機能不全家庭に生まれて壊れた話
私は1981年に生まれた。 両親と兄と知的障害の姉がいる。 私には0才からの記憶がありその時点で周りの家族の不和不穏を肌 で感じていました。
母に抱かれた私を見て、姉に「かわいいね~」と超棒読みでいわれたときは、嫉妬の感情が頭にズンと入ってきた。
兄と姉はその時点で親から「失敗作」「期待はずれ」 の烙印をおおっぴらに押されていました。
私は最後の希望だと表面的にはちやほやされたせいで兄と姉の嫉妬 を買い、 生まれたときから兄と姉に敵視され排除されいじめられる人生にな りました。
一番古く強い記憶は2才のときで夏に家族でビニールプールで水浴 びをしていて、 兄姉は水着を着ていたのに私だけ裸でなぜかそれがたまらなく嫌で した。 父にガメラ撮影されたとき今でも思い出せるくらい純粋な激しい嫌 悪感で「見ないでよ!!」と叫んでいました。
そのときの鬼みたいな形相をした私が写真に残っています。
最近になって知ったのですが私は強度のES P エンパスらしくたまに読心術レベルのことがあり、 対象になにか直接言葉で言われる前に特に強い憎悪や悪意を引き寄 せるようにその言葉や感情を自動的にキャッチしていることがあり 、 わけがわからないまま沸き起こる思考や感情に振り回され非常に混 乱し恐怖していました。
直接なにもされませんでしたがなぜかずっと私は家族からの性的暴 行を恐れていて、 見たことも聞いたこともないはずなのに生々しく性的暴行のシーン や痛みが憑依したようになって、 想像だけで実際に暴行されているかのような疲弊と苦痛の日々でし た。 母に手をあげられたのも2、3才頃だったと思います。 私はおもらしをしてしまい、母に尻を叩かれたのですが、 その瞬間私は泣きわめきながらどこかすごく冷めながら「 これをきっかけに母は名目を手に入れて私を叩き易くなったな」 と思いました。
その後から母は一日私につきっきりで私に読み書きを教えるという 名目で、 私が字を間違えると耳元で罵倒絶叫するようになりました。 5才になると算数国語のドリルを出して勉強させ間違えるたびに絶 叫罵倒に平手打ちされました。ほぼ毎日一日中。 ときにはいつも帰りが遅くいつも深夜に離婚の話やいさかいをして いる父にも私の「勉強」 にお参加させ一緒になって私を罵倒嘲笑叩くなどすると母は今までに 見たこともなく楽しく嬉しそうでした。 私は毎日包丁や鉛筆で母を刺す想像ばかりしていました。
いつも耳を塞ぎたくなるほどの侮蔑語で詰り合っている夫婦も私をいたぶるときだけは驚きのパートナーシップぶりを見せます。
五歳のときに、あまりに、毎日叩かれるので、1日何回叩かれているのだろうと思って数えたことがあるが、1日最低15発は叩かれていた。
・・・
私は感情のない子供でした。 初めて保育園にいった日、 父によれば他の子は保育園で走り回りみんなと遊んでいたのに私は 父から離れると真っ直ぐ部屋を横切り部屋の隅に座り込んでそこで じっとしたといいます。
10才くらい年の離れた姉は平均知能指数4才くらいだが、悪知恵を働かせたら10才くらいだったと思う。姉は盗癖があった。私の机の上や机の中のものはほとんど盗まれた。それに言及すると、「もともと私のだもん~」といってはばからなかった。あまり強く問い詰めると、「パパとお母さんにいいつけてやる」といい、私が姉のものを盗んだエピソードを、自分が知的障がいだからいじめられる風にアレンジして親に私を叱らせてにやにやしていた。
また姉には自傷癖があった。指の皮を爪や歯でかんで剥く。10本の指はボロボロでいつも血が滲んでいた。
親はそれが滅法嫌いで、やめなさい、なんか不満でもあるのか、とやめさせようとしていたけど、自分たちが元凶だとはかすりほどもおもわなかったらしい。
姉は粗相癖がある。したいとおもったらいつでもどこでもおもらしをしてしまうのだ。私も最初はそういうものかと思って模倣して、9才まで夜尿をしていたけど、どうも違うらしいと気づいてからは夜尿は止まった。
姉は30になってもオムツをしていた。家事の邪魔だから外へいけとか、姉と買い物をしてきてくれといわれるのが死刑宣告だった。お尻を尿でびっしょりにして平然としている姉とそれに目をむいて見てくる他人たち。わたしも同じ目で見られている羞恥感。脈絡なく私に対抗意識と嫉妬と憎悪をむけてくる姉。バカ、アホ、死ね、殺すからな、と脈絡なくいってくる姉。いつか最初で最後に母に聞いて見たことがある。
姉ってどうしてああなの?母は「そういう子なんだから仕方ないでしょ。お母さんは姉のこと天使だと思ってるよ」その天使がコントロールできない部分で粗相をしたときはこの世の終わりみたいに姉を叩きまくって絶叫の罵詈雑言の槍を降らせバッシンバッシン叩いていた。
姉は叩かれながら母に教わったもじで、ノート帖に、お母さんパパころしてやる、と指を咬み血を流しながらながら書いていた。
姉は私だけでなく、母親の財布から、父の小銭入れから、兄のバイト代から、それぞれ窃盗していた。そんな姉がいるのが私は恥ずかしくて恥ずかしくて、誰にも秘匿し、一緒に行動を取るときは消えてしまいたかった。
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私は5才から「人間は機械だ、道具だ、モノだ、 食料という燃料を与えていればそれでいいんだ」 と強迫的に想うようになり、 人は機械であらねばならないしそれが世界の正しい姿なのだと思っ ていました。
私に思考や感情があるのば未熟だからで、
「 普通で正しいみんなの社会」 にはそんなもののない完成品された
機械しかいないのだろうと思っ ていました。
「みんなと同じ普通で正しい社会」に適応することは、 いわば親にとっては神に等しい絶対概念で私もそれを言語内 外で絶対的に感じとり自動的に内面化していました。
私はそのような「機械しかいない外の世界」 を恐れまた自分や他人の思考や感情の存在も恐れそれを抹殺するこ とに注力していきました。
ちなみにこの「人間は機械だ~」 という台詞はその後すぐに父から直接いわれ人生の折に触れて繰り 返しいわれました。母も普通に聞いていました。
それに私が「人間は機械じゃないよ、心があるよ」といったら、親は爆発しました。
神に等しい親に逆らうとは何事か、お前は頭がおかしい、DNAがおかしい、精神病院に入れ、とその後口論になるとこれは逐一いわれるようになりました。私はとんでもない異世界にきてしまったことを恐怖しましたが、だんだんに洗脳されていきました。
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私は5才のときにその後一生続く身心の異状に見舞われました。 この頃に激しい自殺願望と最初は家族に向けられた殺人願望が生ま れました。 毎夜手を合わせ「 神様仏様親きょうだいを殺して下さい死なせて下さい。 たすけて下さい私をここから出して下さい」 と毎日号泣しながら必死に祈っていました。 そのうち「自分はなんて悪いやつなんだ親の不幸の分お前(私) が不幸になれ」と自分を呪いました。 こういう精神活動?はみなが寝静まった夜しかできない、 起きませんでした。
昼間に自分がなにをしていたかの記憶がすっぽりないまま、 気がつくと布団に仰向けになって夜の闇を凝視している自分を初め て発見し、 自分が誰なのか思い出そうとしてもなにも浮かばずパニックになっ たりしました。 自己不在感からの脳みそをぐちゃぐちゃにかきまわされるような精 神異常、 体を雑巾のように絞られるような身体異常に夜な夜な見舞われよく 体をぎゅっとできるだけ小さく縮め、頭を両手で強く抑えてこの感覚に耐えていました。 このときの感覚を表現するのにも膨大な言葉が必要なのですがいく つか表現してみると、ひとつには「 自分の存在が物理的に消えていく、透明になっていく」 感覚がありました。後に「コタール症候群」 という症状に酷似していることを発見しました。 コタール症候群とは、 いわば鬱の最重度最強最終形態みたいなものです。 自分はもう死んでしまったような、まだ生まれていないような、 幽霊みたいな感覚になりました。 自分の存在が消えていくという異状な感覚に見舞われ、また「 普通」 から逸脱していくことに恐怖した私はなにかなんでもいいから「 存在」に掴まろうともがくように、一番手近にあったもの、 憎悪と悪意と怒り、 ありとあらゆる負の感情のアドレナリンの力にすがりました。
まるで悪魔にすがるように。 私の中にぽっかりと空いた宇宙空間のように果てしない透明な消失 部分の空白は、 同じ量の果てしない憎悪と怒りに満たされ埋まり塗りつぶされましふ た。
強迫性皮むしり症も五歳から始まりました。
母が寝る前に毎夜、布団に入った私に「おやすみ~」といいながら頬や唇にキスをしてきたのですが、それがとてつもなく気持ち悪く、唇の皮をむいて、まだ足りず唇の赤い部分を越えてびーっと皮をむくようになりました。
また口のなかで口内の頬や歯が届く部分の肉を咬みちぎるようになっていき、七歳のときには口の中も外も血だらけで、口内には深く咬みちぎったため深い陥没ができ、太めの血管を咬みちぎってしまっらしく、血が止まらなくなってしまい、口から血をぽたぽた滴らせていました。口がいつもずくずくと痛く、鼻に抜ける血の臭いと血の味がいつもしていた。
また私はそのころいつもひとり閉じ籠っていた保育園で、ある少女と 鮮烈に出会い、私はその少女とコミュニケートするために、 自己アイデンティを完全に抹消して「 彼女自身にならなければならない」と思い詰め、 そのようにしました。 その過程は後に自らの自閉症を自伝にしたドナ・ウイリアムズの「 自閉症だったわたしへ」の中でドナが初めて「 外の世界で生きた人間に出会った」ときの体験そのままでした。 この時から自己アイデンティから継ぎはぎのパーソナリティで生き ていく私が出来上がりました。 またこのパーソナリティの不自然さのせいで保育園ではおおいに嫌 われました。
また5才から極度の便秘になり毎日引き裂かれるような腹痛や下痢 や嘔吐を繰り返す日々になりました。 私には自殺自傷願望があったのですが、 これらの痛みで自然にその願望が賄えました。
またやはり5才から追いかけられる、殺される、 極度の恐怖で心臓が止まりそうになる悪夢を毎日見て夜中に何度も 飛び起きるのは向こう30年近く続きます。
また世界全てが私に降りかかってくるような恐怖、 世界の不幸の全てが自分のせいのような罪悪感、常に誰かに頭に銃口を向けられてて狙われているような感覚、 自分は人類の敵で悪魔で奴隷身分だから八つ裂きに拷問され殺され ても私には抵抗する権利などなく笑って受け入れなければならない んだという絶対的な諦念と無力感と絶望に支配される人生が始まり ました。
そしてこれらのことを私は親にも誰にもいいませんでした。 私には名前もなく最初から親もきょうだいも家族もいると思ったこ とはなく、 国も世界も私の中ではとっくに壊れて滅んでなくなっていました。
・・・
小学校に上がった瞬間からいじめが始まりました。叩かれ蹴られ持ち物はぐしゃぐしゃに踏みにじられ、嘲笑されました。 教師の話を聞いたり教科書、ノート、 ペン、「わからない」ということに向き合うと母の罵倒絶叫叩きがフラッシュバックして頭が真 っ白になり、「わからない」ということは死罪になりうる罪であり罵倒絶叫平手打ちの雨の罰を受けなければならないことなのに、なぜ生徒も、教師もみな平然としているのかわからず、 誤魔化すために人に無意味に話かけたり席をたってうろついたりし ました。
このころ、小学校低学年のころから、掃除機のホースで叩かれる、頻繁に出ていけといわれる、ほぼ一日中立ちっぱなしで罵倒され続ける、 親からの虐待、兄姉からのいじめ、学校でのいじめ。互いに声をかける際は、死ねか殺すか罵倒か命令形の言葉だけ。あとは圧倒的な存在の拒絶、沈黙があるだけの家でした。
親の信仰として、「親は神だ」というのがあります。親のいうことは絶対で、ここが一番重要ですが、「他人様、世間様、みんな」に認められ、承認されるのが親であり、親という神なのだといいます。親は全人類の意思意識の総体であり、世界そのものだと。だからその親に逆らうことは、世界に、全人類に、神に逆らう悪魔的な罪悪なのだ、雷のように啓示を受け、私は自分が世界を敵に回す悪魔になったことに絶望し、足元からガラガラと世界が崩れていくようだった。
親の口癖は、「俺は神だ。俺にはみんなが、味方し、賛同する。俺に逆らうお前は古今東西一番の悪人だ。
俺にはお前のいっている言葉が理解できない。お前の言葉がわからない。だから他の誰にもお前の言葉は理解されない。お前は誰にも理解されることなく、受け入れられることなく、誰にも賛同されることなく、この先の人生一生ひとりで生きていかなければならない。
お前は世界にひとりぼっちだ。かわいそうにな。それでどうやってこの先生きていくんだ?お前みたいな死神みたいなやつの世話をしてやれるのは、親だけだぞ?」でした。
私はその親の確信に満ちた言葉を聞くと、私は世界に入れない、みんなの中に入れない、永久にこの世の外に弾き出されて、油の中の水滴、水の中の油なんだ、私はもう生きることが人類に敵対することなんだ、そんな私を匿ってくれるのは親だけなんだ、もう私はこの世界に入れない、私は全ての外側にいる、世界にひとりぼっちだ、この世界に私の居場所はない、神にも等しい親に逆らった私は死神同様、人類が作るこの世界に居場所はない、と恐怖と天啓の確信のようなものと共に、易々と洗脳されていった。
わたしは世界を知った、悟ったと思いました。 私は、世界は痛く辛く苦しく傷つく弱肉強食のものでしかない、 他の世界は一切ない、人間が生きる手段は、 痛み辛さ苦しさに適応し、慣れ、 そのための鍛錬をすることでしかない、と結論しました。 だから私は、 嫌なこと痛い辛い苦しいことを進んで率先してするようになりまし た。 嫌なこと、それこそがそれだけがそれをやることだけが、 世界であり生きることでした。
私はわざと親に罵倒されたり叩かれて「平気だ」「慣れた」 と思い感じる訓練、生きるための学習をさました。 また知的障害の姉に窃盗癖があり、 それも嫌だったので自分からして慣れようとしました。 私にも窃盗癖がつきました。
傷つけられることと傷つくこと、 それだけが世界であり生きることだと悟った私は、 傷つけることにも訓練で慣れようとしました。 人を叩き、いじめ、盗みました。
最後には、私が日々世界に人に殺されると怯えていたように、 一番嫌なこと、人を殺すこと、にも私は慣れなければいけない、 そうしないと私はこの世界で生きていけない、 絶対的な親の絶対命題である「みんなと同じ社会で普通に」 なれないという強迫観念がありました。 悪童日記の中では主人公たちが同じ思考回路で「 殺すことに慣れるために」 さまざまな小動物を殺していくのですが、 私はただひたすら内面的に人を殺すシミュレーションや空想妄想な どでそのハードルを下げ続けました。 9才のとき、 TVなどで殺人加害者が罰せられると意味がわかりませんでした。 やられる方が弱い方が悪いのになんで、と。 なぜ人を殺してはいけないのかわかりませんでした。この家庭という檻で私は日々親兄姉から、殺されてるのに、この家庭の密室の中で蟲毒のように私たち家族5人は、ただ殺しあっているのに、なぜ、社会も神も殺してはならないというのかわかりませんでした。 ただ社会には表面的悪のルールがありそれに触れると罰せられるが 、表面的下の本質は私が思っているものなんだと思いました。 親が感情を殺した機械になり同時に感情がある人間の振りをするこ とが正しい社会適応だというダブルバインドをするように社会もそ うなのだろうと思いました。 この頃、兄とまるでDV 夫婦みたいな共依存関係にあり、テレビのチャンネルを変えろ、ティッシュとれ、メシ持ってこい、など 文字通り横のものを縦にもせず全て私に命令してやらせ暴力を振る われていました。自殺願望一色でした。
七才から、性的暴行への妄想的恐怖が高じて、 一切風呂に入らない歯を磨かないようになりました。 汚く醜くなり一番の恐怖の対象である他人の視界から逃れた かった。 もとから醜くかったのでしょうが、 わざと鼻をつぶしたり変顔をしたりして自分を醜く見せるようにし ていると念願叶って醜くなったのですが、 後にこの社会では醜い女に生存権がないことを知り詰みました。 私はどんどん汚く醜く不潔になり、親は私に「浮浪者、ホームレス、ルンペン、 ストリートチルドレン、乞食」 などと嘲笑しましたがそれ以外なにもしませんでした。
その頃よくトイレで失神するほどの腹痛やほとんど気絶する貧血や 学校にいくのも限界の疲労感などがあったのですが私はなにもいい ませんでした。 私には世界も人間も自分も存在しませんでした。 かろうじて存在するときは家族互いに殺意し合うときしかありませんで した。
14才のとき、クラスメイトに「臭いよ」 といわれ私は人に見えるのかと驚いて風呂に入るようになった 。
母や父はよくお前はこんなんでどあたあするつもりだ、いい学校はいっていい会社入っていい人生になるのになにやってんだ、ふざけるな、こんなゃろう、と酔いながら家中追いかけてきたり、部屋に乱入してきたり、このキチガイが!!!!精神病院に入れ!!!ギャー!!と叫んだりすると、夏場などは窓を開け放った近所中に聞こえ、聞こえるだろ!!!と叫び返すと、聞こえるようにいってるんだよ!!!と叫び返された。
これはその後地域社会全体からの嫌がらせに発展する布石になる。
・・・
9才のとき、初めて雑誌と飲み物を買ってこいという兄にNOをいったとき、兄は即座に爆発した。台所全部を支配するような重厚な大テーブルを持ち上げひっくり返そうとし、逃げようとした私を即座に捕まえ右手を後ろ手に捻りあげ背中に膝を、倒れた横顔に足を踏みつけました。そして何かの漫画の主人公がいった台詞を吐いて勝ち誇りました。
私は隙を見て脱走し家中を追いかけてくる兄から逃げ回りました。私は人生で一番怖いものが兄でした。風呂場の片隅に追い詰められた私はヒステリックに泣きじゃくっていました。
そのときの兄のとった態度が恐怖に拍車をかけました。兄は、心底、不思議そうに、「なんだ?なにを泣いているんだ?」と聞いてきました。人間に感情はない説は確かに親から、また兄にも受け継がれていました。
兄がまた殴る蹴るの暴力をしてきたので私は走って逃げてすんでのところで玄関から外に出ました。兄は外までは追ってこず、私が一階の通路で泣きじゃくっていると、兄が玄関こら半身だけ出して、生卵を3個私に投げつけてきました。
私は泣きじゃくりながらマンションの回りの植え込みの中に隠れてしゃがんで泣いていました。
こういう乱暴は親がいないときや一目がないときに行われました。
やがて母が買い物から帰ってきて、家のなかの乱雑さと泣いて家に戻った私を見て、いつものように無関心に、なにやってんのよ、の一言で終わりました。
9才のとき、半年前くらいに買ったハムスターがいたが、自分のことさえままならない私はほぼ飼育放棄し、ハムスターたちは産んだ子供を食べるなどの共食いを初め、唯一生き残った二匹の子ハムスターが私はとりわけ愛おしく尊く、親に食われる前にお菓子の空き缶の中に入れて飼育していた。
その日も子ハムスターに会うのが楽しみで、学校帰りにすぐさま空き缶を手に取ったが、嫌な予感がして、ランドセルを通路の邪魔にならない壁際に寄せてハムスターたちと戯れ合っていると、母が買い物から帰宅するスクーターの音がして、階段を登ってまず私を見つけた。
「なにやってるの!!!!ランドセルよごれるでしょ!!!!汚い!!!このバカ!!!こんなものにかまってるからそうなるんでしょ!!!!」と叫ぶと子ハムスターが入った空き缶を私から取り上げた。空き缶の中のハムスターはパニックに目を見開いていた。次の瞬間、母はサメのように真円で真っ暗な空っぽな目で私を貫きながら、一階の通路から下の地面に思い切り腕を振り下ろして空き缶を叩きつけた。
わたしは、足元から冷気がはい上ってきて、空き缶が地面に叩きつけられるガシャンという音以外は一切消え、殺意を持って母のブラックホールみたいな目をにらみ返すことしかできなかった。ああ、また殺された、と思った。
母がぎゃあぎゃあ罵声を繰り出してるのもスルーして私はやっと動ける身体でぎくしゃくと空き缶のところにいった。一匹は身じろぎもせずじっと座っていたが、やがて嘔吐をする仕草を10分ぐらいしてしんだ。最後の一匹だけ生き延びたけど、その子もまた、生き物を飼うにあたって驚くほど無関心な親に当てられてハムスターの飼い方など念頭になかった私は、その子も一月たらずで死なせてしまった。
母は台所でめだかの水槽の掃除をしていると、深夜にもかかわらずものすごい勢いで飛び起きてきて、汚い!!!こんなところで掃除するな!!!と排水溝にめだかを全部流したりした。
また私は父母からありとあらゆる罵倒を受けてきたが、ハムスターを飼うようになって、それをあげつらって、バカアホボケマヌケゴミカスクズタコ出ていけキチガイ精神病院に入れ、犬猫ネズミ、ハムスター以下、と罵倒のバリエーションが増えた。
14才頃になると仮初めのパーソナリティにひびが入り始めました 。 他の人が怒ったり笑ったり、 少なくともそう見える行為をすることとその意味が繋がらず、 私も真似をして空っぽのまま怒ったり笑ったりしてみますが、 他の人のそれは情報量が圧倒的で、 破壊的なフラストレーションがたまっていきました。 本を読んでも、 感情に触れる単語は外国語のように意味がわかりませんでした。 ひたすら「普通」 であるようにひたすら笑っていて顔が痙攣しました。 世界と人はますます書き割りのような作り物に、 プラスチックのように命の無いものに見えていきました。 現実とか世界とか全部夢の中で生きてるんだなとぼんやり思いまし た。 そして自分と世界が空っぽになっていくほど、 殺意と憎悪に支配されました。 私には理解できない手の届かない許されていないものへのフラスト レーション、逆恨み、それまでに培ったパーソナリティ、 命感じられないものの命破壊することで手を届かせたい願望、 それらがぐちゃぐちゃになった殺意で一杯になっていき、 同時にそれ自体で即死しそうな原罪罪悪感と自己否定でうずくまり 自分はやはり悪魔だ殺されるへきだと思いました。
・・・
そういうぐちゃぐちゃな一瞬後に発狂寸前の精神状態は5才から変 わらないのですが、親の「普通であらねばならない」 という絶対命題だけで素面を保っていました。 家では親は口を開けば罵倒嘲笑絶叫叩きの毎日、 いつもの場所に新聞がないみたいなことでキレて過去の蒸し返しに なり因縁つけて無意味に怒鳴りこんでくる、 姉はおもらしが治らず自傷し盗み糞尿を垂れ流し父に殴られ、痛い、痛い、と泣き、 兄と父は毎晩徹夜で殺してやる!と取っ組みあい、兄は母を家庭内暴力し、 母は体中痣だらけになりながら親戚に電話でことの次第をへらへら 笑いながら報告していました。兄に殴られ蹴られているときは、痛い、痛い、となくのに。 なにがあってもへらへら笑って問題にしなければ問題を認めなけば 問題は存在しないという、典型的な機能不全家庭マインド。 だから表面的には私はそれまでいつも笑ってみなに調子を合わせて いる「なにも問題のないいいこ」ですらありました。
私は五歳の時に私は泣かない、と決めた。泣かせるやつは泣かせるのが目的でやっているのだから泣いたら相手の思う壺だし、煽ることにもなる。
「私が泣いたら相手に私が痛がっていることがわかってしまうでしょ。私が痛がるそぶりを見せなければ相手に私が痛がっていることはわからない。そうすれば相手を喜ばせることもないし、私の痛みはなかったことになる。」
私は痛みも声も言葉も、なにもかも伝わらない、私ひとりしかいない、もしくは私ひとりだけ世界から排除された世界を、憎しみと破壊欲だけを世界との臍の緒にして、全部を自分の喉の奥ひとつに詰め込んで漂泊するしかなかった。
五歳のときから私は父兄にレイプされること、また寝てる間に家から放り出されることを警戒して、布団の下に包丁やナイフを入れないと安心して眠ることができなくなった。
親に、お前は世界の誰にも理解されない、といわれたのと、保育園で会った「彼女」になるためにアイデンティティを葬ったことで二重に私にはロックがかかった。自己表現のロックがかかった。
それで進学どころではないのですが高校に行きました。 高校はますます私のキャパを越えていました。 高校ではいじめ関係がありませんでした。 みなそれ以外のなにかに価値を見いだしているようでした。 私はそれがなにかわからず、私はそれまでのいじめ関係、 弱肉強食関係でしか生きられないことを悟りました。 私は誰と関わらず、モノのようにひたすらじっと過ごしました。
5才から記憶や思考感情を「リセット」 して消去して一日一日をしのいでいたのですが、この頃、「モノ、 機械になるために」それらを完全に消去し尽くした、 私は念願の機械として完成した、という感覚がカチンとしました。 完全な空白、空っぽ、透明、無、 ひたすらモノとしての自分がいる感覚でした。 それは解放感達成感のあるものでした。 その一瞬後、 もはやなにもする意味も理由もないなにも選択欲望できない自分を 発見しました。 その一瞬後、 誰でもいいから殺したいというただただ純粋なほど真っ黒な憎悪に のみ支配されました。 私の中ではもうとっくに世界は終わって瓦礫の山になっているのに 、 二重露光のように笑いさざめく平和な世界が目に写るアンビバレン ツに耐えられず、戦争が起こればいい、 私が内面で見ている光景が現実になればいい、 と爆弾が降り注ぎ血濡れた世界の光景やナチズムに支配される世界 を幻視していまし。 ちなみに兄も9才くらいのときにヒトラーを尊敬するという人でし た。ヒトラー以上の悪の存在である 自分と、私を決して許さないだろう人間と人類とその世界への呪詛と憎悪がどろりどろりと噴出した。
自己不在の感覚のまま無機質に大量殺戮していく感覚は浦沢直樹氏 の漫画「MONSTER 」に、 環境に培われた莫大な憎悪を世界破壊に暴走させ同時に自分を押し 止めようとする感覚は皆月亮二氏の漫画「ARMS 」に似てるなと思います。 教養の無さが露呈しますが自己感覚が基本透明なので作品という外 部装置に自分を委ねてるだけかもしれませんが。
17才のとき、神戸連続児童殺傷事件が起き、その犯行声明文と、 つかまったサカキバラセイトの供述がまるで生き写しのように私と 重なり、私の願望が無意識に形をとりこの事件を起こしたのではないかと パニックになった私は罪悪感で引き裂かれ、自分を社会から隔離し閉 じ込めるように18才でひきこもりました。 それから約10年ひきこもりました。
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一応話はここまでです 今は36才ですがそれまでにも今も色々あってなんでまだ死なない んだ殺し殺されないんだと不思議なくらいの普通の地獄です こうして書き出して見ると、起きているひとつひとつのことは、 よくある機能不全家庭の出来事なのかもしれません
ただそのストレスが嫌なこと痛みにほど過剰に執着する私という特 性と合わさることで、 その負荷が私の中で何倍何十倍にも増幅し反映されることで負の増 幅連鎖のようなことが起きるのかもしれません いいことには目を向けられないし自分の中で反響しないそんな感じ なのですよね そういうことも見えてきました
以上です
読んで下さってお疲れ様でした
