて食料だけでも調達しようと、つい最近開店したばかりの中規模スーパーへ向かうことにした。
おぼろげな記憶ではあるが、そこは元々竹林で近所の子どもたちにとって、ちょっとした冒険の地として有名だった。そんな場所も今では思い出の残滓すらなく、無機質な新しさだけがある。
入店すると同時に冷やされた空気が、私に纏わりつく熱気を払っていく。店内はかなり広く、入り口すぐの場所には青果が並んでいる。
買い物カゴを手に持ち、流れるように店内をぐるりと散策していく。オープン価格と赤字で書かれたポップが乱立しているが、残念なことに興味を惹くものはない。
『いらっしゃいませ、いらっしゃいませ。本日はお忙しいなか、当店へお越しいただき誠にありがとうございます。ただいま当店では』
入店直後はオアシスにたどり着いた境地であったが、時間が経てば経つほど、身体にこもる熱は上昇しているようだ。
「あら、もしかして希実ちゃん?」
威勢のいい店内アナウンスを聞き流しながら、野菜の値札を眺めていると、ひょっこりと覗き込むように横から顔が生えてきた。
「もしかして……裕太のお母さん?」
笑うと目尻にできる特徴的なシワには憶えがある。
かつての同級生、富永裕太のお母さんだ。
「そうそう」
彼女は目を細めて私に笑いかける。
「お久しぶりです」
「お久しぶりね、こんなところで会えるなんて」
あの頃と変わらない笑顔に胸が締めつけられる。
「希実ちゃん、とってもきれいになったわね」
「そんな。ありがとうございます」
照れ隠しに下を向くと、買い物カゴが二つ乗せられているカートが視界に映った。どちらにも野菜、肉、魚があふれんばかりに入っている。
確か裕太の家はご両親との三人世帯だったと記憶している。
保存しておくにしても多すぎる量だ、客人でもあるのだろうか。そういえば早希から裕太のことに関して聞いた気がする。
どんな話だったかしら。
「ああ、これ?」
私の不躾な視線に気がついたのか、富永さんがまた目を細めた。
「裕太ったらよく食べるのよ」
「……えっ?」
聞き間違いだろうか、そうでなければ『裕太』と言わなかっただろうか。
行方不明になったままで発見されていないはずだ。あれからふらりと家に帰ってきたのだろうか……いや、そんなはずはない。もしそうだとしたら大騒ぎになっている。
店内の冷房で頭が冷えたのか、意識がクリアになっていく。
そうだ、思い出した。
早希も人から聞いた話だったが、確か『裕太が帰ってきたと聞いた』と話していた。
それならば本当に、裕太が帰ってきたのかもしれない。
「……ちゃん、希実ちゃん」
富永さんが怪訝そうに私を見ている。
「どうかしたの?」
「富永さん。裕太は今どこにいるんですか」
彼女から視線を逸らさずにいると、今度は不思議なものを見るような表情に変わっていく。
「裕太? 裕太ならここにいるじゃない。そっか、この子ったらずいぶん大きくなったからわからなかったのね。ほら、裕太。希実ちゃんよ」
さもそこに人がいるように、富永さんは自分の左側を見上げて笑う。
「いやね、この子ったら照れているのかしら。ごめんなさいね」
体温が足の先から急速に失われていく。
「そうだわ、希実ちゃんも一緒に」
富永さんの目が三日月型に歪んでいく。
「どおうかしらあ」
ぐわんぐわんと視界がまわっていく。
『いらっしゃいませぇ、いらっしゃいませえ。本日はあお買い得商品があいっぱいい、みなさまあお買い逃がしのないよおお……』
「ねええ、希実ちゃあん、ゆうたがねえええ」
揺れる世界で、鈍い音が聞こえたのを最後にすべてが黒くなった。
ゴオオォと風が荒れ狂うような音がする。
ここはどこなのだろうか。
背中に感じる冷たく固い感触に意識が覚醒していく。
まぶたを開くも視界はかすみ、わずかに痛みを訴えている。何度かまばたきをするうちに、ようやく自分がどんな状態なのかを理解することができた。
私がいるのは六畳くらいの部屋であり、スチール製の机にパイプ椅子がすぐそばにある。部屋の片隅にはロッカーが二つ。そして私が横たわっているのも、机を並べただけの簡易ベッドのようだ。室内は明るいのに窓がないためか閉塞感がある。
「おや、気がついたんだね」
濃紺の制服に身を包んだ初老の男性が、入室するなり安堵したように声を洩らした。
「あの、ここは」
「ああ、ここは警備員の休憩所だよ」
彼は「よっこらしょ」とパイプ椅子に腰をかけると、ノートらしきものを広げてなにやら記入をはじめる。
天井にある埋め込み式のエアコンが唸りを上げる。どうやらこれが風の正体のようだ。
「もう大丈夫みたいだね」
「はい」
椅子ごと身体の向きを変えた、彼の射貫くような鋭い視線はすぐさま穏和なものになった。
「身体は痛くないかい? すまないね、本当は救急車でも呼ぶべきだったのかもしれないが」
「いえ、本当にもう大丈夫ですから……ここまでは警備員さんが?」
「いいや、私と三上さんだよ。ああ、三上さんっていうのはここができた時からのパートさんなんだ」
「ありがとうございます、ご迷惑をおかけしました」
「気にしなくていいよ」
社交辞令だとわかっているが、少しばかり気持ちが軽くなった。
「裏口から出ていくといいよ、そのほうが人目もなくていいから」
もう一度頭を下げて、警備室を後にしようとして思いとどまった。
「……私が倒れた時、そばに女性がいませんでしたか」
女性、と曖昧な言い方をしたと思ったが、彼はしばし黙考して首を捻った。
「遠回しに様子を見ている野次馬はいたけど、お嬢さんの近くには誰もいなかったよ」
「そう、ですか。ありがとうございます」
今度こそ教えられたとおりに裏口から出ると、湿度を伴った強烈な暖気が私を包む。
途端に浮かび上がる、意識を失う前の光景。
小走りでひと気のない道を進み、駐輪してある自転車に跨って、力を込めてペダルを踏み出す。
周囲の風景がどんどんと後ろへ流れていく。途中で人や車にぶつかりそうになるのも気にせずに、力の限りで自転車を漕いでいく。
そんなはずはないのに、富永さんがすぐそばにいる気配がいつまでも消えなかった。
