マンブルコアな私たち

「炭水化物の不条理」
静寂とルンバの駆動音を添えて
リビングのローテーブルを囲み、3人はそれぞれのマグカップから湯気を立てている。
静かな部屋には、床を這うルンバの微かな駆動音だけが響いている。
ヨシコ
「……ねえ、さっきさ、美術館の映像観てたんだけどさ。白いキャンバスの真ん中に、ポツンと小さな青い点があるだけの絵があってね」
レイコ
「……青い点」
ヨシコ
「そう。それで、解説の人が『これは現代社会における個人の孤立と、無限の宇宙への希求を表しています』って言ってて」
キョウコ
「……それ、うちの廊下の隅にある、前の夫が残していった謎のペンキ汚れと、何が違うわけ?」
ヨシコ
「……違いは、美術館にあるか、私たちの廊下にあるか、じゃない?」
レイコ
「あと、額縁の値段。額縁って、すごいよね。ただのベニヤ板でも、黒いマットな額に入れると、なんか『意味ありげ』に見えるもん。人間の脳ってバカだからさ」
キョウコ
「うちの洗面所の鏡もさ、枠を黒く塗ったら、急に『セレクトショップの試着室』っぽくなるかなって思ったのよ。で、実際にやってみたら、ただの『平成初期のスナックのトイレ』みたいになった」
ヨシコ
「スナックは草」
レイコ
「……草って、あなた、最近そのネットスラング好きよね、それちょっと古いよ」
ヨシコ
「だって、なんか『笑える』って表現するより手軽じゃん。感情の省エネっていうか」
しばしの沈黙があり、ルンバがソファの脚にゴン、ゴン、とぶつかり、何事もなかったかのように方向転換する。
キョウコ
「……でさ、掃除の話なんだけどさ」
レイコ
「急だな」
キョウコ
「私、最近気づいちゃったのよ。私たちって、部屋をキレイにすればするほど、『自分のダメさ加減』が浮き彫りになるってことに」
ヨシコ
「どういうこと?」
キョウコ
「この前、気合入れてリビングのラグをどかして、床の隅から隅まで雑巾がけしたわけ。ピッカピカになったの。で、そのピッカピカの床の真ん中に、私がドンッと座って、スウェットのままポテトチップス食べてる自分の姿がね、窓ガラスに反射して映った時……なんかこう、『無』になったのよね」
キョウコ
「あー......」
レイコ
「……わかる。お洒落なインテリア雑誌の部屋ってさ、絶対にあそこに『生活感のある緩んだおばさん』が映り込むの想定してないもんね」
ヨシコ
「雑誌の部屋には、常に『風に揺れるリネンのカーテン』と『そこから差し込むアンニュイな光』しか存在しないから」
キョウコ
「現実は、リネンじゃなくて、ニトリの遮光カーテンの隙間から、隣の家の室外機が見えるだけだし」
レイコ
「……ねえ、私たち、なんかこう……もうちょっと、煌めいててもよくない?」
ヨシコ
「どこで?」
レイコ
「どこでって……ほら、人生の残り試合的にさ」
キョウコ
「残り試合って言うな。まだ後半のロスタイム入ったくらいだし」
ヨシコ
「ロスタイム長くない? この試合、延長戦なしのPK戦に行きそうな気配するけど」
再び、静寂が訪れ、ルンバが部屋の隅の充電ステーションへ、もの悲しい電子音を鳴らしながら戻っていく。
レイコ
「……まあ、いっか。とりあえず、今日の夕飯、冷蔵庫にある残り物で適当にパスタ作るけど、麺、ペンネと素麺しかなくない?」
キョウコ
「素麺とペンネのハーフ&ハーフにしようよ。それもう、前衛アートっぽくない?」
ヨシコ
「……タイトルは、『炭水化物の不条理』で」
3人は笑いながら、それぞれのマグカップの底に残ったぬるいコーヒーを、静かに飲み干した。
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あとがき
本作は、ドラマチックな事件を排し、等身大の停滞感とユーモアを描く映画ジャンル「マンブルコア」の質感から着想を得ています。
物語には劇的なオチも、人生の解決もありません。
ただ、ちょっとした失敗や、ピカピカの床に映り込む生活感といった「理想と現実のギャップ」を、自虐と達観でやり過ごす大人たちのリアルな時間が流れています。
