世間の物差しと、私たちが愛した魔法[エッセイ]

「お父さんは、芸術家なの」と胸を張った日のこと
「お父さんは、芸術家なの」
小学生のころ、私はそう誇らしげに友達に話したことがある。
母は物心ついたころから私にそう聞かせていたし、家にはいつも独自の空気が流れていた。
父が作るものはどれも特別で、私にとってそれは「自慢の父親」を証明する最高の肩書だった。
しかし、返ってきたのは、温かい賛嘆ではなく、冷たい沈黙だった。
友達は少し目を丸くし、唇の端を吊り上げた。
それから「......芸術家って」と言って、ふん、と鼻で笑ったのだ。
突然のことに、私は頭を殴られたような衝撃を受けた。
その意味が分からなかった。
何か、言ってはいけない禁句でも口にしてしまったのだろうかと。
そのとき、私が信じて疑わなかった誇りが、一瞬で色あせ、ひどく泥のついたもののように感じられた。
私は何か言い返したかったけれど、喉の奥がつかえたように声が出ず、ただその場で立ち尽くすしかなかった。
あのときの悔しさと、言い知れない孤独を、私はずっと胸の奥にしまい込んだ。
母や、同じように父の背中を見て育った姉には、なぜか恥ずかしくて言えなかった。
父を否定されたような気がして、その傷は小さな心にひっそりとトゲのように残り続けた。
不器用で、怖くて、温かかった背中
父は料理がとても上手で、生き物が好きで、人にはとても親切で、すこしひょうきんな人だったけれど、家の中ではまったく違う顔を持っていた。
とても職人気質で、いつも少しピリピリしていて、私たち子供にとっては優しいだけの父親ではなく、弟子を育てるように厳しかった。
木槌がノミを打つ軽快な音が止まり、仕事場から重々しい足音が近づいて来ると、「……また怒られる!」と、びくびくして恐怖したのをよく憶えている。
父は決して口数が多い方ではなかった。
「物は直角に置け」とか「掃除は上から」とか、短いけれどドスの利いた声でぽつりと言うだけだったけれど、それがかえって怖かった。
そんな父は、私がまだ高校生の頃に、50歳という若さでこの世を去ってしまった。
時空を超えて重なる、あの日の横顔
それから長い年月が流れ、私は42歳になった。
不思議なものだ。
かつては遠く巨大に見え、時に扱いにくかった父の背中が、今の私とほんの数年しか変わらない。
そんな若さで途切れてしまったことに気づくとき、胸の奥がキュッと締め付けられる。
あのころ理解できなかった父の焦燥や、形にならないものに命を削っていた姿が、時折ふとした瞬間に、波のように押し寄せてくるのだ。
大人になり、私が選んだパートナーは、作曲家だった。
彼の音楽は、決して万人受けするようなものではない。
とてもコンテンポラリーで、モダンで、常に時代や既存の枠組みの少し先を睨むような、尖った作品を残し続けている。
その音が部屋に響くとき、私は時空を超えたデジャヴに包まれる。
楽譜に向かい、誰も聞いたことのない響きを求めて苦悶し、孤独に光を掴み取ろうとするその横顔。
それはまぎれもなく、かつて私が幼いころに見ていた、あの父の姿そのものだった。
私たちが愛した魔法
今では「アーティスト」なんていう軽やかでかっこいい言葉で呼ばれているけれど、彼らの生き方はそんな響きほどスマートではないように思う。
世間一般の物差しから見れば不器用で、経済的な安定とは無縁かもしれない。
「芸術家」という重たい響きを、かつての友達のようにどこか斜に構えて見る視線は、今もこの世界のどこかにきっとある。
だけど、私は知っている。
目に見える損得や効率だけではなく、この世界に新しい美や、言葉にならない感情の彫刻を残すために、人生のすべてを賭ける人たちがいるということを。
その不器用な生き様が、どれほど周りの景色を美しく、鮮やかに塗り替えているかを。
母になったいま、私は自分の子どもたちに伝えたい。
誰かが鼻で笑おうとも、世間が少し変わった目で見ようとも、胸を張って言いたい。
「お父さんは、芸術家なんだよ」と。
それは、私たちが愛した人たちの魂の証明であり、何世代にもわたって受け継がれてきた、誇らしくて愛おしい、たったひとつの魔法なのだから。
ほんの一部ですが、父が残した、魂の断片をここに記したいと思いました。
彼が何を見つめ、何を愛していたのか。その片鱗を感じていただければ幸いです。




