異次元の作法[エッセイ]

夫は、箸でサンドイッチを食べていた。
漆塗りの、先の細い箸で柔らかなサンドイッチを挟む。
その光景を初めて見たとき、わたしは何か大切な前提を見落としているのだろうか、と思った。
サンドイッチは手で食べるものだし、箸は米やおかずのためにある。
そういう単純な分類が、この人の前では静かに崩れている。
彼は特に何も考えていない顔で、パンの端をつまみ、口に運ぶ。
無理も違和感もない。
むしろ、その動きは妙に洗練されていて、長年そうしてきた人の自然さがあり、実に見事だ。
もしかしたら、世界のほうが彼に合わせて少しだけ形を変えているのかもしれない、とわたしは思う。
彼はときどきコップをひとつだけ出して、どこかへ行ってしまう。
水を飲むわけでもなく、戻ってくるわけでもない。
コップはキッチンに取り残され、透明なまま、静かに任務を遂行しているように見える。
わたしはそれを片付けるべきか迷い、結局そのままにしてしまうことが多い。
夫の行動には、まるで未完の音楽のような呼吸があるのだ。
夕食のあと、彼は満足そうに椅子にもたれながら、「まだ何も食べていない」と言う。
さっきまでの勢いはどこへ行ったのだろうか。
皿は空で、テーブルには食事の名残がきちんと存在しているのに、彼の中ではそれがなかったことになっているらしい。
記憶というより、現実のほうが彼に追いついていないようにも見える。
出会って十年以上になるけれど、わたしはまだ彼を説明する言葉を持っていない。
彼は毎日プログラムを書き、音楽を作り、時々映画の中に音を置いたり並べたり。
そうやって色々なものを並行に処理する人だ。
だからきっと、彼の頭の中ではすべてが連続し重なり合っているのだろう。
食べることも、考えることも、音を並べることも。
同じひとつの流れの中にあって、わたしが「ここからここまで」と区切っているものは、彼にとっては意味を持たないのだろう。
夫は、今日もどこかで箸を使っているかもしれない。
そしてその仕草は、わたしにはまだ理解しきれないけれど、異次元の作法のようで、少し美しい。
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あとがき
ここに書き留めたのは、音楽家である夫の日常を眺めているうちに、自然と書き留められていった観察の断片です。
特別な出来事というよりは、ちょっとした癖や、ふるまいの記録に近いものですが、わたしにはときどき、どこか別のルールで動いているようにも見えます。
ここに挙げたのは、その中のいくつかです。
