「私が嫌いな町」第13話


記憶

 仏壇の前で両親に昨日の報告をして、身支度を整えて足早に家を出る。
 日を追うごとに増えていく蝉の鳴き声は、いまや耳がつんざくほどの大合唱だ。蝉の一生は成虫になってから一週間とも二週間とも聞く。それだけの期間を生きるために、何年もかけて土中に潜っているらしい。
 私だったら我慢ならない、むしろ成虫になってからの期間を長く生きたいと願う。人間であることに心底安堵する、大人になってからのほうが人生は長く、やりたいこともできることも増える。
 これからのためにも三人と会わなければならない。全員が御影新町に住んでいる。いや、反対か。住んでいて当然なのだ。
 町が嫌いなのに住所だけでおよその場所がわかる、迷うことはないだろう。皮肉なものだ。移動は暑さと帰りの坂を除けば、自転車のほうが小回りできるので楽だ。
 まずは多ノ元くんと、りのちゃんのところへと向かう。本命はクラスの人気者だった西田くんだが、その居住地はかなり遠い。
 起点となる小学校へとやってきた。夏休みに入っているためか、校舎の中は暗く校庭にも人はいない。
 子どもたちの通学路でペダルを回転させて速度を上げて、途中の三叉路から一番細い道を選ぶ。すると屋や文化住宅など、築年数を感じる建物が散見するようになってくる。
 木陰で休憩がてら地図アプリに住所を入力してみると、現在地からすぐの場所に目的地を示すピンが立った。
 表札で確認したりのちゃんの家は、洋風建築の立派なものだった。
 白い外壁は私の背よりも高く、場所によっては植物が蔓を伸ばしており、そばに乗用車が二台停まっている。
 元同級生とはいえ直接会うのは十数年ぶりだ。
 緊張しながらインターホンを押す。

「はい、どなたですか?」

 テレビドアホン越しに聞こえてきたのは、ややしゃがれた女性の声。警戒心を隠そうともしていない。

「突然すみません。りのちゃんと同じ小学校の同級生だった時田希実といいます。りのちゃんはいらっしゃいますか?」
「時田さんね、少々お待ちください」

 プツリと音声が切れた。
 りのちゃんは元気だろうか、どんな大人になっているのだろう。
 小学生の時もそうだが、中学生になっても控えめで、いつも誰かの意見に従っていた姿を思い出す。
 喜べた理由での訪問ではないのだが、旧友との再会を前にして心が躍っている。
 丁寧に拭っても汗はどんどん噴き出してくる。白くなければTシャツの汗染みが目立っていたかもしれない。
 五分ほど待っただろうか。ギィッと玄関扉が開き、出てきた中年の女性がこちらへとやってくる。

「お待たせしてごめんなさいね。うちの子、時田さんには会いたくないって言っているのよ」

 告げられた内容は私を動揺させるには充分だった。

「ど、どうしてですか?」
「それをいくら聞いても『絶対に会いたくない』としか言わないのよ。あの子があんなに感情的になるのは珍しいくらい、失礼だけどあなた、あの子になにかしたの?」

 そんなこと、こちらが知りたいくらいだ。
 理由も不明なままでの、旧友からの拒絶。
 私の前に立つ、りのちゃんの母親は訝しげな表情を浮かべている。
 呆然としていると二階の窓が開いて、若い女性が顔を出した。

「帰れ! この疫病神!」

 いきなり浴びせられた罵声。
 女性が誰なのかは言われなくてもわかる。りのちゃんだ。

「二度とくるな!」

 その様子を見ていたりのちゃんの母親は、表情をより硬化させて「悪いんだけど、帰ってちょうだい」と言い残して、家の中へと戻っていった。
 悔しいが食い下がることはできない。
 踵を返して歩いていると後方から大きな音がした。
 おそらくりのちゃんが窓を閉めた音だったのだろう。
 その音は蝉時雨の中で、しばらく耳から離れなかった。

 疫病神、りのちゃんはそう言った。だけどどれだけ記憶を遡ろうとも、そこまで忌み嫌われることをした場面は出てこない。
 虫食いばかりの記憶。やはりモリガミサン探検でなにかがあったのだ、と確信めいたものを感じる。
 多ノ元くんのところへ行こう。
 地面を蹴り、ペダルを踏み込んだ。

「なにをしにきたんだよ」

 彼は子供時代の面影を残した顔を歪ませて、開口一番に刺々しい言葉をぶつけてきた。
 なんとなくこうなる予感はしていた。

「多ノ元くんに聞きたいことがあるんだけど」

 薄汚れた白いタイル、並んでいる靴を見ながら問いかけた。

「なんだよ」

 純粋な嫌悪が込められた返答。

「あのね、モリガミサン探検に行った時のことだけど」

 本題を告げるも多ノ元くんからの返答がない。ゆっくりとその足先から視線を上げていく。足首、膝、腰、胸、そして。
 視界に映るその顔は醜悪に歪んでおり、私を見る目は血走り、怒気が浮かんでいる。

「帰れ」

 再び告げられた、拒絶の言葉。

「どうして、どうしてりのちゃんも多ノ元くんも話をしてくれないの?」

 理不尽にぶつけられる敵意に、心が痛いと叫んでいる、苦しい、と訴えてくる。胸に手を当ててかつての友人を睨みつける。

「山野のところにまで行ったのかよ、お前どうかしているな」

 暗に普通ではない、異常だと、狂人だと言われている、そうとしか思えない言葉。

「私、りのちゃんや多ノ元くんになにかしたの? 教えてよ」

 話を聞けば得るものがあり、問題が解決すると信じていた。それなのに実際はなにも解決せず、失っていくばかりだ。

「西田のところには行ったのかよ」
「まだ」
「あいつなら話してくれるだろうよ」

 投げ捨てるような態度と言葉だが、わずかな希望はみえた。

「わかった」
「もうこないでくれ」

 私と向かい合う多ノ元くんとの距離は、およそ二歩分。だけどこの距離はもう二度と縮まらない。

 頭がクラクラする。
 鞄に入れている水筒の残りは少ない。日射しをたっぷりと浴びながら自転車を漕いでいるのだ、熱中症になっているのかもしれない。
 それでも止まるわけにはいかない。時間をあけてしまうと、おそらく二度と行くことはできない。
 信号を何度も渡り、曲がりくねった車道を走り、田畑が広がる細い道を南西に向かって進む。
 走り出して数十分は経っているが、まだしばらくはかかりそうだ。すでに小学校区からは大きく外れている。周囲には自販機もコンビニもない。こんな場所から通う小学生などいないだろう、少なくとも私が通学していた時はそんな生徒はいなかった。
 ハンドルを握る手が汗で滑りそうだ。振動かそれとも震えなのか、足に力が入らなくなってきている。
 いったん止まって鎮痛剤を取り出そうと鞄を探るがなかなか見つからない。じれったくなって、中身を乱暴にカゴへと入れていく。薬をやっと見つけた、と手のひらに乗せたが、それは鎮痛剤ではなかった。

「これは、なんの薬?」

 入れた覚えはないが、見たことはあるような気はする。
 引っかかるが気にしている余裕はない。ようやく見つけた鎮痛剤を口に入れて、残りの水分を流し込んだ。
 さらに道を進んで、田畑に囲まれてポツンと建っているアパートへたどり着いた。縦に並んだ薄い郵便ポスト、そのほとんどが投函口をテープで塞がれている。そのひとつに『西田』と書いてある。
 二階建てアパートだが、部屋番号からして彼の部屋は一階にあるようだ。
 遮蔽物はなく太陽の恩恵を独占しているのに、アパートに漂う雰囲気は薄暗くどんよりしている。一階には四部屋あるようで、通路側の窓にはすべて鉄柵が嵌め込んである。白く塗られた扉はところどころ塗装が剥がれてしまっている。どの部屋も暗く、人が生活している気配がない。
 突き当りの部屋、その前方は駐車場になっているが車はない。駐輪場に自転車が数台並んでいるのは見たが、どれも使用されていない印象を受けた。
 玄関扉の上には表札があり、廊下に洗濯機が置かれている。生活感があることにまずは安堵をした。
 インターホンはなく、ノックをすると扉の薄さが手に伝わってきた。

「どなたかいらっしゃいませんか?」

 ノックよりも確実だと、声を出すと乾いた喉が痛む。

「鍵は開いているよ、用事があるなら勝手に開けてくれ」

 通路側の窓が数センチだけ開いており、そこから男性の声が流れてきた。ぶっきらぼうでなにもかもがどうでもいい、およそ気力と呼べるものが喪失している。そんな風に感じた。
 住民からの許可は出ている、しかしなるべく物音を立てないようにして扉を開いていく。
 狭い土間には男性ものの靴が二足転がっており、扉のすぐ横には流し台、床にはいくつもの空き缶と中身の入ったゴミ袋がある。食器棚と小型の冷蔵庫、悪臭が鼻をつく。奥の部屋の襖が開いており、採光があるので部屋の一部が見えている。季節外れの炬燵、そこから頭をこちら側に向けて人が寝転んでいる。

「あの」

 私の声に反応して頭が動き、逆さまの顔がこちらを向く。

「おたく、誰よ?」

 離れていてもわかる、無精髭だらけの口元が器用に動いた。

「小学校の時、同じクラスだった時田希実だけど憶えているかな」
「時田希実?」

 体勢を変えた反動で炬燵が浮かび上がり、逆さまだった顔が正しい位置に戻った。そして西田くんは半ば走るようにやってきた。

「はは、本当に時田だよ、時田希実だよ」

 私の顔をまじまじと見た西田くんは乾いた笑い声を上げた。ひとしきり笑い終えると黙ったままで顔を凝視している。

「西田くん」
「なにをしにきた」

 ガラリと彼の雰囲気が変わり、だらりと両腕を垂らしている。

「聞きたいことがあるの。ここへ来る前にりのちゃんと多ノ元くんに会ってきた。だけどふたりとも『帰れ』の一点張りでなにも教えてくれなかった」
「どんな話だ」

 酒を飲んでいたのだろうか、微かにアルコールの匂いが鼻についた。

「モリガミサン探検に行った時のことよ、私あの時のことほとんど憶えていないの。記憶にあるのは西田くんがモリガミサン探検を提案して、西田くんと多ノ元くん、りのちゃんに私、そして裕太の五人で探検に行ったことぐらい。気がついたら私は必死に走っていて、みんないなくて」

 なにがおかしいのか、ははは、とまた西田くんは笑い出す。

「ねえ、どうして笑うの?」

 心底愉快だと言わんばかりに声量は大きくなり、文字どおり腹を抱えて彼は笑い続ける。

「なぜかっておまえが昔とちっとも変わっていない、のままだからだよ。俺が提案した? あの時『モリガミサンの家を見つけた、探検に行こう』って言い出したのはおまえだよ、時田」

 感情がないようでいて、どす黒い悪意がふんだんに込められた口調。牙をむいた西田くんの容貌を前にしているのに、話の内容がまったく理解できないでいる。唖然としていると彼は舌打ちをした。

「山野や多ノ元が話してくれないって言ったな。そういうところなんだよ、時田。おまえはいつも自分の都合のいいように事実をねじ曲げる。みんなとはぐれて必死に走っていた? そりゃそうだろう、嘘で作ったモリガミサンが本当にいたんだから。姿を見るなり誰よりも先に逃げ出したもんな」
「ち、違う」

 ドクン、ドクンと頭部が疼く。
 血管が破裂するような頭痛がする、目の奥が痛い。スクリーンに投影された古い映像のようなものが浮かんでは消える。
 町の人たちに決して近づいてはいけない場所だと、言われ続けている場所がある。町外れの山林、そこで一軒の家を発見した。
 発見した? でも私はあの探検で初めてあの家を……。
 コマ送りで再生される映像と記憶が合わない。
 違う、初めてモリガミサンの家に行ったのはみんなとよ。でもそれじゃあ、この光景はなんなの?
 痛い……頭が、目の奥がずっと痛い。
 山林できょろきょろと、周囲に人がいないかを確認する。
 違う、やめて。

「いい場所、見つけた」

 女の子の声、これは誰の声?
 忍び足で家に近づいていく、ドキドキするけれど楽しい。
 この記憶は私のものじゃない、違う。
 町にあるような古い家に似ている、どうしようかと妄想が膨らんでいく。
 お願い……やめて……。
 表札に『守上』と書いてある。

「もりうえ? もりかみ? そうだ!」

 妄想の切れ端が集まり、ひとつの物語が完成する。

「モリガミサンにしよう!」
 違う! もういやよ!

「もうやめて!」

 気づけば私は頭を抱えて叫んでいた。漂う空気が冷たくて寒い、心臓が不自然なほど小刻みに脈動している。

「……私がモリガミサンを創った。でもそれなら、嘘だってわかっているのならどうしてみんなは一緒に行ってくれたの?」

 ゆっくりと顔を上げて、西田くんと視線を合わせる。

「そんなの決まっているじゃねえか、先生に言われていたからだよ。『時田さんともたまには遊んであげなさい』ってな」
「私たち、友だちじゃなかったの?」
「友だち?」

 西田くんは鼻を鳴らして、見下ろすように私を見る。

「一度だって友だちだなんて思ったことはねえよ」

 足元が、地面が揺れる。今の私を形成しているものが崩れていく。揺れるゆれていく、私自身が。

「私が逃げて、みんなはどうなったの」

 胸の前で重ねている腕に爪を食い込ませる。鋭い痛みがひとかけらの自我を保たせてくれる。

「どうもこうもねえ、町の人たちにこっぴどく怒られただけだ。そう、怒られただけなんだよ、爪はじきになるくらいにな!」

 西田くんの咆哮に空気が震える。

「あそこはな、絶対に近づいたらいけない場所なんだよ! それをおまえは! おかげで俺も、多ノ元も、山野も、町の人からのけ者にされ、富永は行方不明だ!」
「そんな、だってあの家は人が住んでいただけなんでしょう? それにこの町が嫌なら離れればいいじゃない」

 自責の念は感じている、謝罪をしなければとも思う。だけど煮えたぎる熱が血液とともに巡る。

「離れられないんだよ、この町は離れることを許してくれねえ!」

 さらに獣じみた容貌で、西田くんはガリガリと頭や顔を掻きむしる。

「どういうことよ」
「……モリガミサンに会いに行けばわかる」
「わかった……」
 苛立ちがとまらない、彼と話をしているだけでどうしようもないほど苛々する。

「色々話してくれてありがとう」

 陰鬱な室内から立ち去るために廊下へ出た。閉まっていく扉の隙間、その暗闇に彼の姿は沈んでいく。
 見上げた青すぎる空に暗雲が広がろうとしていた。



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