「私が嫌いな町」第11話


 体調が回復した私は状況を整理するために、これまでのことを振り返ることにした。
 あの夏祭りの夜に出会った冨永さんは本物だったのか、それともあれは熱に冒されたすえの幻覚だったのか。立て続けに起きる不可解な現象が、確実に精神を削っている。
 そもそもすべてはモリガミサンの夢から続いている。玄明からの伝言が棘となって、心にずっと突き刺さったままだ。

「思い当たることがあなたにはあるはず」

 初対面のそれも自称占い師兼霊媒師が言ったことだ、無視することもできるが、それでは一連の出来事からも目を逸らすことになる。なによりも早希からの紹介だ、不義理な真似はしたくない。
 これまでの現象を自分なりに、いくつかのパターンに分けて考えてみることにする。
 まず元々霊が家にいた場合。もしそうならばこれまで何事もなかったのはおかしい、これは可能性が低いだろう。
 次にどこかでなにかが憑いてきた場合。可能性はあるものの、私の行動範囲は狭く心当たりがまったくない。
 そして霊が先祖などだった場合。私は自分のルーツをまったく知らないし、調べることができないのでこれも除外するしかない。
 考えた結果、誰かに恨まれている。いわゆる怨霊、生霊のたぐい。はっきりいってこれしかないと判断した。もし違うのならば手の打ちようがないからだ。
 そうなると今度は私を恨んでいる相手なのだが、二十数年生きてきたのだから、どこかで人に恨まれていることもあるだろう。しかし呪われたりするほどなのかと訊ねられたら、絶対にそんなことはないと否定をする。
 相手がすれ違いざまに肩がぶつかった程度で、藁人形に五寸釘を打つのならばどうしようもない。
 だとすれば、一番可能性が高いのはかつてモリガミサン探検をしたメンバーだ。
 なぜなら私はあの時、あの時……どうしたのだろう。
 モリガミサン探検を言い出したのは、西田くんで……気がついたらひとりで走っていた。いくら記憶を掘り下げようとしても、思い出せるのは逃げている時のことだけだ。
 腑に落ちないこともある。遊びたい盛りの子どもたちが、怒られただけで疎遠になるだろうか。もしかすると記憶違いで、西田くんたちと一緒に逃げ出したのではなく、|私≪・≫|だ≪・≫|け≪・≫が逃げたのではないだろうか。そう考えればみんなと疎遠になっていったことにも合点がいく。
 確かめないと。
 過去は変えられない、それでも向き合わないといけない。思い出そうとすればするほど、頭痛は激しくなっていくのだから。

 朝から頭痛と倦怠感に悩まされている。着替えることもできず休んでいたが、お腹がすいてしまった。
 よろよろと寝室を出ると、夏だというのに廊下の気温は低く足裏の冷たさが心地よい。フローリングの床に寝そべって、ナメクジのように進みたくなるほどだ。
 空腹を満たすべく冷蔵庫をくまなく見たが、調味料しかなく冷凍室も空だった。食材と呼べるのはせいぜい野菜室の玉ねぎや人参、キャベツの端切れぐらいだ。
 あれ? 夕べ作っておいた煮物を入れたはずなのに。
 調味料しかないという事実に首を捻るしかない。
 食材がなくなったことに気がつかなかったのかしら。
 煮物を作った時は、まだハムやら玉子やらが冷蔵室にあった記憶がある。
 それじゃあ、いつ無くなったの?
 頼りない記憶を確実なものにするために、昨夜の行動を順に追って再現する。
 そうしてなんとも間の抜けたパントマイムをしばらく続けたが、寝室へたどり着いた時点で幕を下ろした。
 途中で煮物を入れたはずの保存容器が、台所のシンクに置いてあったのを発見した。再現した昨夜の記憶は確かなもので、途切れているわけでも不鮮明なわけでもなかった。それなのに煮物を食べた部分だけがすっぽりとない。
 夜中に寝ぼけて食べた?
 そう考えるのが妥当で、それ以外の可能性など考えたくもなかった。
 倦怠感はあるが鎮痛剤が効いたのか、頭痛は楽になっている気がする。
 これなら大丈夫そうね。
 モリガミサン探検に行ったのは西田宏太、多ノ元聡志、山野りの、富永裕太そして私だ。裕太に関しては、スーパーでの一件があるためできるだけ触れたくはない。
 ほかの三人は中学校の卒業アルバムで確認できたが、それ以降どうしているのかは不明だ。遊ぶ時は常に外だったため、当時どこに住んでいたのかもはっきりとはわからない。
 小中の同級生を伝っていけばたどり着けるかもしれないが、あとでどんな噂が流れるかもわからない。早希に頼むという手もあるが、これ以上迷惑をかけたくはない。それに彼女以外の人が広める可能性もある。
 空腹の訴えが大きくなり、まとまりかけていた考えが霧散していく。
 食べたいのにまともな食材がないことで、なおさら脳内が埋めつくされる。
 ダメだ、どこかへ食べに行こう。
 もはや倦怠感はなく、代わりに飢餓感に苛まれている。
 洋服ダンスの抽斗を開けて、目についた服を引っ張り出して着替える。化粧も所持品も最低限にして、家を飛び出した。
 上空からは容赦のない日射しが、そして地面からは強烈な照り返しが懐いてくる。
 夏はどうにも好きになれない。
 自転車で坂を下っているのにまったく涼しくない。それどころかサウナで熱風をかき混ぜているようだ。いくら進めども日光を遮るものがない。日焼け止めを塗っているが、効果はさほど期待しないほうがいいだろう。
 最寄りの飲食店に到着したが、休日のそれも昼ごろとあってか待ち時間が発生している。近くから様子を窺っていたが、行列は途切れそうにない。
 その間も空腹感はおさまるどころか、別の生物でもいるんじゃないかと思うほど唸っている。
 どうしても待ちきれずシンプルな配色が特徴の、大手ハンバーガーチェーン店も行列なのだが客の回転率は高い。
 もうなんでもいい、早く食べたい。
 唾液が過剰に分泌されている、いくら飲み込んでもきりがない。
 あと八人。
 こぶしを握り、力を込める。
 あと五人。
 食いしばった歯がギシギシと音を立てる。
 あと三人。
 脳が熱い、腹部が熱い。
 やっと順番だ。

「これとこれを、あとこれもください」

 商品名なんて言ってはいられない。とにかく早く注文するために、目立つ新商品から順番にメニューを指していった。

「ほかにご注文はありませんか?」
「ないです」
「店内でお召し上がりですか? お持ち帰りですか?」
「店内です」

 お決まりのやりとりに歯軋りが鳴る。
 食べたい、早く食べたい。
 床付近から小刻みに音が鳴る、自分の足が鳴らしているのだとわかっても止めることができない。
 まだ? 早く、早く持ってきて。

「お待たせしました、ごゆっくりお召し上がりください」

 積み重なったハンバーガーの数々。カラフルな包み紙を引きちぎり、齧りついていく。汚れることも気にせず、口の中に入れては咀嚼して、また齧りつく。
 注文したすべてのハンバーガーを食べ終わり、ようやく空腹がおさまった。そしてすぐさま吐き気と唖然とした思いがこみ上げてきた。
 よほど異様な光景だったのか、周囲から視線が集まっているのを感じる。
 もし立場が違えば私も凝視していたかもしれない、それほどまともではなかった。
 私の意思だったが私のものではなかった、あの尋常ではない空腹、飢餓感。
 血の気が失せていく。
 急がないといけない。
 三人との共通点である小中学校、ここへ行けばなんらかの手がかりがあるのかもしれない。
 とにかくここを出ないと。
 針の|筵≪むしろ≫と化した席を立ち、はちきれそうに膨らんだ腹部と口に手を添えて歩くことで、なんとか店の外へと出ることができた。人の目に触れない場所で休んでいると、さらに太陽の位置は高くなり道路の日影はないが、構うことなくペダルと踏んで自転車を加速させる。
 目指すのは町の東側だ。
 入り組んだ細い道が多い西側と比べて、面積が二倍近くもある東側には、主要な道路があり小中学校がいくつも点在している。
 母校の小中学校も東側にあり、そこに向かって自転車を進ませている。片側二車線の道路に沿って、縦長の建物がずっと連なっている。排気ガスと砂埃を巻き上げて、我が物顔で車が走り狭い歩道を遠慮がちに人が歩く。
 十数年ぶりの通学路なのに感情は動かない。ノスタルジーを感じるために訪れているのではない。
 柵を塗りかえたのか、記憶とは違う光沢がある。小さく見える正門の前、当時はなかった防犯カメラを一度見てからインターホンを押した。
 最初に訪れた中学校では、正門の前で数人の教師に囲まれ収穫は得られなかった。同じ轍は踏まないように、小学校へは事前に問い合わせをしたが、にべもなく断られてしまった。
 防犯や個人情報保護の観点からもそうだが、私のことを憶えている当時の教師は誰もいないのだから当然だろう。しかしこれで手がかりがなくなってしまった。
 体力を消耗し家に戻る気力もなく、近くのショッピングセンターの地下一階にあるイートインへときた。一階は化粧品や衣類などの売り場になっているが、客の姿はほとんどなく閑散とした雰囲気が漂っている。
 いつからあるのか、軽食を販売している店のたこ焼きやソフトクリームの写真は色褪せており、数えるほどしかない席では老人たちや小学生たちが楽しそうに話をしている。

「どうすればいいの」

 私の呟きに返事をしてくれる人はいない。
 わあっと歓声を上げて、子どもたちがはしゃぎ、老人たちが微笑ましくその光景を見ている。
 いいな、私もあんなころがあったのよね。
 八方塞がりの現実から逃避をするべく、わざと子どもたちに自分の姿を重ねる。
 早希と東屋で日が暮れるまで話をしたり、西田くんたちとかけっこをしたり、よくかくれんぼもしたよね。
 公園で樹木の影に隠れた時の、あの土や草木の匂い。絶対に見つかってたまるか、と身を縮こませて息を殺していたっけ。
 あの時は怖くて必死だったもの。
 怖かった? なぜ?

「時田ちゃーん、どこー」

 誰かの声が聞こえて、見つかりませんように、と必死になって神様にお願いをした。
 見つかったらきっとひどいことをされる。
 ひどいこと……誰になにをされたのかしら? どうして思い出そうとすると頭痛がするの?
 慌てて鞄から取り出した飲料水を喉へ流し込むと、少しずつ気分が落ち着いていく。一息つき、ぐしゃぐしゃになった鞄の中身を整理していると一枚の名刺が出てきた。

『逢坂調査事務所 調査員・藤戸樹里』
「あ……」

 思わず言葉が洩れた。
 藤戸さんたちならば調べることが可能ではないだろうか。
 預かりものはまだ見つかっていない、それなのに調査の依頼なんていくらなんでも図々しすぎる。
 しかし私の視線は考えとは裏腹に、名刺の電話番号とスマートフォンの画面を何度も行き交う。
 番号が表示された画面が暗くなるたびに、指で触れて明るくする。これを繰り返すこと三回。

「はい、藤戸です」

 緊張と自己嫌悪を抱えたまま相手の反応を待っていると、電話口から弾んだ声が聞こえてきた。

「時田です、今お電話しても大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ。暑い日が続いていますが体調は崩されていませんか?」
「ええ、今日は暑さよりも冷房に身体が負けたのか、怠いくらいです」

 近況を報告して、肝心の話をどう切り出すべきか、と迷っているうちに藤戸さんが「もしかしてなにかありましたか?」と気遣ってくれた。

「そうだったんですね。わかりました、宮乃さんに連絡をして事情を説明します。後ほど折り返しますね」

 悩んだ時間はなんだったのかと思えるほど、あっさりと藤戸さんは私の話を受け入れてくれた。
 通話を終えて座ったままでテーブルに突っ伏した。やけに静かなので周囲の様子を窺うと、老人たちの姿はなく子どもたちがテーブルに、カードを広げたままで携帯型ゲームをしていた。
 折り返しの電話がかかってきたのは、十五分ほど経ってからだった。
 逢坂さんにあらためて事情を説明すると「わかりました」と返事があった。

「お調べすることは西田宏太、多ノ元聡志、山野りの、この三名の連絡先で間違いないですね」
「はい」
「それでは三日以内にはご連絡します。時田さん、念のためにもう一度確認しておきます。同窓会の名簿を作成するために連絡先が必要なのですね?」
「はい、そのとおりです」

 黒くなった画面をハンカチで丁寧に拭き、テーブルの上に置いた。この席に座ってから一時間ほど経過しているが、イートインスペースには子どもたちと私しかいない。店舗の店員も暇を持て余しているのか、ぼんやりとしている。
 本当のことを話そうかとも考えたが、結局それらしい理由を並べて、三人の連絡先を知りたいと嘘をついた。
 罪悪感がのしかかるかと思ったが不思議と平気だった。



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