たこの瞳
1
死ぬのは怖くないけど死んでる、ってのはごめんだわね。
彼女は吐き捨てるようにそういった。
俺は口をつけかけたコーヒーカップの手を止めて彼女を見た。サングラスに隠された目を確かめる事ができない。
9月半ばの水曜日の午後。
俺は3歳年上の従姉妹とホテルのガーデンカフェでテーブルを挟んで座っていた。
学校は新学期。夏休みの間、観光客たちであれほどごった返していたみなとみらいの赤レンガパークも流石にひっそりとしている。
お袋の妹、叔母の要子が夏の疲れからか体調を崩して入院した、ときいて見舞いに行ったら、もう何年も会っていない従姉妹に出会した。久しぶりだから帰りにコーヒーでも、と立ち寄ったカフェ。サーバーは新人のアルバイトなのかやたらとコーヒーを注ぎに来る。俺たちの話に興味があるのかと思ったらそう言うわけでもないらしい。この、男っぽい従姉妹が気になるのか、ステーションに戻ってはこちらを見ながら他のサーバーとヒソヒソと話している。悪口を言っている、と言うよりは憧れるような視線を送っているのが面白い。
「そんなにコーヒーばっかり飲んでたらお腹タポタポだしカフェインで目はギンギンになっちゃう」
「それならブリオッシュか何かはいかがですか?」
「あら、セールス上手じゃない。じゃあ、一つもらおうかな」
そんな軽い会話をサーバーと交わした後
「ここも変わっちゃったね。赤レンガの倉庫なんて昔は知る人ぞ知る、みたいなところだったのに。廃線になった貨物の引き込みとかあってちょっとやばい雰囲気もあってさ。倉庫が撤廃されなかったのは良いけど、なーんだかね。横浜じゃなくなっちゃったね」
残念そうに彼女が言う。
確かに。隠れ家的存在だった赤れんがや埠頭の倉庫群が真昼間から太陽の光を燦々と浴びて立っている姿にはいまだに少し違和感がある。トレンディな刑事ドラマで一躍脚光を浴びたヨコハマはどんどん「俺の街」から遠のいてしまっているようで少し腹立たしい時もある。そんな郷愁をこの従姉妹も感じているのだろうか?
「中学の時、夜に一度だけやっちゃんと来た事があるわ。なんか、すごい大人びたことをしてるような、いけないことをしているような、そんなドキドキ感があったな」
「それって、例の、中2の時の人?」
そんな質問が口を吐いて出そうになったけど、その時の事件を聞いた時の自分の反応も一緒に蘇ってきてなぜか言葉にならなかった。
「今、たこちゃんはどうしてるの?日本にいないって聞いたけど」
代わりにそんな風に水を向けた。
2
俺の名前は中邑銀之助。横浜生まれの横浜育ちだ。そしてこの街に愛着がある。
俺が生まれた時、親父が時代劇俳優にハマり、苗字が同じだからとその俳優の名前をつけたらしい。でも、「ワンランク落として」と「銀」にしたんだそうだ。あちらの「きん」は「錦」なんだけど。
親戚始め周りからは色々と言われたらしいが
「何言ってんだ。これからは国際社会だ。英語じゃ『ミスターシルバー』で良いじゃないか」
本気とも冗談とも取れない返答をしたらしい。本人は万年ヒラのサラリーマンで終わったが葬儀には多くの人が参列してくれて俺たち家族は正直びっくりした。三味線や笛が趣味の風流な親父だった。
そんな親だから子供の命名も風流にしたのか?随分良い加減だと前は思ったけど、いい加減さは血筋なのかも知れない。中学生の頃夢中になっていたバンドのヒット曲に出てくる名前を下の娘に命名してしまった。
実家の斜め前に地元で愛されてきたパン屋があって、そこでアルバイトをしたのがきっかけでパン屋を志すことになった。今はその老舗の2号店を任され早朝から粉と格闘する日々だ。
本業はパン屋なんだが、なぜか俺のところには近所の人や、ご近所さんから紹介されたと言って色々な人が相談にやってくる。俺はその道のプロでもないし、なるつもりもないからなぜだろう?と思うんだけど、中学や高校の時は一通り、あまり自慢にならないことも含めて色々なことをやった。その度にご近所さんに助けて貰ったり世話になったりしたから、今はご恩返しのつもりでその人達の話を聞くことにしてる。もちろんプロじゃないから金なんて取らないし、取れない。その人達が帰りにパンを買って売り上げに貢献して貰っているから人生、持ちつ持たれつとはこういうことなのかも知れない。
3歳年下の弟、克利、は両親、特に親父からの期待に縛られて育ったせいか、大学卒業して家を出た後は滅多に帰ってこない。親父とお袋のどっちを見たって医者になれる知能もないのに親バカなのか強過ぎた希望的観測なのかが克利を変えてしまった。あの頃、もっと相談にのってやっていれば、と思う罪悪感も、もしかしたら尋ねてくる人を無碍にできない理由の一つなのかも知れない。
3
「ここって銀公が昔働いてところじゃないの?さっき要子叔母ちゃんが言ってた。銀ちゃんはああ見えてもパンワールドホテルのベーカリーで副店長をやってた、って」
彼女の言う通り、今ウツキパンで店長をやっている俺は以前、このホテルのパン職人として働いた事がある。面接の時、家の近所のウツキパンでアルバイトの経験があると言ったら人事課の人たちは何を考えたか俺をパン屋の2番目に据えた。そうしたら何が気に入らなかったのか製パンシェフのフランス人の上司が俺を目の敵にした。もう少しホテルのパンの修行をしたかったけど、あまりにもそいつの態度が鼻について、2年ほどで退職した。
やつは他の従業員達にもウケが悪くて、結局クビになった。2番目の俺もそいつもいなくなったからここのベーカリーは一時売り上げがガタ落ちになった。
ホテルから、戻ってきてくれないか、と誘いがあったけど、俺はやっぱり町のパン屋が好きだから、丁寧にお断りした。関係は保っておいた方がいいと思ったと言ったらお袋に大人になったと驚かれたり喜ばれたりした。
ホテルは横浜のみなとみらい地区開発第一号の建物だ。あれからもう30年も経っちゃった。そして、そのホテルのガーデンカフェで俺は何十年ぶりかで従姉妹とコーヒーを飲んでいる。
味が落ちた、と言われているこのホテルのパンの中で、彼女が頼んだブリオッシュだけはイケると俺も思う。勧めたサーバーはなかなか舌が肥えてるのか、それともそう指導されているのか。
4
子供の時は親戚の家に年始の集まりで顔を合わせ遊んだのに、その後の彼女のことは全て「〜らしい」という人伝にしか知らない。お袋を通してだ。そのお袋だって又聞きだからどれだけ本当のことを知らされているんだろう。
彼女の本名は多果子。その彼女が「たこ」と呼ばれるようになったのはある年の正月だった。多果子にはいろいろなことを達成する、実りの多い子供、という意味があるそうだ。
けれど、とにかくお転婆で、体育と国語の成績以外は「元気良く行進」している通知表を毎学期もらってきたのだそうだ。
「イチ、ニ。イチ、ニ。って1と2しか並んでなくてあんまり実りが多いとはいえないわね。」
と口の悪い俺のお袋が言っていた。
「実りないから、いっそのこと『果』の字を取っ払って『たこ』ちゃんにしたら?」
などとお袋が叩く軽口に
「いやだ、伯母さんたら」
と口を尖らせていたけれど、愛称をもらってどことなく嬉しそうだった。その証拠に、それ以降、友人からも「たこ」と呼ばれるようになったと翌年の正月に言っていた。俺が小学5年生だったから「たこ」は中学2年生だったはずだ。
親戚の大人の輪の中で「たこ」は太陽のように明るく喋ったり笑ったりしていた。部活や今風に言えば「推し」の夢アイドルのこと。学校の成績や勉強になると口を尖らせて
「だって、村田先生、えこひいきするんだもの。私の生物の成績が悪いのはそのためよ」
揶揄う伯父に抗議したりと屈託がない。
お袋がまた
「たこちゃん、彼氏とかいないの?」
と余計なことを聞いたりもする。
「やっだ、伯母さん。そんなものいるわけないじゃん」
との答えに大人全員が
「そうだよねー」と反応すると
「えー!?どうしてそこで妙に納得するかな〜?」
丁々発止のやりとりが続きみんなの笑い声が一際高まる。そんな、なんでもない、いつも通りの午後だった。
でも、その時、俺はよくわからないけどちょっと異様な空気を感じた。
たこの両親の顔が一瞬強張ったこと。そして、たこの目の奥に言葉では表せないような悲しみと言おうか空虚感と言おうか、そんなものを見たような気がした。
もちろん、小学5年生の俺にそんな心の奥の襞が読めるわけがない。
「あれ?今の何?」と言う違和感で終わってしまった。
あの時のたこは太陽が己の内なる燃料を燃やして周りを照らしているように、自分の中の何かを犠牲にして周りを笑わせていたのだろうか?
今、俺の前にはサーバーとも少し軽口を聞くような屈託のない従姉妹が坐っている。あの時の違和感は思い過ごしだったのだろうか?でも、俺の脳裏には時々あの時のあの場面が蘇る時がある。
5
たこが家出をした、と言う話を聞いたのはその年の3月。春休みに入った土曜日だった。叔母の要子から母に連絡があった。たこの母親の彰子が要子のところにたこが行っていないかと電話をかけてきて発覚したそうだ。彰子は3姉妹の末っ子で、母方にはその下に弟で長男がいたが3歳の時肺炎で亡くなってしまったとお袋が言っていた。
たこは「横浜駅に買い物に行ってくる」と言って家を出て、そのまま帰っていないらしい。
その前の週末、たこは母親と友達付き合いのことで激しく口論をしたそうだ。3歳上の姉、聡子はいわゆる優等生肌。成績も優秀で付き合う友達も、どの親にも望まれるようなタイプなのだそうだ。一方、たこの成績は「元気の良い行進」だし友達は大人びた目立つ子たちだと彰子叔母ちゃんがこぼしていたらしい。
「彰ちゃんにはそう見えるらしいけどみんな良い子なのにね」
たこの友達に会った事のある要子叔母ちゃんがお袋に言ったそうだ。
「彰ちゃんが、そのお友達の中の一人との付き合いを禁止したらしいのよ」
お袋が言う。
「お宅の娘さんは家の子には不釣り合いだから付き合わせないで下さいって。向こうのお母様に言ったらしいわ。たこちゃんが一番仲良くしてる人なんだって」
「えー。そこのお家に行って、そんなこと言っちゃったの?」
「彰子が電話してきて誇らしげに言ってた、って要ちゃんが言ったわ」
あなたの母親が家に押しかけて来てそんな事を言われた、と親友から聞かされた時、多果子は一体どんな気持ちだったろう?小学5年生の俺にもそれってやばいんじゃないか?と思えた。
「お母さん、賢ちゃんや拓ちゃんのお家にはそんなこと言いに行かないでね。賢ちゃんも拓ちゃんも僕の友達だから」
そんなことを俺は真剣な顔でお袋に言ったらしい。
賢治と拓也は幼馴染だ。特に賢治とは幼稚園からの付き合いだ。やれ僕の方が早く皮が剥けたとか陰毛が多いだの長いだのとくだらないことで張り合ったりした。賢治の家がたばこ屋だったので中学1年の時、初めてタバコを吸ったのは賢治の部屋だった。
拓也とはあいつが小学3年の時に引っ越して来て同じクラスになってからの友達だ。都合よく、拓也の家は酒屋だから俺と賢治と拓也と3人で連んで酒を飲んだりタバコを吸ったりした。俺の家はサラリーマンだから何にも提供できなかったけど、3人の内で一番早く車の免許を取り、車を買ってもらったのが俺だったからそれでバランスが取れていた。でも、彼らは誰がどれだけ貢献したか、なんて事を気にもせず、俺たちはただ仲が良かった。
そんな仲のいい友達の家にお宅の子供はうちの子には不釣り合い、と母親に怒鳴り込まれたら、思春期に足を踏み入れた少女はどうしたら良いんだろうか?
俺の脳裏にはその時、あの年始の集まりでの一瞬の違和感が蘇った。彰子叔母たちの強張った顔。たこの目の奥の悲しみ。もしかしたら親子間のバトルはしばらく続いていたのだろうか?
それから数日して、たこが見つかった、と家に連絡があった。
例の、親友の家にいたのだそうだ。叔母の要子が訪ねて行った時、たこはその親友と裸で抱き合いながらすやすやと眠っていたらしい。
「あんなにあどけない顔で寝てるあの子を見たことがなかったわ」
と叔母は母にそっと告げた。
「安心しきってる、って言う表情だったから起こしたくなかったんだけど」「でも、なんで要ちゃんが行かないとならないのよね。どうして彰子が迎えに行かなかったのかしら」
お袋は腹立たし気にそう言ったが、色気付きはじめた俺の頭の中には中2の女の子が二人、裸で抱き合って眠っている、と言う場面の妄想が蠢き始め、なんだか勃然としてしまい、母の言葉は右から左へと通り過ぎてしまった。
廃線になった貨物の引き込みのある赤レンガ倉庫に夜中に一緒に出かけた「やっちゃん」はあの時の親友だったのだろうか?それはいつのことだったのだろう?暗闇の中でたこは「やっちゃん」と何をしていたのだろう?その後、あの親友とはどうなったのだろう?俺の頭は下衆な勘繰りも含めてぐるぐる巡った。
たこが「正式に」家を出たのはそれから3年後。高校2年の時だった。「留学」と言う形を取って。あの、中2の、家出から連れ戻されて以来、彼女は翌年の年始周りでも1時間ほど居て、アルバイトだと言って帰ってしまった。その頃には大学生になっていた聡子も親や親戚よりも友達付き合いの方が重要になり、数年前から足が遠のいていた。
「たこちゃんはそれでも顔を見せてくれるから可愛いわ」
お袋や叔母の要子は言った。
彼女は中学3年生の時、がむしゃらに勉強して県下一の高校に進学した。高校一年の成績は校内首位だったと叔母の彰子がいつになく鼻高々だ。ただ、おかげで留学資格を獲得したことや休みのたびにアルバイトに励んでいることになると不機嫌になった。叔母はもしかしたらたこは帰ってこないのではないかと薄々気づいていたのだろうか?
中2になっていた俺は俺で部活の事や目の前にぶら下がり始めた高校進学。そしてその頃芽生え始めた恋心というやつを持て余していて海外にちょっと逃げ出せるなんて良い案だ、ぐらいにしか思っていなかった。
そして、その正月以来30年以上もたこに会っていなかった。彼女は一体どんな生活を送っていたんだろうか?
6
「パパたちに拾われたのよ」
(パパって、パパ活?)
(そういえば拓也が40代の頃、パパ活の女子高生に入れ上げて大変だ、って村井さんのおばさんから相談されたけど、あれか?たこはそんな事をやっていたの?何のために?相手は外人か?そうだろう。日本にいないんだから)
どうも俺には変な妄想癖があるらしい。目まぐるしく回り始めた俺の考えを遮るように彼女が続けた。
「ホストファミリーのマミーの弟さんが隣に住んでてさ。ゲイだったのよ。ジーンって言うんだけどトミーっていう彼氏と住んでたの。日本で言う二世帯住宅、ってやつで私の部屋はパパ達のお家の方にあったの。だから、ホストファミリーよりそっちの家で過ごす時間の方が多くてさ」
(あ、そうなんだ。パパってのはとーちゃん、ぐらいのことか)
俺はなぜだかちょっとホッとした。
いくら語学を一生懸命勉強してもやっぱり日常の生活で使われる生きた言葉には追いつくわけがない。でも、「パパ達」を含めファミリーはたこの辿々しい英語を一生懸命聞いて理解しようとしてくれたらしい事が伝わってきた。そしてたこも恐らく一生懸命伝えようと言う努力をしたのだろう。心で繋がることができたのだと言う。
家のパン屋にもたまに道を尋ねに外人が入って来る。「ミスターシルバー」肩なしで何を言っているのかさっぱりわからないけれどこっちが日本語で一生懸命話したら通じ合えた、という体験を何度かしたことがあるからわかるんだ。
日本からの留学生。言葉だってカタコトだし、それにアジア人の女子高生、と言うことで差別やいじめに似た状況にも遭ったらしい。いくらホストファミリーが保護者になっているからと言っても、そう言う意味で彼女を「守る」義務はないのかも知れない。それに学校での出来事を細かく説明するほどの語学力はなかっただろう。
「クラスメートと口喧嘩になって、汚い言葉で罵って勝った時、あ、私、ここにいて大丈夫かも知れない、って思ったの」
汚い言葉で罵り合えるのが市民権を得る通過儀礼なんてさすがアメリカよね。
そう彼女はイタズラっぽく笑った。
「ファミリーはとても厳しかったよ。ルールを守らなかったら叱られたしね。自分のことは自分で決めなさいと繰り返し繰り返し言われもしたわ」
一度、同年代のホストシスターとその友達とでパーティーに出かけ、帰宅時間を守らなかった時、そこの両親に部屋での謹慎を言いつけられたらしい。謹慎が解かれた後、なぜ叱られたかを説明され、そのあとは「アイラブユー」と言う言葉とともにぎゅっと抱きしめられたそうだ。謹慎の時は「パパ達」も助けには来なかったし家庭では決して「お客様扱い」はされなかったとたこは話した。
「それが嬉しかった。本当に家族の一員よ。嬉しかった」
噛み締めるように彼女は言った。
「ジーンがさ、あの頃はもう40代に手が届こうっていう年齢だったんだけど、やっぱり舞台の夢を忘れられないから東海岸に引っ越したい、って言い出したの。トミーは自分のパートナーの夢を支えたいから仕事を変えたのよ。ファミリーも全面的に賛成でさ。信じられる?40代でよ!夢を捨てないって。そのパートナーを支えるって。全面的に賛成するって。信じられる?日本じゃ考えられない。そして、その計画に私も含んでくれたのよ。『家族だから』って」
たこの目にうっすらと涙が浮かんだ。
ホストファミリーはたこの考えも尋ねたそうだ。そして、たこが「パパ達」と離れたくない、と初めて意思表示をしたら永住権を取得するために彼女の高校卒業を待ってトミーとの結婚を計画した。たこは高校卒業と同時に結婚し、永住権を取得、ジーンとトミーと3人で東海岸に引っ越して新しい生活を始めたという。
「でもさ、日本の家族のことは考えなかったの?」
俺はなんだか素っ頓狂な質問をした。でも知りたかった。
「知らせたよ。でも、梨の礫。私、あそこの家じゃ厄介者だったから」
「それに、親父に体を弄られる日々はもうごめんだったしね」
落としそうになったマグを掴もうとして手が滑り、マグは音を立ててテーブルに着地した。サーバーが何事かと俺たちのテーブルに目を向けた。
「パパ達やファミリーが抱きしめてくれる時ってただただ愛情だけなのよ。あったかくて、安心できて。性的な事なんて微塵も感じない。そんな安全な場所を離れて自分を穢すような生活にはもう戻りたくなかった。私、あそこの家で魂を殺されたんだ、って知ったの。わかる?体は生きてても心が死んでたのよ」
たこは淡々と続けた。
俺の脳裏にはあの、正月の一コマがありありと蘇った。あの彰子叔母ちゃん達の強張った顔。たこの目の奥の、背筋が凍りつくような悲しみ。あれは俺の思い過ごしじゃなかったんだ。あの裏にはこんな事実が潜んでいたんだと改めて理解した。
「銀公がご近所さんとかの相談を受けてるって要子叔母ちゃんが言ってた。でも、だからあんたに話してるんじゃないのよ。家の両親はもう、過去の人達なの。終わってしまった恋愛関係みたいに。それはそれで悲しいことかもしれないんだけど、あんまりあの人達のことをもう思い出さない。ここまで来るのに結構時間かかったし相当恨んだけどね」
7
高校進学への1年間、がむしゃらに勉強をして、県下一の高校に進学し、初年で首席を取って留学の資格を得た、というのはたこにとっては生存をかけた、たった一回のチャンスだったのだ。
中学2年の時、思春期の恋心を確かめ合った2歳年上の「親友」と裸で抱き合って眠った彼女にはそこが唯一安心できる場所だったんだろう。要子叔母ちゃんはきっとそれに気づいていたに違いない。だから迎えに行ったのだろう。だから起こしたくなかったんだろう。
そして彰子叔母ちゃんは迎えに行かなかった。自分の夫が寝室を抜け出すのに気づかない叔母ではないからだ。そして、なぜ、そうも頻繁に夫が寝室を出て行くのか、どこかの時点できっと知ってしまったに違いない。たこが留学すると言った時、結婚すると連絡した時、そして東海岸に引っ越した時、自分の娘の安全より嫉妬の対象がいなくなる安堵感の方が強かったのかもしれない。
「要子叔母ちゃんには話したの、全部。東に引っ越して、落ち着いた頃。叔母ちゃん、泣いた。泣いてくれた。私はそれだけで十分」
俺だって泣くよ。でも言葉が声になって出てこなかった。
「ちょっと前にさ、ジョーンズの社長の性的虐待、ってのがニュースになったじゃん。それで思ったの。子供の時大好きだった「クローバー」の淳くんの目。今見るとさ、魂が抜けてしまったような目をしてるのよね。あれって虐待を受けた子供の目だよね。なんで私が淳くんのこと好きだったかわかるような気がする。『好き』というより『わかる』という感覚だったんだわ。『同士』みたいな」
あの時見たたこの目の奥の悲しみは死んだ魂だったんだ。
たこの言うアイドルグループのメンバーが性的虐待の事実を暴露したニュースに付随した、その当時の彼らの写真を目にすることも増えた。確かにたこの言う通り、そこには虚な目をした少年がいた。口元は笑っているけれど目にはゾッとするような悲しみを湛えていた。
「要子叔母ちゃんに言われたの。もう修行は終わったんだから『果』の字を取り戻していいんじゃない?って。そういう意味では良いかも、って思う。ははは、人生の3分の2以上付き合ってきた名前だから手放すのもちょっと惜しい気もするけど」
と言って多果子ははにかんだ。
「優子伯母さまにも茂伯父さんにも結局会えずじまいだったのね。毎年正月にはあんなにお世話になったのに。おせち料理も美味しかったしお年玉は最高額だったしね。要子叔母ちゃんとはここのところ会う度に『今生の別』っていう気持ちなんだけど、実際その時が来たらどうしようって今からオロオロしてる」
要子とたこはことのほか仲が良かった。神経質な彰子という母親に育てられた多果子は叔母の要子を自分の母親以上に信頼していたみたいだ。そして、結婚した年に夫と突然死別した要子はたこをことのほか可愛がっていたように見えた。
「銀公とも、もしかしたら今生の別かもね。もっと仲の良いいとこ同士って言うのもあるみたいだけど。ね、ミスターシルバー」
とイタズラっぽく笑った。
傷ついた心を抱えながらも、多果子は親父が言ったことをどこかで聞いて、覚えていたらしい。子供の頃から彼女にはそんなところがあった。
彼女は自分が生きるために全てを葬った。
高校生の恋バナやおしゃれやアルバイト。
その頃すでに大学生になっていた聡美はアルバイトに励み、自分の稼ぎは全て夏は、テニス、冬はスキー、とバブル期の大学生生活を満喫していた。
一方、たこは親友も、守られた環境も執行猶予期間の大学生活にも背を向け、自分が生きる術を模索していたに違いない。
たこがそんな選択をしなければならない原因になった岡村家に俺は無性に腹が立ってきた。家の娘達は二人ともすでに成人しているが、彼女達が子供から少女になり始めた頃、うっすらと胸の膨らみを見せ始めた頃、確かに眩しかった。若さがはち切れんばかりのスラリとした肢体は親バカと言われてもいい、確かに魅力的だった。愛おしかった。大切な宝だった。その宝を壊そうとする奴らが出てきたら、と思うだけでイライラした。大切に、大切に、壊さないように抱き抱えていたかった。でも、それは性的なものでは決してなかった。畏敬の念さえ抱いたものだ。その純粋な、脱皮しようとしている蛹を弄ぶような行為ができるなんて俺には想像もつかなかった。
「パパ活」の女子高生に出会った拓也はディズニーや、普段なら行かないような高級レストランなどに出かけ高価な贈り物もしたらしい。そのために店の金に手をつけたこともあったと聞いた。
「でもよ、やれなかったんだよ、俺。いざとなったら杏奈を思い出して」「てめぇ、俺の娘に手を出したのか?」
「出すわけねえじゃん。あいつが生まれた時、ぎっくり腰で動けなかったお前の代わりに恵ちゃんと、しわくちゃの赤ん坊だったあいつを迎えに行ったの、俺だぜ」
確かにそうだ。俺はあの時ストレスが原因でぎっくり腰になり病院に行かれなかった。生まれたばかりの杏奈を抱き上げてやれなかった。代わりに杏奈を抱いて連れて帰ってきてくれたのは拓也だった。そんなこともあってか、杏奈は妙に拓也に懐いていた。幼稚園の頃は自分は拓也の子供だと言い張った。中学や高校に進学しても学校の帰り道、拓也を見かけると走り寄ってきて腕にぶら下がって歩いていたそうだ。父親の俺は拓也に対してさえ腹を立てた。そして、本当に杏奈は拓也の子供なんじゃないかと恵子を疑い、しばしば夫婦喧嘩のタネにもなってしまった。
「据え膳食わぬはなんとやら、って言うけどよ、高校生の頃の杏奈とダブっちゃってやる気も何も失せちゃったんだ。情けねえよな、俺」
(違うよ、拓也。情けないんじゃない。お前はそんなことができるやつじゃないんだよ)
賢治と俺の前で項垂れている拓也を見ながら、俺はやつを誇りに思った。
その境界線を越えた叔父、信大。
そして夫のそんな行為に薄々気付いていただろう彰子叔母さんが何も言わなかったと言う事実や同じ部屋で寝ていて気付かないはずがなかった聡美。たこは「家族」と言う一番基本的な社会に裏切られていたのか?
時代小説の中で、囚われた盗賊が自分の過去を回顧するシーンを読んだことがある。
「親の顔を知らないと言うことは自分の生活の中に何もない。そんな人間が悪への道へ足を踏み入れたってなんの不思議はないだろう」
みたいなことを言っていた。
たこは悪の道へ踏み込んだのだろうか?もしそうなら、今俺の前に座っている彼女は何者なんだ?何かの良からぬ企てを持って俺と話をしているのか?もし、踏み込まずに生きてきたのなら、何が彼女を守ってきてくれたんだろう?
「ジーンのラストネームもトミーのラストネームも『天使』て言う意味なんだ。イタリア語とハンガリー語。アンジェラってやっぱり『天使』って意味なの。私、天使たちに守られてたのね」
8
「トミーと10年ぐらい『結婚』と言うものをしていて、いよいよ別れる、ってなった時にホストファミリーに挨拶に行ったんだよね。それまでだって毎年のホリデーごとに行ってたから別に珍しいことでもないんだけど」
もちろん二人の間では何の問題もなく離婚手続きは進んだけれど婚姻中に得た共同資産の分配の手続きの州法が煩雑だったと話してくれた。
「ホストファミリーとこれでひと段落だねーなんて話していた時、心理学者だったマミーに言われたの。家に来た時のあなたはまるで野良猫のような目をしてた、って。愛されたいのに愛したいのにいつもビクビクしててちょっとしたきっかけですっとどこかに隠れてしまうような、そんな野良猫みたいだった、って言われたわ。それまでの留学生の中には日本を離れたら甘えてハメを外して大変な子もいたのに多果子は良い子過ぎてもしかしたら家に問題があるんじゃないか、って悩んだとも言われた」
留学生を受け入れるホストファミリーという、考えてみれば赤の他人の中で、彼女はきっと気遣いながら、遠慮しながら、生活をしていたのかも知れない。愛情を義務や情けと受け止めて、もしかすると初めて「優等生」を演じたのかも知れない。
アンジェラと出かけて帰宅が遅くなり叱られた後、たこは二度と言いつけを破らなかったそうだ。そんな事もホストマザーは実は心配したのかも知れない。
「学校で数学を教えてたダディは多果子は数学不安症なんだろう、って言っていたらしい。子供の時に何かのトラウマ、特に性的なトラウマに遭遇すると、その時点から算数や数学ができなくなるんだって。理系の他の教科は大丈夫なんだけど数学だけはなぜかできない、そんな生徒がいるとダディはその子の家庭環境がどんなんだか、って調べてたらしいの。ははは、家もそんな問題家庭に当てはまるわけだ」
「辿々しく話したうちの家庭環境を聞いて、多果の『良い子』の原因を知ったら日本に帰らせるわけにいかない、って変な正義感に燃えちゃった、ってマミーが言ってた。ジーンもトミーも生活を立て直そうとはしてたけど彼らの友達の中にはまだまだお酒やドラッグが止まってない、やめたくない人達もいて、そんな人達を見て生活したあなたが帰国して、今までと同じような環境に戻ったら薬に溺れちゃうんじゃないか、って心配してたって言ってた。トミーやジーンは男だけど、多果子は女だから、あの二人が体験しなくても良かったことを女のあなたは避けては通れないんじゃないかってそれを考えたら夜眠れない時もあった、って。何人も何人も留学生を受け入れてて1年もしたら日本に帰国して何年かしたらホストファミリーとの連絡も疎かになっちゃう子が多いのに、たまたまホストファミリーになっただけなのに、そんなにそんなに心配してくれてたんだ、って知ったら泣いたよ」
たこは声を詰まらせた。
「それでもあなたの人生の大切な何年かをご両親から引き離してしまって本当にごめんなさい、ってマミーが言った時、二人で号泣したの」
トミーはドラッグに溺れてホームレスになったそうだ。更生しようと決めた時、自分のような人たちを一人でも減らしたいから、とクスリをやめようとしているホームレスが住めるようなスペースを作ると決めたらしい。そして、高校卒業の資格をとり、建築設計士になった。自分が思い描いた「ホーム」の設計にはまだ到達していないけれど、更生施設のリノベーションをいくつか手がけたそうだ。そして、40代で俳優になる夢を追いかけたい、と東海岸に移住するパートナーを支えるために州を跨いだ設計士の資格を取り直して数年間ジーンを支えた。
心底向き合って夢を叶えられなかったジーンはある時キッパリと夢を諦め、今はコミュニティーカレッジで文学を教えているそうだ。夢を追い切った満足感ややりたいことをやり抜いた充足感がジーンに新たな情熱を起こさせ、多果子が日本人だから、と言う理由だけで日本文学にも触手を伸ばし、今では多く出版されている翻訳本なども授業で使っているらしい。
「村上春樹とか夏目漱石とかまで読んじゃうんだよ、全く。あのいい意味での貪欲さには脱帽だわ。そして尊敬する」
そう言いながらたこは携帯の写真を見せてくれた。
9
「パパ達の結婚式の写真だよ。同性婚が合法化されてやっと結婚できたの」 白い揃いのタキシードを着た、深い皺の刻まれた顔の60代の爺さんが二人、はにかみながら、満面に幸せを漂わせて写真に収まっている。彼らの手にはもう一組のカップルの写真。
「これ、ホストマミーとダディ。ジーンとトミーが結婚できるようになる前に死んじゃった。法制度がもう少し早く整ったら出席できたのに」
たこは目を伏せた。
その横には正装した黒いタキシード姿の二人。
「あれ、これ、たこちゃん?隣にいるのは?」
「はは、そう。隣にいるのは奥さん。その時は彼女だったけど」
彼女の「妻」は背の高い褐色の肌のハンサム、という形容がぴったりの麗人。
「もう一組は男同士に見えるけど…?」
「こっちはホストシスターのアンジェラとその旦那さん。二人は大学の時から付き合ってったんだけどアンジェラがトランスジェンダーだとカムアウトしたの。スタイはどうやって受け止めて良いかわからないと言って一旦別れたのよ。何年かして、スタイは自分が好きなのはアンジェラで女だからとか男だからとかは関係ない、って気づいてプロポーズしに戻ってきたの。すごくない?」
「…」
「ごめん。銀公にはちょっと理解し難い話かもね」
確かに、日本では最近『多様性』と言うことが声高に言われているがやっぱりいわゆる『少数派』を見る目が優しくないことは俺にもわかっている。店に来るお客のことを従業員が話しているのを耳にすることも少なくない。「うん。ごめんね。俺のキャパ超えてるわ」
そんな風に答えながら俺はこのいとこの目の奥を探ろうとしていたらしい。
「やだ。何見てんの?」
「いや。子供の頃さ、お節料理を食べながら、たこちゃんが家の両親とか親戚の叔父さんや叔母さんに揶揄われた時のことを思い出したんだ。彼氏いないの?って聞かれた時のたこちゃん、印象はいつもみたいに明るく笑ってたんだけど、ふとした瞬間の目の奥がすごく悲しいっつーか寂しいっつーか。そんな風に見えたんだよね。今考えるとなんだか全てが腑に落ちるな、と思ってさ。あの時、たこちゃんの魂は死んでたんだね。俺はそんな大変なことが起こってたなんて知らないから、ちょっとゾッとして目を逸らしちゃったけど」
「あの時、銀公って確か小学生だったじゃん。そんな子供にわからなくて当然だよ。私だって自分を鏡で見たことなんてなかったから自分がどんな目をしてたかなんて知らないよ。ただ『クローバー』の淳くんの画像を最近観てさ、ああ、自分もきっとこんな目をしてたんだろうな、と思った」
遠くを見るように彼女はいった。
「私はさ、ホストファミリーやパパ達に拾われて新しい命を吹き込んでもらえたけど、そんなラッキーな人ってそうそういないかもしれないよね。感謝だな。あとは死ぬまで生き続けないとね。魂を殺さないようにしながら」
俺の従姉妹は自分として生きるために日本という国を飛び出し、血のつながりを断ち、愛情という絆だけで新しい家族を作った。それはもしかしたら絆である愛が冷めてしまえば何も残らないという脆いものなのかもしれない。でも、だからこそ彼女はきっと死ぬ気で自分が作り上げた「家族」との絆を守るだろう。
拙い言葉で自分を伝え、その拙い言葉を一生懸命に聞き取ろうとしたホストファミリーの愛情。非道と責められるのを覚悟で彼女を手元に残そうとしたホストマミーの母性。人生はやり直せると身をもって示してくれたパパ達。男でも女でも関係ないとその人への愛情を貫くアンジェラの夫、スタイ。肌の色に関係なくベトナム孤児のアンジェラを育てたファミリー。褐色の肌の、多果子の妻をなんの偏見もなく受け入れる愛情。
俺には彰子叔母さんはもしかしたら多果子を産んだ時点で母としての役割を終えたのではないかという気さえしてきた。生まれ落ちて最初の十数年、たこの人生は辛い事の連続だったようだ。留学という自由への切符を掴み取って彼女は、彼女が生きるべき人生を、彼女を丸ごと愛してくれるホストファミリーという家族の元でやり直すことができたのだろう。
「でもね、ファミリーに愛されれば愛されるほど、なんで自分の実の両親はこうやって私の事を愛してくれなかったんだろう?って落ち込んだりしたわ。愛されれば愛されるほど自分の欲しい愛情はこれじゃないはずだって殻に閉じこもったこともあったの」
その苦悩は、ホストマミーが心配した通り、たこを酒やドラッグに向かわせたと言う。酒やドラッグの効能は数時間で切れ、その後には元々の辛さの上に自己嫌悪が重なる。それを忘れるためにさらに使う、という悪循環から抜け出そうともがいている時に出会ったのがニッキーだった。
「日本に手紙を書いたりもしたの。一抹の希望みたいのを持って。迎えにきてくれるとか心配しているような一言を探ろうとして」
でも、日本からの手紙には聡美の結婚生活や横浜の天気以外は書かれていなかったのだと俺は後から要子叔母さんに聞かされた。たこの荒れた生活はやり場のない怒りや悲しみ、絶望と相まって相当に激しいものだったと容易に想像がつく。
たくさんの天使たちに愛されれば愛されるほど、その愛情が「くるべき源」から来ていない事実に人はどうやって向き合うのか。俺にはわからない。たこがどれだけの涙と張り裂けそうな痛みに苛まれた夜を過ごしたか俺には想像ができない。きっと彼女は血の涙を流し、のたうち回る苦しみに打ちひしがれたことだろう。
「アンジェラとマミーはもちろん本当の親子だから、本気で喧嘩ができたのよ。羨ましかった」
酒やドラッグに溺れるたこを見て心配するファミリーに心ならずも辛辣な言葉をぶつけたこともあったそうだ。
それでも、今、俺の前に座っているたこは穏やかな笑みを浮かべている。「苦しかったけどね。人生の半分以上の時間を恨みや悲しみと戦って過ごしたわ」
だから要子が彼女に言ったのだろう。
「もう修行はおしまいにして『果』の字を取り戻しなさい」と。
「トミーはHIV陽性で一時T細胞の数値が4まで下がって瀕死の状態になったの。でも、生きるんだ、って懸命に治療して努力して、生き返ったのよ。ジーンは昔あんなに遊んだのに、そして一緒に遊んだ友達が次々にエイズで亡くなってしまったのに自分だけ陰性だという罪悪感からうつ病になったの。亡くなってしまった友人のために生きるんだ、って頑張ってるけど毎年の世界エイズデーには物凄く落ち込むわ」
写真の中の初老の男達。若い頃はクスリや酒に任せてかなり派手に遊んだらしい。だからこそ彼らは今、同じように苦しんでいる友達のために何かをしようとしている。死の淵から救われた彼らはその命が尽きるまで「生きる」事をやめないのだろう。
たこと奥さんは移民を支える司法事務所を構えているという。
「ニッキーが主に稼ぎ手なの。その結論に達するまでに揉めたこと揉めたこと」
たこは笑いながら話した。
「高一の時から自分で稼いできたじゃない。留学費用は一応出してもらったけど、それでも1年分だけだったしね。小遣いはバイトで稼いだ分だけ。あの頃の通貨の換算レートなんて今の比じゃないくらい悪かったからね。
「私にとって経済力イコール自由なのよ。何かあった時、モノを言うのはやっぱりお金。特に人の命に値段が付いてる国で生活してて思うわね。それをさ、補助的役割に回ってくれ、ってお願いされたの。私には何かあっても逃げ帰る場所がないのよ。それに、移民である以上立場は確実に不安定だからハシゴ外されちゃったら、って疑ったらいくら惚れた相手でも譲れないところは多かったんだ」
トミーと結婚していた初めの頃の生活費は婚姻の事実を証明するために全て彼が負担したらしい。数年後、永住権の縛りが取れたあとは彼女も収入を得、貯蓄に回したそうだ。
「だって、自分のことは自分でしないと」
こんな独立心の強さはきっと母譲りなんだろう。
いつかお袋が言っていた。
「彰子は家計を助けるために高校卒業してすぐ結婚して家を出たのよ」
10
アメリカ駐留軍のトラックに轢かれて俺の爺さんは亡くなったそうだ。長女だったお袋の婚期が遅れたのは母親と、まだ未成年だった妹達を支えるためだったと言っていた。そんな苦しい家の経済状況をみて育った彰子は「口減し」のために経済的に裕福な商社マンと結婚したのだろうとお袋も要子叔母ちゃんも言っていた。叔父となった信大は結婚直後から何度か実家の財政を救ってくれた事があったそうだ。
そういえば、年始の集まりの時、ばあちゃんもお袋たちもどこか叔父に遠慮をしているような態度だった。叔父の態度が尊大だったわけでもないので、ひと昔もふた昔も前の男尊女卑がこんなところに出ているのか、ぐらいしか思わなかったけど。
だから彰子叔母ちゃんは夫の行状を咎めることができなかったのか?金銭的な負い目のせいで正直な会話を持つことができなかったのだろうか?
ニッキーとたこはことあるごとにぶつかり、その度に話し合って解決してきたという。でも、そこに辿り着くには、そんな権利を主張して良いとわかるまでには長い時間がかかっただろう。留学生としてホストファミリーとの生活やトミーとの結婚生活でたこは恐らくたくさんの遠慮や負い目を密かに抱えていたのかも知れない。
「お財布を一つにしてから10年経って、最近やっとこれでやっていけるかも、って思えるようになったわ」
たこは微笑んだ。
「なんか、充実した人生だね」
「うーん、そうかな。よくわからないけど生きてるという実感はあるかも。あの魂の殺人が繰り返されていた頃とは確実に違うかな。」
人はおぎゃあと生まれた瞬間から死に向かって歩き始める、とは仏教の坊さんがよく口にする言葉だ。でも、その間に様々な「死」を体験すると教えてくれる人は少ない。それはもしかしたら自分が「死んだまま」ということに気づかないからなのだろうか?
一体、人は幾つの「死」を体験するのだろう。愛する人の死。叔母の要子は弟の死、父親の死、そして夫の死を体験した。18歳だった彰子が家計を助けるために見合いで結婚を決めた時、実は密かに恋心を抱いていた後輩がいたらしい。でも彼はすぐに社会に出て家庭を養うことはできなかった。彼女もまた実家を助けるために自分の一部を葬り去ったのだろうか?最近取り沙汰されている男性芸能人の性的な不始末。罪を償うのはもちろんだけれど、彼らはそのために社会的な死を体験しているのか?
無意識であるにしても、母親がそうしたように、たこは思春期の恋心を封印したのだろうか?15歳で岡村家の次女という少女を葬り、独りで生きる覚悟を決めた。姉の聡美が享受した人生は自分には用意されていないと言う事実を静かに受け止め、異国の地へ旅立った。払った代償は大きかったのだろうか?手に入れた「生」は彼女が望んだものだったのだろうか?
あの、背筋が凍りつくような深い悲しを湛えた瞳の14歳の従姉妹は幾年月を経て目尻に少し皺を刻みながら夕陽に輝く目を持つ女性として俺の目の前に座っている。
何か言った方がいいのかと思いながら、どんな言葉も彼女の尊厳をぶち壊してしまいそうな気がして俺は黙っていた。
「あ、やだ、こんなに遅くなっちゃった。銀公、ごめん。パン屋さんは朝早いんでしょ?週に一回の休みなのに丸一日使っちゃったね」
「いや、いいよ。たこちゃんの半生記をダイジェストで聞けて、お得感の方が高いかも」
多果子は久しぶりだから観覧車に乗って横浜を上から見た後、ホテルに戻る、とテーブルを立った。
「まだどこかに私の覚えてる横浜があるかも知れないから」
11
俺は、久しぶりに港を見ながら公園の中を歩いてみたい気持ちになって地下鉄とは反対方向に歩き出した。歩きながら、先週相談に来た橘さん家の雄さんの事を考えた。40代になって死ぬのが怖い、と思い始めたそうだ。彼はもしかしたら目の前にある「生」に向き合っていないのかも知れない。俺はどうだ?俺は今目の前にある「生」にガチで向き合っているだろうか?もしも雄さんが今度また来たらそんな話をしてみようか。
足元にある横浜を俺は踏みしめた。
